20190604

北欧3ヵ国を訪ねて 70: シェラン島北東部を巡る 1: Lyngbyの公園




 
*1


今日は、Lyngbyの公園Sorgenfri Slotshaveを紹介します。
野外博物館近くにある大きな森林公園です。
多くの子供達が遊んでいました。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上: Lyngby駅から野外博物館までを示します。
青線がバスルートで、最上部が博物館前のバス停です。
Lyngby駅から博物館までの距離は2km強です。
黄色枠がSorgenfri Slotshave公園で長さが約1km、その上部の赤枠が野外博物館です。

下: 野外博物館入場前の私の散策ルート。
バスを降りて、黄色線に沿って公園を通り、帰りはオレンジ線のルートで野外博物館まで戻って来ました。


 
< 3.野外博物館近くの車窓風景 >

新しい住宅と古風な邸宅が混在しています。
皆、進行方向左、西側の景色です。


 
< 4. 乗ったバス >

上: 車内。
下: 降車したバス停から、すぐ右手奥に野外博物館の入場口がある。



 
< 5. 野外博物館 >

上: 野外博物館入口。
到着したのが9:10で、開場が10:00なので誰もいなかった。
周辺を散策してみようと思った。


下: ちょうど博物館の向かいにあった古風な建物。
これも博物館の一部かもしれない。


 

< 6. 遠足? >

どこに行こうかと考えあぐねていると子供達の遠足に出会った。
彼らの向かう先に公園があったので、そちらに向かう。


 
< 7.公園までの邸宅 >

歩いていると人や車が少ないことに驚かされます。
その一方、けっこう自転車に乗って移動している人がいます。

皆、大きな建物です。
ここで気付いたことがあります。
よほど大きな屋敷でない限り、これらの家は周囲を芝生の庭より深い木立で囲むことを好んでいるようでした。


 

< 8. 公園の入り口 >

公園Sorgenfri Slotshaveの入り口の一つです。
この公園は18世紀後半に作られたバロック風庭園だそうです。
私が散策した範囲は全体の1/10にも満たないが、中心部に王宮の庭園があります。
近くの大きな湖から水が引き込まれて小川や池が配されています。



 
< 9. 子供達が遊んでいます >

本当は近くまで行って写真を撮りたかったのですが、スウェーデンのシグツーナの小学校で児童を撮ってえらい目にあったので、避けました。

デンマークを平日歩いていると、自然豊かな公園で学童達がのびやかに遊んでいる光景をよく目にしました。


 
< 10. 池 >


 

< 11. 池と電車 >

上: 実にのんびりした光景です。
この光景が住宅街のすぐ横で楽しめるのです。

下: 単線の電車でした。
この奥にもすぐ住宅街が広がっています。


次回に続きます。








20190602

平成の哀しみ 51: 日本経済に何が起きているのか 15: 夢のバブル経済 4





 



バブルが経済を破壊した


日本が零成長になったのは1991年からでした。

その5年前から円高による景気減速を補うために政府・日銀は大規模な公共投資・金融緩和を行った。
これが土地投機などの巨大バブルを生み、やがて崩壊した。

これによって不動産企業だけでなく金融業界も大きな負債を、また多くの企業が余剰設備と負債を抱えるようになり、大型倒産が続発した。

その損失は短期的には倒産・失業・就職難が大きいが、それだけではない。


 


一つは危機終息と税収減、景気刺激の為に、図のように大幅な国債発行や増税を続けることになる。
結局、国民が尻ぬぐいをする。

今一つは企業家が消極的になったこと。
彼らは設備投資と賃上げを避け、その分を内部留保に回し海外投資に奔走するようになった。
これが先進国中、日本の生産性だけが延びず、消費が増えない理由であり、デフレ、成長率零の根本原因です。

これには先例があり、英国も19世紀、有り余る資金を海外投資に回し、国内は衰退に向かった。
安倍首相が海外への融資や援助で60兆円ほどばら撒いたのも同じです。

つまり日本はバブルで道を誤り、崩壊後も政府は闇雲に衰退へとリードしている。

実に馬鹿げている。


次に続く



20190601

平成の哀しみ 50: 日本経済に何が起きているのか 15: 夢のバブル経済 3



 

バブル崩壊は世界を戦争に幾度も駆り立てた


英国がアフリカに侵出した帝国主義の開始は1870年代でした。

19世紀になると欧州を中心に恐慌が繰り返すようになり、73年から20年間も続く大不況が欧米を襲った。
これは普仏戦争と南北戦争後に起きた投機ブームの破裂が大きい。
各国は保護貿易に向かい、軍事大国であった英国は植民地獲得に乗り出した。
この間、ドイツは国内投資に傾注し、英国は海外投資に躍起になり後の衰退を決定づけた。


 

 


日本が大戦に突入することになる満州侵出は1930年でした。

1920年代になると大戦特需後の戦後恐慌、関東大震災の不良債権が切っ掛けとなった金融恐慌、さらに29年の米国発の世界恐慌が3度も続けて襲った。
続く戦争、繰り返すインフレと恐慌によって農村は疲弊し、大震災が重なり、政府は打開策として移民を奨励した。

こうして満州は経済復活と開拓移民の期待を担った。




 


第二次世界大戦は1939年に始まった。

主役のドイツは先の大戦による荒廃と戦時賠償に苦しんでいた。
世界恐慌がまたも保護主義を招き、ドイツの自立復活の望みは絶たれた。
既に右翼化していたドイツはヒトラーが宣言する大帝国復活に託した。


次回に続く

20190531

平成の哀しみ 49: 日本経済に何が起きているのか 14: 夢のバブル経済 2







人は幾度もバブルに浮かれた


年配の方なら史上最高の株価3万9千円をつけた80年代が懐かしいかも。

日本は米国の衰退とオイルショックを切っ掛けに高度経済成長期を終え、続く15年近くの低迷に国民は辟易していた。
そこに降って湧いたような好景気が起こり、不動産高騰や3倍近い学卒の求人倍率がニュースを賑わした。
多くの人が別荘地やゴルフ会員権を買い漁り、贅沢は文化になった。
日本企業がニューヨークの不動産を買占め、そして世界が日本を称賛した。
またベルリンの壁崩壊もあり、日本は久々の栄光と希望に酔いしれた。

しかし崩壊後の平成はこれと比べ遥かに長く惨めなものでした。


 

皆さんはディカプリオ主演の映画「華麗なるギャツビー」を知っていますか。
この舞台は1920年代の米国の富豪の饗宴です。
当時、米国は戦争特需後に穀物や土地、株などの投機が一般化し、内需が拡大し大繁栄を謳歌していた。

しかし1929年の株価暴落から世界恐慌、そして世界大戦に至った。


 

最近では米国の住宅ブームがあり、今度こそ本物の好景気到来かと思われた。
日本でもこの住宅ローンを証券化した金融商品が人気を博した。

しかし、これも2008年に崩壊した。


次に続く



20190530

平成の哀しみ 48: 日本経済に何が起きているのか 13: 夢のバブル経済 1







多くの人はバブルを歓迎する


 


バブル景気には夢と幸せがあった

就職先は引く手あまた、給与は増えて何ヵ月ものボーナスで贅沢出来た。
株と不動産はどんどん値上がりし、売買すれば数百から1千万円ぐらい庶民でも手にすることが出来た
これで北海道や海外に別荘でも買い、毎年のバカンスも夢じゃない。

しかしバブルは毎回崩壊。

数少ない就職先も低賃金しかなくなり、仮のフリーターから抜け出せなくなる。
勤め人は残業代がカットでボーナスも無くなり、運が悪ければ早期退職せざるを得なくなる。
欲張ると株と不動産で大損。
下手をすれば夢の住宅ローンの返済が出来なくなり、一夜にして一文無し。

これが2世紀間、繰り返され、特にここ半世紀、ほぼ10年毎に世界を巻き込んで来た。
そして経済と社会は深い傷を負った。


バブル絶頂期に就職したサラリーマンはほぼ一生安泰で、その一方崩壊後に就職せざるを得ない人はほぼ一生苦労する。
バブル期に投機で大儲けした人も数回繰り返す内に多くは破産する。

もっとも金融業界と超資産家はさらに富を増やし、それ以外の9割ほどの国民の所得は伸びないか日本のように下がることになる。

これでも人はバブルに夢を求め続ける。


次に続く






20190529

北欧3ヵ国を訪ねて 69: シェラン島北東部を巡る 1



 
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これから数回に分けて、シェラン島の北東部を紹介します。
主な訪問地は野外博物館、フレデリクスボー城、クロンボ―城です。
途中の街々も紹介します。
今回は、ホテルからLyngbyの街までを紹介します。


 
< 2. 訪問地、上が北 >

訪れたのは2018年6月8日(金)です。

右下にコペンハーゲン、左下の矢印が既に紹介したロスキレです。
この日の最初の訪問地はAの野外博物館で、次いでBのフレデリクスボー城、最後にクロンボ―城を見て、コペンハーゲンに戻ります。

主な交通機関はデンマーク国鉄の列車で、鉄道駅からはバス利用になります。
すべてコペンハーゲンカードを利用し追加料金なしです。


 
< 3. コペンハーゲン中央駅、上が北 >

右下の矢印が私が泊まったホテルCABINN Cityです。
ホテルから中央駅まで徒歩6分、中央駅内には売店があるので便利です。ホテルは便利でありながら料金が安く、学生や若い旅行者、出張者などが多く利用している。
部屋は特に問題ありませんでした。


 
< 4. ホテルから中央駅へ >

上: ホテルはロ字型の建物の一部で、写真の右側です。

下: 左側が中央駅で、右に見える木立がチボリ公園です。


 
< 5. 中央駅で >

下: ホームにあった表示


左には路線番号(Linje)、行先(Til)ホーム番号(Spor)、何分後の出発が表示されている。
私の乗るべき列車はHillerød St. 行きで、降車駅はLyngbyです。

右には路線番号(Linje)と停車駅が表示されています。

矢印がそれらを示しています。



 
< 6.Lyngby駅 >

コペンハーゲン中央駅で列車に乗ったのは7:55頃で、乗車時間は20分程でした。
車内は通勤客で満席になっていました。
北欧の場合、郊外を行き来する列車は朝夕であっても、たいがい席は空いていたのですが。
このLyngby駅で降りる人も多かった。


 
< 7. Lyngby駅周辺 >

上: 徒歩ルートの地図、上が北。
中央左右に高架の国鉄と道路が走っている。
私は北側と南側をそれぞれ黄色線に沿って歩いた。
矢印が野外博物館に行くことが出来るバスの停留所です。
オレンジ線がそのバスの走行ルートです。

下: 駅を北側に出た所から駅を見た。


 
< 8. Lyngby駅 >

上: 駅の北側。
写真の高いビルの1階の中央を抜けて北側の街に出た。

下: 駅北側高架下の花屋兼果物屋。


 
< 9. 北側の街並み >

少し古い趣のある通りがあった。
ここは街の中心部なのでしょう。



 
< 10. 北側から南側の街へ >

上: 北側の大通りの交差点。

下: 駅の下を抜けて南側に出たところ。
歩く人々の服装を見ると、こちらは通勤客ではなく住民が多いようです。

右手の階段上のベンチに4人ほど腰かけているが、男性はアルコールらしいものを飲んでいるようです。
もう少し行くと公園があったのですが、そこでも老女が一人でアルコールらしいものを飲んでいた。

デンマークで一番驚いたのは、朝から外で飲酒(?)する姿を見たことです。
実は、ノルウェーとスウェーデンの街歩きではこのような光景を見ることはなかった。
スウェーデンは百年以上も続く飲酒に厳しい歴史があります。

飲酒がいけないとは思わないが、何か不自然な感じがした。


 
< 11. 南側の街並み >

上: 公園の様子。

下: 北側は新興住宅街のようです。


 
< 12. バス停 >

上: 駅前のバス停の一つ。
ここから野外博物館を通るバスに乗ります。

中: この駅北側にはバス停が無数にあります。
私が利用したバス停は駅からの赤線で示しています。
日本で事前にグーグルマップで確認していたのですが、不安でした。
可能なバス路線は幾つかあるのですが、私は184路線に乗りました。
降車駅はFrilandsmuseet (Kongevejen) です。

下: バス停の表示。


次回に続きます。



20190527

平成の哀しみ 47: 日本経済に何が起きているのか 13: 何を間違ったのか 4


 


衰退する中で日本は何をして来たのか


高度経済成長が終わる頃、一握りの経済学者は人口減により日本は長期衰退期に入ると警鐘を鳴らしていた。

私も含めて大方は、次の産業革新がやって来て経済は再び活況を呈すると期待した。
なにしろ日本の労働者は勤勉で忠誠心と能力が高いのだから。

一部楽観的な学者や経営者は日本の製造業の復活を信じ、大規模な工場を国内に建てたが、やがて海外に身売りする羽目になった。

幾つか産業革新は起こったが多くは米国からの流入で、価格優位だけではやがて競争力を失った。

政府は経済界の要望に沿って大規模な手を打った。
円安で輸出向け製造業の延命、法人減税と確定拠出年金などで企業負担を減らした。




 

さらに最低賃金を先進国中最低に押さえ、首切り容易な非正規を増やし続けることで企業のコスト競争力を高めようとした(働き改革)。
そして労働者の質が先進国中トップにも関わらず、賃金は下がり続けた。
しかし企業の内部留保と海外投資が増えただけ。


 

男尊女卑から抜け出せず出生率向上と女性活用が出来なかった。
安く外国労働者を使うだけなので、将来、賃金低下と治安悪化を招くはず。

要は古い頭と体質が根本的な対策を拒んだ。


次に続く


20190526

平成の哀しみ 46: 日本経済に何が起きているのか 11: 何を間違ったのか 3









前回、度重なる失策と無策が惨めな日本経済を招いたことを見ました


ここで問わなければならないことがある。
なぜ政府は失策を繰り返すのか

 


自民党と官僚は、仕方なかったと反論するでしょう。

米国が自国への輸入制限と関税を盾に自主規制、円高、構造改革、金融ビッグバン、内需拡大(日銀の金融緩和)を日本に迫ったと。

米国は育ての親で一番の輸出先であり、軍事同盟で結ばれているのだからと。
しかし現在、中国は米国と対等に貿易交渉を行っている。

いくらか抵抗したとは言え、ほぼ米国の要望を呑んだ結果が円高と巨大バブルの崩壊になった。
また米国盲従は後に見るように、米国の多くの悪い点が日本に蔓延った。



 
 


一方、他の先進国は対策を打って来た。

少子高齢化と人口減少を避けるために、ヨーロッパは30年近く前から幼児保育と手当などの出生率向上策と移民政策を行って来た。
男女平等の政策が女性の活躍を促し労働力不足を補った。
漸次的な最低賃金アップにより所得と消費需要をアップさせて来た。

米国は移民による人口増と新産業創出(GAFAで成長を続け、中国もしかり。

日本だけがいつまでも公共投資と金融緩和、既存産業優遇だけで、巨大な負債を負った。


次回に続く




20190525

平成の哀しみ 45: 日本経済に何が起きているのか 11: 何を間違ったのか 2









なぜ経済は衰退したのか


 


日本(青)は成長しなくなった。


 


日本(赤)は年を追うごとに順位を下げた。


 

日本は73年で高度経済成長を終えたが、74~90年もまだ好調だった。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と世界から称され、日本企業がニューヨークの不動産を買占め、国内ではゴルフ場が乱立した。


 

しかし91年にバブルが弾けた。


 

巨大バブルは、米国が戦争と大減税で双子の赤字を抱え日本に円高の協調介入を要求した事に始まる(85年プラザ合意)。

成長の牽引力だった輸出企業は円高で業績を落とした。
そこで日銀は貨幣供給量(赤枠)を大幅に増やした為、株や土地への投機が過熱した。

そして崩壊し、多くの金融機関と企業は巨額の負債を抱えた。
国が約100兆円をつぎ込んでも、経済は萎縮し続けた。


 

さらに1995年から生産年齢人口が急減した。
いわゆる少子高齢化です。

これが致命的なのは、例え需要を喚起してもそれに応える労働者がいなくなり、確実に経済は縮小します。

一方高齢者増は介護従事者を必要とし就業者を増やすのですが、国内総生産が縮小し社会保障が破綻することになる。


こうして日本は悲惨な末路が・・


次に続く





20190524

平成の哀しみ 44: 日本経済に何が起きているのか 10: 何を間違ったのか 1


 

何が起きたのか


 

国民は

学校教育で歴史は割愛され、政治や経済を議論し理解する機会は奪われた。
手本にすべき国は米国だけで、如何に他の国が成功していようが情報はない。
多くの若者は海外へ勇躍する気概を失った。
若者だけでなく多くが政治に希望を持てず投票率は下がるばかり。
さらにマスコミは事実報道(政府批判)を抑制している。

これでは国民が問題を見つけ、政治をより良くするなど夢物語です。


 

政治経済は

政治は戦後から続く自民党政権、そして大半の議員は世襲。
官僚組織は特殊法人と共に肥大化したまま。

彼らがもたらしたこと
公共事業のばら撒きと税制の歪によって地方は活力と自主性を失い、累積債務は巨大になったが、お陰で自民党は命脈を保つ。
自民党に根付く古い家族観や社会意識(男尊女卑)が災いし、少子高齢化と人口減への対策が進まなかった。
米国追従で経済に深い傷をつけ、改革も出来なかった。
官僚が牛耳る膨大な特別会計が野放し。

こうして故意とは言わないが無駄と徒労を繰り返し、先進国中最悪の経済へと堕ちて行った。

今の衰退の原因を作った自民党と官僚は、野党の監視の目が効かないことを良いことに問題を糊塗し先送りしているだけ。


次回に続く