20190415

湖北の桜を訪ねて 1: びわ湖バレイ






*1


これから数回に分けて湖北の桜の名所を紹介します。
今回は、びわ湖バレイです。


これらの写真は、2019年4月8日に撮影したもので、クラブツーリズムの日帰りバスツアー『春爛漫!びわ湖バレイ・海津大崎 彦根・長浜・琵琶湖の桜決定版』で訪れた時のものです。
ほぼ快晴で桜も満開に近く、良い旅行となりました。




 
< 2. ツアーの訪問地、 上が北 >

Aがびわ湖バレイで、ロープウェイで山頂に行き、琵琶湖を一望することが出来ます。

Bは海津大崎で、湖岸に沿って800本の桜が咲き誇ります。

Cは長浜の豊公園で、お城と湖岸の間を桜が埋め尽くしています。

ABの中間の湖岸沿いの道路に6kmにわたり桜並木が続く、風車街道があります。

順次、紹介していきます。



 
< 3. ロープウェイ >

上: 右側の山頂に向かってロープウェイが行きます。

下: ロープウェイのゴンドラからの眺め。
びわ湖の右側に微かにびわ湖大橋が見えます。



 
< 4. 山頂駅 >

上: 残雪の山頂が見えますが、スキー場です。
私は若い頃、一度だけここのゲレンデ滑ったことがありました。

下: ロープウェイ山頂駅側から見た「びわ湖テラス」です。



 
< 5.びわ湖テラス 1 >

水を張ったテラスからの眼下の眺めは素晴らしい。
手摺りが無い分、開放的です。

残念ながらこのテラスと同じ高さで雲が湧いていましたので、視界が完全に開けることはなかった。



 
< 6. びわ湖テラス 2 >

迫り出した展望台はちょうど雲の中でした。



 
< 7. びわ湖テラス 3 >

上: 左の建物がテラスカフェです。

下: カフェの内部から外を見たところ、ちょうど雲が立ち上っていました。



 
< 8. ロープウェイ山麓駅 >

山麓駅と駐車場周辺の多くの桜が満開でした。

上: 対岸に見える遠くの山影は近江八幡と沖島です。

下: ロープウェイのゴンドラです。


次回に続きます。



20190414

平成の哀しみ16: 深まる亀裂 14: 沖縄と本土 4




深い亀裂


 


沖縄の問題は日本の閉鎖性、同胞外への無関心さと冷酷さを示す。

海を隔ているだけで、同じ日本なのに本土は一方的に犠牲を強いる。
この風潮は近年益々強まっている。

これまで沖縄は本土の犠牲であり続けた。

沖縄は14世紀に統一王朝を成したが、やがて本土から差別的な支配を受ける。
そして大戦中は本土の盾となり玉砕の地と化した。
大戦後は米軍の支配下に置かれ、社会経済は破壊され、日本への復帰後も基地は存続した。

沖縄の基層文化は西九州と同じか、より古いと言える。

沖縄が基地反対と言えば、本土側と既得権益層からデマ(中国分派などと)と批判、分断が繰り返され支援金も減らされた。


為政者が一部の人々に犠牲を強いても、日本人は自分に関わらなければ無視する。
この政治意識の低さがやがて我が身を滅ぼす。

為政者が自己責任をよく口にするが、これは非正規で貧しくなるのは個人の勝手だと言うのと同じです。
まさに公共の福祉が後退している。
今、国民は分断され、徐々に権利を剥奪されつつある。

同じ日本人でさえ分断と差別が可能なら、民族の異なる隣国と宥和など叶うはずもありません。

まるで日本は絶望の淵に迷い込んだようです。




次回に続きます

20190413

平成の哀しみ15: 深まる亀裂 13: 沖縄と本土 3





沖縄に軍事基地は必要か?

 

俗説をみます
A 中国の侵攻を食い止める為。
B 米国との軍事同盟を維持する為。
C 普天間基地を無くすために辺野古新設が必要。

A 米海兵隊が中国有事の際に役立つとは思えない。
沖縄は基地が小さく、訓練には手狭で兵站に弱く、大陸からの攻撃に脆弱です。
これからの大国間の戦争は航空機やミサイルが主力で、海兵隊の出番はありません。
航空機の航続距離が短い時代、ベトナム戦争当時、沖縄は米軍にとって非常に役立ったが。

B 中ロ北朝鮮に対する抑止力として米国のコミットメント(関与)は日本にとって重要です(取り敢えず)。
しかし、米国にとって重要なのは日本の駐留経費負担と基地提供であって、沖縄以外に適地はある。

C 普天間の代替えとして辺野古建設を進めるが、地盤に問題があり莫大な費用と年月を擁する。
また米国の戦略変更で辺野古が無駄になる可能性もある。
沖縄の最大産業は観光業で自然破壊はマイナスになる。


日本の防衛と日米安保にとって米軍基地は何処かに必要かもしれないが、中国との防衛に、これ以上の基地と海兵隊が沖縄に必要とは言えない。

むしろ費用対効果、沖縄県民の総意を考えると問題が多い。


次回に続きます。


20190412

北欧3ヵ国を訪ねて 62: 古都ロスキレ 1





< 1. ヴァイキングの故地 >


今回は、コペンハーゲン港から古都ロスキレまでを紹介します。
私はデンマークではコペンハーゲンを中心にシェラン島を旅しました。
シェラン島の訪問地を簡単に紹介します。


 
< 2. デンマークの訪問地、上が北 >

上: シェラン島の主な訪問地。
赤枠が主な訪問地で。黒線は電車です。
1日かけてコペンハーゲンを離れて北側の二ヵ所、お城と野外民俗博物館を訪ねた。
数時間かけてコペンハーゲンの西側にある古都ロスキレを訪ねた。
1日半かけてコペンハーゲン中心部の街並み、博物館、美術館、宮殿、教会、図書館などをバス、地下鉄や船など使い観光しました。

下: ロスキレではヴァイキング博物館と大聖堂を見て、公園と市街地を散策しました。
ピンク線は行きのバスで、青線は帰りの徒歩です。
黒線はコペンハーゲン間の電車です。

今回の写真は2019年6月7日、10:00~12:00に撮影したものです。



 
< 3. フェリーを下船 >

上: 下船したばかりのフェリーを見上げる。

下: 予約していたシャトルバスからの眺め。


 
< 4. シャトルバス >

上: 右側の路側帯に数多くの自転車が見える。
首都の中心部に近いのに車が少ない。

下: シャトルバスの停車場、普通の道路端で下車。
電車や地下鉄駅から少し離れた所で降りる。


 
< 5.Nørreport駅付近 >

上: シャトルバスの停車場側からNørreport駅付近を望む。

下: この地下を電車(国鉄)や地下鉄が走っている。


私は電車を利用する前にCopenhagen Cardの72hを買う必要があった。
7-Elevenで販売していることが分かっていたので、写真のような道路中央にある店に入った。

ここで注意があります。
店員がカード使用開始時間を聞いてい来るので、今から使うのか、また使用開始の日時を指定する必要があります。
私は直ぐ使うので、カードのvalid form欄に購入時の時間10:30を記入してもらった。
初め何を言っているか分からず、戸惑った。
オスロのホテルでカードを買った時もそうだったのですが。

この地下に降り、電車に乗って2駅先のコペンハーゲン中央駅に向かう。



 
< 6. コペンハーゲン中央駅 >

上: 地下1階のホームだが、地上は見える。

下: エスカレーターに乗って1階のコンコースに出た。
この写真は西側寄りから東側を見ている。
中央の青色の表示板が電車の行先表示で、ここで電車の発車時間とホームを確認した。
この周辺に案内係がいたので聞くことが出来た。
この写真の反対側のエレベーターで階下に降りて、ロッカーに荷物を預けた。
ここでは荷物を人手で預かってもくれる。

ホテルは近いのだが、この駅でスーツケースなどの荷物を預けた。
直接ロスキレに電車で向かう方が時間ロスが無いので。
ここには様々な飲食店やコンビニ、スーパーはあるのだが、11時少し前なので、食べずに電車に乗った。

Copenhagen Cardを買っておくと、今回の遠出と中心部の観光入場と交通がすべてフリーパスのなので、非常に楽です。
入場券と切符を買う手間暇がまったく不要でした。



 
< 7. ホームにて >

上: コペンハーゲン中央駅のホームで電車を確認。

中: 電車内の表示で、行先と車両を確認。

下: ロスキレ駅に到着。


 
< 8. ロスキレ駅 >

上: 待合室。

下: 待合室の前のバス停。
駅前のバス停からは目的地に行かないようです。






< 9. バースターミナルに向かう >

上: 駅前の道路脇の表示板。
ヴァイキング博物館に行くには左に行く方が良いようです。

下: 駅を出て左側に進むと、バスターミナルが見えた。

数多くのバス停があったので、どのバス停で乗るべきかを近くの人に尋ねた。
ここでも若い女性に聞くと通じず、年配の男性が教えてくれた。



 
< 10. バス停からバスに乗る >

上: バスターミナル横の店舗。

下: バスに乗った。

私が何処で降りるべきか不安がっていると、左前の女性が次で降りなさいと教えてくれた。
私がバスに乗車する時に、運転手に「ヴァイキング博物館に行きますか」と尋ねたのを聞いていたからだろうか。

旅ではちょっとした親切が身に沁みるものです。


次回に続きます。







20190410

平成の哀しみ14: 深まる亀裂 12: 沖縄と本土 2


 


沖縄の問題とは?


 


俗説
A 左翼や海外からの支援に毒されているだけで基地反対は一部。
B 法外な補助金を貰い軍事基地の恩恵を受けながら身勝手。
C 日本の防衛を無視。

A 今回、間違いだったことが判明した。
基地反対への県外からの支援はあるだろうが、むしろ基地賛成派(自民党、公明党、既得権益層)の締め付けを跳ね返しての結果でした。


B 複雑だが誤解がある。

沖縄は国の補助金(交付税、振興予算)を貰っているが、総額で全国12位、一人当たりで5位、最大ではない。

問題は、一人当たりの県民所得が全国最低で、全国平均より30%も少ないことです。
これは大戦後の27年間の米軍支配で産業経済が破壊されたことが大きい。
この時の本土復帰に反対したのは米軍と言うより、基地利権を持っていた人々でした。
その後も軍事基地化が続き、自立するチャンスを失っている。


沖縄の人口は日本全体の1/89、本島の面積は本土の1/190。
ところが米軍の人数は本土の2.4倍、米軍基地は平地の少ない沖縄本島の面積の18%を占める。
ベトナム戦争当時、従軍した米兵による市民の被害が続出した。

沖縄にとって米軍基地は深刻な生活問題です。


次回、Cを検討します






20190409

平成の哀しみ13: 深まる亀裂 11: 沖縄と本土 1






国内でも亀裂は深まっている







この2月、沖縄は県民投票で基地を不要とした。

52%の投票率で反対72%は沖縄の総意と言える。

憲法に「地方の住民の投票において、その過半数の同意を得なければ、国会は・・・制定出来ない」とある。
しかし政府は辺野古の埋立を続行する。

住民投票は無効なのか?

体制側とウヨは、沖縄県民の高々38%の反対に過ぎないと言う。
これは稚拙なミスリードです。

世界を見ると国民投票は大きな力を発揮して来た。
ノルウェーやバルト三国の独立は国民投票で決した。
英国はスコットランド独立とEU離脱を投票に掛けた。
(投票率72%、賛成52%で国民の37%が離脱賛成、僅差が問題)

対案を示さず、反対だけで身勝手だと言う。
これは法の理念に反している。
被害を被る側が、その回避策を出せないからと言って我慢する必要はない。
例えば、原発の放射性廃棄物があなたの町に捨てられるとしたら。

救済手段が無く国会も無視する場合、住民の総意をどう実現すれば良いのか?

訴訟の手はあるのだが、日本の裁判所は国政について憲法判断をしない(不備)。
残るは国会での法制定しかないが、現状では著しく困難です。

完全に八方塞がりです。


次回に続きます



















20190407

平成の哀しみ12: 深まる亀裂 10: 捏造される歴史




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なぜ日本では歴史が簡単に否定されるのか?


 


歴史を否定する人は、日本は大陸の侵略も非道もしていない、自ら望んで戦争したのでは無いと言う。
そこには惨劇があったかもしれないが、日本に非が無いと言う。

世界の歴史家が答えを出しているので、ここでは捏造され易い日本固有の事情を考えます。

A 記録を残さない、不都合な事実を隠蔽する
記録を残す場合もあるが、都合が悪ければ隠蔽し消却する。
また最後まで平然と大嘘を続け、責任を取らない。

大戦時の軍部から現在の政権までこの体質は続いている。


B 人々は組織の守りに徹し、権威に盲従する
所属する組織に都合が悪ければ、社会正義に反していようが口をつぐむ。
ボスに付き従い、裏で悪口は言っても表立って批判しない。

こうした組織文化が軍隊、官僚、企業からの内部告発を許さない。


C 日本列島に閉じ籠る
これは地理的、言語的に避けられないのですが、さらに残念なことに日本人は海外に関心が薄い。

だから大陸で起きた事実を直接見聞出来ないだけでなく、確認しようともしない。

これは最悪です。
正しい歴史を持つためには、近隣諸国と共通歴史書を作るしかない。
今は不可能だが欧州共通教科書の例もある。


次回に続く



20190406

北欧3ヵ国を訪ねて 61: フェリー 3



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今回は、室内の紹介、そしてクロンボ―城の眺めからコペンハーゲン港への入港までを紹介します。



 
< 2. 船内の紹介 >

中: フロント階の直ぐ下の階。

下: その階の窓側にこのモニターがあったと思います。

4時頃からデッキに出てクロンボ―城の撮影を狙っていたのすが、いつまで経っても見えません。
それで船の位置を示すものは無いかと探していると、モニターを発見した。
モニターを見ると、赤い船の印はまだ海峡に入っていませんでした。
この時刻は6:07で、クロンボ―城に最接近したのは7:57でした。


 
< 3. 船内の様子 >

上: フロント、案内所のある階。

中: 船内の紹介。


 
< 4. 両側に陸地が見えて来た >

上: 前方左舷のスカンジナビア半島。

中: 前方右舷のシェラン島。

下: 前方に微かに海峡らしきものが。


 
< 5. やっと海峡が見えた >

上: 左はスウェーデンのヘルシンボリ、右はデンマークのヘルシンオアです。
この海峡の幅は4kmで、スカンジナビア半島とシェラン島の距離が最も近い。

中: ヘルシンボリ側。

下: ヘルシンオア側の先に、クロンボ―城が見え始めた。
7:50です。


この海峡の狭さが、このクロンボ―城を歴史的に有名にした。
このことがハムレットの舞台になった理由かもしれない。

中世の時代、ドイツを除く西欧諸国は北方交易の為、船で北海からバルト海に行くには、この海峡を通過せざるをえなかった。
ドイツだけはリューベックから直接、バルト海に出ることが出来た。
このことがこの都市をハンザ同盟の中心都市にした。
この頃、バルト海からヴァイキングが去って久しく、ハンザ同盟も盛りを過ぎ、交易は各王国が主導権を担っていた。
中世初期の交易は地中海が注目されていた。

14世紀、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間連合が結ばれた。
この盟主となったデンマーク王は戦争による疲弊した財政を立て直す為に、この地にクロンボ―城を作り、通行税を徴収し始めた。
これが財政を豊かにさせた。

第二次世界大戦時、ドイツがノルウェーに侵攻した大きな理由は、英国海軍のバルト海進出とノルウェーの海運を封じる為でした。

この海域は西欧、北欧、東欧、ロシアにとって非常に重要だったのです。



 
< 6. クロンボ―城 >

下: 最も近くなったところ。



 
< .  離れて行く >



 
< 8. 私のキャビン >

二段ベッドの二人部屋を一人で使ったので、狭くはなかった。
シャワーも使った。
安価なので窓はないが、気にはならない。
静かでよく寝れた。



 
< 9. コペンハーゲン港が見えた >

上: コペンハーゲン港。

下: 中央に要塞島が見える。
これはかって英国との海戦でデンマーク側の守りの要になったことだろう。


次回に続きます。