20170604

フランスを巡って 4: 古都ボーヌ



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今日は、中世の施療院オテル・デュ―観光に立ち寄ったボーヌの町を紹介します。
ここには思わぬ中世の町の風情が残っていました。
この地の風景はワインとブルゴーニュ公国、修道院によって作られたと言えます。




< 2。 ボーヌの旧市街地図 >

上が真北です。
城壁で囲まれたボーヌの旧市街は直径約800mと小さい。
私達が歩いた範囲は赤線で、ほんの一部です。
黒の矢印は観光のメインである施療院オテル・デュ―を示している。
青線は観光後、昼食の為に丘の上のレストランに行った時のバスルートで、この時、撮った写真も紹介しています。


ボーヌの町



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上の写真: バスのフロントガラス越しに。
ボーヌの旧市街に向かっている。

下の写真: 駐車場から施療院オテル・デュ―に向かう途中。



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上の写真: 施療院オテル・デュ―。
下の写真: 施療院オテル・デュ―の前の広場から。
この町の建物の屋根や瓦組に特徴がある。





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この写真からNo8の上の写真までは自由散策で歩いた時の写真です。
No.2の地図の赤線部分です。


 
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下の写真: 観光後、城壁の外側をバスで通過した際に撮った写真。
No.2の地図の青線上で撮影。



 
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No.8の下の写真と同様。
古い堡塁や城壁、門が残っている。



 
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丘の上のレストランに向かう途中の風景。
旧市街を離れると、直ぐにブドウ畑が広がった。
ここはブルゴーニュ・ワイン産地の真っ直中です。


ボーヌとブルゴーニュ
後にボーヌの施療院オテル・デュ―を紹介しますが、この施療院設立には興味ある歴史的背景があります。
この地の歴史はワインとブルゴーニュ公国、修道院と深く関わっている。


 
< 11. ボーヌの歴史 >


左上の地図: フランスのワイン産地。

右の地図: ブルゴーニュ・ワインとボージョレ・ワイン産地を拡大。
一番上に黒丸で示した都市ディジョン、次いでボーヌ、一番下にリヨンがあります。
二つの修道会発祥の地を赤枠で示しています。
上からシトー会、下ってクリュニー会です。

左下の地図: 15世紀に最大版図を誇ったブルゴーニュ公国。


 

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A: ブルゴーニュ公国の紋章。
B: イエスとワイン。
C: この地にクリュニー修道院が最初に建てられた。
D: この地にシトー修道院が最初に建てられた。


ボーヌは古代ローマ時代からの足跡を残し、11世紀にデイジョンが首都になるまで、ブルゴーニュ公の居所だった。
フランス王家と連なるブルゴーニュ公国(843-1477年)はフランドル(注釈1)を手に入れてフランス王家に次ぐ勢力を誇るようになった。
一方、フランス王家は英国と百年戦争(1337-1453年)を戦っており、弱体化していた。

ブドウ栽培はローマ時代、地中海沿岸に広がり、アンフォラ(素焼きの壷)でヨーロッパ各地に供給されていた。
しかし2世紀以降、寒冷地用の品種が作り出され、ブドウの栽培はローヌ川からソーヌ川を北上していった。

さらに二つの修道会がこの地域の発展に貢献した。
10世紀初め、ブルゴーニュ公の寄進により荒地のクリュニーにクリュニー修道院が創建された。
これは12世紀の最盛期には1200もの修道院を管轄下に置いた。
だが、この繁栄は堕落を生んだ。

11世紀末、これに異議を唱え、徹底した禁欲と難行苦行を行う一人の修道士が葦の原に小修道院(No.11の右地図のシトー会)を作った。
これがシトー修道会となり、ブルゴーニュ公や多くの人々から尊敬を集めるようになった。

これら修道院は寄進された多くの土地を自ら開墾し、農作物栽培とワイン醸造の改良を行い、農民を指導した。
キリスト教徒にとってワインは聖餐においてイエスの血であり、修道院にとっては旅人や訪問客をもてなす重要な飲料であった。

こうして、ブルゴーニュは三つの要素が組み合わさり、その景観と歴史を形作って行った。
そしてボーヌはその中心に位置し、ワインと公国の歴史を背負っているのです。


いずれ施療院オテル・デュ―を紹介します。



注釈1
フランドルはオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域。
中世に毛織物業を中心に商業、経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。



20170603

フランスを巡って 3: セーヌ川クルーズ




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今日は、セーヌ川クルーズを紹介します。
乗船するまでは期待していなかったのですが、始まると気分が高揚していきました。
思い出深いパリとなりました。


クルーズの概要




< 2. クルーズの航路 >

上の地図: グーグルアースの画像。上が真北です。
下の地図: 主な建物と航路を示します。

クルーズはエッフェル塔の下の埠頭Sから始まり、北側のサン・ルイ島を過ぎた所Rで折り返し、戻って来ます。
行きは黄線で、帰りは赤線です。
所要時間は約1時間、30分毎出航。


クルーズの始まり
10日目、5月26日(金)、20:20頃に出航しました。
写真は撮影時間順に並んでいます。



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上の写真: 後ろを振り返った。
いよいよ出航。
この日は陽射しがきつく暑かったが、夕暮れになると過ごしやすくなり、船が走り始めると川風が心地良かった。
寒くはなかった。

下の写真: 結婚披露宴で貸し切られているクルーズ船が数隻あった。
人々は華やかで如何にも楽しそうで、すれ違う時、私達も互いに手を振り、喜びを分かち合った。




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上の写真: すれ違うクルーズ船。

下の写真: 私達のクルーズ船。
私は2階デッキの中央で楽しんだ。
進行方向の右側にオルセー美術館が見える。



< 5.ノートルダム寺院 >

上の写真: 左側はシテ島。
橋の左奥にノートルダム寺院の正面が見えて来た。

下の写真: ノートルダム寺院の真横。

この時、海外からの旅行客と触れ合うことが出来ました。

私達のツアー仲間が、船上である外国人夫婦の写真を撮ってあげました。
するとその外国人男性が、私に「何処の国ですか?」と英語で聞いてきました。
私が「日本」と答えると、彼の奥さんが「東京?」と聞いてきました。
私は「大阪」と答え、逆に、その男性に「何処か?」と聞くと、彼は「カリフォルニア」と答えました。
私は「ロサンゼルス? サンフランシコ?」と聞くと、「サンフランシコ、ナパ(?)」と答え、さらに「ワイン農家」と付け加えてくれました。
私は「ワインで有名な所」(ナパはカリフォルニアワインの産地)と返しました。

私は奥さんに「インド?」と尋ねましたが、「イエス」の後の言葉を聞き取ることが出来ませんでした。
最後に握手をしました。

その風貌や年齢から察して、おそらくはインドからアメリカに移住し、ワイン栽培で成功し、夫婦でフランス旅行に来ていたのだろう。
苦労の末に成功を得た落ち着きのある夫婦に思えた。

今回の旅行では、様々な場面で移民と移民の国を実感できた。

英語が出来れば、もっと語り会えるのだが・・・。





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上の写真: 河岸には本当にたくさんの人々が春の宵を楽しんでいました。
 
中央の写真: この一角で集団になってダンスが興じられていた。
この並びでは、数か所で異なるダンス、社交ダンスなどが演じられていた。

下の写真: ちょうどサン・ルイ島を過ぎた所で、これから左旋回して戻っていくことになる。
前の橋の右側に明日散策するアラブ世界研究所のビルが少し見える。





< 7. 宵を様々に愉しむ人々 >

若いグループが多いのですが、若い男女のカップルや年配の夫婦、様々な人々がラフなスタイルで談笑していました。
その服装から彼らは旅行客ではなく、市民のようでした。
またその顔立ちから察するに、まさに様々な国からの移民の国を彷彿させるものでした。
彼らが飲んでいるのはビールではなくワインでした。
如何にもフランスらしい。

このクルーズが最高に楽しめたのは、彼らの多くがクルーズ船の私達に笑顔で手を振ってくれたからでした。
それがずーっと続くのです。
まさにセーヌ―川一体が世界の人々の共感の場になっていました。

私は各地での自由散策の度に、多くのフランス人の親切と笑顔に出会った。
まさにフランス人の気安さが最高に盛り上がった時でした。




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上の写真: 後ろを振り返った。
サン・ルイ島を抜けたところです。

下の写真: 夕陽が水平線に近づいて来た。




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上の写真: 後ろを振り返った。
右側はシテ島で、写真中央に見える建物はコンシェルジュリー(革命時代の牢獄)です。

下の写真: アレクサンドル3世橋をくぐって、振り返った。




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この日の日の入りは21:39だが、21:17のエッフェル塔は茜色に輝いて見えた。


いずれパリの別の顔を紹介します。




20170602

フランスを巡って 2: モンサンミッシェルの朝昼晩


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撮影方向 C
撮影時間 5月24日 21:49


今日はモンサンミッシェル全景を紹介します。
モンサンミッシェルが太陽の動きに連れて七変化して行きます。
撮影情報をお伝えします。


撮影情報

 

< 2. モンサンミッシェルの位置 >

二つの地図共、上が真北になります。
赤い矢印がモンサンミッシェルです。


 
< 3. 撮影位置 >

上が真北ですので、ほぼ右から陽が登り、ほぼ左に陽が沈みます。

撮影日、5月24日の日の入りは21:52分。
撮影日、5月25日の日の出は6:12分

三つの赤い三角が固定の撮影地点で、黄線は撮影方向です。
Cはモンサンミッシェルと対岸を結ぶシャトルバスの終点近くで、連絡橋の上です。
シャトルバスは無料で、深夜まで頻繁に出ている。
Dはクエノン河口ダムの上で、ホテルから徒歩8分ぐらい。
CとDでの撮影は短い三脚を手摺の上に置いて行いました。
Eは宿泊ホテル近くの道で、大規模駐車場の北側になります。
白の矢印は宿泊ホテルの「SAINT AUBERT」です。

AとBは正午頃、モンサンミッシェルに向かう途中のバスの車窓から撮影した方向です。


モンサンミッシェル全景写真
撮影時間順に並んでいます。


 
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撮影方向 A
撮影時間 5月24日 12:53

モンサンミッシェルに到着した時は、非常に厚い雲に覆われていましたが、14:30過ぎ頃から雲が徐々に無くなって行き、夕方には快晴になりました。


 
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撮影方向 B
撮影時間 5月24日 12:55


 

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撮影場所 C
撮影時間 5月24日 13:39



 
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撮影場所 C
撮影時間 5月24日 21:46



 
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撮影場所 D
撮影時間 5月24日 22:27



 
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撮影場所 D
撮影時間 5月24日 22:32


 
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撮影場所 E
撮影時間 5月25日 6:39



撮影の反省点
Cでの撮影は、夕陽がモンサンミッシェルの裏側を照らす為、赤味を帯びた光景を撮れなかった。
昼は暑いが、夜は海風があり寒いので注意してください。
おそらくDでの撮影の方が良い写真を撮れたように思う。


いずれモンサンミッシェルを詳しく紹介します。



20170601

フランスを巡って 1: はじめに


 

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私はフランスを13日間旅行して来ました。
これから撮った写真でフランス各地の観光と私の体験を紹介します。
今回は旅行の概要を記します。

旅行の概要
トラピックスのツアーに参加しました。
ツアー名:「13日間のフランス夢の大周遊」
期間:2017年5月17日(水)~29日(月)

総勢39名の大所帯で、関空深夜発、ドバイ経由でニースに着き、旅行が始まりました。
フランスを9日間宿泊し、移動はすべて観光バスでした。
帰国は午後パリ発、ドバイ経由で関空に夕刻無事戻って来ました。

ニースの朝だけ小雨になった以外はすべて快晴に恵まれ、最高の観光日和になりました。
一方で、最高気温が予想外の30℃近くにもなった為、服装に困りました。

毎日の観光と散策で足腰に疲れが溜まった事を除けば、絶景鑑賞と素晴らしい体験をすることが出来き、大満足でした。




< 2. 旅行ルート >

数字は観光地を示し、観光はその順に行いました。
黒い数字は観光のみ、赤い数字は観光した宿泊地を示す。
赤字のTは宿泊だけのトゥールです。
茶色の線は観光バスでの移動を、赤線は航路を示す。


観光地の概要と写真
写真の番号は地図の番号を示す。


 

< 3.2日目、3日目の観光 >

No1. エズ: 車窓からエズ村を遠望。
尖った山頂の村を徒歩で登り、山頂から地中海の展望を満喫した。

No2. モナコ: 王宮広場から湾を見下ろす。
断崖絶壁の台地にある王宮周辺の徒歩観光と、湾岸に設営されたばかりのカーレース場を車窓見学。

No3. ニース: 小雨が降った後の海岸。
朝、高級別荘地の海岸と旧市街の花市場を徒歩観光。


 

< 4. 3日目、4日目の観光  >

No4. エクス・アン・プロヴァンス: 並木道から噴水を望む。
画家セザンヌの所縁の地を徒歩観光した後、洒落た通りを自由散策し、レストランで昼食を愉しんだ。

No5. アルル: ゴッホが描いた跳ね橋。
画家ゴッホが作品に描いた三カ所と古代ローマ時代の円形闘技場を観光した。

南仏の陽射しと緑が、二人の画家の想像力を与えてたように思えた。


No6. アヴィニヨン: 法王庁宮殿。
サンベネゼ橋を見て法王庁宮殿周辺を徒歩観光し、自由時間は旧市街にある市場で買い物をした。




 

< 5.4日目、5日目の観光 >

No.7 ポン・デエ・ガール: ローマ時代の水道橋。
水道橋を渡り、河岸のレストランで昼食。

No.8 リヨン: 旧市街から丘の上の大聖堂を見上げる。
大聖堂のあるフルビェールの丘と旧市街を徒歩観光。
夕方から市街を自由散策し、個人で予約したレストランで食事。

No.9 ボーヌ: オテル・デュ―の中庭。
中世の施療院オテル・デュ―の見学と旧市街の自由散策。

私にとっては初めて見るヨーロッパ中世医術のリアリテイでした。



 

< 6. 6日目の観光 >

No.10 ストラスブール: 大聖堂の正面。
旧市街の大聖堂とプチットフランスを徒歩観光。

この大聖堂とアルザス地方は私にとって、この旅行の最大の目玉でした。
ここは宗教改革の開戦の地であり、ここ数百年間に及ぶ独仏争奪の地でした。
ここで私は歴史や社会、平和の理解につながるヒントがあるような気がしていた。

No.11 コルマール: プチットベニス。
プチットベニスを徒歩観光し、旧市街のレストランで昼食。




 

< 7. 6日目、7日目の観光 >

No.12 リクヴィル: 村のメインストリート。
アルザスワインの産地の村を徒歩観光し、ワインナリーで試飲。

5日目と6日目はストラスブール旧市街近くのホテルに連泊。
夕方からの自由時間で、ホテル近くの大型スーパーで買い物をし、その後、プチットフランスまで徒歩で行き、散策を楽しんだ後に飛び入りのレストランで食事をした。
ここでハプニングがあった。

No.13 ランス: 大聖堂の正面。
ノートル大聖堂とサン・レミ聖堂を入場観光。

7日目はパリ市内で宿泊したが、夜遅く到着した為、隣接する大型スーパーで買い物のみをした。

この教会からフランス、いやヨーロッパが始まったと言えるかもしれない。


 

< 8.8日目、9日目の観光 >

No.14 モンサンミッシェル: モンサンミッシェルの全景。
モンサンミッシェルに昼頃から入場観光し、自由散策の後、対岸のホテルに宿泊した。
おかげで日の入り、日の出のモンサンミッシェルを撮影することが出来た。

この光景を見ることは長年の夢でした。
それも素晴らしい天候の下で叶えられて、幸いでした。

No.15 シュノンソー城: シュノンソー城の全景。
シュノンソー城の庭園内レストランで昼食後、城に入場観光し、少し庭園を散策した。

No.16 シャンボール城(写真省く)
外観の写真撮影のみ。



 

< 9. 10日目観光 >

No.17 シャルトル大聖堂: 正面。
大聖堂を入場観光。

No.18 ベルサイユ宮殿: 正面。
宮殿の駐車場横のレストランで昼食後、宮殿内を入場観光した。

この後、パリのレストランで夕食をとり、セーヌ川をクルーズし、パリ市隣接地区のホテルに2連泊した。



 

< 10. 11日目、12日目観光 >

No.19 パリ: 凱旋門
11日目の午前中、観光バスで市内観光した後、ルーブル美術館に入場観光した。
昼からの自由時間で、私達夫婦は夜9時ごろまで地下鉄と徒歩で市内を縦横に散策し、昼食と夕食を愉しんだ。

下の写真: ホテル近くのラ・デファンスの新凱旋門下から凱旋門を遠望。
12日目は、直ぐ横にある大型スーパーで最後の買い物をした。

こうして昼前にはホテルを出て、パリから帰路に着いた。



旅の楽しみ


 

< 11. 旅の楽しみ 1 >

上の写真: セーヌ川クルーズ。
船が進むと川風が心地良く、建物は夕陽で黄金色に変わっていった。
川岸には大勢の人が夕暮れを楽しんでいて、私達を大いに歓迎してくれた。
至福の時が流れていきました。

中央の写真: パリの自由散策で訪れた市場で昼食。
ここは移民が多く暮らす街にあり、各国の料理店が賑わっていた。

下の写真: パリの自由散策で訪れた商店街。
ここでは観光客をほとんど見なかった。


 

< 12. 旅の楽しみ 2 >

上の写真: 先ほどの商店街の魚屋の軒先で新鮮な貝とワインを味わった。

中央の写真: 何回も乗り継いだパリの地下鉄。
30年ほど前に訪れた地下鉄と雰囲気は変わっていた。

下の写真: ルーブル美術館の絵。

旅で様々な人と出会い、共感し、親切を受けることは喜びです。
特にリヨンやストラスブール、パリでの自由散策では様々な笑顔に出会いました。

また少しのチャレンジを通じて、異文化に触れることが出来ました。
各地の町や教会を巡って、ガイドさんと話していると、よりフランスとパリの歴史、そして社会への理解が深まった。

ゴシック建築やセザンヌとゴッホの絵がより身近になりました。

この旅行記では、様々な感動と歴史や芸術についても語って行きます。


バスの車窓から
私は車窓から全行程の景色を撮影しています。
全行程約2800kmに及ぶ数々の自然や街並みの写真からは、フランスの自然や文化、各地の違いが見えて来ます。
そこには何がフランスを生み育てているかが見えてくるかもしれません。
以下の写真はニースからパリに至る景観の変化を順番に示しいます。


 

< 13. バスの車窓から 1 >


 

< 14. バスの車窓から 2 >



次回から、詳しく紹介していきます。