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今回から、蘭州を紹介します。
今回は蘭州西駅到着時のエピソードと、
翌日、最初の観光地、白塔山公園を紹介します。
< 2. 観光スポット、上が北 >
上: 赤線は新幹線、紺色線は成都への飛行ルートです。
中央: 私が訪れた所を赤枠で、行けなかった所を黒枠で示します。
ここが蘭州の中心地です。
1: 中山桥
2: 白塔山公园
3: 敦煌艺术馆
4: 兰州西关清真大寺
5: 兰州市博物馆
6: 华润万家(天水路店)、大型スーパー
7: 五泉山公园と近くにある人気の蘭州牛肉麺店
8: 蘭州西駅(新幹線到着駅)
9: ホテル、兰州金地名庭酒店
順次紹介して行きます。
行けなかった所
10: 甘粛省博物館
長期の改修工事に入っていたので入館できなかった。
11: 正宁路小吃夜市(と张掖路步行街)
到着日の夕方から行くつもりだったが、妻の体調が悪くなり断念した。
炳霊寺石窟
時間的に無理だった。
理由を前回紹介しています。
下: シルクロードの全体像を示します。
右端が西安で少し進んで蘭州になります。
< 3. 蘭州西駅 >
蘭州西駅は非常に大きいので迷って無駄に歩くことになりました。
タクシー乗り場が分からなかったからです。
上: 赤矢印がおおよそのタクシー乗り場です。
左の白い矢印は西安、蘭州中心部の方向、東側を示します。
下: この写真(借用)は上図の青矢印の方向から撮影されたものです。
タクシー乗り場を赤矢印で示しています。
この乗り場は蘭州中心部行きかもしれません、反対方向(西側)にもそれらしい乗り場が見えます。
私は新幹線を降りて、ホームから階下に降りて、出口(北側)に向かって進み、出た所で左側に曲がりエスカレータで上に出ました。
そこがこの写真で示されている広大な階上の広場でした。
間違いに気づき構内に戻って、警官にタクシー乗り場を聞きました。
乗り場は、先ほどの出口を出ずに右に曲がって行くとありました。
そこは天井は覆われ分かり難い所にありました。
タクシー乗り場では少し並びましたが、次から次へとタクシーが来ますので、直ぐ乗れました。
しかし、ここでもまた問題が発生しました。
運転手に漢字表記のホテル名を示したのですが、分からないと言う。
取り敢えず、ホテルのある中心部に向かいました。
街中をぐるぐる巡ったのですが、分からない。
ついに運転手は、歩道を行く青年に声を掛け聞きました。
彼はホテルを知っていたので、タクシーに乗り込み道案内をしてくれました。
こうして無事に着きました。
私は、彼に謝礼を渡そうとしたのですが、彼は受け取りませんでした。
彼は終始笑顔で親切な青年でした。
今回の中国では、多くの人に親切にしてもらった。
この運転手は、憤慨し当たり散らすことなく、真摯に対応してくれた。
中国では、スマホの百度地図の画面などで行先を見せないと駄目なようです。
< 4. ホテルを朝出発 >
下: 宿泊したホテル。
一晩宿泊した翌日は、初めて日本語ガイドに案内してもらいます。
車1台をチャーターし、スーツケースも載せて、1日観光の後は直接空港行きのバスに乗ります。
次回、現地ガイド会社を紹介します。
< 5. 中山桥 >
朝8時半でしたが、団体の中国人ツアー客が橋の前にけっこういました。
中国で人気があるようで、橋と黄河の夜景写真がインターネット上に沢山ありました。
本来は、夜市に行く時にこちらも見たかったのですが。
上: 橋が見えます。
これから橋を渡り、白塔山に向かいます。
下: 橋の反対側に延びる通りです。
< 6.橋を渡る >
この橋は黄河第一橋とも呼ばれます。
この地は黄河が縦断しており、内陸と北西を繋ぐ交通の要衝でした。
目の前の黄河を渡河することは一大事でした。
14世紀、明の時代、多数の小舟を繋いだ浮橋が造られました。
1907年、清朝は30万両の大金をつぎ込みドイツ企業に依頼し鉄橋を建設しました。
これが全長6000kmの黄河に架かった最初の固定式の橋でした。
さらに日本軍が中国に侵攻した時、中国側の北部(ソ連?)からの物資輸送を断つために、この橋を爆破しようとした。
しかし間違った橋を爆撃したので、この橋が残ったのです。
後で知ったのですが、今回私が旅をした蘭州、成都、麗江、昆明は毛沢東の長征のルートの逆回りでした。
私は外縁を巡ろうとし、毛沢東は劣勢の中、山岳戦で外縁部を転戦したのです。
下: 黄河上流、西側を望む。
人口300万の蘭州市なので、高いビルが連なる。
こちらは中心部でないのですが。
この地が、かつてシルクーロードのオアシス都市で、漢民族と西方民族との境界になった辺境の地だったとは思えない。
< 7. 白塔山公园が見える >
上: 黄河の下流、東側を望む。
右手が中心部になります。
< 8. 白塔山公园に入る >
何処に行っても、太極拳やダンスに興じている姿を見ることが出来る。
人々は新しいものを取り入れているようです。
< 9. 階段はきつい >
< 10.法雨寺 >
< 11. 法雨寺に入る >
上: 仏教寺院だが、左手にチベット仏教特有のマニ車が見える。
下: 三尊仏は日本でもよく見かける様式だと思います。
この手の仏像の顔を見るとほっとする。
< 12. 蘭州中心部の眺め >
上: 蘭州中心部の眺め
下: 山頂の塔が見える。
< 13. 山頂 >
左下: 白塔と呼ばれる七重の塔。
右下: 塔の前で線香をあげる所。
ここでは、お賽銭や線香をスマホで買う為のQRコードが表示されていました。
この塔の起源は、元の時代に遡ります。
チンギスハンは西域、チベット地域を平和的に統一することを望んだ。
それに応えてチベット仏教のラマ僧がモンゴルに向かわされたが、彼は蘭州で死んだ。
後に、元は西夏王国を統一し蘭州を領土とした。
そしてこのラマ僧を祭るために白亜の仏舎利をここに建立した。
現在の塔は、崩壊後、明時代に再建されたものです。
< 14. 裏山 >
上: 黄土高原ではつい最近まで、穴居生活をする人々がいた。
現在は禁止されているようですが。
、山肌に見える住居は、はっきりは分からないがその痕跡を残しているように思える。
下二枚: 元来た道を下る途中。
< 15. 筏のアクティビティ >
歩いて橋を戻ると、羊の皮に空気を入れた筏に乗る人々が見えた。
河岸から川の中央まで、手漕ぎで進んで来た。
多くの人が楽しんでいた。
中央: 南側の河岸から出発している。
次回に続きます。