20181222

連載中 何か変ですよ 209: あなたも「辺野古署名」に一票







この署名は辺野古埋め立ての中止を願うものです。
沖縄の思いが、今、世界に響こうとしています。
あなたの一票で、共にあることを沖縄の人々に示そうではありませんか。


  署名について
Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa
「国民投票が沖縄で開催されるまで、辺野古/大浦湾の埋め立てをやめる」(グーグル翻訳)

1. この署名は、沖縄県の国民投票2019年2月24日までの埋め立て中止を求めています。
2. これを発起したのは米国人(沖縄県4世)で、ホワイトハウスに届きます。
3. 請願が始まったのは2018年12月8日で、21日現在14万人以上が参加しています。
4. 手続きは非常に簡単で、三ヵ所の記入と返信メールをクリックするだけです。
(イ)  署名方法の説明 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/361226



  私が署名に託したこと

私はこれまで辺野古基地建設反対に賛同し寄付したこともありましたが、今回署名したのは昨日21日で遅かった。
私は諦めかけていましたが、この盛り上がりに背中を押された。

現在、沖縄県の民意の高まりに反して政府は徹底的に無視し、むしろいっそう強行しています。
私が一番危惧するのは、140万県民の思いを踏みにじる国の全体主義姿勢の強まりです。

日本の国民にとって何が大事なのでしょうか?

  国防が一番大事 
「中国の侵略に備えるためには米国との同盟強化と沖縄の基地が何よりも優先されるべき」は本当でしょうか?

中国が攻撃する可能性は? 沖縄基地の重要性は? まして辺野古基地の重要性は?
日米同盟が中ロとの戦火から完全に防いでくれる可能性は?

これまでの沖縄基地の代替え案の存在や、歴史的に見て抑止力と軍事同盟に頼った数多くの失敗例を知ると、これら防衛策がまったく無駄であったり、戦端開始を早めたりすることもある。

一言で云えば、防衛は必要だが沖縄に米軍基地を集中させる合理性は低い、むしろ弊害が大きい。


  国民が一番大事
「沖縄県民の大多数の民意を国が踏みにじることは国を危うくする」について考えます。

沖縄県民は我慢し続ければ良い。 人口の百分の一ほどの民意など取るに足らない。 国民によって選ばれた政府(官邸)の意向に逆らうべきではない。

沖縄と日本の20世紀の戦争の時代を振り返ると、政府が独走始める時、先ず政府に都合の悪い一部の国民が非国民と罵られ従わされ、遂には全国民に犠牲を強いることになった。

実は、事は単純なのです。
日本では、往々にして個人の権利がトップの意向による集団目標の為にないがしろにされるのです。
今が、その時なのです(日本は家族や社会文化にファシズムの芽を絶えず持っている)。

結論を言えば、先の不安(国や米国、右翼が煽る危機)よりも、現在進行中の政治社会の悪化を食い止めることです。

その為の、残された数少ない意思表示の一つなのです。

             
  最後に

様々な流言飛語が飛び交い、沖縄を見る目が曇りがちです。
是非とも本土の皆さん自身が、沖縄の歴史を知り、沖縄を歩き、沖縄の苦しみに思いを馳せていただきたい。

本土の人間も、原発で誤った道を進んだ苦い経験があります(もっともまだ反省していない人もいるが、不思議に太平洋戦争も同様に反省しない)。
かつて国民は原発に反対でした、しかし政府と電力会社の宣伝攻勢により、数十年かけて容認が支配的になりました。
一部の人が警鐘を鳴らしても政府、財界、学会、司法の圧倒的な力と財力で原子力村は増えて行きました。

そして事故が起こりました。
しかし想定外のこととして喧伝した側の人間は誰も責任を取らず、原子力村に暮らしていた人々が犠牲を払うことになった。

このような馬鹿げたことを、まだ繰り返そうとしている政府にNOと言えるのは、恐らく地に足を着けて暮らしている女性でしょう。
女性がより聡明になり、立ち上がらなければ日本は良くならない。


健闘を祈ります。




20181221

北欧3ヵ国を訪ねて 43: オスロ 2: Songnsvann湖からビィグドイ半島まで





*1

今回は、美しい湖から興味津々のビィグドイ半島までを紹介します。
湖畔を少し歩いた後、地下鉄とバスを乗り継いで半島まで行きます。
ちょうど市内の中心部を通過することになります。


< 2. 行程マップ、上が北 >

上から始まります。
Songnsvann湖の茶色線を散策し、その後、黒線の地下鉄でオスロ駅に隣接するJernbanetorgetまで行きます。
それから少し歩き、駅前のバスターミナルJernbanetorget停に行き、赤線のバス№30に乗り、ビィグドイ半島内のFolkmusetで降ります。

写真は2018年6月5日8:38~10:01で撮影したもので、撮影順に並んでいます。



< 3. 湖  >



< 4. 湖を楽しむ人々 >

私が湖畔を散策したのは20分ほどなのですが、写真のように湖畔の遊歩道や広場で楽しむ多くの人々を見かけました。
多くは一人から三人までの一組で、ジョギングやウオークを始めた。
湖畔一周は約3.5kmあり、きっと冬は雪のクロスカントリースキーが素敵でしょう。
また女性が広場のベンチに腰掛けている姿も見た。

本当に、北欧の人は自然を大切にし、自然と共に暮らすことを大切にしている。



< 5. Songnsvann駅に向かう途中 >

下の写真: 途中、ローラ―式クロスカントリースキーを行っている二組のグループを見た。
この建物はノルウェースポーツ科学学校で、この手前にオリンピックの名を関したスポーツホテルがある。
この一帯はどうやら冬のスポーツを楽しみ、訓練する場所のようです。



< 6. 地下鉄からの眺め 1 >

上の写真: 遠くにオスロ湾の海面が見える。
地下鉄と言っても、私が乗ったほとんどは地上を走行した。



< 7. 地下鉄からの眺め 2 >

北欧三ヵ国の電車はほとんど、いつ乗っても空いている。
ラッシュアワーでも、立つことはほとんど無かった。
どこでも車内はゆったりした独立シートで、人を詰め込むと言う発想が無いようだ。
但し、市中の路面電車は観光客も含め、人で一杯になることはある。



< 8. オスロ駅に隣接するJernbanetorget駅 >



< 9. オスロ駅の前を歩く >

上の写真: オスロ駅の東側にあるオスロ大聖堂が見える。

下の写真: どうやらリサイクルと環境保護を訴える廃品で造られた恐竜のようです。
さすが「持続可能性を追求する先進国」と納得した。
どこにもケバケバシイ看板や客引きのパフォーマンスを見ることはなかった。
陽光溢れる清々しい通りです。



< 10. 駅前のバスターミナルJernbanetorget >

上の写真: 写真の赤いバスに乗って目的地に向かいます。
ここには幾つものバス停が並んでおり、同じバス№30でも、行先が違うので注意してください。
結局、私は待っている人にどのバスに乗るべきか確認しました。
バスの乗車に、何らパスなどの提示は必要ありません。
これは地下鉄と路面電車にも通じます、もちろん無料ではありませんが。



< 11. 市内をバスで行く 1 >

下の写真: ここはウオータフロントで、右手にノーベル平和センターが見えます。
昼過ぎに再び訪れた時は、この一帯はたくさんの観光客や市民で溢れていました。



< 12. 市内をバスで行く 1 >

この首都オスロは大火災と首都移転により、400年以内の歴史しかないので目立って古い建築物は無い。
その中で、これは目を惹いた教会でした。



< 13. バスはビィグドイ半島に入っていく >

ほんとうに北欧の港にはヨットやボートが多い。


次回は、珍しいノルウェーの木造教会がある民族博物館を紹介します。



20181216

北欧3ヵ国を訪ねて 42: オスロ 1


  

*1

これから二つ目の北欧の国、ノルウェーを紹介します。
初めて訪れたオスロは輝く海と深い森に囲まれた美しい都市でした。
私はこの小さな首都を2日間見て回りました。



< 2. ノルウェーとオスロの地図、上が北 >

上の地図: 赤丸がオスロ、黒四角がカールスタッド、オレンジ線が乗って来た国際列車の路線、黄色線がこれから乗るコペンハーゲン行きのフェリーの航路です。

下の地図: この範囲(南北約2km)が首都オスロの中心部です。
赤丸が宿泊したホテル、茶色四角がオスロ中央駅、青色四角がフェリー乗り場です。



< 3. 私が観光したオスロ、上が北 >

私がオスロを観光したのは2018年6月5日(火)と6日(水)です。
赤枠は私が訪れた所です。
地図の南北の長さは約14kmです。

今日紹介するのは、一番上の、湖がある自然公園Songnsvannです。
主な訪問地を示します。
Aは様々な博物館があるビィグドイ半島です。
Bは観光地ではないが、海沿いの暮らしが見たいと訪れたUlvøya islandです。
Cは中心部で、王宮、博物館、中央駅周辺、発展が著しいウオーターフロント、オスロ湾を望む古城などがあります。
Dは彫刻の公園と巨大な墓地があります。

以下の写真は撮影順に並んでいます。
撮影は5日の7:45~8:35です。



< 4. ホテルからいざ出発 >

先ず、地下鉄に乗るために国立劇場駅まで歩きます
上の写真は駅の方向、下の写真は振り返った所。

素晴らしい朝、綺麗な青空が広がっています。
身が引き締まる冷気と温かい陽射しが気持ち良い。



< 5. 王宮とカールヨハン通り >

上の写真: 広大な庭園の奥に王宮が見える。

下の写真: 反対方向を見ると、中央駅に向かうカールヨハン通りが見える。



< 6. 国立劇場駅と国立劇場 >

上の写真: 交差点の向かい、写真中央に国立劇場駅が見える。
この駅には鉄道と地下鉄が通っている。
右手は王宮庭園です。

下の写真: 進行方向、左手に国立劇場が見える。
至る所、街路で花が咲き誇り、清々しい気分になる。



< 7. 国立劇場駅 >

上の写真: 交差点から東側(進行方向左)、中央駅側を望む。
今回、幾度もこの手のトラムにお世話になりました。

下の写真: 右側が国立劇場駅。



< 8. 国立劇場駅内部  >

上の写真: 中に入ると構内は意外に大きくて、また朝の通勤ラッシュで、多くの人が足早に通り過ぎて行った。
私がどちらに行くべきか思案していると、一人の女性が寄って来て、どうしたのですかと尋ねてくれた。
行先を伝えると、どのホームに行くべきか詳しく教えてくれた。
今回の旅行では、本当に多くの人に助けて頂いた。
特に北欧の年配女性の心遣いがうれしい。
一方で、なぜか若い女性は、道を聞いても知らない場合が多々あった。



< 9. 地下鉄に乗って >

短い乗車時間だったが、貴重な体験をした。
途中の駅から乗って来たベビーカーを押している男性が、私に何やら親しげな表情を見せる。
やがて私の前の席が空くと、彼は子供(次男)を抱き上げ座った。
彼から声を掛けて来た。

彼の話では、数年前、奥さんと長男の三人で日本を1~2ヵ月旅行したとのことでした。
そして富士山登山もやり、日本の食べ物も気に入り、どうやら日本の大ファンのようです。
私は、これが二度目の北欧旅行で、前回、オスロに行っていないので、今回の訪問を楽しみにしていますと伝えた。
その後も話を続けたが、彼は急に今日の私の予定を聞いて来たので、私は今日の日程表を見せた。
そこには、朝8時から夕方7時まで、12ヵ所の訪問予定がびっしりと書き込まれていた。
彼はそれを見て残念そうに別れの挨拶をして途中の駅で下車した。

後で気付いたのだが、私は他の訪問を減らして、彼と共に下車して話し合いを続けるべきだったと悔やんだ。


彼との会話で感じたことがある。
彼は、スウェーデンのストックホルムよりもデンマークのコペンハーゲンに親しみを持っているようでした。
ノルウェーとスウェーデンは同じ自然風土を持ち、隣国同士なのになぜなのか?
この感情が、1世紀前までの長いスウェーデン支配とノルウェー王家がデンマーク王家の血筋によるものかどうかはわからない。
後にノーベル平和センターを訪問して、これへの理解が少し深まることになる。

彼の日本旅行とベビーカーから言えることがある。
それは育児と休暇の制度が日本より遥かに進んでいることです。
彼だけでなく男性がベビーカーを押している光景を北欧でよく見かけた。
これは男性が1年ほど女性に替わって育児を行うことが普及していることを示す。
当然前半の1年は女性が育休を取得するのだろうが。
また彼らは本当に長期休暇を楽しみ海外旅行に出かけているようだ。
年に1ヵ月は休暇を取らなければならない制度になっている(分割も可能だろうが)。

まことに羨ましい。
明らかに日本は遅れている。
北欧は生活エンジョイの先進国、日本は働き放題の後進国だと感じた。



< 10. Songnsvann駅 >

この終着駅に降りて驚いたのは、改札も垣根も何にも無いことでした。
粗末なバス停と何ら変わらない。
車掌が改札をするわけでもない。
省人化が進んでおり、交通システムのコンセプトがまったく日本と異なる。
私はこれの方が良いと感じた。



< 11. 湖が見えて来た >



< 12. ノルウェーの森と湖 >

朝の8時半頃、学生の課外授業のようだ。
北欧を旅すると、このように自然の中での課外授業によく出くわした。

多くの水鳥が羽を休めていた。



< 13. 湖 >

これまで見て来たスウェーデンの湖とはまた一味違う。
一つには山に囲まれていることと砂浜があることでしょうか。
木々は寒冷地特有の背の高いものが多いように思う。
正にこれがノルウェーの森かもしれない。


次回に続きます。