20200307

世界が崩壊しない前に 4: 人々はなぜ警鐘を無視するのか?





時には命を削ってまでも、警鐘を鳴らす人がいた。
しかし、ほとんど聞き入れられなかった。


なぜ人々は無視するのか?

前述の例、原発事故、資源枯渇、人口増、環境破壊、核戦争勃発、米国の監視体制、地球温暖化の危機から見えるもの。

1. 科学的な理解無しで危機を理解出来ない

原子炉の構造や安全設計の概念を理解していないと、推進側の権威者が唱える原発の無謬性を容易に信じてしまう。
多くの人は、その安全性の根拠が如何に抜けだらけかを見破ることが出来ない。

地球温暖化の危機を知るには、気候現象や地球史を知らないと、これまた煙に巻かれる。

中途半端な知識や感情論では無理。


2. 人は数十年先に訪れる危機に対して及び腰になる

おそらく数か月後に起こるとするなら対処するでしょう。
しかし10年、50年先となると、ましてやコストと手間がかかるものなら無視するでしょう。
さらに対策の費用対効果を見積り、優先順位を付けるとなると絶望的です。


3. 危機とその因果関係を否定し、世論を誘導する集団がいる

この力は非常に大きく、かつ国民が気付かないよう行われる。

現在、大きな危機の元凶はすべて人間だが、限られた人間によるものが多い。
彼らは防止策や規制により、利益の減少や賠償による損失を避けようとする。

例えば、現在、自由放任経済の恩恵を享受している人々は、かつてのルーズベルト大統領のニューディール政策(需要喚起、賃金上昇政策)を貶めて続けている。


4.人は論理よりも帰属集団の意向に沿って判断し易い

これは分裂を極める社会ほど顕著です。
例えば、人は組する集団が原発推進、敵対する集団が原発反対なら、迷うことなく原発に賛成する。
現在、都合の良い情報(フェイク)は幾らでも集まるので、事実は二の次となる。

今や未開地の部族間抗争に逆戻りした感がある。
残念ながら日本人は稀に見る高い帰属意識を持っているので陥りやすい。


次回に続きます。



20200305

中国の外縁を一周して 25: 蘭州到着と白塔山公園






*1

今回から、蘭州を紹介します。
今回は蘭州西駅到着時のエピソードと、
翌日、最初の観光地、白塔山公園を紹介します。


 
< 2. 観光スポット、上が北 >

上: 赤線は新幹線、紺色線は成都への飛行ルートです。

中央: 私が訪れた所を赤枠で、行けなかった所を黒枠で示します。
ここが蘭州の中心地です。
1: 中山桥
2: 白塔山公园
3: 敦煌艺术馆
4: 兰州西关清真大寺
5: 兰州市博物馆
6: 华润万家(天水路店)、大型スーパー
7: 五泉山公园と近くにある人気の蘭州牛肉麺店
8: 蘭州西駅(新幹線到着駅)
9: ホテル、兰州金地名庭酒店
順次紹介して行きます。

行けなかった所
10: 甘粛省博物館
長期の改修工事に入っていたので入館できなかった。

11: 正宁路小吃夜市(と张掖路步行街)
到着日の夕方から行くつもりだったが、妻の体調が悪くなり断念した。

炳霊寺石窟
時間的に無理だった。
理由を前回紹介しています。

下: シルクロードの全体像を示します。
右端が西安で少し進んで蘭州になります。



 
< 3. 蘭州西駅 >

蘭州西駅は非常に大きいので迷って無駄に歩くことになりました。
タクシー乗り場が分からなかったからです。

上: 赤矢印がおおよそのタクシー乗り場です。
左の白い矢印は西安、蘭州中心部の方向、東側を示します。

下: この写真(借用)は上図の青矢印の方向から撮影されたものです。
タクシー乗り場を赤矢印で示しています。
この乗り場は蘭州中心部行きかもしれません、反対方向(西側)にもそれらしい乗り場が見えます。

私は新幹線を降りて、ホームから階下に降りて、出口(北側)に向かって進み、出た所で左側に曲がりエスカレータで上に出ました。
そこがこの写真で示されている広大な階上の広場でした。

間違いに気づき構内に戻って、警官にタクシー乗り場を聞きました。
乗り場は、先ほどの出口を出ずに右に曲がって行くとありました。
そこは天井は覆われ分かり難い所にありました。
タクシー乗り場では少し並びましたが、次から次へとタクシーが来ますので、直ぐ乗れました。

しかし、ここでもまた問題が発生しました。
運転手に漢字表記のホテル名を示したのですが、分からないと言う。
取り敢えず、ホテルのある中心部に向かいました。
街中をぐるぐる巡ったのですが、分からない。
ついに運転手は、歩道を行く青年に声を掛け聞きました。
彼はホテルを知っていたので、タクシーに乗り込み道案内をしてくれました。
こうして無事に着きました。

私は、彼に謝礼を渡そうとしたのですが、彼は受け取りませんでした。
彼は終始笑顔で親切な青年でした。
今回の中国では、多くの人に親切にしてもらった。

この運転手は、憤慨し当たり散らすことなく、真摯に対応してくれた。
中国では、スマホの百度地図の画面などで行先を見せないと駄目なようです。


 
< 4. ホテルを朝出発 >

下: 宿泊したホテル。

一晩宿泊した翌日は、初めて日本語ガイドに案内してもらいます。
1台をチャーターし、スーツケースも載せて、1日観光の後は直接空港行きのバスに乗ります。
次回、現地ガイド会社を紹介します。


 
< 5. 中山桥 >

朝8時半でしたが、団体の中国人ツアー客が橋の前にけっこういました。
中国で人気があるようで、橋と黄河の夜景写真がインターネット上に沢山ありました。
本来は、夜市に行く時にこちらも見たかったのですが。

上: 橋が見えます。
これから橋を渡り、白塔山に向かいます。

下: 橋の反対側に延びる通りです。


 
< 6.橋を渡る >

この橋は黄河第一橋とも呼ばれます。
この地は黄河が縦断しており、内陸と北西を繋ぐ交通の要衝でした。
目の前の黄河を渡河することは一大事でした。

14世紀、明の時代、多数の小舟を繋いだ浮橋が造られました。
1907年、清朝は30万両の大金をつぎ込みドイツ企業に依頼し鉄橋を建設しました。
これが全長6000kmの黄河に架かった最初の固定式の橋でした。

さらに日本軍が中国に侵攻した時、中国側の北部(ソ連?)からの物資輸送を断つために、この橋を爆破しようとした。
しかし間違った橋を爆撃したので、この橋が残ったのです。

後で知ったのですが、今回私が旅をした蘭州、成都、麗江、昆明は毛沢東の長征のルートの逆回りでした。
私は外縁を巡ろうとし、毛沢東は劣勢の中、山岳戦で外縁部を転戦したのです。

下: 黄河上流、西側を望む。
人口300万の蘭州市なので、高いビルが連なる。
こちらは中心部でないのですが。
この地が、かつてシルクーロードのオアシス都市で、漢民族と西方民族との境界になった辺境の地だったとは思えない。


 
< 7. 白塔山公园が見える >

上: 黄河の下流、東側を望む。
右手が中心部になります。

 
< 8. 白塔山公园に入る >

何処に行っても、太極拳やダンスに興じている姿を見ることが出来る。
人々は新しいものを取り入れているようです。


 
< 9. 階段はきつい >


 
< 10.法雨寺 >


 
< 11. 法雨寺に入る >

上: 仏教寺院だが、左手にチベット仏教特有のマニ車が見える。

下: 三尊仏は日本でもよく見かける様式だと思います。
この手の仏像の顔を見るとほっとする。


 
< 12. 蘭州中心部の眺め >

上: 蘭州中心部の眺め
下: 山頂の塔が見える。


 
< 13. 山頂 >

左下: 白塔と呼ばれる七重の塔。

右下: 塔の前で線香をあげる所。
ここでは、お賽銭や線香をスマホで買う為のQRコードが表示されていました。

この塔の起源は、元の時代に遡ります。
チンギスハンは西域、チベット地域を平和的に統一することを望んだ。
それに応えてチベット仏教のラマ僧がモンゴルに向かわされたが、彼は蘭州で死んだ。
後に、元は西夏王国を統一し蘭州を領土とした。
そしてこのラマ僧を祭るために白亜の仏舎利をここに建立した。
現在の塔は、崩壊後、明時代に再建されたものです。


 
< 14. 裏山 >

上: 黄土高原ではつい最近まで、穴居生活をする人々がいた。
現在は禁止されているようですが。
、山肌に見える住居は、はっきりは分からないがその痕跡を残しているように思える。

下二枚: 元来た道を下る途中。


 
< 15. 筏のアクティビティ >

歩いて橋を戻ると、羊の皮に空気を入れた筏に乗る人々が見えた。
河岸から川の中央まで、手漕ぎで進んで来た。
多くの人が楽しんでいた。

中央: 南側の河岸から出発している。


次回に続きます。



20200303

世界が崩壊しない前に 4: 人々はなぜ警鐘を無視するのか?






時には命を削ってまでも、警鐘を鳴らす人がいた。
しかし、ほとんど聞き入れられなかった。


なぜ人々は無視するのか?

前述の例、原発事故、資源枯渇、人口増、環境破壊、核戦争勃発、米国の監視体制、地球温暖化の危機から見えるもの。

1. 科学的な理解無しで危機を理解出来ない

原子炉の構造や安全設計の概念を理解していないと、推進側の権威者が唱える原発の無謬性を容易に信じてしまう。
多くの人は、その安全性の根拠が如何に抜けだらけかを見破ることが出来ない。

地球温暖化の危機を知るには、気候現象や地球史を知らないと、これまた煙に巻かれる。

中途半端な知識や感情論では無理。


2. 人は数十年先に訪れる危機に対して及び腰になる

おそらく数か月後に起こるとするなら対処するでしょう。
しかし10年、50年先となると、ましてやコストと手間がかかるものなら無視するでしょう。
さらに対策の費用対効果を見積り、優先順位を付けるとなると絶望的です。


3. 危機とその因果関係を否定し、世論を誘導する集団がいる

この力は非常に大きく、かつ国民が気付かないよう行われる。

現在、大きな危機の元凶はすべて人間だが、限られた人間によるものが多い。
彼らは防止策や規制により、利益の減少や賠償による損失を避けようとする。

例えば、現在、自由放任経済の恩恵を享受している人々は、かつてのルーズベルト大統領のニューディール政策(需要喚起、賃金上昇政策)を貶めて続けている。


4.人は論理よりも帰属集団の意向に沿って判断し易い

これは分裂を極める社会ほど顕著です。
例えば、人は組する集団が原発推進、敵対する集団が原発反対なら、迷うことなく原発に賛成する。
現在、都合の良い情報(フェイク)は幾らでも集まるので、事実は二の次となる。

今や未開地の部族間抗争に逆戻りした感がある。
残念ながら日本人は稀に見る高い帰属意識を持っているので陥りやすい。


次回に続きます。





20200301

中国の外縁を一周して 24: 新幹線で西安から蘭州まで




*1


今回は、前回に続いて新幹線からの車窓風景を紹介します。
この西安から蘭州までは、かつてのシルクロードで、
おおよそ漢民族の支配の限界地でした。
少し西域の雰囲気を味わうことができます。


 
< 2. 新幹線のルート >

下: 赤線が今回の車窓風景の範囲です。
写真はすべて撮影順に並んでおり、線路の北側を撮っています。
写真の左側が進行方向になります。

西安は広い盆地ですが、やがて剥き出しの山々の間を列車は進みます。
幾つもの黄河の支流、渭河(渭水)などが曲がりくねり、深い谷間が行方を遮ります。
列車は幾度もトンネルを抜け、河を渡り、時折、谷間の盆地を通過します。
そして山を越える度に空は澄んでいきます。


 
< 3. 西安駅を出て >

写真は西安の都市部から外れまでです。
高層マンションが林立しています。

下から2番目の写真: 今から20年ほど前まで見られた煉瓦積みの農家は沿線でほぼ見られなくなった。
今は、新しい造りの2か3階建ての家か、高層マンションに替わった。

一番下: 前回も合わせて6時間、車窓から墓を探していたのですが、撮影できたのはこれだけでした。
肉眼では他にも一つか二つ見たのですが。
畑の中央に、白い墓石らしきものがポツリ、ポツリと左右に見えます。
ここでも墓が集約されておらず、一つづつ独立しています。
もしかしたら井戸の設備かもしれませんが。


 
< 4.杨陵南站付近 >

ここもまだ西安を中心とした広大な盆地の一角です。

一番下: 珍しいキリスト教会。
現在、中国ではキリスト教が普及しており、政府が警戒しているとの話を耳にしました。
共産主義国家で宗教が認められていることが不思議ですが。

もう一つ、不思議な光景があります。
それはここから西に進むとブドウ畑が増えてくることでした。

 

< 5. 岐山の辺り >

下から1番と2番: 岐山站前後の風景です。
ここもまだ広大な盆地の中です。

この岐山辺りには歴史的な魅力があります。
一つは、周王朝の発祥の地であり、紀元前7百年前頃まで、周王朝(西周)の中心地でした。
秦の始皇帝の時代は、これより東側、今の西安西の咸阳に首都が造られた。
秦の時代も、盆地北側にある岐山を神聖視していた。

いま一つは、三国志で最後の舞台となる五丈が原もこの辺りです。
諸葛孔明と司馬仲達が戦った所です。
その台地は、おそらく線路の南側にあるので確認できませんでした。


 
< 6. 宝鸡南站 >

この駅に停車したのは13:10です。
ここで盆地と別れ、列車は山岳部の谷間に入って行きます。

ここでも高層建築群の建設中が目立ちます。
今回、特に印象深かったのは、高層マンションの建築は数棟ではなく百棟を越える規模で同時進行していることです。
しかも、いたるところで、奥地でも。

これまで30年ほどの間に、7回ほど中国を旅行したが、益々中国全土の津々浦々まで、開発が及んでいることに驚かされた。

下の写真: 建築工事の様子。
今から10年以上前までは、建物は煉瓦積み、高層建築でも工事現場の足組に竹を使用していたのを見た。
様変わりしている。



 
< 7. 宝鸡南站と天水南站の間 1 >

宝鸡南站を出ると、直ぐ山間に入り、長いトンネルを抜けると、少し視野が広がって来た。
明らかに空の様子が異なる。
今までのどんよりとしたぶ厚い雲ではなく、湧き上がる雲の間に微かに青空が見えるようになった。

それでもこの辺りの平野部は、曲がりくねった渭水の両側に幅1~2kmの幅しかない。
山肌は荒れて、草木で完全に覆われている所はない。
河はどこでも泥流だった。



 
< 8. 宝鸡南站と天水南站の間 2 >

天水南站に近づくと、平野部が少し大きくなり、高層のビル群が増えた。
またブドウ畑も多い。


 
< 9. 天水南站を過ぎて >

天水南站に着いたのは13:57です。
この辺りが、西安と蘭州のほぼ中間地点になります。
益々、周辺の山々は深くなっていきます。
この天水から東南約50kmの所に麦積山石窟(世界遺産)があります。

上から二番目の写真: 山の頂上に寺院らしい建物が見える。
その右側の急斜面には、この地方特有の民家群が段々状に連なっている。


 
< 10. 秦安站辺り >

一番上の写真: はじめて山頂に狼煙台らしいものを見た。
ここは秦安站の手前になります。
この駅には停まりません。

他の三枚の写真: 秦安站を過ぎてから。


 
< 11. 通渭站に至る >

この駅に停車したのは14:28です。
蘭州までは後1時間弱で、これが最後の停車駅です。

上: また狼煙台を見つけた。
唐代まで遡るのだろうか?

下から二番目の写真: 風力発電機の製造。
こんな奥地に、金属加工の製造メーカーがあることに驚いた。
他にもいくつか見た。

実は、天水から蘭州、敦煌を含む甘粛省は中国最大の石油埋蔵量があり、、また鉱産物が豊富で、多くの希少金属の埋蔵量でも中国第一位です。
この細長い盆地に中国10大工業都市があるのです。






< 12.定西北站まで >


 
< 13. 定西北站 >

ここは通過するだけです。


 
< 14. 蘭州に到着 >

蘭州西駅に到着したのは15:20です。
さすが甘粛省の省都だけあって、高層ビル群がさらに増した。

追記
やはり新幹線は車窓の景色が楽しめるので良かった。

西安(長安)から蘭州もシルクロードの一部なのですが、蘭州から以西の敦煌までが、黄河を渡って進むので河西回廊と呼ばれた。
地図で見ると、大きく北に迂回していた黄河が、一気に南に遡上しこの蘭州を横切る。
黄河を渡河しなければならないことが、境界となり、旅人の逗留地となり、蘭州の役割を高めたのだろう。

今回、西安から蘭州までの道のりで既に緑が少なく険しいことを知った。
かつての交易商人や西域に仏典を求めた僧らが、この険しく長い道のりを行き来したのだと感慨深かった。

シルクロードを少しでも味わってみたいと思い、今回の旅行に蘭州を組み込んだ。
中国旅行でビザを必要としない限度の15日間で、中国の外縁部一周、廈門、北京、(開封)、西安以西のシルクロードの一都市、成都、麗江、昆明、
広州)、香港を一周しようとしたら、蘭州までが精一杯でした。
香港と広州は、香港の騒乱で直前に取止めました。
蘭州には新幹線で入り、一泊して次の夜には航空機で成都に飛ぶ強行軍でした。
列車で成都に向かうのは時間が掛かり過ぎるので止めました。

残念だったのは、世界遺産の炳霊寺(へいれいじ)石窟に行けなかったことです。
本来、丸1日(約7時間)で観光出来るのですが、観光シーズンが終わっており、ボートでの渡河時間が読めず、夜の飛行機に乗るのが無理だったからです(高額でも良ければ可能なのですが)。


次回に続きます。



20200227

世界が崩壊しない前に 3: 警鐘を鳴らし危機を乗り越えようとした人々






ここ半世紀の間にも様々な危機を訴え、乗り越えようとした人々がいた。
人々は彼らをどう見ているのだろうか?
残念なことに彼らは無視され貶められることが多い。


幾つかの事例を見ます

A 京都大学原子炉実験所の研究者らは、福島事故の前から原発の危険性を訴えていた。

B 百名を越える世界の学識経験者(ローマクラブ)が、資源・人口・環境などで地球は成長の限界を迎えると訴えた。

C ソ連の元書記長ゴルバチョフは、核戦争勃発の危険を訴えた。

D スノーデンは、自ら関わっていた米国政府による電話やインターネットでの世界の要人と米国民への監視体制が進行していることを暴露した。

E グレタは、先進国首脳に対し、地球温暖化に対する無策を痛烈に非難し続けている。


それでは世界はどのように反応したのか?

A: 福島原発事故後も訴えは無視され続けている。

B: 皮肉だが、少しは前進している稀なケースです。

ローマクラブ発表の後、アラブ石油輸出国機構が米国のイスラエル寄りを封じるために、始めて石油価格の大幅引き上げで対抗した。
これが後に、石油価格高騰から世界的な節約へと繋がった。

C: 彼の提案により核兵器削減は一歩進んだが、交渉相手の米国から梯子を外され、彼は国内で孤立し努力は徒労に終わった。

D: 彼と他に二人も同様に訴え続けているが、事態は変わらず、彼らは米国の司直の手から逃げ続けなければならない。

E: 一人で立ち上がった少女の行動は、世界の人々、特に若い人に地球温暖化の危機を自覚させた。
しかし自覚が必要な首脳ほど彼女を茶化すか、迷惑扱いしている。

概ね、多くは警鐘を無視し、危機を無視するようです。


現在も、日本の経済・金融政策、米国主導の自由放任経済に警鐘を鳴らし続ける学者はいるのだが・・・



次回に続きます。