20201129

中国の外縁を一周して 57: 中国と北欧、そして日本 2: 各国の旅行事情

  

 


*1

 

前回は、各国の余生と余暇の過ごし方を紹介しました。

今回は、各国の旅行事情を紹介します。

それぞれに違いがあり、お国ぶりが見えて来ます。

 

 

 

< 2. スウェーデン、ストックホルムにて >

 

上: 中央駅地下一階にて、コンコースの真下

2018年6月1日、金曜日。

ここには鉄道と郊外電車、地下鉄の駅が集まっているので、行き交う人は多い。

 

下: ドロットニングホルム宮殿行きのクルーズ船乗り場にて

2018年6月3日、日曜日。

人気観光地の市庁舎が直ぐ隣りあります。

 

私が乗った船は満員で立ち続ける人もいた。

乗船客は白人ばかりで、他の人種、特にアジア系の人を見ることはなかった。

夫婦や少数グループが多く、添乗員が引率している団体ツアーは見なかった。

 

 

 

< 3. カールスタッドとオスロにて >

 

上: カールスタッドの鉄道駅のホームにて

2018年6月4日、月曜日。

オスロ行きの国際列車が4時間以上遅れて到着するのですが、乗客がホーム中心に集まって不安げに待っている。

彼らの一人が私に一緒にと声を掛けてくれたが、私は英語が出来ないので一人離れてしまった。

北欧を旅していると、列車の中や至る所で人の温もりを感じた。

 

ただストックホルムでは、駅や空港で業務として関わる人は、英語が喋れないと冷たくあしらうことがあった。

他の二ヵ国ではなかった。

 

下: ヴィーゲラン公園のゲート近くにて

2018年6月6日、水曜日、8:30~9:00に公園を散策。

写真はインドからの観光客一団です。

 

この公園を観光している人は少なく、市民をちらほら見ただけでした。

アベックや犬の散歩、自転車で行き交う人々でした。

ゲートを出ようとしていると、韓国人らしい一団とインドからの一団がゲートから入ってくるのを見た。

私の公園訪問が朝早すぎたのでしょう。

 

 

 

< 4. フェリーと地下鉄にて >

 

上: オスロ湾を行くフェリーにて

2018年6月6日、水曜日。

このフェリーはコペンハーゲンとを結ぶ国際航路です。

フェリーの後部デッキでは乗船客がクルーズ気分を楽しんでいた。

デッキは白人ばかりで、明かに旅行客風でした。

乗船時にはアジア人の小グループ、食事中には日本人ツアー客も見かけま

した。

私も含めてアジア人はまだクルーズ船のデッキで寛ぐことに慣れていないようです。

 

下: オスロの地下鉄にて

2018年6月5日、火曜日。

早朝の移動中に、彼は私に関心を示し、寄って来て声を掛けてくれた。

彼は、彼の日本旅行について話してくれた。

彼は数年前、奥さんと長男(写真の子ではない)で2ヶ月間、日本を旅行したそうです。

特に富士山登山が気に入ったそうです。

彼の日本の印象は非常に良かったようで、私ともっと話したかったようだ。

 

 

 

* 北欧三ヵ国で見た旅行者

 

北欧を巡っていると、白人は夫婦や少数のグループで旅行していることが多い。

観光地で見かけた白人が外国人かは判然としないが、多分に近隣諸国からの人もいるようだった。

 

一方、気になったの日本人の少なさです。

ストックホルムで、数人の日本人ツアー客らが自由時間を楽しんでいるのを見たことはあったが、他ではまったく日本人を見なかった。

コペンハーゲンの図書館で、現地に暮らしている日本人親子とあっただけでした。

たまたま、空港で宇都宮弁護士の北欧訪問に随行した人々を見かけてホットした(会話が聞こえたので分かった)。

 

あまりポピュラーでない観光地(野外博物館)などで、韓国人の団体ツアーを見かけたことはあった。

一番感心したのは、私がデンマークのシェラン島の端まで観光しようとしていると、中国人の母娘がそれを上回る意欲的な観光を計画していることでした(行先が聞こえたので分かった)。

 

今まで西欧や東欧などを旅行した時、何処に行っても中国の団体ツアーと出くわし、彼らのマナーの悪さに辟易したものでした。

しかし、北欧の旅で見た中国人は、少数のグループで都市部の宮殿や地方の観光地を自由に旅していた。

ひょっとすると、現地に移民した人が、友人や家族を案内している可能性もある。

少数の東南アジア人グループを観光地で見かけたが、これもそうかもしれない。

その内の誰かが英語を話せるのだろう。

それにしてもまったく日本人を見ない。

 

日本人の海外進出意欲の減退に危機感を持った。

単に、国が貧しくなったからかもしれないが。

日本人の出国人数は年々増加し2千万人を越えたのだが、実は、一人当たりの旅行費用は約20年前より35%ほど低下し、ここ数年の円安も加わり旅行先は手頃な所になっているのでしょう。

 

一方、中国人の海外旅行者数は15年間で3千万人から1億3千万人に増えており、うなぎ上りです。

こうして世界中の観光地は中国人が溢れるようになった。

 

 

 

< 5. 麗江と北京にて >

 

上: 麗江の新幹線駅にて、ここは始発駅です

2019年10月27日、日曜日。

ホームは、改札を終えてこれから乗車する人で一杯になった。

乗車する人は年配者もいるが、多くは若いか中年の軽装の旅行者でした。

 

30年ほど前、広州から香港へと列車で移動した時は、若い人は少なく、大きな荷物(安ぽっい袋)を持った中年以上の人で列車は一杯でした。

中国では、その後、経済成長に伴って国内旅行が爆発的に増えた。

 

ここ10年の中国で驚かされるのは、至る所に出来た新幹線駅が巨大すぎることです。

本当に歩くのが疲れる。

しかも、私が乗った連結数の多い列車はいつも満杯に近かった。

中国の新幹線網は日々延びているので、旅行する時は、新幹線が通じているかもしれないと疑ってみることです。

駅は空港より便利な位置にあり、本数も多い、但し運賃は安くは無いが。

 

 

下: 北京の天安門広場にて

2019年10月19日、土曜日。

この時は、中国建国70周年年の記念事業があったので、広大な広場は人で埋め尽くされていました。

 

 

 

< 6.北京と麗江にて >

 

上: 北京の飲食店にて

2019年10月17日、木曜日、夜9時を過ぎた頃。

 

王府井を歩いて驚いたのは、夜が更けると若い人々は通りから去り、年寄りを含む団体ツアーが闊歩しているのが目立ったことです。

これは多くの店が閉まるからなのですが、まだ若干の飲食店が開いているので、そこにツアー客が押し寄せるのです。

ツアーの中には年齢から見て勤め人もいるはずですが、このように平日も旅行出来るようです。

 

その元気さに、かつての日本人の海外旅行熱を思い出しました。

私達日本人も夜遅くまで観光地を出歩き、また多くの人はブランド店で数十万円を費やし、バックなどを買い漁っていた。

そんな時代は遠い昔となったが。

 

 

下: 麗江の飲食街にて

2019年10月25日、金曜日、夜の7時頃。

 

麗江は、私にとって中国で唯一の残された歴史的な町並みのはずでした。

客家土楼なども歴史的な建物が残っているが、街並みと言う点では異なります。

楽しみにしていた開封の街並みも、真に歴史的なものはなかった。

麗江の町並みは土産物・飲食店街と化し、さらに夜になると音楽と歌声が鳴り響く古镇のテーマパークと化す(それでも充分に中世の雰囲気は味わえます)。

夜遅くまで彼らは歴史地区で歓談し飲食している。

 

少し失望したが、中国の商魂たくましい姿に苦笑いし、非日常を精一杯愉しむ人々の姿に圧倒された。

 

 

 

< 7. 頤和園と什刹海公園にて >

 

上: 頤和園の昆明湖に面して

2019年10月19日、土曜日。

もの凄い人出で、建物で囲まれた中庭では押し競まんじゅう状態でした。

圧倒的に中国人の団体ツアーが多い。

添乗員の旗を見ていると、中国各地から来ているのがわかる。

ラフな服装で、旅を満喫している姿が印象的でした。

 

下: 什刹海公園にて

2019年10月18日、金曜日。

 

20台にも達しそうな人力車の行列が湖沿いの道を通って行きます。

もの凄い観光客が周囲を埋め尽くし、人力車は団体客で満杯でした。

 

 

 

* 中国で見た旅行者

 

ここ30年間、中国を旅するようになって驚くことの一つは、国内旅行が年々盛んになっていることです。

 

15年以上前、当時日本ではほとんど知られていなかった客家土楼を友人の案内で見学した時、一人の中国人旅行者が一眼レフで撮影しているのに驚いた。

それまでの中国観光でこのような事を見ることはなかった。

当然、そこにいるよそ者は私と友人、そしてそのカメラマン一人だけでした。

 

また廈門の海岸に案内してもらった時にも驚きの光景を目にした。

夕陽が沈む砂浜で、百人を越える人々が海岸線に並び、立ち尽くしていた。

友人の話によると、彼らは海の無い貴州省(雲南の東北で隣接)から来た人々だった。

 

しかし今は異なる。

帰国時、私は昆明から関空に向かう機内で若い中国人女性に声を掛けた。

彼女はツアーで日本に初めて旅行するとのことでした。

彼女は日本のことをほとんど知らないようでした。

今は、中国各地と日本の間に多くの直行便があります。

私にとっては中国の航空運賃は安いが、彼女にとってはそうではないはずです。

昆明では日本人観光客をまったく見ることがなかったし、昆明では日本があまり知られていないように思う。

実に、彼らは気楽に旅をするようになった。

 

また成都をタクシーで観光していた時、通訳を介して知ったのですが、運転手の娘さんがちょうど大阪を観光していた。

そして、大阪の貧弱な宿泊ホテルに娘さんが驚いて、その写真をメールで送って来たそうです。

おそらく民泊のことだろう、恥ずかしくなった。

中国では一泊1万円も出せば、非常に立派なホテルに泊まれるのだが。

 

こうして中国の人々は余暇を楽しみ、海外や日本を知ることになるだろう。

これは誤解を遠ざけ、相互理解を育むだろう。

世界の進んだマナーや文化を知り、異なる国の実態を知る事になる。

 

2019年の中国国内旅行者数は60億人を越えており、伸び率は9%もありました(一人当たり年4.3回=60億/13億)。

同年、日本では一人当たり年4.6回で伸び率4%でした。

 

それにしても、今回、中国を旅していて、白人や日本人の観光客を見かけたことはなかった(外縁部を周ったせいもあるが)。

明かに以前に比べ日本人観光客は減っている。

現地の日本語ガイド達が嘆いていた。

これは年々日本政府が右傾化し、中国への恐怖を煽ったのが一因でしょう。

残念です。

 

白人観光客も少ないが、麗江の木府でチェコから来たツアー客にあった。

私が訪れたプラハやチェスキークルムロフについて語ると彼らは喜んでくれた。

旅先の出会いには心温まるものがある。

 

中国には年間1億5千万人ほどの外国人観光客が来るのですが、国土が広いので目立たないのでしょうか?

 

 

 

* 日本の残念なところ

 

北欧の人は海外に強い関心を持っており、高校生ぐらいから海外へ長期に出かけることになる。

これは文化もあるが、語学教育や休学制度、企業の採用慣習も後押ししている。

ヴァイキングの開拓精神がここにも息づいているように思える。

スウェーデンでは国民の約60%が年に一度は海外に出かけるそうです。

これが北欧の企業や人材の国際化を生み続けている理由でしょう。

 

中国では、既に日本人口を越える人が海外に行き、その人口割合も日本(15%)をもうすぐ超えるでしょう。

中国人の一番の海外旅行先は日本で、次いで東南アジア各国が続きます。

しかし、日本人の行先は一番が台湾で、ハワイ、韓国、イタリアが続き、中国は20番にも入りません。

日本人は上海には行くようですが。

 

こうして中国人の日本評価は高まって来ているが、一方で日本人の中国理解は、政府と右翼の煽動もあり悪化し続けている。

日本人の長期海外留学は減り、年追うごとの経済衰退に連れて、日本人は世界や近隣諸国への興味と理解が乏しくなっている。

 

一方中国は、外国人にとって日増しに旅行がし易くなっている。

多数ある航空会社、新幹線、ホテルを日本からインターネットで予約出来、また旅行サイトTrip.comを使えば日本語で予約出来る。

安全やサービスも問題ない。

中国の地図アプリなどをスマホにインストールすれば便利です。

中国語に馴れる必要はあるが。

VPNサービス(有料)を利用すればグーグル翻訳も使えます。

トイレはヨーロッパより便利で急速に綺麗になって来ている。

さらにすべてにおいて安いのが良い。

ヨーロッパ旅行の半額で行けます。

 

偏見を持たずに中国を旅行してください。

驚きの連続ですよ!

 

 

次回に続きます。

 

 

 

20201125

連載中 何か変ですよ 219: 恐れろ!怒れ!止めろ!

  


 

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人はじわじわと迫って来るものには恐怖を感じない。

自然災害や金融危機が繰り返すたびに巨大化しても!

さらには民主主義が日々破壊されて行っても!

まるで対岸の火事を見る野次馬のように

 

 

* 何を恐れるべきか?

 

今回、米国国民はかろうじて危険な大統領を退ける意思表示を行った。

だが、大統領による異常な民主主義の破壊が止まらない。

実は、この愚行は日本にも既に蔓延している。

 

現大統領が敗北を逃れるためなら手段を選ばず、さらに国を二分する共和党の指導者と支持者らも片棒を担いで恥じない。

これこそ泥沼の戦闘状態だ。

かつて過激な共和党議員が「政治は戦争」「文化戦争だ」と、ここ40年の間に言って来たことだ。

 

トランプ大統領の稚拙で悪意ある言動が米国だけでなく世界を掻き回している(フェイクは2000件を越える)。

 

 

 

< 2.ある保守の妄言 >

 

トランプは、11月4日のワシントンの抗議集会について「参加者、数十万人に感謝」とツイートし、ホワイトハウスの報道官はこれを百万人と公言した。

しかし日米の代表的なマスコミは、これを数千人から1万人強だとした。

 

やがて、数十万人が通りを埋める写真や動画が出回り、日本のウヨと保守も便乗して気勢を上げた。

「トランプの人気は絶大だ!」「真実を隠すマスコミを信じるな!」と。

 

ところが11月17日、オンラインメディアのBuzzFeed が、ファクトチェックの結果を公表した。

出回った写真や動画は、カナダの優勝行進や、2017年のワシントンで行われた反トランプ集会のものだった。

 

 

 

< 3.武漢ウイルス >

 

 

今年7月、香港のウイルス女性専門家、閻麗夢が米FOXニュースで暴露発言を行い衝撃が走った。

「新型コロナウイルスは武漢ウイルス研究所で作られた」と。

 

正にトランプの指摘通りだった。

トランプ支持者と日本の保守は沸き立った。

彼女の発言が怪しいと踏んだ米ツイッター社はこれを制限し、これがまた言論の自由を破壊すると非難する輩も現れた。

 

しかし11月20日、米ニューヨーク・タイムズが暴露記事を出した。

 

かつての主席戦略官のバノンと、米国に逃走した中国大富豪が仕組んだ扇動だったと。

彼女の不確かな発言が、トランプ支援派と反中国派に利用され、中国敵視の火に油を注いだ。

米国の至るところで、中国人と東アジア人が罵られ暴行を受けるようになった。

 

 

< 4.ナイラ証言 >

 

これと似た事が、1990年の共和党政権でも起きていた。

ある委員会で、少女ナイラは涙ながらに侵攻したイラク軍による残虐行為を訴えた。

この証言によって米国世論は一気に湾岸戦争へと沸き立った。

 

しかし、これがまったくの嘘だと判明した。

湾岸戦争突入後ではあったが、この時もニューヨーク・タイムズが暴露した。

「新生児を虐待死させた事実はなく、実は、ナイラはクウェート駐米大使の娘で、芝居だった」と。

 

この手の嘘や煽りは、ベトナム戦争のトンキン湾事件などでも起きた(民主党政権)。

1948年に始まる言論弾圧と職場追放の赤狩りも一共和党議員が始めた。

 

既に、米国民の半数弱と政党が党利党略の為なら民主主義を捨てつつある。

日本も同様で、前首相や周辺によるただならぬ虚言・隠蔽や議会運営がまかり通っている(森友・加計、桜を見る会など)。

 

皆さん、民主主義の破壊が進んでいることを恐れて欲しい!

 

 

< 5. 季節と政治は巡る >

 

 

* 何に怒るべきなのか?

 

今、米国だけでなく日本と西欧にまで、虚言を弄し対立を煽り、都合の悪い事実を隠蔽し、反対派を封じ込め、絶大な人気を得て、国を操ろうとする政治家が力を得ている。

このまま進めば、民主主義が破壊され、やがて独裁者が生まれ、遂にはいとも簡単に戦争を始める。

これは、かつての日独伊のファシズムへの歩みに酷似している。

 

歴史上繰り返された悲惨な状況は、独裁国家の末路と断言できる。

多くは独裁による自由と人権を奪われた社会、そして戦争でした。

 

当然、これは社会背景があってのことだ。

今、日米欧の経済状況は大戦前ほど酷くは無いが、ここ40年ほどで大多数の国民が不満(貧富の差拡大とマイノリティ優遇)と焦燥感を持っようになったことが大きい(中間層の没落)。

 

しかし、先ずは政治家による民主主義の破壊行為に怒るべきだ!

馴れてしまってはいけない。

民主主義は社会が正常に機能する最低条件なのだ!

 

 

* 何を止めるべきか?

 

現実に起きている民主主義の破壊を止めることが急務です。

政府やトップが繰り返す虚言・隠蔽・捏造・ミスリード、また議会運営と行政で頻発する規範逸脱は民主主義破壊の始まりです。

今は、小さくても放置すれば、確実に取り返しのつかない末路が待っている。

 

私達日本人は、米国のように対立する政党に対して、勝つためなら規範破りや社会正義の無視を正当化させてはならない。

放置すれば、やがて互いに泥沼に嵌り、最悪の事態になるだろう。

 

今、皆さんが出来ることは、政府や議員が民主主義のルールを破れば「ノー」の態度を示す事です。

少なくとも選挙で!

 

 

皆さんの良識に期待して、終わります。

 

 

20201121

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 12: 深い谷に張り付く落合集落

  



*1

 

今回は、祖谷を代表する山村を紹介します。

この落合集落は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、

江戸末期以降の山村の風情を今に残しています。

 

 

 

 

< 2. 祖谷の全景 >

 

上: 上が北で右が上流、写っている東西の距離は約35kmです。

緑のバルーンが二重かずら橋、赤のバルーンが宿泊地の西祖谷のかずら橋です。

私は紺色線の祖谷川沿いの祖谷街道を車で走りました。

赤矢印が落合集落で、矢印の方向に眺めています。

黄色の矢印は、吉野川上流の大歩危辺りです。

上の茶色の矢印は東西に流れの向きを変えた吉野川に面する貞光の町です。

黒矢印は剣山頂上で、ピンク矢印は三嶺山の頂上です。

 

中央: 上が北で、右が上流です。

白い枠が落合集落、ピンク枠が平家伝説が伝わる栗枝渡です。

赤矢印は概ね祖谷川対岸の展望所からの撮影方向です。

東西(左右)に曲がりくねっている線が、祖谷川と祖谷街道です。

私は右側から下って来た。

 

下: 上が東で、上流です

赤矢印は概ね祖谷川対岸の展望所からの撮影方向です。

ピンクの矢印は、三嶺山の頂上で、もっと奥に剣山があります。

私は上部から下って来た。

 

二枚の写真から分かるように、祖谷川の両斜面、それも高い所に山村が散在している。

谷底を行く祖谷街道を走っているだけでは、これら村の全容は分からない。

 

 

 

< 3. 落合集落展望所 >

 

上: 展望所に行く途中、道路工事で30分ほど足止めされた。

この時、上流側を見ると、幾重にも造られた砂防ダムが見えた。

この後、至る所で作業中の道路工事に出くわした。

後に理解出来たのですが、この祖谷は道路やダムなどの公共工事(建設業)が重要な産業なのです。

なんと就業者の人口比率は建設業が40%近くあり、農業は3%以下に低下しているのです。

観光で暮らしいる人も多く、中国の観光客も訪れるそうです。

2017年の大歩危・祖谷地区の外国人宿泊者数は2万人近くになり、10年で34倍になったそうです。

ただ今年はコロナで閑散としていました。

 

この地は、日本三大秘境の一つと言われ観光に恵まれている。

一方、同じ徳島県でも素晴らしい海岸を持つ海部郡が、観光客に恵まれないのは残念です。

 

 

下: 落合集落展望所

ここは集落を眺望する対岸の高台に設けられている。

この展望所には三方から車で行け、駐車場とトイレが備わっています。

非常にありがたい。

但し、上流側から行く道は道幅が狭いので避けた方が良いでしょう。

 

 

 

< 4. 落合集落と周辺 >

 

上: 左の山の斜面に落合集落が見える。

 

下: 右の山の斜面に落合集落が見える。

 

 

 

< 5. 落合集落の全景 >

 

一度、歩いてみようと思い、下まで行ったが、とても気後れして止めた。

私には集落の平均斜度が45度に思えた(実際は無いだろいうが)。

 

 

* 落合集落

落合集落は一つの峰が祖谷川に落ちる南斜面にあり、東西750m、南北850m、高低差390mある。

この集落の起源は南北朝時代まで遡り、祖先は南朝方で戦ったらしい。

茅葺の家、畑・道・家屋を擁壁した石積み、猫の額ほどの畑が急斜面に積み重なるように連なっている風景は独特です。

現存する家屋や石垣、石の階段の道(里道)などは江戸末期に遡るものがあるそうです。

ただ多くの畑は放置され、草が蔓延っている。

高齢化で担い手が減る一方です。

 

ここは特に平家落人伝説との関りがないようです。

ただ、この左手、少し下った祖谷川を挟んで9ヶ所ほど、また直ぐ上流二ヵ所に安徳天皇や平家に纏わる遺跡がある。

これら遺跡の幾分かは次回紹介します。

 

ここで二つの落人集団(平家とな南朝方)を想定すると面白い。

平家の落人が祖谷に来たのが12世紀末(壇ノ浦の戦い後)で、落合の祖先が南北朝時代なら14世紀だったはず。

つまり平家の子孫が先に陣取っていたので、後から来た落合の祖先は更に上流に行かなければならなかった。

こうして平家の史跡は落合より下流に多いのだろう。

 

それにしても不思議なのは、こんな奥地に逃げて来て、生計をどのように立てのだろうか?

宿の主に聞いたり、資料を見ると、幾らか分かって来た。

 

貞光川の中流の一宇もそうだったが、祖谷もタバコ栽培で共通していた。

この落合では、他に馬鈴薯と麦の栽培、養蚕が行われていた。

しかし日本の高度経済成長に伴って、過疎化が進展し、農地は放棄され、杉の植林や雑草地が増えて行った。

かつて、この祖谷では年二回の焼畑によって、ヒエ、アワ、ミツマタ(和紙の原料)、蕎麦、大豆、麦が栽培されていた。

明治以降、ミツマタと煙草は貴重な現金収入となったが、1990年までには終止符を打った。

 

このような山腹の畑で給水はどうしたのか?

山がちな淡路島なら、山腹の上部にまで造られた溜池が役割を果たしている。

スペインの丘にある城塞都市なら、川底に達する深い井戸か水道橋が不可欠だった。

じっくり観察していないが、この地の集落で井戸は目に付かなかった。

この疑問は、西祖谷の旅館に泊まって氷解した。

旅館の水はすべて湧水で、散歩していても至るところで湧水が勢いよく流れ落ちていた。

どうやら地質の関係で、豊富な湧水が昔から得られたのが幸いしたのだろう(祖谷川の南斜面に多いらしい)。

 

 

下: 落合集落の上部を望遠で

 

 

 

 

 

< 6. 落合集落の下部を望遠で >

 

上: 中央の茅葺屋根の家は長岡家住宅と思われる

ここは標高610mにあり、落合の支配階級の家であったらしい。

明治34年の築とされている。

 

下: 一番下に家屋が二列に横に並んでいるのは、祖谷川沿いの祖谷街道を挟んでいる町並みです。

この祖谷街道が出来たのは1920年(大正9年)です。

それ以前、この地域の物資輸送や移動はどうしていたのだろうか?

冬は雪が積もるだろうに。

 

 

 

< 7. 展望所を離れる >

 

上: 展望所が道路脇左に見える

 

下: 少し離れた所から落合集落を見た

 

 

 

< 8. 栗枝渡の集落 >

 

上: 右手山の斜面上方の村が栗枝渡(くりしど)

ここからは見えないが集落の更に上部奥に、安徳天皇に纏わる史跡がある。

次回、紹介します。

落合集落から一つ谷を挟んだ下流1kmの峰の端に、この栗枝渡がある。

 

下: 上流側を見る

 

 

 

< 9. 橋を渡る >

 

祖谷川にはこのような橋が幾つもあるが、ここは特に見晴らしが良かった。

 

 

 

< 10. 橋の上から上流を望む >

 

深い谷と深い森が秘境を実感させる。

 

 

 

< 11. 橋の上から下流を望む >

 

 

次回に続きます。

 

 

 

20201118

中国の外縁を一周して 56: 中国と北欧、そして日本 1

  




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これから数回に分けて、テーマ毎に中国と北欧を見比べます。

今回は、余生と余暇の過ごし方を紹介します。

そこには日本では考えられない光景がありました。

 

 

 

 

< 2. 北欧と中国と日本 >

 

上: 黄色枠が北欧三ヵ国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)。

赤枠が中国、ピンクの矢印が日本です。

フィンランドも北欧ですが、旅をしていないので省きます。

上記三ヵ国はスカンジナビア三国と呼ばれ、同じ民族、ヴァイキング、国の成り立ちで共通することが多い。

フィンランドは民族が異なる。

 

下: 今回紹介する北欧三ヵ国の撮影地

ABはスウェーデン、Cはノルウェー、DEFはデンマークです。

 

今回紹介しているのは2018年5月31日~6月10日の旅行時のものです。

また1984年11月中旬にも、デンマークとスウェーデンの首都観光と近郊の会社視察に行ったことがありました。

この時は厚い雲と雪の季節だったので、まったく印象が異なります。

 

 

 

< 3. 中国の撮影地 >

 

Gは廈門、Hは開封、Iは麗江、Jは昆明です。

 

今回紹介しているのは2019年10月16日~29日の旅行分です。

これ以前、30年間ほどの間に幾度も中国を訪れています。

 

 

 

< 4. 北欧と中国の楽しみ方 >

 

上: A スウェーデンの首都ストックホルム近くのメーラレン湖にて

2018年6月3日、日曜日、午前10時頃撮影。

 

クルーズボートでストックホルムから20分ほど行くと、市民が岸で日光浴していた。

この辺りは住宅地で、個人宅やマンションが丘の上に並んでいた。

メーラレン湖を行くと、多くの家族や恋人、友人達が岸辺や湖で日光浴やボート、ヨットを楽しんでいた。

 

下: J 昆明の翠湖公园にて

2019年10月17日、木曜日、午後4時台、公園を散策。

 

大きな公園は市民で溢れ、老若男女問わず家族や一人で、また様々なグループらがのんびり行き来していた。

 

目立ったのは、広場で大きな集団の輪を幾重にも作り、民謡に合わせて踊っていたことです。

幾つもの少数民族に別れて集団を作り、民族衣装を着ていない人も参加していた。

そこ一帯には、温かみと一体感による高揚感が満ちていた。

ただ踊りに参加している人はほとんど高齢者(50歳以上?)でした。

若い女性も稀に見たが。

 

 

この二枚の写真には北欧と中国の特徴がよく現れている。

 

季節のせいで水辺のシーンが目立つのですが、写っている人々の年齢層が違います。

共通するのは、平日の日中でも多く人が公園や水辺で過ごしていることです。

これは日本と大きく異なる点です。

おそらくほとんどの日本人は平日、日中は仕事、その後は残業、さらに休日も出勤していることでしょう。

 

 

 

< 5. カールスタッドとオスロにて >

 

これから北欧を見て行きます。

 

上2枚: B スウェーデンのカールスタッドにて

ここはノルウェーのオスロに向かう国際列車の中間点で、地方都市も見たいので途中下車しました。

2018年6月4日、月曜日、午後4時半から5時半頃まで町を散策した。

 

上: 駅前から伸びる大通りにて

まだ4時過ぎなのに、テラス席で様々な年齢層の市民が寛いでいるのが目に入り、奇異に思った。

会社勤めはどうしたのか?

しかし、歩を進めるうちに、若い人から高齢者まで、続々と通りに溢れ、見る見るうちに広場の芝生やレストランのテラス席は人で一杯になっていた。

  

中央: 5時を過ぎていましたが、若い女性のグループが川辺のテラスで水着姿で日光浴を初めた。

 

ここに来る途中の列車の車窓から、郊外の森林に囲まれた湖岸で日光浴をしている人々を見た。

 

この6月初めは、厚い雲に覆われた長い冬からやっと解き放たれ、太陽の光を存分に浴びることが出来る夏の始まりだった。

観光季節の始まりでもある。

 

 

下: C ノルウェーの首都オスロにて

2018年6月5日、火曜日、午後1時、遊覧ボート上からハーバタウンを撮影。

左にクルーズ船が見え、右1kmにオスロ市庁舎がある。

 

平日の昼、首都中心部で水着姿で日光浴を楽しんでいる。

オスロ市庁舎の辺りは観光地なので観光客は多いだろうが、この人々は市民だろう。

私はここでも驚いたが、コペンハーゲンに行って更に驚くことになった。

 

 

 

< 6. デンマークにて >

 

上: D 首都コーペンハーゲンに近い古都ロスキルにて

2018年6月7日、木曜日、午後1時半頃、大聖堂近くの広場で撮影。

 

高齢者がほとんどで、夫婦や数人のグループが多く、レストランのテラス席で陽を浴びながら、談笑して寛いでいた。

おそらく周辺の市民だろう。

 

下: E 首都コーペンハーゲンの運河にて

2018年6月7日、木曜日、午後4時半頃、運河を行くクルーズボートから撮影。

 

首都の運河の至る所で、日光浴、ボート、カーヌーに興じ、海に近い方では中高生達が泳いでいた。

若い恋人や友人同士、そして家族で楽しむ姿が印象的でした。

それも平日の午後4時を過ぎたばかりなのですから。

 

 

 

 

< 7. コペンハーゲンとヘルシンゲルにて >

 

上: 首都コーペンハーゲンの運河にて

上記と同じ。

 

下: F クロンボー城のある港湾都市ヘルシンゲルにて

2018年6月8日、金曜日、午後4時半頃、街中にて。

 

この町はクロンボー城と、対岸スウェーデンを結ぶフェリーで人は行き来するのですが、通りは賑やかとは言えない。

それでも通りのテラス席は、談笑する市民でほぼ埋まっていた。

 

 

 

 

< 8. G 廈門の公園にて >

 

これから中国を見て行きます。

 

2019年10月16日、水曜日、午前9時台、市内の公園にて撮影。

この公園は昔ながらの街中にあり、古くからの市民が来るところのようです。

 

上二枚: 広い緑豊かな公園の木陰では、高齢者グルーブが至る所に陣取り、仲間と楽しい時間を過ごしている。

一人の人はほとんど見かけなかった。

男性グループは将棋などの盤ゲームをやり、女性グループはそれぞれに異なった踊りや体操を行っている。

以前に比べれば、太極拳などの伝統的なものは減って来た。

 

下: 中国式の譜面を見て集団で詠じている。

西洋音楽ではない。

 

中国では男女別々に集まり興じる事が多い。

体操や太極拳、詠いは一緒にやることはあるが。

また若い人はほとんど居らず、概ね50歳代以上のようです。

 

後に、公園に付属の小さな動物園を訪れたのですが、そこはお爺さんとお婆さんと孫一人の三人連れで一杯でした。

中国では、若い夫婦は、一人っ子を親に預けて共稼ぎをしている。

孫の保育園への通いも親がやるのでしょう。

親は概ね50~55歳から定年となり、年金生活に入る。

都会では、働かなくてもやって行けるようだ。

 

 

 

< 9. 開封と麗江にて >

 

上: H 開封のメインストリートの夜市にて

2019年10月20日、日曜日、午後7時頃撮影。

 

非常に賑やかだが、子供の姿はほとんど見かけなかった。

若いグループと夫婦、年配のグループが多かった。

 

 

下2枚: I 麗江の黑龙潭公园にて

2019年10月25日、金曜日、午後4時頃撮影。

 

公園で盤ゲームや楽器演奏に興じる人々を数組だけ見かけた。

多くは無かった。

この公園内はほとんど観光客が行き交っていました。

 

中国では有料の公園や神社仏閣でも、60歳以上になると、ほとんどで半額から無料になっているので、市民は利用しやすい。

昔に比べると、趣味の範囲が広がり、伝統的なものから新しいものまで多様になっているようだ。

 

 

* 余生と余暇の過ごし方

 

² 中国と北欧で異なること

北欧では、午後4時を過ぎると、多くの人は職場を退出する。

北欧の労働時間は日本より約3割は短く、育児休暇もかなり長い。

北欧の住居は職住接近で、人は平日でも家族や友人と共に家庭や自然の中で過ごすことが多いようです。

 

中国では、定年を迎えれば50歳代の若さで日々、のんびり暮らし、孫と遊び世話をするのが日課となる(定年は男性が女性よりも遅い)。

だが若い夫婦や独身、学童は忙しいようだ。

また都会で暮らす地方出身者には苦しいかもしれない。

 

 

² 中国と北欧に共通していること

共に定年後はのんびり暮らし、共に広場や自然の中で仲間や家族と過ごしている。

北欧の定年は中国より遅いが、日本や中国よりも豊かに過ごしている。

 

共に福祉制度、年金制度が整っているからで、日本人が連想する重税感や社会主義国の重苦しさとは無縁です。

北欧二ヵ国については34年前にも訪れて、現地の人に話を聞いており、今回の訪問で、高福祉社会の豊かさが更に良くなっていることを実感できた。

中国の福祉制度は年々改善されているようで、経済成長に連れて更に良くなるでしょう。

 

 

 次回に続きます。