< 我が世の春 >
多くの人は老後までを視野に入れた将来設計をしない。
必ず皆、歳をとるものだが。
なぜなのか?
例えば巨大ダムのすぐ下流で暮らす人ほどダムの危険性を気にしない。
車の運転手や原子炉のオペレーターも同様だろう。
心配性が度を越して神経症になるかもしれない。
毎年、多くの起業家が会社を興し、数年以内に半分は倒産する。
創業期を乗り越えても、経営者は倒産を考えると夜も寝れないだろう。
楽天的でなければ起業も経営も出来ない。
それにしても、必ずやって来る老後を丁寧に予想し準備する若い人を見たことが無い。
人は将来の不安から目を逸らしたいのだろうか?
人は進化の過程で、将来に希望と不安の両方を持つようになった。
これは前頭葉と脳内物質(ホルモン)の分泌器官の発達による。
そして、このバランスが良ければ、将来の目標に向かい、不安な要素を取り除きながら達成することになる。
しかし社会が豊かな時代を経験し徐々に衰退している時、人々はこれまで特段気にもせず上手くやってこれたのだからと慢心してしまう(マンネリ化)。
まして過去の大危機を経験した人が居なくなると、社会全体がイソップ「アリとキリギリス」のキリギリスになってしまう。
こうなると単に個人の危機意識だけでなく、社会や経済、安全保障について共有すべき危機意識も捨ててしまったようだ。
次回に続きます。
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