20200314

世界が崩壊しない前に 6: 罠を知る





*1

前回、私達が原発に呪縛されていることを見ました。
これと似た国を越える罠もある。


米ソ軍拡競争を見ます。

突然、現れたソ連のゴルバチョフが、米国に核戦力削減を提案し、核軍縮条約締結が成った。
しかし、この後が続きませんでした。
それはなぜか?

当時、米国は自画自賛していた。
「ソ連は我々の軍拡競争に負けて経済的に弱ったのだ。
だから宇宙にまで軍拡すれば、遂にソ連はねをあげる。
平和になるぞ!」
人々は、軍拡競争こそが軍拡を終わらせ、危機は回避されると信じた。

しかし、30年後の今、間違いだと分かるはずです。


 

何が起きていたのか?

当時の米国大統領はレーガン、次いで父ブッシュでした。
ホワイトハウスはまったくソ連を信用せず、相変わらず軍備増強と軍事支配拡大で押し切ろうとした。

一方、ゴルバチョフは政治刷新の手腕を認められて、トップに立つことは出来たが、立場は危ういものでした。
彼が前例のない大幅な軍事的妥協(アフガニスタン撤退も)を提案すると、当然、軍部や保守派からの猛反発に晒された。

米国は、これ幸いと不平等な兵削減をソ連に迫り、また南米への軍事介入を進め、ソ連の制止も聞かず湾岸戦争に突入します。

湾岸戦争は、子ブッシュもやった人気取りの可能性が高い。
米国の駐イラク大使は、クウェートとイラクで緊張が高まっていた時、フセインに告げていた。
「ブッシュ大統領は、イラクの友好が優先であり、友人でないクウェートとの国境紛争には何の意見も持っていない」と。注1.
この戦争で大統領の人気は鰻登りとなった。

米国の中東やアジアへの軍事介入の経緯と、世界断トツトップの米国の軍需産業の伸張を知れば、頷けるはすです。


もし1980年代末、ホワイトハウスがゴルバチョフを信じ協力していれば、彼はクーデターで辞任することもなく、戦争は減っていたかもしれない。

結局、国民は真実から遠ざけられ、政府に振り回されている。


次回に続きます。


注1.「オリバー・ストーンの『アメリカ史』講義」p397より。


20200312

中国の外縁を一周して 26: 敦煌艺术馆と蘭州博物館






*1

今回は、二つの博物館を紹介します。
珍しい物を見ることが出来ました。


当初、蘭州に行く最大の目的は炳霊寺石窟で、それがダメなら甘粛省博物館と思っていたのですが、両方とも訪れることが出来なかった。
しかし中国旅行直前に現地ガイドと観光地の選定をメールでしていると、敦煌艺术馆が急浮上しました。
この博物館は最近出来て、ガイドブックにも載っていない。
ここで敦煌の莫高窟を紹介している。
かつて莫高窟に憧れていたが、見学は諦めていました。
しかし今回、雰囲気を味わうことが出来、ラッキーでした。

甘粛省博物館はシルクロード、漢民族と西方・北方民族が織りなす文化と歴史を知るには恰好の巨大な博物館です。
有名な展示物は「馬踏飛燕」でしょうか、これは「汗血馬」が空を駆ける姿を表現したものです。
漢民族の馬は北方騎馬民族の馬に比べ貧弱でした。
漢の時代、シルクロードの西方に優れた馬「汗血馬」がいることがわかった。
その後、蘭州で馬の飼育が盛んに行われた時代があった。



 
< 2. 仏教美術―壁画と仏像の宝庫、巨大な石窟群 >

左からシルクロード沿いにある敦煌の莫高窟、蘭州の炳霊寺石窟、天水の麦積山石窟です。
洛陽の龍門石窟は、シルクロード沿いにはなく王朝の首都近郊に造営された。
私は龍門石窟だけを以前見学している。
これら石窟の壁面には仏画が描かれ、仏像が掘り出されている。
中に僧侶らが修行や祈りの生活を続けた痕跡が残っている。

なぜこの地には数百もの石窟群からなる仏教遺跡が幾つもあるのでしょうか?
これら四つの石窟群は4~5世紀に造営が始まり、石窟によっては元から清の時代まで造営や改修が続き数百から千近くまで増えた。

当時、南下していた北方遊牧民族(匈奴、鮮卑ら)は中国の北半分からシルクロード一帯を占拠し分立していた。
彼らは漢民族の文化、特に仏教を積極的に受容し石窟の造営を始めた。

仏像は主にこのシルクロードを通じて中国に伝わり、既に中国でも製作は始まっていた。
インドでは仏像誕生後、一度廃れていたが、5世紀になるとヒンドゥー教と競うように、巨大な石窟群を開窟するようになった。
こうしてシルクロードの石窟にも、インドの様式が取り入れられるようになった。


 
< 3.蘭州の街 >

白塔山から敦煌艺术馆まで。


 
< 4. 敦煌艺术馆に到着 >

下: 中央に見える1階の建物が博物館です。
入口が中央に見える。


 

< 5.石窟内の壁画 1 >

それぞれ石窟の一部の壁画を再現している。
様々な年代の様式が見られる。

上: 天井の壁画。
中央: 側壁。
この二つは初期の物でしょう。

下: これはどうやら西夏(11~13世紀)のものでしょう。
この作風は遼時代(10~13世紀)のものに似ている。
前者はチベット系で後者は北方系(契丹)だが、南北で境界を接していた。


 
< 6. 石窟内の壁画 2 >

中央: チベット仏教の影響がみられる。


 
< 7. 仏像 >

上: 初唐時代の彩色塑像。
下: 北魏時代の塑像。
造営初期の4~6世紀の仏像で、顔の形が細長い。
衣の表現はマトゥラー仏に似て薄く襞が少ない。


 
< 8. インド風の石窟 >

北魏時代のもので、石窟全体を再現している。
この原型はインドの石窟群に見られるもので、礼拝者が仏像の安置された祠を周回出来るようになっている。
祠は掘り出されているので天井は繋がっている。
私はレプリカであっても初めて見ることが出来たので嬉しかった。


全体の感想
展示のコンセプトは石窟の部分的な再現にあるようで、全体の雰囲気を容易に掴むことが出来る。
この便利な地、蘭州で手軽に敦煌莫高窟を楽しめるのは有難い。

少し残念なのは、少しレプリカが雑なように思う。
表記は中国語だけです。
今後増えるかもしれないが、現時点で展示が少なめです。






 
< 9. 蘭州博物館 >

上: 入り口。
省都の博物館でありながら、小さい。
それでも見る価値はあると思います。

中央: 半山類型(馬家窯文化)の彩陶鼓。
左に写っている土器が太鼓です。
土器の下部に皮などを被せ、紐で無数の突起に縛ったらしい。
5000~4000年前のものらしい。
西安から遠く離れたこの乾燥した地に、人々が文化を育んでいたとは思いもよらなかった。

下: これは浮橋で、前回紹介した中山橋(黄河第一橋)の前進にあたるものです。
黄河の両岸にそれぞれ二本の鉄の杭を打ち、縄を張り、小舟を繋いだ。



 
< 10. 金城 >

蘭州が初めて行政区になったのは前漢の時代(紀元前1世紀)で、金城県と呼ばれた。
この城の模型は、初期の金城県の城を示しているのでしょう。
今の蘭州中心部より西側にあった。



 
< 11. 発展した蘭州 >


何時から今の蘭州中心地に移ったかはわかりませんが、黄河に面して巨大な城砦となった。
下の写真の左下に水車が見える。

玄奘三蔵などはこの城を通って、西域を目指したのでしょう。


全体の感想

写真を載せていませんが、遊牧民の文化が中国初期の土器に影響を与えた袋状の三本足の土器もありました。
展示品は少ないが、西域と接する文化を少しは感じることが出来た。

見学途中、突如、蘭州のテレビ局のインタビューを受けた。
蘭州の感想を尋ねられたが、適当に褒めるだけで終わった。
なにせ来たばかりなので。
最近は日本人の観光客が少ないようで、驚いていた。


次回に続きます。




20200308

世界が崩壊しない前に 5: 原発に見る無視の構造






すいません、投稿がダブりましたので投稿し直しました。

危機の後、正しかったと判明した警鐘は多い。
しかし幾度も無視した。
これを事例で確認します。


警鐘が国民に届かない理由を前回見ました。
1. 無理解(科学など)
2. 未来の事(近視眼的思考)
3. 世論誘導(政治・経済絡み)
4. 分裂する社会(ナショナリズムなど)


原発を例に考えます。

1 原発の危険性を理解できない

安全とは規定の設計基準を満足するだけであって、日本の基準では外部要因(テロ)、より大きい地震や人為的ミスなど、さらに福島の事故原因(電源喪失、水素爆発)は無視されていた。
実際、原発事故の多くは操作ミスや製造ミスなど人為的なものが多い。
人々は、住民が無視されていることを理解しない。

原発事故が致命的なのは、放射線が遺伝子破壊を永遠に進行させ、しかも見えず消去出来ないことです。
他の技術では、失敗を繰り返しながら安全基準を高めることが出来る。


2 エネルギー政策の転換が見えない

クリーンエネルギー(太陽光、風力)発電のコストが原発より高いと誘導され原発破棄が進まない。

国と産業界はこれまでの建設・維持費を安く見積もり、廃炉・灰・汚水処理の費用と事故の賠償額を無視している。
彼らは原発村と研究開発、更に安全神話を創り上げるための広報宣伝と裏金にどれだけ投じて来たか。
現在、クリーンエネルギーのコストは低下しているが、原発は急上昇している。

危険性を理解出来ても、対策や代替え案の選択が困難になっている。


 誘導され安直に流される

原発推進を担って来た人々が、事業継続の為に総がかりで国民を誘導している。
与党議員、官僚、経済界、そして学会、労働界、マスコミの大半が存続に加担している。
例えば、原発差し止め裁判は上級審に行くと必ず敗訴するが、これも司法官僚上層部が政権に従属し、政策否定や憲法判断を封じ込めるからです。

さらに、この誘導に強く影響される人々がいる。
例えば野党嫌い、科学に弱い人、今ならウヨがこれに加わります。
それは彼らが、好みの情報(御用マスコミやネットウヨ)しか信じないからです。

これらの障壁を乗り越えて、警鐘をまともに受け止められる人がどれだけいるだろうか。


次回に続きます。





20200307

世界が崩壊しない前に 4: 人々はなぜ警鐘を無視するのか?





時には命を削ってまでも、警鐘を鳴らす人がいた。
しかし、ほとんど聞き入れられなかった。


なぜ人々は無視するのか?

前述の例、原発事故、資源枯渇、人口増、環境破壊、核戦争勃発、米国の監視体制、地球温暖化の危機から見えるもの。

1. 科学的な理解無しで危機を理解出来ない

原子炉の構造や安全設計の概念を理解していないと、推進側の権威者が唱える原発の無謬性を容易に信じてしまう。
多くの人は、その安全性の根拠が如何に抜けだらけかを見破ることが出来ない。

地球温暖化の危機を知るには、気候現象や地球史を知らないと、これまた煙に巻かれる。

中途半端な知識や感情論では無理。


2. 人は数十年先に訪れる危機に対して及び腰になる

おそらく数か月後に起こるとするなら対処するでしょう。
しかし10年、50年先となると、ましてやコストと手間がかかるものなら無視するでしょう。
さらに対策の費用対効果を見積り、優先順位を付けるとなると絶望的です。


3. 危機とその因果関係を否定し、世論を誘導する集団がいる

この力は非常に大きく、かつ国民が気付かないよう行われる。

現在、大きな危機の元凶はすべて人間だが、限られた人間によるものが多い。
彼らは防止策や規制により、利益の減少や賠償による損失を避けようとする。

例えば、現在、自由放任経済の恩恵を享受している人々は、かつてのルーズベルト大統領のニューディール政策(需要喚起、賃金上昇政策)を貶めて続けている。


4.人は論理よりも帰属集団の意向に沿って判断し易い

これは分裂を極める社会ほど顕著です。
例えば、人は組する集団が原発推進、敵対する集団が原発反対なら、迷うことなく原発に賛成する。
現在、都合の良い情報(フェイク)は幾らでも集まるので、事実は二の次となる。

今や未開地の部族間抗争に逆戻りした感がある。
残念ながら日本人は稀に見る高い帰属意識を持っているので陥りやすい。


次回に続きます。



20200305

中国の外縁を一周して 25: 蘭州到着と白塔山公園






*1

今回から、蘭州を紹介します。
今回は蘭州西駅到着時のエピソードと、
翌日、最初の観光地、白塔山公園を紹介します。


 
< 2. 観光スポット、上が北 >

上: 赤線は新幹線、紺色線は成都への飛行ルートです。

中央: 私が訪れた所を赤枠で、行けなかった所を黒枠で示します。
ここが蘭州の中心地です。
1: 中山桥
2: 白塔山公园
3: 敦煌艺术馆
4: 兰州西关清真大寺
5: 兰州市博物馆
6: 华润万家(天水路店)、大型スーパー
7: 五泉山公园と近くにある人気の蘭州牛肉麺店
8: 蘭州西駅(新幹線到着駅)
9: ホテル、兰州金地名庭酒店
順次紹介して行きます。

行けなかった所
10: 甘粛省博物館
長期の改修工事に入っていたので入館できなかった。

11: 正宁路小吃夜市(と张掖路步行街)
到着日の夕方から行くつもりだったが、妻の体調が悪くなり断念した。

炳霊寺石窟
時間的に無理だった。
理由を前回紹介しています。

下: シルクロードの全体像を示します。
右端が西安で少し進んで蘭州になります。



 
< 3. 蘭州西駅 >

蘭州西駅は非常に大きいので迷って無駄に歩くことになりました。
タクシー乗り場が分からなかったからです。

上: 赤矢印がおおよそのタクシー乗り場です。
左の白い矢印は西安、蘭州中心部の方向、東側を示します。

下: この写真(借用)は上図の青矢印の方向から撮影されたものです。
タクシー乗り場を赤矢印で示しています。
この乗り場は蘭州中心部行きかもしれません、反対方向(西側)にもそれらしい乗り場が見えます。

私は新幹線を降りて、ホームから階下に降りて、出口(北側)に向かって進み、出た所で左側に曲がりエスカレータで上に出ました。
そこがこの写真で示されている広大な階上の広場でした。

間違いに気づき構内に戻って、警官にタクシー乗り場を聞きました。
乗り場は、先ほどの出口を出ずに右に曲がって行くとありました。
そこは天井は覆われ分かり難い所にありました。
タクシー乗り場では少し並びましたが、次から次へとタクシーが来ますので、直ぐ乗れました。

しかし、ここでもまた問題が発生しました。
運転手に漢字表記のホテル名を示したのですが、分からないと言う。
取り敢えず、ホテルのある中心部に向かいました。
街中をぐるぐる巡ったのですが、分からない。
ついに運転手は、歩道を行く青年に声を掛け聞きました。
彼はホテルを知っていたので、タクシーに乗り込み道案内をしてくれました。
こうして無事に着きました。

私は、彼に謝礼を渡そうとしたのですが、彼は受け取りませんでした。
彼は終始笑顔で親切な青年でした。
今回の中国では、多くの人に親切にしてもらった。

この運転手は、憤慨し当たり散らすことなく、真摯に対応してくれた。
中国では、スマホの百度地図の画面などで行先を見せないと駄目なようです。


 
< 4. ホテルを朝出発 >

下: 宿泊したホテル。

一晩宿泊した翌日は、初めて日本語ガイドに案内してもらいます。
1台をチャーターし、スーツケースも載せて、1日観光の後は直接空港行きのバスに乗ります。
次回、現地ガイド会社を紹介します。


 
< 5. 中山桥 >

朝8時半でしたが、団体の中国人ツアー客が橋の前にけっこういました。
中国で人気があるようで、橋と黄河の夜景写真がインターネット上に沢山ありました。
本来は、夜市に行く時にこちらも見たかったのですが。

上: 橋が見えます。
これから橋を渡り、白塔山に向かいます。

下: 橋の反対側に延びる通りです。


 
< 6.橋を渡る >

この橋は黄河第一橋とも呼ばれます。
この地は黄河が縦断しており、内陸と北西を繋ぐ交通の要衝でした。
目の前の黄河を渡河することは一大事でした。

14世紀、明の時代、多数の小舟を繋いだ浮橋が造られました。
1907年、清朝は30万両の大金をつぎ込みドイツ企業に依頼し鉄橋を建設しました。
これが全長6000kmの黄河に架かった最初の固定式の橋でした。

さらに日本軍が中国に侵攻した時、中国側の北部(ソ連?)からの物資輸送を断つために、この橋を爆破しようとした。
しかし間違った橋を爆撃したので、この橋が残ったのです。

後で知ったのですが、今回私が旅をした蘭州、成都、麗江、昆明は毛沢東の長征のルートの逆回りでした。
私は外縁を巡ろうとし、毛沢東は劣勢の中、山岳戦で外縁部を転戦したのです。

下: 黄河上流、西側を望む。
人口300万の蘭州市なので、高いビルが連なる。
こちらは中心部でないのですが。
この地が、かつてシルクーロードのオアシス都市で、漢民族と西方民族との境界になった辺境の地だったとは思えない。


 
< 7. 白塔山公园が見える >

上: 黄河の下流、東側を望む。
右手が中心部になります。

 
< 8. 白塔山公园に入る >

何処に行っても、太極拳やダンスに興じている姿を見ることが出来る。
人々は新しいものを取り入れているようです。


 
< 9. 階段はきつい >


 
< 10.法雨寺 >


 
< 11. 法雨寺に入る >

上: 仏教寺院だが、左手にチベット仏教特有のマニ車が見える。

下: 三尊仏は日本でもよく見かける様式だと思います。
この手の仏像の顔を見るとほっとする。


 
< 12. 蘭州中心部の眺め >

上: 蘭州中心部の眺め
下: 山頂の塔が見える。


 
< 13. 山頂 >

左下: 白塔と呼ばれる七重の塔。

右下: 塔の前で線香をあげる所。
ここでは、お賽銭や線香をスマホで買う為のQRコードが表示されていました。

この塔の起源は、元の時代に遡ります。
チンギスハンは西域、チベット地域を平和的に統一することを望んだ。
それに応えてチベット仏教のラマ僧がモンゴルに向かわされたが、彼は蘭州で死んだ。
後に、元は西夏王国を統一し蘭州を領土とした。
そしてこのラマ僧を祭るために白亜の仏舎利をここに建立した。
現在の塔は、崩壊後、明時代に再建されたものです。


 
< 14. 裏山 >

上: 黄土高原ではつい最近まで、穴居生活をする人々がいた。
現在は禁止されているようですが。
、山肌に見える住居は、はっきりは分からないがその痕跡を残しているように思える。

下二枚: 元来た道を下る途中。


 
< 15. 筏のアクティビティ >

歩いて橋を戻ると、羊の皮に空気を入れた筏に乗る人々が見えた。
河岸から川の中央まで、手漕ぎで進んで来た。
多くの人が楽しんでいた。

中央: 南側の河岸から出発している。


次回に続きます。



20200303

世界が崩壊しない前に 4: 人々はなぜ警鐘を無視するのか?






時には命を削ってまでも、警鐘を鳴らす人がいた。
しかし、ほとんど聞き入れられなかった。


なぜ人々は無視するのか?

前述の例、原発事故、資源枯渇、人口増、環境破壊、核戦争勃発、米国の監視体制、地球温暖化の危機から見えるもの。

1. 科学的な理解無しで危機を理解出来ない

原子炉の構造や安全設計の概念を理解していないと、推進側の権威者が唱える原発の無謬性を容易に信じてしまう。
多くの人は、その安全性の根拠が如何に抜けだらけかを見破ることが出来ない。

地球温暖化の危機を知るには、気候現象や地球史を知らないと、これまた煙に巻かれる。

中途半端な知識や感情論では無理。


2. 人は数十年先に訪れる危機に対して及び腰になる

おそらく数か月後に起こるとするなら対処するでしょう。
しかし10年、50年先となると、ましてやコストと手間がかかるものなら無視するでしょう。
さらに対策の費用対効果を見積り、優先順位を付けるとなると絶望的です。


3. 危機とその因果関係を否定し、世論を誘導する集団がいる

この力は非常に大きく、かつ国民が気付かないよう行われる。

現在、大きな危機の元凶はすべて人間だが、限られた人間によるものが多い。
彼らは防止策や規制により、利益の減少や賠償による損失を避けようとする。

例えば、現在、自由放任経済の恩恵を享受している人々は、かつてのルーズベルト大統領のニューディール政策(需要喚起、賃金上昇政策)を貶めて続けている。


4.人は論理よりも帰属集団の意向に沿って判断し易い

これは分裂を極める社会ほど顕著です。
例えば、人は組する集団が原発推進、敵対する集団が原発反対なら、迷うことなく原発に賛成する。
現在、都合の良い情報(フェイク)は幾らでも集まるので、事実は二の次となる。

今や未開地の部族間抗争に逆戻りした感がある。
残念ながら日本人は稀に見る高い帰属意識を持っているので陥りやすい。


次回に続きます。