20180811

北欧3ヵ国を訪ねて 19: ストックホルム中央駅へ







< 1. ストックホルム中央駅、Stockholms Centralstation >


今回は、Märsta駅からストックホルム中央駅までを紹介します。
特に、ストックホルム中央駅を詳しく紹介します。
皆さんが行っても迷わないように願って。


 
< 2.Märsta 1 >

私はバスでシグツーナからこの駅に来て、ここから列車でストックホルム中央駅に向かう。

このMärstaは私が今回北欧に着いて初めて見る町です。
ここは通勤圏の住宅街で、豊な緑に囲まれた新しい町のようです。
最初に驚いたのは、白人以外の人種の多さでした。
移民に違和感がまったくない、完全に溶け込んでおり、おそらく移民2世も多いのでしょう。


 
< 3.Märsta 2 >

駅周辺は広々としています。
このホーム近くに一つしかない駅舎風の建物はコンビニです。


 
< 4.Märsta 3 >

駅ホームと乗車した列車。

上の写真: ホーム内から改札口を見た。
基本無人です、入る時のみカードをセンシングさせる。

下の写真: この停車している電車(この駅発)に乗りました。
車体前面のSLマークはストックホルム市内交通を示しており、購入したトラベルカードで追加料金なしで乗れます。
Stockholm Cityまでの乗車時間は20~40分です。
この駅にはSJマークの国鉄長距離列車も停車し、これに乗る場合は自由席であれば追加料金なしで乗れると思います(確信なし)。



*ストックホルム中央駅の紹介

この駅は多数の機能を持った建物が平面的、さらに地上2階と地下4層ほどにホームが配されています。
構造が非常に複雑で、この日、最初に郊外電車で最下層のホームに着いた時はかなり迷いました。
幾度も駅員に聞きながらやっと目的の場所に行きつきました。

この駅には、アーランダ・エクスプレス駅(空港間)、長距離列車(国内・国際間)と郊外電車(ストックホルム市内)の駅、長距離バス(空港間、国内・国際間)のターミナル、各所にある市内用のバスストップ、3路線の地下鉄駅が集合しています。

私の経験を基に、駅の構造について説明します。
確実ではありませんが参考にはなると思います。







 
< 5. ストックホルム中央駅の全体図、上が北 >

上下の地図: 北側からアーランダ・エクスプレス駅Arlanda Express、空港シャトルバス Airport Coachesと長距離バスのターミナルcityterminalenが続き、東西に走る道路(地上2階)の北側にあります。
この道路の南側に地上1・2階、地下1階の長距離列車のストックホルム中央駅Stockholms Centralstationがあります。
そしてこれらの地下深くに地下鉄3路線の駅T-Centralen 、さらにその下に郊外電車の駅Stockholm City があります。

この図で構造を理解するのは不可能です。




 
< 6. ストックホルム中央駅の役割と地下構造 >

上の路線図: 上が北です。
中央のStockholm CityT-Centralen の表記部分にStockholms Centralstationが重なります。

私は南北に走っているピンク色線の郊外電車をMärsta stationから乗ってStockholm Cityに着きました。
また赤、緑、青線の地下鉄線がT-Centralenで交わっています。

この中央駅からすべての方向に行くことが出来るので便利なのですが、初めて訪れる者にとっては悪夢です。
4日間使ってみてやっと一部が理解出来たように思います。


下の地下構造図: 最下層の赤字①と③が郊外電車のホーム(Commuter Railの表記)でStockholm Cityになります。
その上側に交差している三つの地下鉄のホーム(Metro )がT-Centralen です。
 ただ地下鉄と郊外電車のホームに行くには同じ改札口を通るので、Stockholm CityT-Centralenの区別を意識することはなかった(確信無し)。

注意が必要なのは、郊外電車のホームは赤字①と③で電車の行く方向が異なりますので、上から降りてくるとき、行先を確認する必要があります。
尚、郊外電車のホームの左方向がおそらく北(例えばMärsta行き)になるでしょう。

構造図の右上にExit Vasagatan/Centralstationが見えます。
ここがストックホルム中央駅に至る道です。
Vasagatanはストックホルム中央駅の東側を東西に走る大通りの名前です。



 
< 7. ストックホルム中央駅の構造、上がほぼ北 >

地上のホールと地下1階と地上2階を示します。
各階のエスカレーターを赤線で結んでいるので位置関係がわかると思います。

左側の緑色部分がセントラルホールとシティ・ターミナルです。
セントラルホールは1階ですが、シティ・ターミナルは2階で、接続部のエスカレーターで上がります。
長距離列車(国鉄SJ)のチケット窓口はこのセントラルホールの南西の端(左下)にあります。

右下の青色部分は地下1階の部分です。
このフロアの北側(上側)にロッカールーム(多数の灰色のボックス)があります。
ストックホルム市内交通(SL)のチケット窓口はこのロッカールームの東側(右手)にあります。

私は最初、長距離列車のEチケットをこのSLの窓口で確認しようとしたが、拒絶された。
後で理由がわかり、セントラルホールのSJの窓口で確認できました。

右上のピンク色部分は2階フロアです。
ここから長距離列車のホームに下りることが出来き、また外に出れば市内交通のバス停(2階の道路脇)が幾つかあります。


 
< 8. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 1 >

Märsta stationから乗って来た電車を降りたホーム。
おそらく図6下側の赤字①と③のホーム。


 
< 9. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 2.>

上の写真: ホームから1度目のエスカレーターに乗って、着いた通路。
おそらく図6の赤字⑥の辺り。

下の写真: この通路から2度目のエスカレーターに乗る、さらに奥に長大なエスカレーターが待っている。
おそらくこのエスカレーターは図6の赤字⑧の下側。


 

< 10. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 3.>

ここはセントラルホールの真下の地下1階で、図7の青色フロアです。

上の写真: 奥にセントラルホールに至る南側のエスカレーター、天井に丸い吹き抜けが見えます。
先ほどの三つのエスカレーターを上り切ると、ここに出て来ます。
図7の青色フロアの東側(右手)から入って来ることになります。
私は三叉路の片隅から撮影。

下の写真: 写真の奥の方に進むと長距離列車のプラットフォーム11~19の下側に出て、階段を上るとそれぞれのプラットフォームに行くことが出来ます。


 
< 11. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 4.>

図7の青色フロアの北側(上部)。

上の写真: 奥にセントラルホールに至る北側のエスカレーターが見える。
この奥の左右に下の写真のロッカールームがある。

ロッカールームの扱いは別に紹介します。




 

< 12. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 5.>

セントラルホール(地上1階部分)。

上の写真: 南側を見ている。

下の写真: 北側を見ている。
奥に2階に上がるエスカレーターが見える。
1階奥をまっすぐ行くとシティ・ターミナルに通じる。


 
< 13. 郊外電車のホームから別の地上出口まで 1. >

上の写真: 郊外電車Stockholm Cityのホーム。

下の写真: 数多くあるエスカレーターの一つ。
表示は必ず英語でも表記されていますので、行先を確認すればほぼ行きつきます。
駅員は少ないが、要所要所に専用のチョッキを羽織った相談員が居ます。
迷えば彼らに聞いてください。
英語ですが親切に答えてくれます。


 
< 14. 郊外電車のホームから地上まで 2. >

改札口は、入る時はカードをセンサーにかざしますが、出る時は不要で、自動で開きます。
Vasagatan通りに面したビルの出口に出ました。


 
< 15.その他の重要な箇所  >

上の写真: ここはセントラルホールの北の端で(図7の緑色のフロア)で、シティ・ターミナルに向かうエスカレーターが見える。

下の写真: 右手にストックホルム中央駅の駅舎上部が見える。

ユールゴーデン島に掛かる橋の手前まで行くバス(69番)のバス停は写真の右手。
この道路は地上2階を東西に走っている。
撮影は図5の下の写真中央の赤矢印の方向。

私はこのバス停を見つけるのに1時間以上、尋ね歩きました。


次回に続きます。


20180805

北欧3ヵ国を訪ねて 18: シグツーナ 2




*1


今日はシグツーナの後半です。
ここにはヴァイキング時代を偲ばせる遺跡があります。
少しヴァイキング時代に思いを馳せます。


 
< .散策ルート、上が北 >

今回紹介するのは黄線のF、G,H,Iです。
この道の北側がヴァイキング時代の王都の中心地だったところです。


 
< 3. 教会跡、Sankt Pers kyrkoruin >

上の写真: 南北に延びる広い道を少し上ると左手の木立の中に石積みの廃墟が見えた

下の写真: それが教会跡、Sankt Pers kyrkoruinです。
この建物は1100年頃に建設された。



 
< 4. 教会跡、Sankt Pers kyrkoruin >

倒壊の危険があるため柵で囲まれ、入ることが出来ない。
地図のBの位置。

実は、ここで私は自らトラブルを引き起こしてしまった。

林に入り、遺跡の写真を撮っていると、奥から子供たちの笑い声が聞こえて来ました。
そこには小学校の校庭があり、多くの子供達が楽しそうに遊んでいました。
私は校庭の様子、遊ぶ子供達を撮り始めました。
すると離れた校舎から二人の女性が猛烈な勢いでこちらに走って来るのが見えました。

彼女達は厳しい口調で、写真を消せと攻め立てました。
彼女らは私の横に立ち、子供達が写っている写真が消されていくのを一枚一枚確認し続けました。
私は焦り、幾度もミスをしながらやっと作業を終えました。

この時、彼女達の厳しい口調は消えていました。
恥ずかしさと口惜しさが込み上げて来ましたが、私が言えるのは「サンキュー」だけでした。

子供の写真を無許可で撮ることは北欧では不可です。


 
< 5. 住宅街 >
地図の黄線のFからHの間。

上の写真: 教会跡の近く。

下の写真: 前回紹介したタウンストリートStora gatan側(湖側)を見ている。


 
< 6.二つの教会跡 >

上の写真: Sankt Lars kyrkoruin、地図のG。
この建物も1100年代に建設された。

下の写真: Sankt Olofs kyrkoruin、地図のI。
この建物の建築は12世紀前半に始まりました。
周囲はお墓で、同じ敷地内にSankt Mariakyrkanがあります。


 
< 7. Sankt Mariakyrkan >

地図のIの右側(東側)。
この教会は1230年代に建築が始まった。



* シグツーナの歴史

シグツーナの歴史はスウェーデン・ヴァイキングの歴史でもあります。



 
< 8. ルーン石碑 >

地図のH、Sankt Lars kyrkoruinの前に二つありました。

シグツーナの石碑は11世紀後半に造られた。
これら石碑には模様と共に、ルーン文字で故人の事績が刻まれている。
元々、文字は赤色に着色されていた。

ルーン文字はゲルマン民族の古代文字から派生したもので、北欧ではアルファベットが24から16文字になり、刻印し易い直線的な文字になった。
北欧では口頭伝承が重視されていたので、ヴァイキング時代の文字はこれら石碑に残るだけとなった。
やがてキリスト教が浸透するとラテン語が普及しルーン文字は廃れた。

したがってヴァイキング時代の歴史は、ヴァイキング時代(800-1050年)が終わってから書かれた叙事詩サガ(12-13世紀)などから知ることになる。

左上の石碑: U390の碑文はSven と Ulv の二人男の鎮魂の為に建てられたようです。

興味深いのは、この碑を建てたUlvの妻Frödisは、赤毛のエリックErik the Redの娘だと言うことです。
この赤毛のエリック(ヴァイキング時代の950年頃-1003年頃)はノルウェー人でアイスランドに入植し、さらにグリーンランドを発見している。
さらに彼の息子Leif Eriksonが1000年頃に北米大陸を発見しVinlandと名付け、上陸している(入植は失敗)。
なんと彼女もこの北米の地の探検隊に参加したとサガに書かれており、親子揃って旺盛な冒険心を持っていることに驚かされます。
また彼女がスウェーデンのこの地に碑を建てていることに、ヴァイキングの行動範囲の広大さがわかります。

下の地図: Erik the RedLeif Eriksonの航路がわかります。
渡海した船は当然、ヴァイキングの船(約40~80人乗りのオールと帆柱付き)でした。
ノルウェーから北米大陸のVinlandまで直線距離で40万kmはあり、彼女は北海を往復して、さらにシグツーナまで来ているのです。


 
< 9. ルーン石碑の分布 >

スカンディナヴィアでは、およそ6千のルーン石碑が見つかっているが、そのうち3千はスウェーデンで発見されている。

上の地図: スカンディナヴィア全体のルーン石碑分布。
赤の部分が石碑の多い所で、ここがヴァイキング時代に栄えていた地域となる。

下の地図: シグツーナのルーン石碑分布。
私が見たのは二つに過ぎない。
このルーン石碑の密集しているところが、ヴァイキング時代の中心地だった。



 
< 10. ヴァイキング時代に栄えていた町 >

上の地図: スカンディナヴィア全体図。
スウェーデン・ヴァイキングの初期の中心地はバルト海に浮かぶ島ゴットランド(右下)のVisbyラレン湖のBirkaでした。
やがてラレン湖で王権が誕生し、11世紀初めに三代目の王オーロフ・シュートコーヌングOlof Skötkonungがシグツーナに拠点を移した。

彼はキリスト教の洗礼を受けたスウェーデン最初の王でした。
それまでは異教が崇拝され、異教の寺院が各地に建っていた。
こうしてこの小さな町に7つのキリスト教会が建つことになったのです。
しかし1世紀もすると拠点は北部のウプサラ Uppsala(かつて異教の聖地)に移り、さらに13世紀半ば以降はストックホルムが中心地となった。


下の地図: メラレン湖。
この湖は海上交易に有利だった。
ストックホルムが栄えるのはヴァイキング時代が終わり、ハンザ同盟の活躍でバルト海の交易が盛んになり、ここが同盟都市となってからです。


 
< 11. シグツーナの再現 >

上の図: 王都シグツーナの様子。上が北。
ドットの範囲が当時の中心地。
今の湖岸のラインはヴァイキング時代より後退しており、水深は浅くなっている。
これは当時が温暖期にあたり、また氷河期終了後から続いている大地の上昇によるものです。
この面積から察すると、王都の人口は多くて1~2千人に過ぎなかったでしょう。
シグツーナはこの王都になった1世紀以内に、東方のヴァイキングにより破壊され焼失の憂き目に合っています。


下の図: ヴァイキングの町ビルカの再現模型。
ビルカも島の湖畔の一角に出来た町で、おそらくシグツーナもこのようだったのでしょう。


 
< 12. シグツーナ >

左上の絵: 王都の再現図。
図11の上の図のドット範囲を東側から見ている。

右上の写真: 発掘された人形頭部。
ヴァイキングの兜を被っている。

下の写真: スウェーデンで最初に発行された硬貨。
王オーロフによって995年、シグツーナで造られた。
硬貨にはラテン文字でオーロフ王と書かれている。
貨幣経済は遅れていたが、以前、硬貨はイスラム圏や西欧から入手していた。


次回に続きます。





20180802

北欧3ヵ国を訪ねて 17: シグツーナ 1






*1


2回に分けて小さな町シグツーナSigtunaを紹介します。
ここには湖畔の美しい街並みがあり、スウェーデンで最も古い街と言われています。
かつてはヴァイキングの王都の一つでした。



 
< 2.散策ルート >

赤丸のシグツーナ・バスターミナルから赤線、そして黄線を通り、元に戻りました。
今回紹介するのはE辺りまでです。

散策したのは2018年6月1日(金)8時30分から10時30です。
快晴で、歩き始め時は清々しかったが、後半は日差しが暑く、汗が滲んだ。

Bの観光案内所で荷物預かりが可能なのですが、オープンが10時からなので、私はリュックを背負いスーツケースを引き摺って散策しました。

フリーの旅行では荷物を預ける場所が重要です。
ここは事前にメールで確認していました。
今回の旅行の荷物預けは、これ以降すべてホテルか鉄道駅のロッカーで行った。
駅やフェリー・ターミナルなどのロッカーの有無を事前に確認するのに、非常に手間取りました。



 
< 3.タウンストリートStora gatan >


 
< 4. 非常に小さい市庁舎Sigtuna Rådhus >

朝早いので店や博物館などはどこも開いていない。
人はまばらで、オープン前の作業や工事をする人を少し見かけた。
この市役所の前で3人の学生が写真を撮っていた。



 
< 5. 観光案内所と通り >

上の写真: 地図のBにある観光案内所が左に見える。
緑色の「 i 」の看板があるところ。


 
< 6.公園と博物館・美術館 >

下の写真: この建物の後ろと左側に博物館と美術館がある。
但し、オープンは12時から。
地図のCの辺り。



 
< 7. 湖が見える邸宅 >

上の写真: 柵にペンキを塗り直している人が見える。
この右側にホテルがあります。
地図のDの辺り。


 
< 8. 湖畔 >

地図のDの辺り。
この湖には藻や水草が多く、小魚が多くいるようです。


 
< 9. 港 1 >

上の写真: ヨットハーバーのオフィスのようです。
百年以上前は、ここからストックホルムまでの蒸気船が交通手段だったようです。

中央の写真: 黒い建物がおそらくボートの発着桟橋。
今も観光シーズンには毎日、クルーズ船がストックホルムから出てこの港に来ています。
片道2時間30分の船旅です。

下の写真: 11世紀初頭のシグツーナの再現図。
再現図にヴァイキングの湖畔に広がる村の様子が描かれている。
当時はヴァイキング時代の末期で、ここに初期王朝の館があった。
古い教会跡やルーン文字の碑が残っており、往時を偲ばせる。


 
< 10. 港 2 >

下の写真: このようなベンガラ色の家が並ぶきれいな港町がスウェーデンのバルト海側(Torsaなど)にあるのですが、ここで見ることが出来ました。


次回は古都シグツーナと遺跡を紹介します。