20180709

北欧3ヵ国を訪ねて 11: 北欧の住まい 1


  

< 1.カールスタートの洒落た住まい >


これから2回に分けて北欧の住まいを紹介します。
そこから北欧のライフスタイルの一端が見えて来ます。
今回はスウェーデンを紹介します。


 

< 2. 撮影位置の地図、 上が北 >

上の地図: 主にスウェーデンを示しています。
黒枠は下の地図の範囲で、ストックホルム市と周辺を示します。
青線がストックホルムからカールスタートまでの列車ルートです(おそらく)。
番号9の三枚の写真はこの列車の車窓から撮ったものです。

下の写真: 赤枠A、B、Cが撮影場所です。


 

< 3. シグツーナと近郊、 赤枠A >

上の写真: シグツーナに向かうバスの車窓から。
森に囲まれた広い農地に数戸から十数戸が集合した住宅エリアが点在しています。
人々は、ここからバスでMärsta駅に出て、電車でストックホルム近郊に通勤が可能かもしれません。

下の写真: シグツーナの高台側の住宅。
ここらは別荘地なのか、広い敷地を持った邸宅が並んでいた。

 

< 4. シグツーナの湖に面した住まい、赤枠A >

この家の右側の道路の隣には伝統的で洒落た感じのホテルがあります。
最高の立地の邸宅です。


 

< 5. Älvsjö 駅の直ぐ北側の住宅地、赤枠B >

上の写真: ここはストックホルム中心部への通勤圏らしく低層のアパートが多く見られました。

このアパートのベランダが少し変わっていました。
ベランダはパイプで補強された簡易構造なのですが、大きく掃き出し窓からせり出しています。
そして、そこにはテーブルやチェアーが必ずと言っていいほど置かれていました。
ここで人々は緑が多い敷地で外の自然を楽しむのでしょう。
三人の人が来ている道を奥に進むと、直ぐに森が広がっていました。


下の写真: 直ぐ近くでは大規模な開発が進んでいました。
これはおそらく住宅だと思うのですが、左隣りは大きな学校がありました。




 

< 6. Älvsjö 駅から東へ、赤枠B >

二枚の写真はÄlvsjö 駅からバスで墓地Sandsborg Cemeteryに行く途中の車窓からの写真です。

閑静な住宅街が広がっていました。
高木に囲まれた庭を持つ一戸建ての住宅が続いていました。
アパートがあっても、せいぜい数階建てが多い。
この住宅街を進んでいると、一度、一匹の鹿が横断して行くのが見られました。

これらの家は30数年前に訪れた時の住宅のイメージとは違うようです。
その時、11月はストックホルム北部(ウップサラ)の郊外は雪が積もっていました。
その郊外の家は木の温もりを感じさせ、伝統的で同じ色調のものが多く、また雪下ろしの為か急こう配の屋根が印象的でした。

シグツーナ郊外の家にはそんな雰囲気もありましたが、Älvsjö や都市近郊の家はデザイン、外壁、色調も様々です。
町並みを見ていると、朽ち果てた家は無く、改造されているのか一見する限りでは新しい建物のように見える。


 

< 7.メーラレン湖の岸、赤枠C >

一見、これらは密集した別荘地帯かと思ったが、ここらからストックホルム中央駅まではトラムと地下鉄などで30分以内で行けるのです。

彼らの住まいは自然と一体、さらに最重要なことは家族との団らんのスペースであることなのです。
住まいには狭い庭であっても子供の遊具が置かれていたり、直ぐに水辺や林に行けることが重要なのでしょう。
そして通勤の便が良いことがこれに加わるのでしょう。
なにせ仕事が4時に終わって、直ぐに自然の中で家族と共に遊ぶのですから。



 

< 8.ストックホルム中心部 >

当然、中心部に住む人もいます。




 

< 9. 列車の窓から、一番上の地図の青線 >

車窓から眺めていると、多くは村ではなく数軒が集まった住宅エリアが森の中に点在しています。
農家は広大な敷地に一塊になって建っている。
おそらくは1家族のもでしょう。
時々、農家ではなく別荘風の家が森の中にポツンと点在している。

当然、駅に近づくと大きな街並みが見られます。
スウェーデンはやはり広大な原野や原生林が続く大地と言えます。
きっと土地の値段は安いはずです。


次回はオスロとデンマークの住まいを紹介します。 



20180706

北欧3ヵ国を訪ねて 10: 出会った素敵な人々 2





*1


今日も次回に続いて旅行中、親切にして下さった方々とのエピソードを紹介します。
北欧の人々の心の温かさに感動です。
また日本に好印象を抱いている人の多さに驚きです。


* オスロにて


 
< 2. オスロで >

朝、オスロのナショナルテアトレット駅に入って行くと、早々にどちらに行くべきかわからなくなりました。
この駅は地下鉄と郊外電車が入っており、ちょうど通勤時間でもあり沢山の人が足早に通りり過ぎて行きます。
私が立ちすくんでいると、一人の中年女性が近寄って来て、どうしたんですかと聞いてくれました。
私が行先を伝えると、乗るべきホームへの行き方を教えてくれました。

お陰で、スムーズに予定通りの地下鉄に乗れました。


この地下鉄に乗っていると、乳母車を押した男性が私の向かいに座り、「あなたは日本人ですか?」聞いて来ました。
私がイエスと答えると、彼は親し気に喋り始めました。

彼は数年前、長男を連れて奥さんと日本を1ヵ月旅行し、京都観光や富士山登頂をしたそうです。
写真の子は次男のようです。
彼は日本旅行のことが懐かしく、色々と話をしたいようでした。
私も1984年の前回と今回の北欧旅行について話をしました。
彼は私に多くの質問して来たのですが、私が答えあぐねている間に、彼の降りる駅に来てしまった。
私は英語の未熟さに腹立たしくなり、申し訳ない気持ちで一杯になりました。

彼は別れる少し前に、「あなたの今日の日程はどうなっていますか?」と聞いて来たので、私の日程表を見せると驚いていました。
それもそのはずで、この日は30分から1時間刻みで12カ所を巡る予定だったからです。
彼はこれから私が行くSognsvann Lakeは良い所ですよ、また次に訪れるコペンハーゲンは素晴らしと言ってくれた。

今思えば、予定を変更して、彼ともっと話しをすれば良かったと後悔しています。

なぜ北欧の人は、こうも私を日本人だと分かり、日本に好印象を持っているのだろうか?
この謎は解けないまま帰国することになった。

ここでも日本との違いに気づかされることになった。
それは彼が平日の午前中にも関わらず育児をしていること、また家族で1ヵ月間も海外旅行していることです。
北欧では年間5週間の有給休暇を取らなければならず、この内4週間の連続休暇が許されるのです。
これが長期の旅行を可能にしているのです。

既に述べましたが、女性だけでなく男性も育児休暇を取らなければならず、男性の取得すべき日数は増える傾向にあります。
これらのことが、北欧諸国の出生率を高め、労働者の意欲向上に繋がっているのです。

日本にはこの発想が欠落しています。



* デンマークにて

 
< 3. オスキレ駅のバス停にて >

バイキング博物館行きのバスが分からず、バスターミナルに座っている若い女性に聞きました。
彼女は答えることが出来なくて、横にいた高齢の男性が代わりに教えてくれました。
教えられたターミナル番号に行き、来たバスに乗り、運転手に確認すると大丈夫とのことでした。

運転手の近くに座りたかったのですが、空きが無かったので奥の方に座りました。
発車してから私は車窓の景色を追い、どこで降りるか迷っていました。
すると前の方の女性が降りる時、こちらを向いて笑顔で「バイキング博物館、次ですよ」と教えてくれました。

皆、実に温かく迎えてくれた人々でした。


 
< 4.野外博物館とヒレロズ駅で >

広い野外博物館内を巡っていると、出なければならない予定時間が近づきました。
私は出口への道に確信が持てず、かなり疲れて来たこともあり、ちょうど博物館の高齢の職人が目に入り、出口を尋ねました。

二言三言言葉を交わす内に、またもや彼は「あなたは日本人ですか?」と聞いて来ました。
わたしがそうですと答えると、「あなたはバスに乗るのですね?」と聞いて来たので、そうですと答えた。
すると彼はこちらに来なさいと言い、車両用のゲートまで一緒に行き、鍵を外しゲートを開けてくれました。
彼は終始笑顔でした。

そこから直ぐに広い道路に出て野外博物館前のバス停に迷わず辿りつくことが出来た。


ヒレロズ駅を降りて、フレデリクスボー城行きのバス停がわからず、近くを歩いている老齢の女性に尋ねました。
彼女は足腰が弱いにも関わらず、数十メートルを一緒に歩いてくれたが、結局わからないと残念そうに言った。
この時、運よく男性が通りがかり、彼女は彼に私を託して去りました。
彼はバスターミナルが見える所まで私を案内し、くどいほど302の番号を連呼し、私の理解を確認して去りました。
ここからバスに乗り、無事に目的地い着くことが出来ました。

旅行も2/3を終える頃には、私は迷う前に手当たり次第に誰かに聞くようになっていました。
私は図々しくなっている自分に驚きました。




 
< 5. コペンハーゲンの王宮付近で >

上の写真は朝、クリスチャンスボー城の横の広場に行った時の事でした。
上の写真の広場で、骨董市が行われている予定でしたが、誰も居ません。

諦めて別の所に行こうとした時、一人の若い男性がわざわざ近づいて来て私に声をかけました。
私は不安になって無視して去ろうとしたのですが、彼は怪しいものではないと、申しわけなさそうに話しかけて来ました。
彼は私に手助けしたいと言っているようでした。

私は彼にここで骨董市があるはずだがと尋ねました。
すると彼はスマホを取り出し、調べて事情が分かったようでした。
彼は私に「あなたは英語が話せますか?」と聞き、私は「少し」と答えました。
彼は無い理由を説明したいようでしたが、私は聞くことを諦めました。

私は残念そうにしている彼に別れを告げて去りました。
他の観光を終えて、寄ってみると骨董市はやっていました。
始まる時間が異なっていたようです。
彼には悪いことをしてしまった。


下の写真は、王立図書館内のロビー付近です。
図書館に来れば、私のアンケートに答えてくれる人が居るかもしれないと思い訪れました。
すると喫茶の前に、二組の日本人の母子が座っていました。

話を聞くと、二人のお母さんは日本出身で、デンマークに来て暮らしているとの
ことでした。
二人からは貴重なデンマークの情報や感想を聞くことが出来ました。
後日、紹介します。


次回に続きます。





20180703

北欧3ヵ国を訪ねて 9: 出会った素敵な人々 1





*1


今日は、旅行中、親切にして下さった方々、またお話をした方々とのエピソードを紹介します。
北欧の人々の温かさに本当に感動しました。


* はじめに
今回、私は老人で一人旅、しかも未熟な英語で行ってきました。
ツアーに参加せず、すべての手配を自分で行ったのも初めてでした。
海外旅行の経験はあったものの、ほとんどが初めての事でした。

当然、不安で一杯でした。
ほとんど毎日のようにハップニングが起こる中で、必死に周辺の人に片言の英語で助言を求め、例外なく、すべての人が親切に教えて下さった。
そして毎日の観光予定地5~8カ所のほとんどを訪問をすることが出来ました。

さらに北欧の人から私に声をかけて教えてくれたり、日本についてお話することもありました。
また時間が取れそうな場合、アンケートをお願いしたところ、声をかけた三人の人すべてが快諾してくれました。

今回の旅行はこれだけでも素晴らしいものでした。


 
< 2. シグツーナ行きのバスで >

私はこのバス停から今回初めてトラベルカードを使うことになりました。
(トラベルカードはストックホルム市の公共交通機関が乗り放題になるパスで、期間限定で購入します。)
事前にトラベルカードの使い方は購入したストックホルム空港で聞いていたのですが、やはり不安でした。

待っていると目的のバス(バスのルート番号、行先が合致)が到着しました。
私は勇躍してバスに乗り込もうとすると、運転手が降りて来て私を制止しました。
私は立ちすくみました。

すると彼は運転手の交代だと行って笑みを浮かべました。
一緒に待っていたインドイラン系の青年が先にバスに乗り、運転席に座りました。
それに続いて私もバスに乗り込み、カードを読み取り機にタッチさせました。

そして私はこのバスがシグツーナに行くかどうかを運転手に尋ねました。
すると運転手は分からないと答えた。
私はバスを降りるべきか迷っていると、下の写真の男性がシグツーナに行くよと教えてくれました。

実は、迷っている時間があったのは、この運転手が新米らしく何分間もエンジンが掛からなかったからでした。
結局は、バスは動き、シグツーナに辿り着くことが出来ました。

今回の旅行は、このようなハプニングや触れ合い、助け舟で始まり、さらにこれ以上に驚くようなハプニングが毎日続くことになりました。



 
< 3.ストックホルムの電車とホテルで >

ある電車に乗った時、珍しく座席の空きが少なかったので、男性一人が座っている4人掛けの席に座りました。
今まで、相席になることはないほど電車は空いており、また北欧の乗客は他人との接触を避ける傾向があるようです。
したがって私は馴れ馴れしくしないようにしていました。

すると南米からの移民に思えた彼は突如、にこやかに「あなたは日本人ですか?」と聞いて来ました。
彼は日本が好きで、特に「さむらい」が好きだと言っていました。
幾らか話してから、私は彼に「スウェーデンには何年前に来たのですか?」と聞くと、彼はこの国で生まれたと言った。
私の早とちりを謝った。
彼はおそらく二十歳代前半なので、移民二世なのでしょう。
そういえば着こなしが垢抜けしていた。
その後、幾らか会話を続けましたが、私の英語力不足もあって、話は噛み合わないことがあった。
それでも彼は電車を降りる時、満足な顔をして去って行きました。

これがこの旅行で最初の日本贔屓の方との出会いでした。


3連泊したホテルのフロントにイランインド系の男性がいて、やさしいそうなのでインド人なら英語が出来ると思い、彼にアンケートの記入を依頼しました。
(アンケート結果は後日紹介します。)
彼は快諾してくれて、英語のアンケート文を読み、記入を始めた。
彼は最初「スウェーデン語」で書いても良いかと聞いてきたが、英語で書くことを望むと、そうしてくれた。
彼はシリアスな質問に真剣に答えてくれた。

出身を記入する段になって彼はインド人ではなく、イラン人だと言うことがわかりました。
彼は20年前にこの国に来た。
若い頃、柔道をやっており、山下泰裕を尊敬しているとのことでした。

ここでもまた日本贔屓の方にあった。



 
< 4.ストックホルム中央駅周辺で >

私がユールゴーデン島行きのバス停を探している時でした。

初め、手当たり次第に二組の若い人に聞いたが、知らないのか、答えは得られなかった。
通りかかった高齢の女性に訪ねると、彼女は近くのバス停まで私と一緒に行ってくれてました。
彼女はそこが違うと分かるとまた戻り、少し離れた所にバス停があることを教えてくれて、途中まで一緒について来てくれました。

一人で、教えてくれた場所に行ってみると、道路は工事中でバス停は消えていました。
通りすがりの中年女性を見つけて、同じ質問をすると、彼女はバス停は無いので、中央駅の方に戻りなさいと、丁寧に教えてくれた。

この時の英語の説明が聞き取れなかったのか、大いに迷い、探し始めてから合計1時間ほど歩き回り、やっと駅前にある目的のバス停を見つけ、無事にバスに乗ることが出来た。
(交通機関の話は複雑なので、後にまとめて書きます。)

概ね、年配の人は片言の英語でも丁寧に対応してくれた。


 
< 5. 空港で >

帰国時のことです。

ストックホルム空港で、北京行の飛行機に乗る為にゲートで待つことになりました。
わたしは最後のアンケート記入者を探しました。
優しそうな40代ぐらいの白人男性の横に座り、意を決してアンケートのお願いをしました。
すると彼は快諾してくれて英語で記入してくれました。
彼はスウェーデン人でした。
彼も非常に日本に好感を持っており、日本の良い所、自然、料理、酒などを連呼していました。
彼は私と話したいようでしたが、私は疲れと航空券のトラブルもあり、それ以上話をしませんでした。
(航空券のトラブルは後日紹介します)
無言が続いた後、彼は席を立って行きました。


私は英語が出来たらとつくづく後悔しました。


次回に続きます。