20191213

中国の外縁を一周して 11: 北京、景山から什刹海まで





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今回は、紫禁城の北側にある二つの公園を紹介します。
景山の頂上から紫禁城が見下ろせます。
什刹海は古い街並みとお店が並ぶ今流行りの場所です。


 
< 2.散策マップ、上が北 >

上: 今回の散策ルート。
赤線が徒歩、茶色の線がバスです。
この図は下図の青線の範囲になります。

最初、紫禁城を出ると(下のSから)、直ぐに景山を登りました。
次いで、頂上から西側に降り、ここで公共のバスに乗り、什刹海(E)辺りで降車しました。
ここから西側に向かい、湖に沿って歩き、右に折れて烟袋斜街に行きました。
戻って橋のたもとで昼食をとり、橋を渡った後、Rで折り返し、Eに戻り、バスで次の観光に向かいました。

写真は概ね、歩いた順に並んでいます。


下: 昔の宮城の範囲。
南北の長さは9kmほどありました。

紫禁城の始まりは、13世紀、モンゴル帝国が冬の都として大都を建設したことに始まります。
それは図の内城とさらに北側まで延びていました。
14世紀、北京が明の首都になり図のような大きさになり、清朝滅亡まで続きました。

景山は、明の時代、堀の残土で風水に基づいて造られた山です。
昔、什刹海周辺は皇族の住まい、その南にある北海公園は皇族の庭園でした。



 
< 3. 景山公園へ向かう >

上: 明時代の宮城のイメージ(中国サイトから借用)。

下: 紫禁城北口を出て、景山公園に向かう。
頂上の真ん中と左の建物を目指します。


 
< 4. 頂上まで >

上: 急な階段を昇って行きます。

左下: 最初に見える山の裾にある建物。

右下: 頂上の建物:
この日は建物で写真撮影が行われており、入ることが出来ませんでした。



 
< 5. 頂上から >

上: 南側に紫禁城を見下ろす。
残念ながらガスていました。
これは黄砂なのか、スモッグなのか、霧なのか・・・。
黄砂の時期ではないはずなのですが。
この後、南の開封から西安までの間、同じような空模様が続きました。
空気が悪いと感じなかったし、マスクをしている人をほとんど見かけなかった。

下: 中央のオレンジ色の屋根の建物の遥か向こうに鼓楼が見えます。
正に紫禁城、景山と鼓楼は南北の中心線上に並んでいます。


 
< 6. 頂上から下る >

左上: 辑芳亭。
頂上から西に向かって最初に見える建物。

右上: 富览亭。
峰上にある最も西側の建物。

下: 山を下った所、直ぐ西門があります。
鬱蒼とした森林です。
南に少し行くとトイレがあります。



 
< 7. 什刹海に着きました >

上: バス停の鼓楼で降りた。
通りの奥に鼓楼が見えます。

下: 西に向かって進むと湖が見えました。
市民の憩いの場と聞いていたのですが、観光客で一杯でした。
時間帯が違うのでしょう。

 
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< 9. 烟袋斜街 >

私には風情ある街並みと言うより、単に土産物屋街に思えた。
買い物を楽しむ人には良いと思うが。


 
< 10. 胡同(フートン) >

烟袋斜街の隣には、狭い路地に面して元統治時代の名残りの伝統的家屋が続く。
本当は壁の向こうの四合院を覗いて見たかったが、チャンスは無かった。


 
< 11. 昼食のレストラン >

橋のすぐ前にある李记串吧(烟袋斜街店)に入りました。
ここはどうやら羊肉をメインにあらゆる料理(火鍋、麺、串焼きなど)を出している。
私達は麺と肉料理の一皿を頼みました。
味は良く、価格も手頃でした。

右下の写真は常連さんのようで、骨付き肉の火鍋を豪快に食べていました。
普通火鍋はスライスした薄肉を食べるようですが。
それにしても中国何処でも火鍋は人気なようです。

この度の旅行で、中華料理のイメージが変わりました。
昔からの八角などの香辛料だけでなく、味付けは非常に多岐にわたります。そして人々はあらゆる地方の料理を楽しみ、多くの飲食店は新しいアレンジを取り入れていました。
上記の店も、西域のムスリム料理をアレンジしたものでしょう。



 
< 12. 橋の上から >

中国の湖畔や川端には柳が良く似合います。


 
< 13. 風情のある湖 >

ビルが見えなければ、数百年前の風景を連想させます。

水面を覗くと、意外に透明度が高い。
水質向上に取り組んでいるようです。


 
< 14. 人力車の大群 >

当初、人力車に乗って見たいと思ったのですが。
調べてみると、料金でトラブルことがあるみたいなので躊躇していました。

湖畔を歩いていると、二十台ほどの人力車が一団の観光客を乗せて列をなしていました。
風情があると言うより、壮観というか、ご苦労さんと言う感じでした。


次回に続きます。




20191210

晩秋の北関東をドライブしました 5: 草津温泉から吹割まで



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今回は、草津温泉から吹割の滝までの景色を紹介します。
紅葉と谷間の風景を堪能しました。



< 2. ドライブコース、上が北 >

左の草津温泉から右の吹割の滝までのルートです。
赤いダイヤマークが停車し撮影した場所です。
約80km、2時間半のドライブです。

実は途中、沼田を通過している時に、あるミスに気が付きました。
それは、ここに真田家の拠点となった沼田城があったことで、それも近くに。
ここが北関東の要衝の地、上杉・北条・武田氏が争奪戦の地だったとは・・・。

この日は予定が詰まっていましたので寄ることが出来ませんでした。




< 3. 道の駅 六合 >

ここは草津温泉から10km以内の292号線上です。
産地直売所などがありました。

上: 来た道を振返る。

下: 進行方向。




< 4.上沢渡川沿い >

ここは草津温泉から25kmほど来た55号線上です。
旧大岩学校(牧水学校)を過ぎた辺りのはずです。
かつて若山牧水が立ち寄り、詩を読んだことにちなんで、学校に牧水と名付けた。

上: 進行方向(東)、中央に有笠山(標高888m)らしいものが見える。
クライミングやボルダリングで人気があるそうです。
北関東ではこのような岩肌が露出した急峻な山を多く見かけた。

下: 真右横の眼下に上沢渡川が流れる。



< 5. 来た道を振り返る >

上記と同じ場所から。




< 6. 中之条町大字横尾辺り >

草津温泉から35kmほど来た145号線上です。

上: 進行方向

下: 進行方向左に、切り立った嵩山(たけやま、標高798m)らしきものが見える。



< 7. 遠景に榛名山 >

来た道を振り返ると榛名山が見えた。
榛名山は円錐形と思っていたのですが、違うようです。
今回のドライブでは、赤城山と榛名山の麓を遠回りで一周することになりました。



< 8. 吹割の滝に到着 >

走っていると120号線沿いに多くの食堂や駐車場が見えて来た。
呼び込みが賑やかです。
私は沼田方面から来て最初の無料駐車場(進行方向右手)に車を止めました。
ここは道の駅 吹割です。
滝の降り口までは、さらに道路を150mほど進むと左手にあります。

上: この左手の店は、滝を見て道路120号線に戻ってから、昼食を食べた所です。
ここから300m下ると道の駅です。

下: 降りて行くと紅葉が迫って来た。





< 9. 眼下に鱒飛の滝 >



< 10.鱒飛の滝 >

紅葉に期待が膨らむ。


次回に続きます。




20191209

中国の外縁を一周して 10: 北京、紫禁城



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今回は、北京観光初日に訪れた故宮、紫禁城を紹介します。
私の紫禁城への入場は2019年10月18日(金)9:00~11:00でした。
今回は2度目の見学で、前回見逃した所も見ました。


 
< 2. ホテル天安大厦から >

上: ホテルの部屋から南河沿大街を見下ろす。

朝6:30、外が騒がしいので窓から外を見た。
すると多くの中国人の観光ツアー客が、次から次へと観光バスに乗って出発して行きました。
凄いバイタリティ!!

北京初日のホテル天安大厦は、紫禁城と王府井のちょうど真中にあり、価格もリーズナブルです。
設備が古く、エアコンの調子は悪かったが、朝食ビュッフェが良く、若いフロント係が非常に親切で良かった。
しかし、夕刻、ここから別のホテルに移動する時に、思わぬトラブルに遭うことになった。

下: 大通り、東長安街の東側を望む。
ホテルを8時過ぎに出て、歩いて紫禁城へ向かう。
道路は既に車で一杯でした。
空はガスっている。





 
< 3. 紫禁城の地図、上がほぼ北 >

赤線が私の見学ルートで、写真もこの順に並んでいます。



 
< 4.いざ紫禁城へ >

上: 右に天安門、左に天安門広場の人民大会堂が見える。

東長安街を西に向かっているのですが、天安門に近づくと凄い人で道は埋まって行きました。
歩いて20分以内の距離なのですが、開場の8:30に間に合わない。
人の少ない朝一番を狙ったのですが、出鼻をくじかれた。

下: 午門。
この右手で入場券を販売している。
それは目立たない小さな窓口でした。
私達以外にこの窓口で購入する人はいなかった。
皆、事前にインターネットで買っているようでした。
圧倒的に団体客なので、添乗員などが手配しているようです。

天安門から午門の間は広いのですが、至る所に団体のツアー客が集合しており、ほぼ人で一杯でした。


 
< 5.午門をかえり見る >

上: 午門をくぐり、いよいよ入場。

下: 太和門側から午門を見る。
門と門の間で、この広さ!


 
< 6.太和殿 >

上: 太和門から太和殿を望む。
太和殿は宮廷で最重要な建物で、重大な式典ではこの広場に官吏がずらっと並びました。
今は観光客で一杯です。

ここで気が付き始め、中国を周っている間に確信したことがありました。
それは中国のおばちゃんの多くが深紅の服を着ていることです。
日本では恥ずかしくて着れないと思うのですが。

始め共産党礼賛だと思ったのですが、男性は少ないので、おそらく日本で言う還暦を迎えたら赤いちゃんちゃんこを着るようなものなのでしょう。


下: 太和殿から太和門。






 
< 7. 中和殿と保和殿 >

上: 中央奥に后右門。
中和殿と保和殿の西側にあり、ほとんど観光客は行かない。

下: 手前から中和殿、保和殿。
太和殿に続く建物です。
この二つの建物は、太和殿での式典の折、皇帝が休憩したり、更衣したりした場所です。

前回の20年ほど前と比べ、人が多く、建物の中を覗くのは困難でした。
この辺りでは人に押されて流されて行きました。






 
< 8. 乾清門 >

上: 左(西側)に隆宗门。
この広場から北側、西側、東側が内廷と呼ばれる。
この領域で皇帝が政務を行い、皇帝、皇太子や皇后などが暮らした。

下: 広場中央の乾清門。
この奥に乾清宮が見える。



 
< 9.乾清門と保和殿の間の広場 >

上: 奥(東側)に景运门。

下: 景运门側から広場を見ている。
左が保和殿、右が乾清門。

私は隆宗门と景运门の両方に入りました。
特に興味を惹くものがありませんでしたが、景运门を入って右手に休憩所があり、入りました。
小綺麗なレストランでした。



 
< 10.後三宮 >

上: 乾清宮。
歴代皇帝の寝所、または日常の政務を執り行う場所だった。

下: 交秦殿と坤寧宮。
手前が交秦殿で、皇帝や皇后の冊立の儀式が行われた場所であった。
奥の坤寧宮は皇后の寝所であった。





 
<  11. 御花園 >

上: 御花園。
ここは紫禁城にあって唯一無機質ではなく、木々の緑がある庭園です。
しかし狭い所に集約されており、奇岩の太湖石がデンと据えられており、不思議に想う。
なぜこんなに広大な宮殿なのに・・・。

太湖石とは、中国の蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出されたものです。
私には美しいとは思えないのですが、中国の歴史的名園には必ずと言っていいほどあります。
文化と歴史が美感に与える影響を、毎回気付かせてくれる。

下: 西六宮の通り。
妃たち西六宮に居住していた。






 
< 12. 儲秀宮 >

ここは西六宮の一つ、儲秀宮です。
偶然、入ってみると、ここで西太后が居住していたと書かれていた。
部屋は清朝時代の様子を再現しており、ドラマ「蒼穹の昴」や中国の宮廷劇のワンシーンが浮かびました。
しかし、思ったより小さな建物でした。

今回の旅行では、北京が初めての妻に名所を見せたかったのと、私としては西太后ゆかりの所に行きたかった。
このような后の住まいを見たかったが、今回は願いが叶った。


 
< 13. 御花園を出る >

左: ここ順貞門を左側に抜けると御花園から出て神武門に向かうことになる。

右: 北門、神武門です。
ここを出る前にオーディオガイドの返却所が、左側にあります。
私は、知らずにこの門をくぐると、警備員の手持ちのセンサーが異常音を発し、止められてやっと気付きました。
借りたのは、午門の前だったように思う。



 
< 14. 見学終了 >

上: 順貞門を北側から見る。

下: 神武門を出た所から景山公園を見る。





 
< 15. 神武門 >

上: 北側から神武門を見る。

下: お堀。


次回に続きます。


20191206

晩秋の北関東をドライブしました 4: 草津温泉の夜と朝





< 1. 湯が二人の心を・・ >

今回は、草津温泉のロマンチックな景観を紹介します。
ライトアップされた湯畑と朝陽に輝く森が素晴らしかった。



 
< 2.草津温泉の地図、上が北 >
 
上: 赤い四角の右が足利、左が富岡です。
赤い三角が草津温泉です。

下: 矢印が草津温泉での宿泊ホテルです。
深い山の谷間にある巨大な温泉街です。



これらは湯畑を一周して撮影した写真です。
ライトアップが幻想的でした。
冷気の中、硫黄の微かな匂いと湯煙が温かく体を包んでくれました。
寒いにも関わらず、多くの人が湯畑を訪れていました。



 
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これらは翌日の早朝、ホテル周辺で撮影した写真です。

裏山を歩くと落ち葉が地面を埋め尽くし、木々には紅葉の名残りがありました。


 
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上: ホテルの部屋からの眺め。
おそらく高い山は草津白根山でしょう。



 
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草津の湯に浸かり、そしてロマンチックな湯畑と晩秋の森を堪能しました。

次回に続きます。




20191205

中国の外縁を一周して 9: 廈門から北京へ


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今回は、最後の廈門と北京の初日です。
廈門の暮らしと北京の夜、
そして廈門と北京の両空港でのトラブルを紹介します。




< 2. 宿泊した部屋 >
上: ホテルの部屋から見た朝焼け。

下: 杏林湾大酒店の一室。





< 3. ある億ションの一室から >

高速エレベータ―に乗って、最上階近くの一戸を訪れました。
窓からの眺めは絶景です。
この一戸は、一億近い評価額らしい。
ここには数多くの部屋があり、立派な家具調度品で埋まっていました。
退職した夫婦一組が住んでいます。
毎日、ここで孫一人を預かり微笑ましい時を過ごされており、部屋はおもちゃで一杯でした。

このような暮らしをしている人は私の周辺にはいない。

このご主人は大企業を10年以上前に退職し、このマンションを買ったようです。
大企業であれば年金は多いし、購入時、銀行から多額の借金が可能だろう。さらに退職前に企業から住居を安く支給され、多額の売買益を得ることも出来ただろう(かつて公務員の特権だった)。
それに加え、購入後に不動産が急騰しているのだからラッキーです。

このことが、代々都会暮らしで大企業にいた人と、地方から来てその日暮らしをする人の間に、ここ20年ほどで大きな格差を生んでいる。

実は、この眼下の干潟はやがて消えるそうです。
政府が近い将来、全部砂浜に変えるからです。
中国ならやるでしょうね・・・



< 4. 厦门高崎国际机场 >

ここで最初の洗礼を受けました。
それは国内線に乗るために税関で手荷物検査を受けている時でした。

突然、女性係官が私にいぶかしげにまくしたて、ストップをかけました。
まったく中国語が分からないのですが、状況からして北京へ何しに行くのかを尋ねているようでした。

そこで、私の中国旅行の15日間の日程表を彼女に見せました。
すると彼女は、それを取り上げて何処かに消えてしまいました。
しばらくすると現れ、無表情でもう行けと私達夫婦に促した。

事の経緯は分かりませんが、移民などを警戒していると感じました。

フリーの旅では、言葉が通じなくても、必ず自分でトラブルを処理しなけらばならない。
運か、経験か、機転か、他人の助けか、冷静さ、かが救いになり、北欧でも無事に旅行を終えた。

これも旅の醍醐味と言えるかもしれません。




< 5. 北京首都国際空港にて >

私達は廈門航空を使ったので、北京首都国際空港の第2ターミナルに着きました。
上記写真は参考に借用したもので、他のターミナルのものでしょう。

ここで簡単に、第2ターミナルから北京中心部に行く方法について触れておきます。

リムジンバス(机场大巴・・・线)、エアポートエクスプレス(机场线)とタクシーがあります。
リムジンバスは何種類もあり、タクシー乗り場のレーンの奥にあるようです。
リムジンバスで行っても、その後、ホテルまでタクシーや地下鉄に乗らなければならない(タクシーを拾えるかどうか不安)。
エアポートエクスプレスは階下にあり頻繁に出ているのですが、これまた他の交通機関の利用が必要です。

中国のタクシーは安いので使いたいが、長い待ち時間とトラブルに遭わないかが心配でした。

先ずはタクシー乗り場を見に行きました。
確かに写真のように長い行列はあるのですが、もの凄い数のタクシーが次々とやって来るので待ち時間は少なく、使うことにしました。

中国の幾つかの空港でタクシー乗り場を利用しましたが、すべてに差配する係員が一人はいるので安心です。




< 6. ホテルに向かうタクシーにて >
これらはすべて参考に借用した写真です。

ところが、ここでまた問題が発生しました。

私がタクシーの助手席に乗って、行先のホテル名と住所を書いたメモを見せました。
ところが、これが分からないのです。
この年配の運転手は近くにいた知り合いの運転手に聞いて、相手は大体の場所が分かるようなのですが、彼は分からない。

結局、この運転手は上の写真のようにスマホを操作して、やっと行き先を見つけて発進することが出来ました。
私も、自分のスマホでタクシーがホテルに向かっているのを横で、ずーっとチェックしていました。

結局は、無事着いたのですが、かなり時間がかかりました。
一つは、聞きしに勝る大渋滞がありました。
料金は妥当だったようです。

中国で乗ったタクシーはすべてスマホで音声ナビゲーションを使っていました。
おそらく百度マップなどでしょう。

どうやらスマホのアプリにホテル名を上手く入力出来ないようでした。
この問題は、北京だけでなく成都や蘭州などでも起きました。
最後には色々やり取りがあって何とか解決しました。

結局、私自身がスマホの百度を使えて、百度マップにホテル名を入力しておいて見せることが出来れば良かったかもしれない。




< 7. 王府井にて >

ホテルに着いてから、王府井へ夕食に行きました。
もう9時近かった。
小雨も少しあり、人はあまり多くは無いようでした。

ここで感心したのは高齢者の団体ツアー客です。
地方から来た観光客のようですが、夜にも関わらず、老人達が元気に買い物と食事へと走り回っていた。

私が入った食堂でも、彼らは賑やかでした。
本当に沢山の人が、旅行を楽しんでいました。


次回に続きます。




20191204

晩秋のアルプスに囲まれた平出遺跡を訪れました




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今回は、塩尻に一泊した際、
朝の散歩で訪れた縄文の集落遺跡を紹介します。
晴れた高原に朝陽が降り注ぎ、冷たい風が紅葉を揺らしていました。
そこには5000年前の人々の暮らしの跡がありました。



 
< 2. 平出遺跡の地図 >

上: 松本や塩尻がある高原の全体地図、上が北。
赤い矢印が、塩尻駅と平出遺跡です。

左(西)に上高地や奥穂高岳、右(東)に美ヶ原があり、南に行くと諏訪湖、北に行くと長野に至ります。
塩尻駅の標高は700mほどあり、北に向かって緩やかに低くなっている。

下: 平出遺跡の地図、上が南(上の地図とは向きが逆です)。
赤い枠が、今回訪れた所で、ここが縄文時代の集落跡です。
赤い枠の下部にガイダンス棟(9:00~)があります。
左側に平安時代の集落跡、右上に平出の泉と博物館があります。

黒い線が、塩尻駅から徒歩20分(1.4km)で来たルートです。




 
< 3. 縄文集落全景 >

北側から見ている。
住居の向こうに。雪を被った奥穂高の連山が見える。

駅からここまでは住宅地を通り、次いでブドウ畑を抜けて来ます。


 
< 4. 東南側と南側を望む >


 
< 5. 再現された住居 >


 
< 6. 住居の内部 >

当時の縄文土器が置かれ、囲炉裏跡もある。





 
< 7. ガイダンス棟 >

上: ガイダンス棟が見える。

下: あの山の麓に平出の泉がある。

縄文時代、この集落の人々は周囲の森のドングリを食料にし、泉の水を飲料にしていた。
5000年前の秋、きっと同じような紅葉を見て、冬の到来を感じていただろう。


これで終わります。