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今回も、前回に続いて旧庄屋家、また別に国の文化財の商家を紹介します。
< 2. 旧永井家庄屋屋敷の見取り図 >
上 : 全体の見取り図
中央: 母屋の平面図
下 : 雪隠の望む
< 3. 隠し部屋と古地図 >
左上: 仏間
右上: 仏間から台所側を望む
この裏に隠し部屋があり、武器庫になっている。
この部屋に武器を持った人が待機することもあったそうです。
左下: 上記の隠し部屋
右下: 仏間に置いてあった地図、貞光を示しているようだ。
上が北で、東西に流れる吉野川が見える。
また南北に流れる貞光川と左に並行している貞光の街並みが見える。
下(南)に行くと剣山に至る。
< 4. 台所 >
< 5.次の建物へ >
上: 母屋を出て、向かいにある藍の作業場へ
下: 振り返って母屋を見る
< 6. 藍の作業場の中へ >
上: 作業場の左手に、私が入ったのとは別の門が見える。
下: 作業場の二階
実は作業場に入っても、土間があるだけで何の変哲もなかったので写真を撮りませんでした。
後で知ったのですが、この土間で刈り取った藍の葉を約100日間発行させていた。
つまり藍の生産工場だったのです。
二階は作業員の宿舎だったようです。
*藍染めについて
既に室町時代、阿波藍は製造され流通していたと考えられます。
製造量は、江戸時代から明治にかけて増加し、全国市場を支配するようになった。
現在、徳島県の藍の生産量は全国シェアの大半を占めている。
なぜ、徳島で盛んになったのか?
堤防が築かれていなかった吉野川は、毎年、台風の時期に川は氾濫し、大洪水が起きていました。
台風は稲刈りの時期の前に来ることが多かったで、大きな損害を被る危険性があり稲作には適さなかった。
その点、台風の前に刈り取りが終わってしまう藍作は、徳島県に適した産業でした。
また、藍の収穫後の藍畑に肥沃な土を流入させ、同じ土地に続けて植えることの難しい藍の連作を可能にしたことも幸いした。
この貞光の町は、剣山に至る一宇街道の交易で発展したのですが、その交易品は山岳部の産であったたばこの葉と、貞光の藍(染料)が重要だった。
< 7. 二階からの眺め >
上: 二階にあった展示品を望む
< 8. 街道に戻る >
左上: 二層うだつ
右上: 鏝(コテ)で描かれた鯉の滝登り
共に貞光の特色ある造り。
下: 街並みの南側を望む
剣山は見えないが剣山の方向になる。
< 9. 織本家 >
明治時代、酒造業を営む商家として再建された。
国の登録文化財。
ここも無料で入場可能でした。
事前に庄屋屋敷の管理人が、織本家の管理人は留守だが、入れることを電話で確認してくれていた、
親切な対応は本当にありがたい。
< 10.部屋を見て回る >
広い土間はあったが、酒造業の名残りを感じさせるものはほとんどなかった。
しかし、立派な家屋でした。
< 11. 二階に上がる階段 >
下: 二階に上がる階段があった。
冒険心をくすぐるような造りでした。
ここから二階に行きました。
< 12. 二階の様子 1 >
< 13. 二階の様子 2 >
大きいが板敷で居住用と言うよりは、物置のようです。
造りも複雑で、段差がありました。
1階への降り口は、別にもう一つありました。
次回は、剣山手前にあるホテルまで山道を走ります。
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