20200328

早春の淡路島 2: 仁井と浅野公園間をハイキング






*1


今回は、淡路島北部の山村を歩き、桜の名所や遺跡を紹介します。
訪れたのは2020年3月26日でした。


 
< 2.散策マップ、上が北 >

上: 青線が散策ルート、Gがスタートでゴール地点です。

中央: スタート地点Gは本四仁井バス停から少し下った小田の滝です。
青線を時計回りに歩きました。
赤矢印のAは小田の滝、Bは浅野公園と不動の滝、Cは早良親王陵です。
黒矢印は今回歩いた中で最標高地点です。

今回は10時頃から歩き始め、浅野公園で弁当を食べて、2時過ぎに元の地点に戻って来ました。
登りの合計は300mほどです。



 

< 3. 小田の滝 >

上: この橋は浦川に架かっており、この川は東浦バスターミナルの横を流れ、大阪湾に流れ込む。
橋の向こうを左側に降りて行くと滝に行けるはずです。

中: 少し川を遡ってみたが、荒れていて行くのを断念した。

下: 小田の滝を離れ、道を登って来た所からの眺め。



 
< 4. あわじ花さじきを望む >

上: 畑は蓮華草が今や盛りと咲いていました。

中: 道から北側を望む。
右奥にあわじ花さじきのある丘陵部が見える。
左に神戸淡路鳴門高速道路が見える。

下: 道から南側を望む。
枝垂れ桜、遠方の山に山桜がちらほら見える。
あの山の頂き辺りに常隆寺があるはずなのですが。


 
< 5. 3kmほど登り坂が続く >

上: 左側(南)の景色。

中: 登りが延々と続く。
見晴らしが良く、舗装された道なのだが、木立の日陰が無く、盆地の為か風がない。
汗が噴き出して来る。

下: 来た方向を振り返ると、大阪湾が見えていた。



 
< 6. 峠を越えたと思っても >

上: 一つ峠を越えても、また手前に山が迫って来る。
中: 山桜が満開でした。

下: 一番高い峠を越えたので、瀬戸内海が見えた。


 
< 7. 有難い標識 >

中央: 地名と矢印を示す標識が、主要な道の分岐点に立っており、助かった。
この十字路を左に曲がると浅野公園に行ける。

下: この池の向こう、左側に浅野公園がある。


 
< 8. 浅野公園 >

上: 桜は未だでした。
一本だけが満開になっており、地元の中学生がピクニックに来ていた。

左下: 浅野公園の奥の階段を下ると、不動の滝がある。

右下: 不動の滝。


 
< 9. これから仁井に戻る >

上: 先ほどの池の横の道を右側に下って行く。

中: この道沿いには桜の木が植わっているが、開花は未だでした。
眼下に瀬戸内海が見える。

下: 舗装された車道から脇に逸れて、下って行くと高速道路が見えて来た。


 
< 10. 高速道路の横を進む >

上: 急な下り道を行く。
下りは足に応える。

中: 高速道路の下を横切る。

下: 今度は高速道路沿いを進む。
写真は振り返った所。
下った後の登りは気落ちする。


 
< 11. 仁井トンネル >

上: 左下に高速道路の仁井トンネルが見える。
山を右側に迂回している道を行く。

中: 急に前方が開け、道は左右に分かれる。
するとその手前右側に標識が見え、「早良親王墓」とある。
標識の示す小道を進む。

下: 右手に池が見える。


 
< 12. 早良親王墓 >

上: 早良親王墓。
彼は日本最大の怨霊と言われ、天皇と貴族が祟りを恐れ長岡京から平安京に急いで遷都した話は有名です。
彼は天皇家の後継争いに巻き込まれ、淡路島への流刑の途上で亡くなった。
そしてこの地に埋葬された。

まさか、こんな寂れた山の片隅に彼の墓があるとは思わなかった。
この親王の兄にあたる桓武天皇は、彼の為に近くの常隆寺に七堂伽藍を建て、勅願寺としている。
後に奈良に移葬され神社に祀られている。

他にも天皇家など高貴な人々が淡路島に流刑になっていた。
それにしてもこの場所がなぜ選ばれたのだろうか。
今は、墓のある小山は鬱蒼とした木々で覆われているが、これが無ければ、中央の写真のように、大阪湾を眼下に一望できる見晴らしの良い高台です。
更にうがった見方をすれば、常隆寺-早良親王墓-京都はほぼ一直線上に並ぶ。

中央: 眼下に東浦、大阪湾が見える。

下; 北側を望むと本四仁井バス停の駐車場が見える。


 

< 13.仁井に戻って来た >

桜や菜の花が満開で美しい。
空は曇り初めていた。

下: 小田に向かって下る。
車に乗って帰る。


今回の行程は、舗装された道を歩くので良かったが、上り下りが辛かった。
見晴らしは良いのだが風が無いと、この時期はもう暑い。
前回の諭鶴羽山登山では、スマホのグーグルマップは役に立たなかったが、今回は役に立った。
最後に歴史的な遺産に巡り会えて、良かった。

終わります。




20200325

世界が崩壊しない前に 8: 何が重要なのか 1





これまで危機への警鐘と対応について見て来ました。
どうすれば警鐘を生かし危機の防止に取り組めるのだろうか?


1. 警鐘が無視される主な4つの理由。

科学的な理解が困難、未来の事は後回しにする、強力な世論誘導がある、分裂している社会では論理が通じない。
加えて転換の難しが加わる。


2. 危機回避の正しい選択が困難

日本では原発からクリーンエネルギーへの転換が進まないが、最大の理由は既得権益を得ている人々が、今の社会経済の体制維持に巨大な力を使うからです。

このように問題(危険性、腐敗)、非効率(高負担、経済損失)が露見しても、一度、定着した事を捨て切れず転換できない社会・経済現象をロックイン現象と言います。
これは個人の消費行動から国策まで及び、特に経済的な規模が大きいほど抵抗が大きく、世論操作まで行われて転換が妨げられる。

一度、軍拡競争が始まるとほぼ止めることが出来ず、別の選択肢はなくなる。
双方の疑心暗鬼は深まり続け、膨張した軍需産業と軍隊は縮小を受け入れない。

1930年代、ドイツと日本は不満と恐怖を解消する為に、民主主義を捨て軍事独裁国家への道を選んだ。
国民はヒトラーに熱狂し、予想だにしなかった末路に至った。

このようなことが繰り返されたら、これからの危機に対応できず、人類の未来はないように思える。
しかし光明はある。

1980年代初め、フロンガスが南極上空のオゾン層を破壊し、放置すると紫外線が増大し人体を害すると分かった。
しかし80年代末には世界が協力してフロンガスの使用を禁止した。

これは地球システムの破壊を世界が一致して防止した最初の成功例でした(汚染物質の禁止は以前からあったが)。

なぜこうも素早く解決出来たのか?
フロンガス製造中止で影響を受ける産業と国が限られていたこと、代替えフロンが開発されたこと(但し地球温暖化の問題は残る)。

そうは言っても、世界が科学者の発見を受けて、経済負担が有りながらも、世界が一致協力出来たことは快挙に違いない。

一人の訴えが、社会を救った事例は他にもある。
南アフリカのマンデラは人種差別で、インドのガンジーは帝国支配の終りで、英国の経済学者ケインズは不況の克服で貢献した。



次回に続きます。




20200323

中国の外縁を一周して 28: 五泉山公园から蘭州空港まで





*1


今回は、商店街、五泉山公园、大型ス―パー、蘭州空港を紹介します。
また中国でお世話になった現地ツアー会社も紹介します。
これで蘭州の紹介は終わります。


 
< 2.五泉下広場近くの商店街 >

ここは前回紹介した五泉下広場を山側に歩いて直ぐの商店街です。
歩いたのは1時半頃でしたが、買い物客はそこそこいました。
売っているものは野菜や果物が多く、衣類、葬式で燃やす紙銭もありました。
中国らしく、店先が道路まで大きくはみ出している。
中国にはスーパーがたくさん出来ているが、このような昔ながらの商店街も市民に利用されている。


 

< 3. 五泉山公园 >

上: 商店街の続き。

下: 五泉山公园の前の広場。

蘭州の観光名所の一つで、北側の山裾にある旧跡を中心とした公園です。
総敷地面積27万㎡の中に、5つの泉、数多くの仏教建築や仏像群、動物園まであります。
ここには明代に遡る仏教建築があるそうです。



 
< 4. 五泉山公园 >

上: 五泉山公园の前の広場。

下: 北門を抜け、五泉山公园内に入った。
中央の奥に霍去病の銅像が見える。
紀元前120年、漢の将軍霍去病が匈奴遠征中、ここで泉を見つけ、軍隊の水不足を救った伝説が残っています。
霍去病は若くて勇猛な将軍と史記に記されています。


 
< 5. 五泉の一つ >

園内の所々で銀杏が黄金色に輝いていました。
私が歩いたのは、ほんの一部に過ぎません。

下: 五泉の一つ。


 
< 6. 浚源寺 >

上: 前述の泉の右手(西側)に浚源寺が見える。

下: 浚源寺に入る。

 
< 7. 浚源寺の境内 >

上: 入って来た門を振り返った。

下: 本殿。
この日は、毎年行われる仏教信者の集まりがありました。
多くは年配の女性信者ですが僧侶姿の男性も見られました。

共産主義国家で仏教の行事に多くの信者が集まることに少し驚きました。
けっこう信仰の自由があります。


 
< 8. 北門を出た所 >

上: 本殿の仏像。

下: 北門側から広場を望む。
この右手の小綺麗な店で、孫への土産、可愛い毛糸の手袋を買いました。
ガイド曰く、この店は日本に輸出する品質と同等の物を置いているそうです。
若い現地の女性も買いに来ていました。


 
< 9. 大型スーパー >

上: 五泉山公园の広場。

公園内や広場に居る人に少し違和感を感じた。
ここを通ったのは2019年10月23、水曜日の2時半頃でした。
観光シーズンが終わり、平日でもあり、観光客はほとんど見られなかった。
孫や子供を連れた家族、若いカップル、年寄りが少ない。
しかし中年の男性が多い。
服装から言って、市民なのだが、なぜこれだけの人がここにいるのか?
分からない。
定年を迎えた人々なのか?

下: 大型スーパーの华润万家(天水路店)
蘭州大学の前にある大きなスーパーです。
土産を買いたいと頼んだら、現地ガイドがここに連れて来てくれた。
蘭州名物としてワインと干した果実や氷砂糖が入ったお茶を買いました。

妻は安いバッグを買いました。
バッグは安いのですが、妻の好みのデザインでは無かった。
おそらく日本で日本人向けの中国製バックを買う方が、無難で価格も同じぐらいだと思う。
妻は中国で二つバッグを買ったが、結局、日本で安い中国製を買い直しました。


 
< 10. エアポートバスで空港へ向かう車窓から 1 >

中心街の眺め。

先ほどの大型スーパーから700m離れた所に民航售票处(城关区东岗西路588号)があり、ここからエアポートバス(兰州机场大巴 1号线)に乗って、空港に行きます。
30分毎に出発し、乗車時間は1時間15分ほどです。
料金は30元で安い。


 
< 11. エアポートバスで空港へ向かう車窓から 2 >

上: 高速道路に入る。

中央: 黄河を渡り、北に向かう。

下: 黄河を渡ると、間もなく荒涼とした低い山並みが続きます。


 
< 12.エアポートバスで空港へ向かう車窓から 3 >

上: 山肌はすべて、今にも土が崩れそうで、それを防ぐ為に植林が行われているが、カバー仕切れないようです。
このような景色が延々と続く。
山は手を抜くと今にも砂漠の山になってしまいそうです。

中央: バスの車内。
左の窓ガラスは砂塵を受けて曇っている。
空港近くになると、かなりの間、砂嵐が吹き荒れ、視界がかなり不良になった。
バスはそれでも走り続けたが。

この砂塵舞う山岳地帯を、かつて遊牧民や騎馬民族が隆盛を極め、往来していた。
万里の長城はここよりも北側にあって、さらに1000kmも西側まで延びていた。


下: 写真のように、今は高速道路がこの地帯を縦貫している。
他にも工事中の道路があった。


 
< 13. 蘭州中川空港に到着 >

上: 私は進行方向左の席、つまり西側しか写真を撮っていない。

しかし空港に近づくと東側に驚くべき光景を見た。
砂塵が舞う高原(ここの高度は2000mぐらいか)に、突如として巨大な都市が出現したのです。
建築中らしい高層ビルが幾層にも連なる光景が砂塵の向こうに十数分も続いた。
後で調べると、その範囲は長さ15km、幅5kmもあり、高層ビルだけで1000棟は優に超えるでしょう。
中国のエネルギー、開発力を見せつけられた。
これが今回のコロナ対策で、巨大な隔離病棟を10日ほどで幾つも建築してしまうことに現れている。

衛星写真を調べるにあたって気付いたことがあった。
この地域は百度地図の衛星写真が不鮮明になっている。
おそらく、この地域に中国軍の基地があるためだろう。
グーグルマップの衛星写真は鮮明だが、残念ながら中国では不正確で経路案内には使えない。


下: 向かいに見えるのが、蘭州中心部と往来する列車の駅でしょう。


 
< 14. 現地ツー会社 >

左上: エアポートバスを最初に降りて直ぐのターミナル入口。
この空港には二つのターミナルがあるのですが、私が乗る中国東方航空は第二ターミナルにあり、その前に降りた。

右上: カウンターに向かう。
無事、Eチケットから搭乗券の手続きが出来た。
このフロアで夕食をとりました。


下: 蘭州、成都、麗江で使った現地ガイドの「CHINA8」ホームページ。

これまでの私の中国旅行はほとんどがツアー観光でした。
今回初めて、現地ガイドを利用することにし、インターネットで調べた。
するとこの会社が、最も安くて、各地のツアーが希望通りに出来ることが分かった。
この「CHINA8」は各地ツアー会社の連盟です。

長所
日本語表示のホームページ。
旅程の希望や変更を日本語のメールで事前に交渉できる。但しすぐに返事が来ないこともある。対応の丁寧さは各会社で異なる。
価格設定が分かり易く、また安くできる。
現地ツアーの選択幅が広い。例えば、車と日本語ガイド、ガイドだけ、車だけ、時間や行く先も自由に選べる。
ツアー後の支払いが明朗会計。予想通りで超過はなかった。但し、多くは中国元の現金払い(事前に通知有)。
概ね親切で、土産物屋に強引に連れて行かれることはなかった。

気になるところ
年寄りに気を使った案内が出来ないようだ。歩行距離が少ないように駐車場を選ぶとか。
ガイドにより、日本語の習熟度が異なり、また現地の歴史の知識にも差がある。

全体の感想
普通に現地を観光するには、この会社を使うのが良いでしょう。
観光地、地元の生活、買い物を知りたいなら充分でしょう。
親切に対応してくれるのがうれしい。

最後に
彼らガイドの話によると、現在の日中関係を反映して、日本の観光客が激減しているそうです。
どうか皆さんも中国に旅行し、彼らガイドを利用してください。
彼らが失業してしまうと、今後不便になりますよ。


次回に続きます。





20200321

早春の淡路島 :  国営明石海峡公園と諭鶴羽山




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今回は、早春の淡路島の花と自然を紹介します。
2020年3月17日と20日に訪れました。
両日とも素晴らしい快晴に恵まれました。

 
< 2. 訪問地、上が北 >

上: Aが国営明石海峡公園、Bが諭鶴羽山。

下: 赤矢印が諭鶴羽山、B1が諭鶴羽山ダム、B2が上田池ダム。
ここに来た目的は、約二十年前に登った諭鶴羽山にもう一度登りたったからです。
しかし、失敗しました。
私の勘違いで、諭鶴羽ダムから登れると思っていたのですが、途中で道が無くなり、引き返しました。
次いで、車で上田池ダムへ移動し、そこから登り始めましたが体力が持たず、諦めて途中から下山しました。
約4時間半かけて、15km歩きました。



 

< 3. 国営明石海峡公園のMAP >

地図を二分割し、右側(東)を上に左側(西)を下にしています。

私は上の右側のゲートから入り、黒線に沿って一周して戻って来ました。
途中、連絡口ゲートから夢舞台を少し散策し(茶色線)、また公園内に戻りました。


 
< 4. 「大地の虹」辺り >

早咲きのチューリップが咲いていました。
3月17日は平日であり、コロナウイルスの関係もあるのか園内の人影はまばらでした。


 
< 5. 「花の丘道」 >

上: 「大地の虹」辺り。
下: 「花の丘道」。
色々な種類の桜が咲いていました。



 
< 6. クリスマスローズ >

下: クリスマスローズ。


 
< 7. 「月のテラス」 >

上: 「月のテラス」から大阪湾、紀伊水道を望む。
チューリップの季節には、ここ一帯が色とりどりの花で満たされます。

下: 「空のテラス」から「せせらぎ広場」と大阪湾、神戸を望む。



 

< 8. 「せせらぎ橋」からの眺め >

上: 「せせらぎ橋」からの眺め。
下: 「案内所」の前辺りの水仙。



 
< 9.諭鶴羽ダムから登り始める >

アドバイスがあります。
諭鶴羽ダムは桜の名所で、湖岸を囲むように桜が咲きます。
しかし周囲を巡る道路は非常に狭く、対向車線が有りません。
ニ三十台の駐車場は、ダム湖の奥にあります。
従って、車は湖岸を時計周りで走行すべしと現地の人に教わりました。
この日は、桜は未だでした。


 
< 10. 鬱蒼とした林間を抜けると >

鬱蒼とした林間を抜けると、視界が開け、沢づたいにゆっくり登って行きます。
残念ながら、途中で道が無くなり、引き返しました。



 
< 11. 上田池ダムから登り始める >

上: 遠くにダムが見える。
ダム近く、道路沿いの空きスペースに車置き、湖岸沿いに歩き始めた。
この辺りに駐車場が無いので、ハイキングするには問題があります。
いっそのこと、車で頂上まで行く方が良いようです。
私達が歩いて行く間に、6台ほどの車が上に向かって行きました。




 
< 12. 椿が多かった >

途中、一か所、農家らしい廃屋がありました。


 
< 13. 役行者の碑 >

上: 途中、役行者の碑を見ました。
この辺りから、沢を越えて諭鶴羽山頂に向かう道があるようです。
おそらくかなり険しい山道になるでしょう。
頂上近くに諭鶴羽神社があり、諭鶴羽ダムからも行ける裏参道があるらしいのですが、分からなかった。
修験者の道が、山頂に向かって幾本もあったようです。



 
< 14.沢づたいにのぼるが、果てしない >

いくら歩いても、谷間を行くだけで、見晴らしは良くならない。
もっと上まで行けば見晴らしの良い道に出れるのですが、とうとう諦めました。
諦めた場所近くに標識「奥滝」がありました。


 
< 15. 来た道を戻ります >


 
< 16. ダムからの眺め >

上: つつじが咲いていました。
中央: 上流側を望む。
下: 下流を望む。
三原平野の向こうに、瀬戸内海が見える。


次回に続きます。




20200319

世界が崩壊しない前に 7: 罠に嵌った人々







20世紀最大の罠と言えば、ファシズムへの暴走でしょうか。
人々は危機を脱しようとして、より悲惨な危機に陥った。
日本も同じですが、ドイツを見ます。


特報!!
 
< 2.いつか来た道 >


当時の状況
・ 巨額の戦後賠償と世界恐慌による大量の失業
・ 革命後の社会民主主義政権は安定せず、軍部の復権が進んでいた
・ 共産革命とソ連への恐怖が高まっていた

一人の天才アジテーター、ヒトラーが出現した。
彼は、かつてのドイツ帝国領土を取り戻し、共産主義者とユダヤ人を排除すべきと訴えた。
彼は清廉な人物と見なされ、若者に絶大な人気があった。
彼が行う政策、国民運動や大規模公共事業は功を奏し経済が好転した。
これでナチ党は国民の支持を得て国会の議席を伸ばしていった。

当時、政治を掌握していたのは元軍人の大統領でした。
彼は自ら任命した首相に政治を任せ、まだヒトラーを信用していなかった。
だがこの非力な首相は、人気のあるヒトラーの抱き込みを図った。

大統領が高齢で弱気になったと見るや、ヒトラーは一気に政権掌握に動いた。
彼は部下に国会議事堂を放火させ、それを共産主義者のせいにし、彼らの議員職を剥奪します(緊急事態条項と同じ)。
そしてナチスは過半数を占める第一党となり、ヒトラー総裁を決議させた。

この後、第二次世界大戦へと一気に突き進むことになる。
やがてユダヤ人追放が始まり、彼らの莫大な資産は国民に分配され、虐待や虐殺への批判は起きなかった。
同様の手口は中世スペインでもあった。

この間、ヒトラーを支えた巨悪があった。
ドイツのメディア王は彼を応援した(フォックスニュースや読売と類似)。
ドイツの鉄鋼王(兵器王)も彼を支えた。
英米系の大企業は、戦後までこの鉄鋼王に巨額資金を提供し利益を得ていた。注1.


ポイント

・ 国民は騙されたと言うよりヒトラーに狂信し続けた。
・ 安直な危機打開策が、最悪の被害を招いた。
・ 一部の国民は命を賭して抵抗したが制圧され、暴走を止めることは出来なかった。



次回に続きます。


注1. 「オリバー・ストーンの『アメリカ史』講義」p391より。




20200317

中国の外縁を一周して 27: 兰州西关清真大寺と蘭州牛肉麺


 
*1


今回は、イスラム寺院と蘭州ラーメンを紹介します。


 
< 2. イスラム寺院に向かう >

イスラム寺院が見える通りで車を降り、ここから歩いて行きます。
上下の写真は、この通りの東西方向を撮ったものです。
今まさに、地下鉄工事がこの通りで進んでいます。

下の写真に、兰州西关清真大寺が見えます。


 
< 3. 大病院が見えた >

歩いて行くと、人混みが増えて来ました。
大病院でした。
病院の入り口は、人で一杯でした。
まだコロナウイルスが始まっていませんでしたが。





 
< 4.兰州西关清真大寺 >

おそらく蘭州市で最大のモスクでしょう。
夜はライトアップされ綺麗だそうです。
言い伝えでは明時代まで遡るらしいが、清の時代、1687年に創建され、1729年に再建された。
甘粛省には回族が5%おり、東の端になる蘭州にも同率ぐらい暮らしているでしょう。
回族は言語・形質的には漢民族でイスラム教を信仰する民族です。
回族は中国ムスリム2000万人の半分を占める。

私が町を観光している間、思ったよりムスリムの服装(つばなしの帽子、へジャブなど)の人を見かけなかった。




 
< 5. 兰州西关清真大寺に入る >

門をくぐり、前庭に入る。
前庭に数人の信者らしき老人が椅子に座り、のんびりと過ごしていた。

今まで、トルコやモロッコ、エジプト、ボスニアヘルツェゴビナなどでモスクを見て来たが、建築様式や配置が異なる。
尖塔と半球ドームのモスクの組み合わせはおなじであっても、モスクへの階段が如何にも中国王宮風でした。
面白いのは、階段に盆栽が並んでいることです。
今回、中国の寺院を巡っているとホントに多くの盆栽を見ました。

モスクの中には入れませんでした。
特に女性はダメなようです。



 
< 6. 兰州西关清真大寺のモスク >

下の写真は、モスクの階段前から入り口の方を見下ろした。


今回の中国旅行の目的の一つに、地方の少数民族の状況を知りたかったことがありました。
中でも回族には、強制収容所(中国側発表で職業訓練所)の問題や、過去にテロと弾圧のニュースがありました。
蘭州のある甘粛省は、暴動のニュースがよく知られた新疆ウイグル自治区の東隣にあります。

私が日中一日、観光した分には異常さや緊張感はまったくありませんでした。
警察官が警備の為に街中に立っている姿をまったく見かけませんでした。
現地の人の感想では、取り締まりをしたおかげで、安心出来るようになったとのことです。
もともとこの地は平穏だったのかもしれませんが。
日本で治安を危惧していたが、まったくの杞憂に過ぎなかったようです。

日本人とって、蘭州は砂漠に隣接する山間の都市、かつてのシルクーロードの古い街ぐらいのイメージしかない。
しかし、ここも中国の大躍進を受けて、間違いなく発展していた。
将来、この地が世界のレアメタルや石油生産を担うようになるかもしれない。
けして無縁ではいられない。


 
< 7. 五泉山公園の前 >

イスラム寺院を離れ、五泉山公園の前に来ました。
車を降りて、昼食のレストランまで歩きます。
この辺りも高層のビルはあるが、少し古い感じがします。

下: 五泉山公園の前の広場が見える。
私が立っている所は陸橋の上です。
下は幹線道路と列車の線路です。




 
< 8. 五泉山公園の前の陸橋 >

陸橋を渡り、五泉下広場に向かいます。


 
< 9. 五泉下広場 >

大きい広場ですが、少し殺風景な気がしました。
広場を様々な店舗が囲んでいます。
この広場の北端の角にあるラーメン店に行きます。


 
< 10. 金强牛肉面 >

現地ガイドが昼食にこの店を選んでくれた。
13:00過ぎに入ったのですが、広い店内のテーブルは勤め人などでほぼ満席でした。
メニューは何種類かあり、妻と私の分で二種類注文した。
スープの味はさっぱりしていて、ほど良く、辛い分も私にはぎりぎりセイフでした。
麺も違和感はなく、美味しかった。
驚いたのは、スープの量が多く、肉が少ないことでした。
ガイドの話では、元々蘭州牛肉麺の肉の量は多く無いそうです。
一番驚いたのは、一杯100円以下だったことです。
他のメニューを加えても、一人150~200円ぐらいで済みます。
今回の中国旅行で、最も安く、美味しく、腹一杯になった料理でした。

この店は、現在5~10万元(75~150万円)で加盟店を募集しており、急拡大中です。
繁盛間違いなしです。


次回に続きます。