20260923

 


「一時の自己満足の為に人類を破滅させては、神も悲しむだろう」

 

この短縮版は、既に投稿済みの「迫る多難な危機」を、少し内容を割愛、分割して連載します。

 

まえがき

 現在、深刻な危機が同時多発的に地球と人類に迫っています。特に、この20年あまり、一部の大国が身勝手に振舞って来たことでより加速しています。今、私達が立ち上がらないと、子孫に顔向け出来なくなる。家族と世界を再び幸福にしましょう。Make the world and people happy again!

 

 

--- 目次  ---

 

第3章 我々が直面している危機

 3-1 進む独裁  

    最恐の独裁者プーチン

      悪運の強いプーチン

    まとめ

 3-2 ウクライナ戦争     

     まとめ

 

 

第3章 我々が直面している危機

 

 我々に幾多の大きな危機が迫りつつある。それらには歴史上繰り返され来た危機や、まったく未知の恐ろしさ秘める危機もある。これらの危機を見極め対処しなければ、一国の疲弊や破綻に留まらず、遂には人類と地球に大きな損害を与えることになるだろう。数多くの危機の中から、最重要なものを選んだ。

 

3-1 進む独裁 

 

 最恐の独裁者プーチン




 現在、私が最も恐れる一つは世界大戦の勃発で、この鍵を握っているのはプーチンであり、独裁傾向が強まるトランプです。プーチンが恐ろしいのは、狂暴で冷酷な独裁者であり、最大の核兵器・軍事力・経済力をも併せ持つからです。注目すべき点は、彼が暴力と戦争によって彼の権力基盤を強固にして来た事実です。ヒトラーが、初期の領土拡大で絶大な人気を博したように。

 

 プーチンが大統領になった経緯から彼の恐ろしさが見える。プーチンは、9196年、サンクトペテルブルクの副市長になり外国企業誘致を牽引した。彼と仲間のKGBは外国企業誘致の必要性を誰よりも感じていた。この事が、後のソ連国内の国有企業(地下資源や銀行)などのオリガルヒ独占を生むことになった。彼らはロシアを守る為に、彼らKGBの息のかかった者で買い占る事だった。このロシア第二都市であり最大級の港湾都市はKGBと地元マフィアに牛耳られていた。彼は、マフィアと折り合いを付け、秘密警察・税務所を操り官僚や民間等の権力者の悪事を掴んで脅迫して、従わせる常套手段を完璧に身に着けることになった。サンクトペテルブルクは彼に牛耳られるようになり、彼は影の実力者と見做されるまでになった。プーチンの汚れ仕事の引受人プリゴジンとの付き合いはこの時代に始まった。

 


 96年、プーチンはロシア大統領府内に抜擢され、98年大統領府第一副長官とロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任したが、これ以降、彼はこのFSBの力を遺憾なく発揮し、頂点に登ることになる。エリツィン大統領は、人気に陰りが見えて来ていたが、その裏で家族も含め賄賂で肥え太っていた。これを検事総長が暴こうとしたが、逆にプーチンは、検事総長のセックススキャンダルをTVに公開し、彼の追い落としに成功した。この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得るようになり、エリツィンによって首相に任命された。彼はこれまで二人のトップの側近として暗躍し、選挙を経ずに頂点の手前迄上り詰めた。しかし、彼は、暗い性格もあり、国民からの人気は今一つだった。ところがこの年、彼が一躍脚光を浴びる大事件が起きた。それは300名の死者を出したロシア高層アパート連続爆破事件でした。プーチンは記者会見において、「テロリストはどこまでも追跡する。たとえ便所に隠れていてもやつらをぶち殺す」と言い放った。彼は、爆破のテロ犯をチェチェン独立派とみなし、即刻、チェチェンを爆撃・侵攻し、民間人への残虐行為で国際社会から批判された。プーチンはチェチェン独立派を瓦解させ、親露派の大統領を誕生させた。ロシア国民は、異教徒であるチェチェンには悪感情を抱いていたので、これでプーチンは一気に人気を高めた。そしてプーチンは、引退を宣言したエリツィンによって大統領代行に指名された。プーチンが最初に行ったのは、エリツィンとその一族のその後の生活を保障するという大統領令に署名することだった。この手打ちは独裁がスムーズに移行するには欠かせない。2002年、イギリスに亡命していた元FSBのリトビネンコは、自著のなかで、「この事件はチェチェン侵攻の口実を得ようとしていたプーチンを権力の座に押し上げるため、FSBが仕組んだ偽装テロだった」と証言している。この後、リトビネンコは何者かに放射性物質を盛られて暗殺された。英国は、放射性毒物が特殊でロシアのみが使う事などから、この暗殺はおそらくプーチンの承認によるとした。


 

 この数年の政治の流れは、ヒトラーが首相そして総統になる流れと酷似している。高齢のヒンデンブルグ大統領と弱り目のパーペン首相を操りながら、国会議事堂炎上事件を利用して、伸し上がって行く陰謀の政治ドラマを見るようです。

 

 プーチンの軍事侵攻とテロ対策の歴史は、彼を「剛腕なリーダー」として人気を不動のものにしていくことになる。1999年~、第二次チェチェン紛争。2008年、ジョージア(グルジア)紛争。2014年、クリミア併合とウクライナ東部紛争。2015年、シリア内戦への軍事介入。2022年、ウクライナ侵攻は現在、進行中。

 

 プーチンの警察・軍部の暴力に頼る経歴を見ていると、軍事侵攻は独裁の為の手段にしか見えない。サンクトペテルブルクから現在に至る、様々な暗殺や裏での陰謀は底知れない恐ろしさがある。2022年以降、ロシアの政治家、軍高官、新興財閥(オリガルヒ)など75名以上の著名人が不審な死を遂げている。プーチンの資産は20兆円に達するとされている。これだから独裁者は辞められない。この収入は、忠実なオルガルヒや様々な企業の上納金による。ロシアの腐敗は酷く、企業等の許認可や運営には、裏金の提供無くして出来ない。逆らえば、潰されるか、殺される。選挙はかなりインチキで、総ての報道機関はプーチンに牛耳られ、プーチン賛美のニュースばかり、治安警察や諜報部門は手ぐすね引いて、反抗する者を捉え、始末する。

 

 

悪運の強いプーチン

 プーチン大統領就任以降、ロシアのGDPが急激に上昇し48倍になっているが、これは原油価格が48倍のなっていることに呼応していたからです。ロシアの連邦予算の歳入の約半分は、原油、石油製品、天然ガスの輸出によるもので、彼の経済政策とは無縁でした。強いて言えば、オルガルヒから実権を奪ったのが幸いしている。

 またプーチンは、国内の最右翼の歴史観を取り入れ、暴発を抑える一方、共産主義時代には不遇だったロシア正教を、国民統合の支柱とみなし支援した。その返礼に、ロシア正教の総主教はウクライナ侵攻を「聖戦」と位置づけ、プーチン大統領の統治が神の意志によるものだと讃えた。さらに敵対するはずの民主大国の交渉相手は扱いやすいトランプなので、プーチンの天国はまだ続くことになる。

 

まとめ

 世界が、ウクライナ側に立ち、ロシアをさらに牽制し、経済封鎖等の一層の強化で、ロシア経済を追い込むことは重要だと思う。軍事支援も行うべきです。

 ロシアが難なくウクライナを手に入れると、プーチンは次の侵略を行う可能性もあり、さらには北朝鮮、中国、イスラエル等も、力で国境を変更しようとするでしょう。これはヒトラーの領土拡大時の欧米の初期対応の間違いを思い出せば、予想できるでしょう。19世紀半ば、西欧各国が競争するように帝国主義に没入し、遂には第一次世界大戦に繋がった事も、領土の奪い合いを放置する危険性を教えてくれる。米国は、トランプがいる限り、信頼できないので、米国頼りから脱する事も不可欠です。

 

 私は、日本が戦争を抑止する為の選択肢は、プーチンのロシアではなく習近平の中国にあると考える。ロシアと中国は共に独裁国で、従来の共産主義からは異なる体制です。しかしプーチンと習近平がトップに躍り出る経緯には大きな違いがありました。既に見たようにプーチンは、長期の腐敗・混乱・疲弊した社会から、秘密警察KGBとマフィアの力でのし上がった。一方、習近平は成長と自由化が進みつつある社会から、権威の後裔と政治手腕によって成りあがった。また両国を比べると、明らかに経済の基礎力が違う、天然ガス・石油産業の独占か自由市場と開発独占(AIIT)か。両国が独裁国家である事には変わりはないが、ユーラシア大陸の東端で孤立状態にある日本にとって、複数の軍事大国を相手にするよりも、ロシアと中国の分断を図り、中国とは戦わない戦略を取るべきです。

 

 

 

3-2 ウクライナ戦争


 ロシアは、ウクライナ侵攻の理由として、NATO拡大による安全保障上の脅威、ロシア語話者の保護、「非ナチ化」をあげているが、私は、プーチンの行動パータンから、この戦争はプーチンの野望を果たす一環だと考える。これまでの欧米とロシアのやり取りからも、ウクライナやNATOに非があるようには思えない。

 

元ウクライナ特命全権大使の角茂樹氏の2025年朝日講座での意見の一部を紹介します。

 『ウクライナは欧州最大級の国土を持ち、人口は4千万人。肥沃な穀倉地帯と工業地帯を抱え、首都キーウは千年の歴史を持つ古都です。ロシアの影響を受けたのは近世以降で、それ以前はむしろ西欧文化に近い歴史を歩んで来ました。言語もロシア語とは大きく異なり、ポーランド語に近いです。第一次世界大戦後に独立を宣言したものの、ソ連に組み込まれ、農産物の強制徴発と大飢饉を経験しました。1991年に独立を果しますが、プーチンはウクライナこそがソ連崩壊の引き金であると考えました。こうした状況にあってウクライナは、NATO志向を強め、国民的合意に近い形で西側との結びつきを選びました。これを阻止しようと始められたのが今回の侵略です。しかしプーチンの誤算は、ウクライナ国民の強い意志でした。「ロシアの支配には戻らない」という決意が、徹底抗戦へとつながりました。私自身4年半ウクライナに駐在しましたが、人々の誇りや自立心を肌で感じていました。緊張は高まっていましたが、まさかこれほどの暴挙に出るとは、多くの国と同じく私も予想していませんでした。戦争はしばしば非合理に始まり、リーダーの誤った期待が惨禍を招きます。その中でゼレンスキー大統領が首都に踏みとどまったことは国民に大いに勇気づけ、NATOGの支援を呼び込む結果になりました。』 

 この発言が最も真実に近いと思います。

 

 この戦争で注意すべき点がもう一つあり、トランプの存在です。トランプはプーチンと繋がっており、またウクライナを利用することしか眼中にない。著書「プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち 下」に、詳細が記されている。要点は、プーチンの方から、遥か昔よりトランプが有効な政治カードに使えると見て、資金援助と情報提供を行っており、大統領選ではSNSによる攪乱で応援していた。トランプはこれを知っており、弱みも握られていると見る。

 

まとめ

 ウクライナ戦争が危険なのは、ロシアの極右勢力の思想「大ロシア帝国の復活と、西欧リベラリズム(自由主義)への徹底的な宣戦布告」があって、プーチンはこれを取り入れることで権力基盤をより強固にしているからです。つまりプーチンは、少なくとも大ロシア帝国の復活までは戦線を拡大せざるを得ない。ところが戦争とは、途中で簡単に止めることが出来ず、往々にして戦域は類焼するように広がるものです。したがってウクライナには酷だが、類焼する前に、ロシアを休戦に追い込む必要があるのです。そのために、世界はウクライナを支援すべきです。これにより、北朝鮮や中国による他国への侵略を思いとどまらせることになる。ヨーロッパが日独伊の軍事独裁国の侵略を初期に傍観した代償は、あまりにも甚大でした。

 

 

----全体の目次-----

第一章、世界に迫っている危機の要約。

第二章、人類はこれまでに危機に対してどう対処して来たか。 

第三章、我々が直面している重大危機。

第四章、米国の衰退と世界の危機回避能力喪失は一体。

第五章、如何にあるべきか。

第六章、成功している北欧は資本主義のもう一つ道。

 

 

 




20260922

短縮版 迫る多難な危機  第二章 2-8,2-9

 


「一時の自己満足の為に人類を破滅させては、神も悲しむだろう」

 

この短縮版は、既に投稿済みの「迫る多難な危機」を、少し内容を割愛、分割して連載します。

 

まえがき

 現在、深刻な危機が同時多発的に地球と人類に迫っています。特に、この20年あまり、一部の大国が身勝手に振舞って来たことでより加速しています。今、私達が立ち上がらないと、子孫に顔向け出来なくなる。家族と世界を再び幸福にしましょう。Make the world and people happy again!

 

 

--- 目次  ---

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

2-8 分断と対立を非暴力で乗り越えた社会があった 

   まとめ 

2-9 国家は対立・分裂し、また融和・統合を繰り返してきた 

   まとめ

 

 

 

 

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

 人類は、初期には自然の猛威だけでなく、自ら作り出した災厄からも逃げ出すしかなかった。しかし、やがて工夫と協力で危機を乗り越えて来た歴史があります。失敗や成功の事例を見ます。

 

2-8 分断と対立を非暴力で乗り越えた社会があった

 

 歴史上、深い分断を乗り越え、暴力なしで国家や社会の統合に成功した事例を振り返ります。

 


 1930〜1960年代、米国はニューディールと公民権運動成し遂げた。米国は、1929年の大恐慌による空前の失業率(約25%)と経済の崩壊に直面していた。また南部における露骨な人種隔離(ジム・クロウ法)など、階級や人種を巡る凄まじい分断があった。F・ローズヴェルト大統領は、労働者、農民、南部保守派、都市部の移民やアフリカ系アメリカ人を政治的に結びつける「ニューディール連合」を形成し、手厚い社会保障や経済的不安を緩和する公共事業を行った。彼は、社会・人種的に対立しがちな人々に「雇用」や「社会保障(年金制度など)」という実利を提供することで団結させた。この政策は、ケインズが説いたばかりの「有効需要理論」の最初の大きな成功事例でした。

 さらにケネディ大統領らが1960年代の公民権運動を支援し、法的な人種隔離を撤廃し、少数派を国家の枠組みへと統合するプロセスを進めました。

 

 1938年〜、スウェーデンは国家的な労使協調路線を創り上げた。1930年代の世界的不況の中、スウェーデンでも労働者側と資本家側の激しいストライキや暴力沙汰が相次ぎ、社会秩序が崩壊寸前でした。労使双方が政府の介入を待たずに直接交渉を行い、「サルツシャーデン協定」を締結。「労働争議におけるルール作り」と引き換えに、資本家側は雇用や賃金の安定を約束し、労働者側は経営権への不介入を受け入れました。これを機に「労働組合・経営者・政府」の協調体制が生まれ、世界最高水準の社会保障を支える強固な社会的連帯(国民の家構想)の土台となりました。この協定は、激しい労働争議を抑制し、協調的な関係を目指して労使双方が参加する共同の紛争処理・調整機関を作り、平和的解決を図る仕組みを整えた。このモデルは北欧各国に浸透し、今も高度な福祉国家を支え続けている。


 

 1990年代南アフリカは平和裏にアパルトヘイトを乗り越えた。アパルトヘイト(白人による人種
隔離政策)の崩壊直後、白人支配層と被支配層の黒人、さらには解放を目指す黒人派閥間にも、数十年におよぶ弾圧と暴力による、修復不可能なほどの深い憎悪と分断が存在していました。黒人の解放活動家のリーダーだったネルソン・マンデラは、国際世論の後押しで白人政権から平和裏に政権を引継ぎ、大統領になった。しかし前政権支配層の加害行為、また解放方針の違いで敵対する黒人集団への対処が喫緊の課題でした。彼は、過去の人権侵害の加害者が公の場で真実を告白すれば刑事訴追を免除する「真実和解委員会」を設置しました。彼は、復讐に走り厳格な処罰を行えば報復合戦が始まり内戦に至ることを避けた。この道は、想像絶する苦難を伴いました。武装闘争で対立していた黒人グループが白人の支援を受け、マンデラ路線を葬るために、彼のグループを短期間に2万人以上殺戮していたが、彼は皆に耐えるように訴え、内戦勃発を防ぐことが出来た。

 

 1965年〜、シンガポールは独立時に多民族国家構築を成し遂げた。シンガポールは中華系、マレー系、インド系などの諸民族間で血生臭い人種暴動が発生した直後であり、国家として極めて脆弱な分断状態にありました。リー・クアンユー政権は、特定のマジョリティ優遇ではなく、英語を共通の行政・ビジネス言語としつつ、4大公用語(英語・マレー語・中国語・タミル語)を平等に扱い、すべての民族が等しく恩恵を受けられる住宅政策や義務教育を徹底しました。民族ごとの居住区の固定化を防ぐため、公団住宅に各民族の入居比率制限を設け、日常的な交流と融合を促しました。特定の民族優遇を避け、4つの主要宗教の祝日を平等に尊重する政策をとりました。民族に関わらず、能力と実績に基づいて評価・登用する仕組みを徹底し、国家の安定と経済成長につなげました。

 

 

まとめ

 人類は歴史を重ねる中で社会内部に多くの対立を生み出しては、紛争を招くこともあったが、上述のように融和策で団結を図り、次代の発展へとバトンを渡すことが出来た。

 

成功の要因。

l 一方が他方を力で抑え込まない。

l 異なるグループがそれぞれ公平な利益配分を得る為の制度的妥協点を見出す。

l 互いに合意出来る、対立を処理できる制度が必要。

l 多くの場合、優れたリーダーが牽引した。

 

 

 

 

2-9 国家は対立・分裂し、また融和・統合を繰り返してきた

 

 ここでは、紛争と公害防止以外の経済・社会・格差・健康などで世界が協力した事例を見ます。

 

 先ず世界最古の国際法とみなせるローデス海法がありました。古代ギリシャ・ローマ時代から7世紀頃まで採用された海上法規です。嵐の際に船を軽くするために積み荷を海へ投げ捨てた場合「救われた船や残りの積み荷の持ち主全員で、失われた損害を分担する」というルールを世界で初めて定めました。これ以前は、「漂着した難破船の財産は、その海岸の領主や住民のものになる」という略奪的な慣習がまかり通っていました。

 

1919年、ILO(国際労働機関)設立、加盟国187ヵ国。これは、第一次世界大戦後世界の労働条件改善することにより労働者の不満が社会不安や革命につながるのを防ぎ、労働者を酷使する国との国際競争で不利にならないようにする経済的な目的も兼ねていた。児童労働強制労働労働時間結社の自由最低労働基準差別などについて国際基準を作ってきた。「18時間・週40時間労働」や「有給休暇」などの制度は、ILOのおかげで世界中に広まった。ところが、日本は基本条約の5件の内3件は批准せず、また米国の批准数はさらに少なく世界でも最低水準です。両国の労働者の権利が軽視されている証左でしょう。

 

19441947年、ブレトン・ウッズ体制からGATT誕生まで。これは、戦間期の保護主義と通貨混乱を二度と繰り返さないために、為替安定・短期資金支援を担うIMF、復興・開発資金を担う世界銀行

と国際貿易の自由化(GATT)を柱として構築された。GATTは、関税の引き下げと非関税障壁の撤廃などにより、貿易摩擦を解消し世界貿易量の爆発的な拡大を後押しした。世界は貿易ルールに従って経済的孤立から互いに経済的繁栄を目指した。これがグローバル化を成功させた残念なことに米国は、80年前の禁じ手(関税)にしがみつこうとしている。

 

1980年、世界保健機関(WHO)による天然痘根絶。WHO(世界保健機関)の主導のもと、冷戦下であったにもかかわらず米国とソ連を含む世界中の国々が協力しました。資金提供、ワクチンの大量生産、世界各地での徹底した接種キャンペーンと監視活動を連携して行い、1977年、ソマリアでの発生を最後に、地球上から無くなりました。人類史上初めて感染症の根絶に成功しました

 

1987年~、Erasmusスタート。欧州連合(EU)が主導する大学生等の国際交換留学・教育支援プログラムです。目的は、ヨーロッパ圏内および世界各国との間で学生や教職員の流動性を高め、多様性の理解や国際的なキャリア形成を促進することで、累計参加者は1300万人を越えている。

 

2000年、国連ミレニアム開発目標(MDGs)採択。全加盟国によって採択され、2015年までに貧困・飢餓・初等教育・母子保健などを改善する8つの目標を掲げました。極度の貧困と飢餓の撲滅、普遍的な初等教育の達成、ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上、乳幼児死亡率の削減、妊産婦の健康状態の改善、HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止、環境の持続可能性の確保、開発のためのグローバル・パートナーシップの構築が目標でした。上記目標の「極度の貧困率の半減」や「栄養不良人口の割合半減」などは見事に達成されました。MDGs成果の一つとして、1990年から2015年にかけて10億人以上の人々が極度の貧困(11.25ドル未満での生活)から脱却することができました。これを引継ぎ、SDGがスタートしました。MDGsが主に開発発展途上国を対象としたが、SDGはすべての国を対象にし、17の目標でスタートし、2030年まで行われる。 。

  


2015年、パリ協定(気候変動対策)批准。190か国以上が批准した気候変動対策の国際枠組みです。       

  各国が自主的に温室効果ガス削減目標を提出し、5年ごとに見直す仕組みにより、事実上すべての国を巻き込む合意を実現しました。世界の平均気温上昇を産業革命前と比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力を追求することを掲げています。しかし現状、国連環境計画の試算では、現在の各国の政策のままでは今世紀末までに2.6℃〜2.9℃の気温上昇が予測されており、1.5℃に抑えるための削減ペース(2030年までに約42%削減など)には遠く及んでいません。また温室効果ガス排出量世界2位の米国はトランプの意向によってパリ協定からの離脱・復帰を繰り返し国際協調を阻害している。

 

 

まとめ

  世界は、先ずヨーロッパ内での協力で始まり、第二次世界大戦後は、世界各国が協力するようになった。それはグローバル化と併走していた。明らかに一国の努力では解決出来ない課題が増えており、各国が協力しなければならなくなった。様々な国際機関を作り、機能させて来た。だが、うまく機能しているとは言えない。各国間の所得格差(貧困度)は緩和・縮小傾向にありますが、名目GDPで約800倍、購買力平価(実質的な生活水準)で約80倍の差がまだあり、経済的・技術的な協力には限界がある。また多極化が進み、南北問題から南の代表としてブリックスBRICSが影響力を高めている。さらにロシアと中国の独裁だけでなく、右派ポピュリズムが米国を筆頭に多くの国を内向きにさせている。ただでさえ国連は軍事・制裁の執行力を持っていないのに、拒否権により決議すらできないでいる。不安な状況が続いている。

 

 

 

----全体の目次----

第一章、世界に迫っている危機の要約。

第二章、人類はこれまでに危機に対してどう対処して来たか。 

第三章、我々が直面している重大危機。

第四章、米国の衰退と世界の危機回避能力喪失は一体。

第五章、如何にあるべきか。

第六章、成功している北欧は資本主義のもう一つ道。

 

20260921

短縮版 迫る多難な危機  第二章 2-7

 



「一時の自己満足の為に人類を破滅させては、神も悲しむだろう」

 

この短縮版は、既に投稿済みの「迫る多難な危機」を、少し内容を割愛、分割して連載します。

 

 

まえがき

 現在、深刻な危機が同時多発的に地球と人類に迫っています。特に、この20年あまり、一部の大国が身勝手に振舞って来たことでより加速しています。今、私達が立ち上がらないと、子孫に顔向け出来なくなる。家族と世界を再び幸福にしましょう。Make the world and people happy again!

 

--- 目次  ---

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

2-7 幾多のエポックが社会を変え、発展をもたらした             

まとめ 

 

 

 

 

 

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

 人類は、初期には自然の猛威だけでなく、自ら作り出した災厄からも逃げ出すしかなかった。しかし、やがて工夫と協力で危機を乗り越えて来た歴史があります。失敗や成功の事例を見ます。

 

2-7 幾多のエポックが社会を変え、発展をもたらした

 

 人類の進化・進歩は、幾たびかの「大きなエポック(技術的・社会的転換)」を経て行われた。しかし社会内部では大きな対立と攻防がもたらされた。人類はこれらをどう乗り越えて来たのか? 四つのエポックが人々に何をもたらしたかを見ます。


 

 農業革命は約1万年前に始まり、それまでの採集から栽培・家畜化へ進み、定住と貯蔵が可能になった。そこから大変動が始まります。定住と土地の所有、食料の貯蔵が普及し人口が増えました。一方、不作になると他村の備蓄、家畜や土地を奪う事で生き残りを図るようになり、襲撃・略奪が増えた。やがて富の格差が生じ、支配者が生まれるようになった。青銅器時代になると戦争と都市化が加速した。紀元前3300年頃から始まり19世紀まで続く王権のスタイルが誕生し、強化されていったので、平民・奴隷は重税・賦役に耐える長い時代を生きることになった。生産効率を格段に上昇させた農業革命は、戦乱が平定され王権が安定すれば、平和が訪れて経済と文明の発達をもたらした。

 

 




 精神革命は紀元前800年~紀元前200年に、ユーラシア大陸の4つの地域でほぼ同時に興りました。ユダヤ教、ギリシャ哲学、諸子百家、仏教等の新しい哲学や宗教が誕生した。これらには以前に無い特徴があり、部族や小国を越えた広い地域に適用できる普遍的な真理や道徳を持つ思想や宗教でした。これが生まれた背景に、鉄器の普及により生産力と軍事力が向上し、大規模化する戦争が都市国家から大規模国家へと統合させたことがある。また交易網が発展し、異なる文化や異質な価値観が接触することで、自民族のローカルな神話を客観視し、より抽象的で普遍的な真理が生まれる土壌が育った。この過程で、敗れた王権の伝統的権威が失墜し、王宮の形骸化した祭祀(宗教)に批判が向けられた。一方で祭祀者(司祭)や軍の参謀らの知的エリート層の中から、新しい思想や宗教が生み出された。彼らの思想や宗教は、血縁や共同体の崩壊で混乱する民衆の心を捉え、大きな広がりを見せた。新しい帝国は、これらの宗教が社会に強い紐帯や安寧をもたらすとし国教と定め、押し広めた。こうして国家と普遍的宗教が強く結ばれるようになり、世界宗教として現在まで絶大な力を持っようになった。ギリシャ哲学でさえ、宗教(神)を否定することなく、神事は継承され都市民の絆として残った。精神革命は、社会の混乱の中から生まれた思想・宗教が民衆と国家に受け入れられ、その後も国家平定に役立ち続けた。

 


 商業革命15世紀から18世紀にかけてヨーロッパで起きた。大航海時代を契機に世界規模の貿易ネットワークが形成され、金融制度・商業組織・社会構造が劇的に変化した。この過程で、為替手形等の金融制度が発展し、株式会社が誕生し、近代資本主義の原型が生まれた。また社会にも変化が起きた。商人・金融家は、港湾都市が発展すると、農業収入に依存していた封建領主に代り、巨富を築き、力を得るようになり、後の市民革命の担い手になった。新規なものに投資することにより富を築く事が可能になったことで、従来の身分や慣習に囚われない、自由な発想が商人を中心に広がっていった。こうした中、彼らの思いを代弁するような思想がいくつも生まれた。18世紀スコットランドのアダム・スミスの経済思想へと結実していきました。彼の言う「個人が自らの利益を追求して自由な経済活動を行えば、市場の価格メカニズム(見えざる手)によって、結果的に社会全体の富や便益が最大化される」が、現在も呪文のように唱えられている。

 

 16世紀の宗教改革の思想の一部には商業革命の影響も受けていた。カルヴァン派(プロテスタントの一派)が誕生し、西ヨーロッパの商工業者を中心に爆発的に広がり、後に英国から北米に植民するピューリタンとなり、今の米国の最大宗教派の礎を作った。ピューリタンは、中世カトリック教会が否定した金儲け・高利貸し行為に対して、「勤労による利益は神の恵み」と肯定するようになっていた。 

 


 

 英国の産業革命は、18世紀後半から19世紀前半にかけて、手工業中心の経済が、機械・工場・蒸気動力・大量生産を中心とする経済へ移行した大変化です。

 紡績織布の各工程の機械が17331779年に発明され導入されます。機械が大型化すると、動力としての蒸気機関が大幅に改良され、鉱山だけでなく工場・船舶・鉄道にも利用されるようになった。次いで製鉄・運河・鉄道が発達し、重工業化と輸送革命が進行した。

 

 工場が増えると都市化が進みましたが、労働者の住宅、上下水道、ごみ処理が不足し、人口過密と衛生問題が深刻化しました。工場では、女性や子供も多数働くようになり、また危険で長時間労働と事故が増えた。こうして産業革命の初期、労働者は悪条件下で賃金が低下し続けた。こうして資本家層の横暴が目立つようになり、宗教家・改革者・労働者の改革運動を背景に、18021842年にかけて議会は次第に労働者保護の規制を導入するようになりました。そして1871年労働組合結成、1906年スト権が合法化され、後に普通選挙を国民が手に入れることになった。やっと労働運動によって国民全体が産業革命の成果を得るようになり、賃金の上昇が始まった。

 

 産業革命において旧産業に働く人々は失業したはずだが、社会全体ではどうなったのだろうか? 学者らの推計によれば、全期間において平均失業率は13%程度と低いようだった。初期の農林業従事者が鉱工業・建設業とサービス業に向かい、新産業が旧産業の失業者を吸収した。しかし二つの問題があった。機械に仕事を奪われた職人は機械生産との価格競争に晒され、過酷で低賃金に耐えた。今一つは、資本主義経済が定着したことで、景気循環による恐慌が頻発し、失業率が1020%になることもあった。

 

 産業革命は最終的に経済を発展させ国民所得を上昇させ、次の米国の自動車や電気産業の発展へと繋がっていった。そして資本主義経済と自由貿易体制が確立した。一方で、労働運動から民主主義(人権尊重、多数決)と社会保障の充実が進み、1970年頃まで中産階級は上昇し続けた。

 

 産業革命は今に通じる、科学尊重、チャレンジ精神、勤労習慣、自由と権利の平等、民主主義等の重要な国民の意識を育んだ。一方で、大航海時代より世界に植民地を広げる中で、白人以外への差別は無くならず、さらに産業革命終了頃からヨーロッパは帝国主義(植民地獲得)へと突き進み、各国が競争・武力衝突を繰り返し、第一次世界大戦の勃発に至った。

 

 

まとめ

 これまで4つの革命と一つの改革を見てきました。農業革命では、平等だった狩猟採集社会に終わりを告げ、戦争と国家を生み、軍隊を持つ王の下に階層社会が出来上がりました。

 精神革命では、文明の発展と経済圏の拡大により、戦争と国家の規模が拡大し、戦火で疲弊した社会を安定させる説得力を持った宗教が生み出され、より広大な領域に精神的な一体感が生まれた。

 商業革命では、武力だけが権力基盤だった社会から、商人が第二の権力を握れる貨幣経済社会が到来し、やがて封建社会が廃れることになる。また宗教改革で分離したプロテスタントは教会権力から、各人が神と対峙するという意味で、主体性と権力からの自由の意識を持つようになった。一方、神の救いは決まっているが不明とされたので、自分が選ばれることを望み、地上で勤労に励み、自由な経済活動を尊んだ。この革命が終わる頃には、ヨーロッパ人は自由と主体性を持ち得るようになった。しかし一方で、奴隷アフリカの奴隷黒人、新大陸の先住民の酷使、東欧の農奴化と、ヨーロッパ人による搾取と差別が地球規模で行われ、その後も大きな傷痕を残し続けることになる。産業革命は、資本主義経済(工場、金融、法制度、市場)と工業製品によるグローバル経済を確立した。都市化と鉄道等交通網が発達し景観が一変し、地主貴族、新興資本家(ブルジョワジー)、都市労働者(プロレタリアート)の新しい階層が生まれ、中産階級(商人・専門職・事務職)も拡大し、社会も一変した。この資本家と労働者の対立が激化する中で、国民には二つの道が示された。一つは、資本家の横暴を根絶するために労働者が政権を担う共産主義を目指す。もう一つは、労働者の要望を国の制度に反映し続ける福祉国家を目指す。英国は後者を選び、人権尊重や福祉制度が進んだ。20世紀前半まで、多くの欧米諸国はこの方向を目指し、北欧は遅れて福祉国家を選んだ。しかし、1980年以降、先進国は様変わりした。 

 

 残念ながら、現在は、これまで人類が築き上げて来た素晴らしい精神を反故にし、迷宮に迷い込み、泣き叫ぶだけになってしまったようだ。

 

 

----全体の目次----

第一章、世界に迫っている危機の要約。

第二章、人類はこれまでに危機に対してどう対処して来たか。 

第三章、我々が直面している重大危機。

第四章、米国の衰退と世界の危機回避能力喪失は一体。

第五章、如何にあるべきか。

第六章、成功している北欧は資本主義のもう一つ道。