20190629

平成の哀しみ 69: 改革を妨げるもの 4: 無知こそ







国民の無知は亡国を加速させる



 

無知の三原則

自覚が生まれない
選択を誤る
無知は作られる


・ 無知だと現状の問題に気付かない

事例はいくらもある。

職場の問題解決を頼むとしよう。
無知な人は、先ず何が問題か分からないし解決法に至ってはさらに。

無知でも大過なく暮らせる。
しかし無知がゆえに日頃から問題を意識しない。

なぜか

多くは良し悪しの事例を知らず、それが問題になる事も分からない。
つまり自覚が生まれない。


・ 無知だとなぜ選択を誤るのか

先ほどの例で問題点が分かっても、示された解決法の良し悪しが分からない。

日頃から問題を自覚している人なら、過去の事例を考察しており、解決法の良し悪しを把握している。

しかし無知な人は単純で簡単か、突飛な解決法を選び易い。
これは労苦を惜しみ検証する習慣が無いため。


 


・ 無知は天然ではない

偽の為政者にとって国民の無知は最高の救いです。

一昔前の共産圏では自由社会の繁栄や生活ぶりを国民にけっして流さなかった。
かつて宗主国は植民地で教育制度を設け、民衆に自国の言語を教えたが社会意識を高めることを禁じ、分断も図った(愚民教育)。
こうして民衆を手なずけながら働かせた。

実は戦後の日本も同じでした。


次に続く








20190628

平成の哀しみ 68: 改革を妨げるもの 3: 亡国の時 






多くの国が衰退し滅んだ
何が起きていたのか


 

古代エジプト、ルイ王朝、清王朝、大英帝国など無数にある。

自然環境や経済の悪化、侵略が亡国の切っ掛けとして目立つ。

しかし中国王朝の千年間、ほぼ三百年毎で交代していることから別の理由に気付く。
王朝の亡国劇で中心的なのが、王宮での外戚、宦官、官僚、将軍の専横でした。

なぜ王宮内の専横が亡国に繋がるのか。

それは彼らが権力掌握の為に社会・軍事、特に経済制度を己に有利に改悪するからです。

その結果、格差が拡大し戦争が常態化し、特に経済力が著しく堕ちる。
格差と戦争の拡大は大多数の国民の体力・気力・財産を奪った。

制度の改悪が一支配層だけに利益をもたらすようになると、意欲ある新規参入者は無くなり産業交易の刷新が起きず、やがて経済は衰退する。
さらに賄賂(口利き)や買い占めによる値上げ、暴利を求める課税で庶民の暮らしは悪化する。

こうして農民一揆が起こるか外敵の侵攻で滅びる。
つまり3百年は腐敗が蔓延し弱体化する期間でした。

このサイクルが繰り返されて亡国が無数に起きた。

現在は腐敗の進行と周辺国の変化も早いので亡国のスピードは早い。
この亡国の兆候が日本で顕著なのです。


次に続く


20190627

高知を旅行しました 3: モネの庭






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今回は、北川村にあるモネの庭を紹介します。
本当に素晴らしい!!

今回で、高知旅行記を終えます。


 
< 2.モネの庭MAP >



 
< 3~6まで水の庭 >

雨上がりのせいか、緑が鮮やかに迫って来ます。
池の水は透明度が高く、水面に浮かぶ赤い睡蓮が至る所で微笑んでいるようでした。

受付では、青い睡蓮が咲いているとのことでしたが、まだほんのつぼみでした。
青い睡蓮は、モネがパリ近郊の庭で咲くの願い続けたのですが、出来なかったそうです。
ここでは6月末から10月末まで咲くそうです。
他の睡蓮は4月末から10月末まで咲きます。
午前中の方が、花が開いて綺麗だそうです。


この「水の庭」の美しさは、世界で唯一、本家より「モネの庭」の名称を許されただけのことはあります。

 
 
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< 8. 第一駐車場 >

上: この丘の直ぐ中腹に「水の庭」があります。


 
< 9.展望デッキから「花の庭」を見る >

上: 右側、山側を見る

下:左側、海側を見る




< 10. 「花の庭」にて >

上: 右側の建物がカフェ

この花壇には色とりどりの花が咲き、雑然としているが自然を感じさせる。



追記
是非ともお薦めしたいのが、前回の地図のGで示した「食遊 鯨の郷」です。

豪雨になったので写真を撮っていませんが、良い所です。
北川村から海岸沿いの国道を室戸岬に行くと道路沿いにあります。
ここには「楽市-直売市場」「鯨館-鯨資料館」「食遊 鯨の郷」が並んでいます。

「楽市-直売市場」では土産に適した水産物が置かれています。
「食遊 鯨の郷」では鯨料理を始め、高知の食を楽しめます。
海を見ながら食事が出来ます。


これで終わります。



20190626

平成の哀しみ 67: 改革を妨げるもの 2: 抵抗する人々 






いつも社会には
改革に抵抗する多数派がいる


抵抗勢力は絶大
             人口割合、抵抗力(推測)
1.既得権益層       10%、最強
2.中流意識層       50%、強
3.古い意識層       40%、強
4.無関心層        40%、?



説明

1.既得権益層
戦後、自民党の政策で恩恵を受け、改革によって立場が悪くなる人々。
自民党議員と支援者、官僚、経済・産業界、資産家、御用マスコミ、御用学者など。

2.中流意識層。
現状維持が無難だと感じる人々。
大手組合員、公務員、自由業など。

3.古い意識層。
男尊女卑や家父長制などを美徳と考える人々。
男性や保守的な人々。

4.無関心層。
政治や社会に無関心で日頃、選挙に行かない人々。
若い世代ほど多く、風潮や煽情により態度を変え易い。

ウヨは危機感を持つが強者の手先になり易い。
ヒトラーは労働者の味方を装いながら中流意識層を満足させ、裏で既得権益層と結託した。
突撃隊(右翼)はナチス拡大の力になった。


 

これでは絶望のようだが光明もある。

既得権益層の以外の人々は、正しく現状を把握出来れば改革に賛成する可能性がある。

なにしろ90%の人の所得と年金が下がり続け、相変わらず50%を占める女性が軽視され、さらに人口減少と少子高齢化が逼迫している現実があるのだから。


次に続く


20190625

平成の哀しみ 66: 改革を妨げるもの 1: はじめに




改革を妨げるものは巨大かつ広範囲に及ぶ



 

日本経済の衰退を止めるには賃金を上げることでした。

しかし事は簡単ではない。

日本の主流経済学で生きる者は、最低賃金上昇は経済を悪化させると反対する。

戦後、経済界と自民党は手を取り合って来たので、互いに旨味を手放し自らを追い込むことはしない。
たとえ他国で成功していようが、頑なに改革は労働者が身を切るべきだとしか言わない。
首相は「富裕者の税金をあげるなんて馬鹿げた政策」とまで言い切る。

国民にしても、「寄らば大樹の陰、会社人間」と自由世界から揶揄されようが、今さら会社から自立して生きられない。


正に進むも地獄、退くも地獄。

あらゆることが幸福先進国から見れば周回遅れで、とてもじゃないが一筋縄では行かない。

当然、日本にも良い所は多々ある。
しかし残念なことに、がむしゃらに働いた高度経済成長期の再来は不可能です。

少子高齢化、人口減、周辺国の経済力台頭が前提条件を変えた。

以前のように労働者が身を粉にして安く造るだけでは世界相手に生き残れない。
当然、一時の円安も気休めに過ぎない。


私達は大転換の必要性と、さらに途轍もない抵抗と障害を覚悟すべきなのです。


次に続く




20190624

高知を旅行しました 2: 谷間の中岡慎太郎の生家




*1


今回は、伊尾木漁港と中岡慎太郎館を紹介します。
江戸時代の篤い想いが小さな漁港と小さな谷間で起こっていたことに感動しました。


 

< 2. 訪問地、 上が北 >

上: 赤枠が私の観光範囲で、下の拡大地図に相当します。

下: 訪問地の紹介

D: 伊尾木漁港
ドライブの途中に立ち寄った。
ここには道の駅大山と立派な石積堤がありました。

E: 中岡慎太郎記念館。
維新に奔走し龍馬と共に命を散らした中岡慎太郎の生誕の地。

雨が降っていたので、Fの北川村「モネの庭」 マルモッタンを後回しにしました。
幸いなことに、モネの庭に行く時には雨が止んでいました。


 
< 3. 今回紹介する訪問地 >

上: DEの説明は同じ、上が北
左上の安芸に三菱の創始者岩崎弥太郎の生家がある。

下: 中岡慎太郎館と生家を示す、上が南
星印ABは村の全景を見渡す写真撮影地です。

赤丸が復元された生家で、土佐国安芸郡北川郷の大庄屋だった。
川は奈半利川で、川沿いの左右に伸びる道が野根山街道です。
昔、高知から近畿方面に行くには北上して讃岐に出る土佐北街道と、この野根山街道を含む土佐東街道で徳島、淡路島から行く旧街道しかなかった。


 
< 4. 伊尾木漁港 1 >

到着したのは8時過ぎで、道の駅は開いておらず、土砂降りの雨でした。
トイレは使うことが出来た。
ヨーロッパと違って、日本では綺麗で無料のトイレが適所にあるので助かる。

この突堤にしては重厚な石積みが気になった。

江戸時代の終わり漁港整備にと内港の開削が進められ、石組の防波の建設に取りかかったが、藩の財政難から工事は中断した。
昭和50年代に発掘調査が行われ、当時の石積堤の一部が泊地の中に保存された。

思わぬところで昔の息吹を感じることが出来た。


 
< 5. 伊尾木漁港 2 >

 
< 6. 中岡慎太郎館 >

上: 中岡の像と慎太郎館
慎太郎館は大きくは無く、1階が常設展示で、2階は特別展でした。
1階の展示は分かり易く工夫されており、入館者が少なかったこともあり、じっくり見て、彼の役割と偉大さに気付くことが出来た。


 
< 7. 生家が見える >

中岡像の近くから見下ろす。

左側の竹藪に囲まれた茅葺の家です。
村の家々は狭い谷間の斜面に張り付くように建っている。
奥に奈半利川と今渡って来たバイパス道路の橋が見える。
この橋は星印のある橋とは異なる。


 
< 8. 橋の上の星印Aから 1 >

上: 見え難いが川沿いの左側に田畑が広がる。
これがこの村にとって最大の平地なようです。

下: 村の家々が見える。
中岡慎太郎館は中央の最も高い所にある。
生家は右にある。


 
< 9. 橋の上の星印Aから 2 >

奈半利川の下流を見ている。


 
< 10. 野根山街道の星印Bから見ている >

上: 先ほどの橋。

下: 村の全景。


かつて維新への情熱を胸に坂本龍馬、中岡慎太郎、岩崎弥太郎らもこの道を通り、この村と川を眺めただろう。

何か熱い感情が込み上げて来る。
中岡慎太郎館を見て、この街道に立ち、村を見ていると彼らの胸中に去来した想いにもっと近づきたいと思った。


中岡慎太郎について
彼は庄屋の出自だが、龍馬と並んで維新での役割は大きい。
土佐藩の龍馬と中岡は海援隊と陸援隊を組織した。
中岡の凄い所は剣を持って戦いもしたが、日本を東奔西走し、討幕の為に敵対する人々を大同団結させたことにある。
敵対していた薩長を、犬猿の仲の公家岩倉と三条を仲介し、幕府の勝海舟とも親交を深めた。

私にとって新たなテーマとなりました。


次回に続きます。






20190623

平成の哀しみ 65: 日本経済に何が起きているのか 28: 凋落の深層 9






中小企業に鍵がある


 

私の親族に中小企業経営者がいる。
経営者が全神経を企業に注ぎ込む一方、身勝手さにも驚かされる。

日本の産業は大企業と下請け企業の二重構造で両者の待遇差が大きい。
この中小企業の急増は戦後の高度成長期でした。
大企業はこの下請け制度によってコスト競争を生き抜いて来た。


日本とヨーロッパの企業に大きな違いがある。

30年ほど前、北欧の従業員200名程の世界的メーカーを幾つか見ました。
これらの企業は世界に自らの営業所を持ち、またほとんど下請けを持っていなかった。
この職場では労働者が尊重され、日本の統制と画一化の異常さが際立っていた。

日本での従業員酷使は日常的で、従業員にしても家父長制の名残りで従順に過ぎる(ワーカホリック)。


もし高度成長期に最低賃金が高かったなら下請け企業の爆発的な増加はなく、労働者の賃金格差が起こらず先進国並みの水準になったでしょう。

最低賃金制が欧米で始まったのは1910年代だが日本は1959年でした。

多くの中小企業は低賃金が許されたからこそ存続出来たのであり、先進国で稀にみる多さになった。

要は、下請け企業が低生産性・低付加価値でもやって行けたことです。


次に続く



20190622

平成の哀しみ 64: 日本経済に何が起きているのか 27: 凋落の 深層 8







最低賃金を如何にして上げるか



 



以下の事を守りながら最低賃金を上げる

企業に国際競争力と生産性を高める経営刷新を促す
転職する労働者は再教育と生活保障が受けられる
賃金を払えない企業は統合で再生するか廃業も止む無し

戦後、多くの中小企業は大企業の下請けとして頑張り、日本の発展を支えて来た。
しかし、生産性の低さを薄給で凌いで来た中小企業労働者は今後益々低賃金化し、取り返しのつかないことになる。
ここは思い切り、産業構造の転換と生産性向上の為に、中小企業は統合などを含めて規模の拡大を目指すべきです。

経営者には厳しい言い方だが、日本の労働者の多くは既に厳しい状況下に追い込まれている。

しかし希望はある。

北欧では最低賃金を払えない企業や産業は淘汰されるべきとしている。
その為に国政レベルで労使が協議し、産業転換の方向性を決めていく。
当然、退職せざる得ない人々には転職の為の再教育と生活補償を行っている。

日本は遅れているが、このような手本があり幸いです。
労働者の質が高く、企業に充分な内部留保があるこの時期に始めるべきです。

国民は衰退の現実を見極め、惰性ではなく変革出来る政府を選ぶべきです。
手遅れになる前に。


次に続く



20190621

高知を旅行しました 1: 豪雨の仁淀川


*1


高知に一泊し自然と歴史、庭園を楽しんできました。
訪問したのは2019年6月14日、15日です。
豪雨に見舞われたが、運よく晴れ間を縫っての観光が出来ました。

 
< 2. 訪問地、 上が北 >

上: 赤枠が私の観光範囲で、下の拡大地図に相当します。

下: 訪問地の紹介
A: 仁淀川の浅尾沈下橋
この川は清流と仁淀ブルーで有名で、また多くの沈下橋があります。

B: よさこい温泉
ここで一泊しました。

C: 安芸穴内の海岸沿いの道路
ドライブの途中に立ち寄った。

D: 伊尾木漁港
ドライブの途中に立ち寄った。

E: 中岡慎太郎記念館。
維新に奔走し龍馬共に命を散らした中岡慎太郎の生誕の地。

F: モネの庭
モネの庭が本当に綺麗に再現されており、水連が咲き誇っていました。

G: 食遊 鯨の郷
ドライブの途中、昼食に立ち寄った。

前日は、高知市内、大橋通りのひろめ市場で昼食をとりました。
駐車場が市場の2と3階にあるので便利です。


 
< 3. 仁淀川MAP >
上: 観光地図
中央の赤い矢印が、訪れた浅尾沈下橋(鎌井田沈下橋)を示す。

私は車で下流の伊野(地図右側)から、河岸の道路を走り、目的地に向かいました。
進むにつれ、両断崖に挟まれ道が狭くなり、車1台しか通れないところが所々あります。
途中から雨は厳しさを増し、不安がよぎりましたが、対向車に出会わなかったので助かりました。
この沈下橋に行くなら、遠回りだが越智町経由で行くのが良いと思います。

下: 衛星写真
蛇行した川の両岸に村があり、それを赤矢印の浅尾沈下橋が結んでいる。
私は写真下の大きな橋を右から渡ってから右に折れ、川沿いに進み村を抜け、橋の前で撮影しました。
到着するなり雨は最大になり、まるでバケツをひっくり返したようでした。

車で村に入らず、大きな橋の付近に車を置き徒歩の方が良い、対向車が来れば身動きできなかった。
雨なのでしかなく行った。
反対側の村の方なら車で行っても良いと思います。





 
< 4. 浅尾沈下橋 1 > 

河岸沿いの急斜面に出来た村の民家を抜けて、橋の手前で止まりました。
左側が上流です。


 
< 5. 浅尾沈下橋 2 > 

雨の中、撮影を終え、元来た道を戻ろうとしたら、凄い雨になりました。
急斜面の道を戻るのは不安だが、さりとて欄干のない橋の先は雨で見えず、雨は車を叩きつけ轟音となり焦りましたが、決意して真直ぐ橋の上をゆっくり進み、無事渡り終えた。

仁淀川のブルーや景観を楽しめなかったが、恐ろしくもスリルある体験をした。



 
< 6. 土佐ロイヤルホテルの窓から 1 >

五枚の写真は、左から右へと撮っています。
つまり東側、室戸岬側から南、太平洋そして西側、桂浜、足摺岬側を眺望している。
岬はほとんど見えませんが。


 
< 7. 安芸方面の海岸を拡大 >

 
< 8. 土佐ロイヤルホテルの窓から 2 >



 
< 9. 安芸穴内の海岸沿いの道路 1 >

3枚の写真は西側から東側へと撮っています。




 
< 10. 安芸穴内の海岸沿いの道路 2 >

奥、右手に室戸岬が見えるはずですが、雲に隠れています。


次回に続きます。