20160317

Went around Croatia and Slovenia 31 : Zagreb, the capital of Croatia, 2


クロアチア・スロベニアを巡って 31: 首都ザグレブ 2



*1

I introduce the old city of Zagreb today.
今日はザグレブの旧市街を紹介します。




< 2.  Zagreb Cathedral >
< 2.聖マリア被昇天大聖堂 >
Upper photo:  A view of the north side from the front of the Cathedral.
Central photo:  The front of Zagreb Cathedral. 
Lower photo:  Mary column in front of the Cathedral.

上の写真: 大聖堂の前のカプトル広場から北側の眺め。
中央の写真: 大聖堂。
下の写真: カプトル広場に立つ聖母マリアの柱。



< 3.  the origin of tie >
< 3.ネクタイの由来 >

The guide explained the origin of the tie started in Croatia.
The origin is that mother gave her scarf to son who was going to the battlefield and the son bound around his neck.
The some tour participants were moved to tears by the explanation.

ガイドさんがクロアチア発祥のネクタイの由来を説明してくれました。
母が自分のスカーフを戦場に赴く息子に与え、息子が首に巻いたのが始まりでした。
それを聞いたツアー参加者からすすり泣く声が聞こえました。



< 4. streets >
< 4.通り >
Lower photo:  The big egg was painted with naive art of Croatian painting.
Central photo:  Radiceva street.
"Krvavi Most" that is called the bridge of blood crosses on this street, and some bloody pastes are hidden in these two streets.
One of these is an assassination of federalists by centralist of Serbia that happened about 100 years ago here, and it would lead to the civil war in Yugoslavia.
Another one is that two towns on the East-West hills that bordered on the bridge of the blood had conflicted always.
Zagreb came into being by these two towns that merged.

下の写真: クロアチアの素朴な画法ナイーブアートで描かれた大きな卵。
中央の写真: ラディッチ通り。
この通りに交わる「血の橋」通りがあり、この二つの通りには血なまぐさい歴史が秘められている。
一つは約100年前に起きたユーゴ内戦に繋がるセルビア中央集権派による連邦制派への暗殺事件です。
いま一つは、血の橋が架かる小川を境にして東西の丘の町が常に争っていた。
この二つが合併したザグレブが生まれた。



< 5.  Saint George statue and Kamenita Varata
< 5. 聖ユラユの像と石の門 >
Upper photo:  Saint George statue stands on a dragon that he exterminated.
Lower photo:  A chapel of the Virgin Mary is in the gate.
It enshrines an icon of the Virgin Mary that remained unscathed in an inferno of the 18th century.
Several people were worshiping on the left side of the photo.

上の写真: 退治した龍の上に立つ聖ユラユの像。
下の写真: 門の中に聖母マリアの礼拝堂があります。
18世紀の大火災で無傷で残った聖母マリアのイコンを納めている。
左側で数人の方が礼拝しておられました。




< 6.  St. Mark’s church >
< 6.聖マルコ教会 >
Upper photo:  St. Mark’s church of the thirteenth century.
A combination emblem of the three countries of the Middle Ages and an emblem of Zagreb are drawn on the roof with a tile.
This tile was made in Hungary, and it means that Zagreb was affected by both of Austria and Hungary.
The Prime Minister's office is seen to the left, and the Diet Building is seen to the right.

Central photo:  The Diet Building.
Lower photo:  The Prime Minister's office.


上の写真: 13世紀の聖マルコ教会。
屋根に中世の三つの国とザグレブの紋章がタイルで描かれている。
このタイルはハンガリー製で、ザグレブがオーストリアとハンガリーの両方の影響を受けているのを象徴している。
右に国会議事堂、左に首相官邸が見える。

中央の写真: 国会議事堂。
下の写真: 首相官邸。



< 7. Saint Catherine Church and Lotrščak Tower >
< 7.聖カテリーナ教会と要塞 >
Upper photo:  Saint Catherine Church.
Lower photo:  A fortified tower of the thirteenth century.

上の写真: 聖カテリーナ教会。
下の写真: 13世紀の要塞。




 8.  Cable car 
< 8.ケーブルカー >
Upper photo:  The cable car that links the hill of 30m in height is the shortest distance in the world.
Lower photo:  The promenade that goes down from the upper station of the cable car to under the hill.

上の写真: 高さ30mの丘を結ぶ世界一短いケーブルカー。
下の写真: ケーブルカー駅から続く丘を下りる散歩道。





 9.  Ban Jelačić Square 
< 9. イェラチッチ広場 >
Upper photo:  The open space where a statue of Ban Jelačić that is revered as a Croatian national hero stands.
Lower photo:  The flower-shopping street leads to Dolac Market in the back.
             
上の写真: 国民的英雄のイェラチッチ総督の像が立つ広場。
下の写真: 奥の青果市場に通じる花屋の通り。
 



< 10.  Dolac Market
< 10.青果市場 >
When my wife looks at a fruit and vegetable market, she becomes cheerful suddenly.
妻は青果市場を見ると、俄然、元気になる。




< 11.  Some aspect >
< 11. 見かけたもの >
Upper photo:  An event in Ban Jelačić Square.
The video footage for 16 seconds
https://www.youtube.com/watch?v=Mt6XWoX_T7w

Central photo:  I saw the folk costume in Ban Jelačić Square.
Lower photo:  The person who was walking with Dalmatian a street.

On the next time, I introduce Doha that is the capital city of the state of Qatar, and finish this travel reports.


上の写真: イェラチッチ広場での催し物。
16秒のビデオ映像 https://www.youtube.com/watch?v=Mt6XWoX_T7w

中央の写真: イェラチッチ広場で見かけた民族衣装。
下の写真: 通りで見かけたダルマチア犬を連れた人。


次回、ドーハを紹介してこの旅行記を終えます。






20160221

Announcement  お知らせ






I will stop my blog during a little.
And I will start it again.

私は少しの間、ブログを休みます。
また再開しますのでよろしく。

We are going out to first Mediterranean Sea Cruise.
The destination is Italy, Spain, Morocco, and the Canary Islands.
I will begin to introduce the Cruise and way port soon as I come home.

私は初めての地中海クルーズに出かけます。
行き先は、イタリア、スペイン、モロッコ、カナリヤ諸島などです。
帰って来たら、クルーズや寄港地の紹介を始めます。



In addition, I am planning to start new serialization "Middle East, War and Peace".
I rid the misunderstanding and prejudice against the Middle East, and then hope to get closer to the truth.

My serialization "Went around Croatia and Slovenia" almost concludes.
I haven't written the recent articles in English, but please forgive me.

I will begin also to write my articles in English at some future date.
Thank you for your continued help.

また、別の連載「中東、戦争と平和」を始めます。
中東への誤解や偏見を無くし、真実に迫りたいと思います。

連載中の「クロアチア・スロベニアを巡って」はもう少しで完結します。
最近の掲載文は英語で載せていませんが、ご容赦下さい。

いずれ、英語訳も併記するつもりです。
今後も、どうぞよろしくお願いします。



20160220

クロアチア・スロベニアを巡って 30: 首都ザグレブ 1





< 1.早朝の散策 >

今日から、クロアチアの首都ザグレブを紹介します。
ここは落ち着いたヨーロッパの古都の雰囲気があります。
これがバルカン半島の最後の観光となります。


早朝の散策
2015年9月5日、土曜日、朝6時半から1時間ほど、ホテルからザグレブ中央駅まで散策しました。
小雨が時折ぱらついていました。




< 2. ザグレブ市街、上部が北。 >

上の写真: ザグレブの中心部です。
緑枠は私達が散策したザグレブ中央駅の辺りです。
私達のホテルはこの地図の左下の方にあります。

下の写真: これは上図の緑枠で、後に観光する旧市街です。
緑線は観光ルートで、「S」は散策の始めと終わりの位置です。





< 3. ザグレブ中央駅の南側 >
上の写真: 南側から見た中央駅の裏側。
中央の写真: 中央駅の表側に通じる地下道の入口が中央に見える。
バス停で待つ朝の通勤客が見られた。
多くの人の服装からは経済水準が高いように思えなかった。

下の写真: 中央駅の南側を見ている。
こちらは中央駅の表側と違って、静かな住宅街と言うところです。



< 4. 中央駅への地下道のショッピング街 >
店はこぎれいで、清潔な感じでした。
中央駅までの往復に、ここを通ったのですが、朝7時を過ぎると人通りが多くなりました。

少し嫌な経験をしました。
昨日の夜、ホテル周辺を歩いて写真を撮っていた時、自転車に乗った青年が通りざまに私に声を掛けました。
「カメラはだめ!」
顔は笑っていましたが。

この地下道を歩いていると、6人ほどの若者達とすれ違いました。
すると彼らははしゃぎながら「カメラ!カメラ!」と連呼した。
周囲には、多くの人がいたのですが、少し不安を感じました。

後で思い出したのですが、ガイドブックに中央駅の裏側は不用心なので行かないように注意してあった。





< 5. 中央駅 >
上の写真: 北側から見た中央駅。
中央の写真: ホーム。
下の写真: 中央駅から北西側を見た。

この駅はクロアチア最大の駅で、かつてはオリエンタル急行が停車した。
しかし、それほど大きくはなかった。





< 6. 中央駅の構内 >
上と中央の写真: 古本市が行われていた。
値段は安かったが、言葉が分からない、残念!
絵本を数冊購入。

下の写真: バックパッカーに混じってホームレスらしい人がいるようだ。



< 7.トミスラヴァ広場 >
これは中央駅の北側に延びる新市街の中心にある広大な公園です。




< 8. 車窓からの新市街 1 > 
古都ウイーンを思わせる雰囲気があるが、よく見ると古く痛みが激しい外壁が目立つ。
経済的な苦境を感じさせる。




< 9. 車窓からの新市街 2 >
上の写真: ミマラ博物館。
中央の写真: 国立劇場。


次回に続きます。




20160217

クロアチア・スロベニアを巡って 29: スプリットからザグレブへ






< 1. 途中の景色 >

今日は、スプリットを離れて首都ザグレブ到着までを紹介します。




< 2. スプリット >

上の写真: 宮殿近くの港のレストランで昼食。
アドリア海の海岸を見て気づいたのは、漁船よりも圧倒的にレジャーボートが多いことです。
海岸沿いには別荘が並び、人々は海洋レジャーを楽しみ、地元の人々は観光で生計を立てているようだ。
これでアドリア海とはお別れして、高原を抜けてクロアチアの首都ザグレブに向かいます。

中の写真: 水道橋。
下の写真: 道路から見たスプリット市街。



< 3. スプリットの全景 >
上の写真: バスの移動中、時折、山の上に十字架が立っているのを見かける。
多くは地雷の犠牲者のもので、いまだに地雷が残っているところがある。
まだユーゴ内戦の傷跡がある。



< 4. 要塞 >

険しい岩山の上の要塞がスプリットを見下ろしている。
スペインを旅行した時もそうだったが、険しい断崖の上に廃墟となった要塞が見られた。
これは両地域の厳しい戦争の歴史を物語っている。



< 5. 湖 >
これはダムなどによる人工湖を見下ろすドライブインからの眺めです。



< 6. 途中 >

これはスプリットとザグレブの中間辺りの特徴的な景観です。
この日の午後、ザグレブに近づくにつれて雨雲が増え、時折、雨が降りました。

真中の写真: これは湖です。
下の写真: アドリア海に近づくほど、このような乾燥した岩山が多くなる。



< 7. ザグレブ近郊 >

広大な平野と緑に覆われた豊か台地が続きます。



< 8. ザグレブ >
上二枚の写真: ザグレブ市街の夕暮れの様子です。
下の写真: 中心部近くの夜の様子です。


次回に続きます。




20160214

クロアチア・スロベニアを巡って 28: 古代ローマの宮殿スプリット 2



< 1.鐘楼からの眺め >


今日は、ディオクレティアヌス宮殿跡を観光します。
2015年9月4日に訪れました。




< 2.青銅の門と宮殿の地下 >
上の写真: 海に面した「青銅の門」(南の門)。
他の二枚の写真: ディオクレティアヌス皇帝の私邸の地下部分。



< 3.宮殿の中庭 >
上の写真: 宮殿の中央部にある中庭です。
私達は今、中央の建物の地下を通って来ました。

中央の写真: このスフインクス像は中庭の奥左側にあります。
これは皇帝がエジプト遠征で持ち帰ったものです。

下の写真: この鐘楼は、皇帝の霊廟跡に建てられた大聖堂の鐘楼です。
大聖堂は8世紀、鐘楼は16世紀に完成している。



< 4. 鐘楼 >

私にとって、これがスプリット観光で最も印象深いものでした。




< 5.鐘楼からの眺め >
下の写真: 東側を見ている。
ここは人口20万の都市です。



< 6. 前庭 >
上の写真: 鐘楼が覗いています。
ここは皇帝の私邸の前庭で中庭に続いており、この下が先ほどの地下部分です。
このコーラスは、クロアチアの伝統音楽クラパです。
素朴で素敵な男性合唱で、私はCDを買いました。
私の録画ではありませんが、どうぞ楽しんでください。
https://www.youtube.com/watch?v=ae0gQ78lBTE



< 7.宮殿と民家 >
上の写真: 鐘楼と八角形の大聖堂が見える。
手前にあるのは、宮殿跡で暮らしている人々の住居です。

下の写真: 金の門(北の門)。
もっとも古い形が残っているようです。


ディオクレティアヌス皇帝と宮殿
彼は3世紀、この地方(ダルマチアのサロナ)で生まれたローマの軍人皇帝です、
彼はローマ帝国を2分割し、キリスト教徒を迫害したことで知られている。
彼は自ら引退し、生まれ故郷に近いこの地に宮殿を造り、余生を過ごした。

7世紀になるとスラブ人が侵入し、この地方は破壊され、離散した一部の人が廃墟になったこの宮殿内に暮らすようになった。
その後、至るところ民家に改造されていった。
一部復興はされているが、全体としては雑然とした不思議な空間になっている。
したがって世界遺産にはなっていない。



< 8. 銀の門と青空市場 >
上の写真: 銀の門(東の門)の外側に広がる露天。

下右側の写真: 宮殿外の東側にある青空市場。
観光客と地元の人で賑わっていた。




< 9. 広場 >
宮殿内の広場。


次回に続きます。





20160210

Went around Croatia and Slovenia 27 : Ancient Roman palace in Split 1

クロアチア・スロベニアを巡って 27: 古代ローマの宮殿スプリット 1




< 1.  At break of day at Trogir >
< 1. トロギールの夜明け >

I introduce an ancient Roman palace from now on.
Today, I introduce the sceneries from the shore of our hotel and from our bus on the way.

これから古代ローマの宮殿を紹介します。
今日は、ホテルの海岸からの景観や途中の景観を紹介します。




< 2. Trogir >
< 2. トロギール >

Upper photo:  The Adriatic Sea near by Trogir.
The opposite bank is an island.

Lower photo:  Trogir is an ancient harbor city and the world heritage.
This history of Trogir was made by ancient Greece, the Roman Empire, and Venice.
Parson that wants to sightsee to Trogir can go to it by taxi.

上の写真: トロギール近くのアドリア海。
対岸は島です。

下の写真: 世界遺産の港湾都市トロギールが見える。
トロギールの歴史は、古代ギリシャ、古代ローマ、ヴェネツィアによって作られた。
私達はここを観光しませんでしたが、ホテル到着後、タクシーで行くことが出来ます。



< 3.  At the shore of our hotel at night >
< 3. 夜、ホテルの海岸で >

Upper photo:  I look over at Trogir from the shore.
Lower two photos:  There were full of people who were enjoying the cool evening breeze in the shore.

Our hotel was built in forest facing the sea, and MEDEENA.
This is a big building built during the socialist era and the facilities were old, but we were able to enjoy it enough.

上の写真: ホテルの海岸からトロギールの方を望む。
下二枚の写真: 海岸には夕涼みを楽しむ人々で賑わっていました。

私たちのホテルは、MEDEENAで海に面した森林に建っていました。
これは社会主義時代に建てられた大きな建物で設備は古いですが、十分に楽しめました。



< 4.  At break of day from the shore of our hotel >
< 4. ホテルの海岸の夜明け >

Upper photo:  I look over at Trogir.
Lower photo:  There were people enjoying sea bathing before 7:00 A.M. on September 4.

上の写真: トロギールの方向を望む。
下の写真: 9月4日の朝7時前でしたが、海水浴を楽しむ人々がいました。




< 5.  Views from the top floor of the hotel 1 >
< 5. ホテルの最上階からの眺め 1 >

I took their three pictures at Trogir and they are expanded in turn.
A tower located in the center of the lower picture is the bell tower of cathedral that is representative of Trogir.

三枚の写真はトロギールを撮ったもので、順番に拡大しています。
一番下の写真中央に見える塔が、トロギールを代表する大聖堂の鐘楼です。




< 6.  Views from the top floor of the hotel 2 >
< 6. ホテルの最上階からの眺め 2 >
I was sequentially taking their pictures along with turning the west at the same place.
The break of day was warm and quiet.

ホテルの同じ場所から順次、西側を撮りました。
暖かく静かな夜明けでした。



< 7.  On the way to Split >
< 7. スプリットへの道から >

Second photo from the top:  It is city remains Salona of the Roman Empire period, and the population in the golden age was 20,000 people.
Here is the birthplace of emperor Diocletianus who built his palace in Split.

上から二枚目の写真: ローマ時代の都市遺跡サロナで、最盛期は人口2万人が暮らした。
ここはスプリットに宮殿を建てたローマ皇帝ディオクレティアヌスの生誕地です。



< 8.  The palace remains in Split >
< 8. 宮殿跡スプリット >

Split is the greatest city in the Dalmatia district of southern Croatia.
The palace remains that we just are going into were built 1,700 years ago.

スプリットはクロアチア南部のダルマチア地方最大の都市です。
今から見学する所は、1700年前の宮殿跡です。




< 9.  We just enter Split
< 9. いよいよスプリットへ入場 >
Lower photo:  A reconstructed picture of the palace.
This palace became ruins once, and was sinking partly, but people came to live there afterwards.

This continues next time.

下の写真: 当時の宮殿の復元図。
この宮殿は一度廃墟になり一部沈下しているのですが、その後、人々が住むようになりました。


次回に続きます。





20160206

クロアチア・スロベニアを巡って 26: 傷痕の町モスタル 5






< 1. 「ネレトヴァの戦い」で破壊された橋 >

今日は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の背景に迫ります。
そこには民族と宗教の皮肉な歴史がありました。

はじめに
写真1は、 1943年の「ネレトヴァの戦い」で破壊され保存されている橋です。
この戦いはネレトヴァ川で行われた。
第二次世界大戦中、劣勢のパルチザンはドイツ軍との戦いで大きな犠牲を出しながら後退していた。
この戦いでチトー率いるパルチザンが全滅を免れたことで、同年の旧ユーゴに誕生につながった。




< 2. ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の傷跡 >

上の写真: スレブレニツァ虐殺記念碑の墓地。
1995年、セルビア勢力がスレブレニツァの町に侵入し制圧を終えると、ムスリマの男性を1週間ほどで即決処刑し、その数は約8000人に及んだ。
この時、国連平和維持軍はいたが無力な為、制止できなかった。

中央の写真: 当時の避難する人々。
下の写真: 当時のモスタル郊外の惨状。



< 3. 戦いの果てに >

上の写真: ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のサラエボの惨状、セルビア勢力、国連平和維持軍。

中央の写真: 紛争前後におけるボスニア・ヘルツェゴビナ内の民族分布。
緑色はムスリマ(Bosniaks)、赤色はセルビア人、青色はクロアチア人(HRVATI)を示す。
黄色い点はモスタルを示す。
ムスリマへの壮絶な民族浄化は、その後の棲み分けを決めた。

下の写真: 現在のボスニア・ヘルツェゴビナは桃色のセルビア人と青色のムスリマとクロアチア人との連邦になっている。

悲劇の遠因、歴史の皮肉
この内戦では同じ南スラブ民族の三つの民族が戦ったが、敵味方の識別は宗教の違い、カソリックと正教会、イスラムでした。
最も残虐だったのは正教会勢力(セルビア人)で、その大統領は国際裁判所で戦争犯罪の公判中です。
村を焼かれ多くの青年が殺され追い出されたのはムスリマでした。
彼らは数百年前「ボスニア教会」と呼ばれる異端のキリスト教徒で迫害を逃れ、この地に移り住み、オスマン帝国の時代にイスラムに転じた。
やがて彼らは地主や富裕層になり、キリスト教徒であるクロアチア人やセルビア人を使役するようになった。

時は下り、南スラブ人の大連合を成し遂げた旧ユーゴ時代、初代大統領チトーは異なる宗派や民族の融和を図るために、人々の混住化を推進した。
そして平和な半世紀が過ぎた。
しかし、瑣末な意見の食い違いが生じ、やがて指導者の野望と民衆の疑心暗鬼が一体となって戦端が開かれると、一気に憎悪と不安が燎原の火のように広がっていった。

彼らは歴史的な怨念を互いに多少持ってはいたが、先日までは仲良く暮らしていたのです。


次回から、次の観光地を紹介します。







20160204

クロアチア・スロベニアを巡って 25: 傷痕の町モスタル 4






< 1.石橋は紛争で破壊された >

のどかな山間の町が一瞬にして地獄になったことがありました。
それはボスニア・ヘルツェゴビナを民族浄化一色に染めた紛争でした。




< 2. ネレトヴァ川と一本の道 >

上の二枚の写真: 下流側(南側)を望む。
川の左側(東側)に旧市街があり、ムスリマは旧市街を中心に川を挟んで住んでいた。
川の右側を平行に走る道(一番下の写真)を境にして、紛争時、クロアチア勢力がムスリマの街を攻め、分断するために石橋を破壊した(写真1)。

上から三番目の写真: 上流側(北側)を望む。
一番下の写真: 北側を望む。
右側にネレトヴァ川と旧市街があります。




< 3. 紛争によるモスタルの傷跡 >


ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992~1995年)について
この紛争は一連のユーゴ内戦(1991~2001年)で最大の被害、20万人の死者と250万人の難民・避難民を出した。

ユーゴ内戦は、旧ユーゴを構成する6つの共和国から独立を宣言する国が出たことが引き金になった。
独立の是非を巡って、それぞれの国内の民族と宗派が対立し、セルビアが主導権を握る旧ユーゴ連邦軍が介入し戦争は拡大した。
最初にスロベニアが10日間戦争で1991独立し、ついでクロアチアが内戦(1991~1995)を経て独立することになる。
このクロアチア内戦でクロアチア人とセルビア勢力が戦っていた。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは主導権を持つムスリマとクロアチア人、セルビア人が共に暮らしていた。
ムスリマとクロアチア人が独立宣言を模索し始めると、それを阻止する為に国内のセルビア人と隣国のセルビア軍、旧ユーゴ連邦軍が戦端を開いた。

ところが分割案を巡ってクロアチア人とムスリマも対立した。
ムスリマは、それぞれ隣国から支援を受けるクロアチア勢力とセルビア勢力に攻められ苦境に陥った。
この時、凄惨な民族浄化が起きた。

やがて国連と多国籍軍が停戦に向けて動き、NATO軍によるセルビア勢力への空爆、そして米国の仲介によって紛争は終結した。
その後、難民流入と民族問題で南部のコソボ、マケドニアへと戦火は広がった。


次回、悲劇の背景に迫ります。