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20170708

何か変ですよ! 61: よくあるタカ派礼賛



*1


今回は、経済学者の惜しい勘違いを御紹介します。
共著「世界経済の勝者と敗者」での浜田先生のお言葉です。
なんとゲーム理論を使ってタカ派こそが中国を制すると説いています。


浜田先生のお言葉
この本の最後に、『コラム 中国編: 「ゲーム理論」から考える中国との向き合い方』があります。(216~219頁)

僭越ながら抜粋要約します。

危なっかしい中国と付き合うには、囚人のジレンマ(ゲーム理論の一つ、注釈1)によるコンピューターシュミレーションの結果(注釈2)を援用することです。
つまり「しっぺ返し戦略」が最良なのです。
これは最初は相手を信頼して協力しあうのだが、相手が裏切って敵対してきたら、確実にやり返す戦略です。
この点、タカ派の安部首相が最適です。

またニクソン大統領は電撃的に中国と和解した。
さらにレーガン大統領も冷戦を終結させた。
この二人もタカ派(共和党)でした。
                      』

私はこれを読んで、やはり安部首相の側近になる人は凄いなと感心した。
しかし、著名な先生の発言だけに悪影響が大きいので、少し誤解を解きたいと思います。


 
*2


「しっぺ返し戦略」引用のおもしろさ
これは動物行動がどうして進化したかを知るには面白いテーマで、かつ有名です。
しかし知ったかぶりの都合の良い御説はいただけません。

この手の実験は、コンピューター上の行動が実際の個人や社会と異なり、相手の行動を予測したり学習出来るのか、また協力した時の利益と裏切られた時の不利益の配分が問題になります。
例えば、不利益は単に利益が減るだけなのか、極論すれば1回でも裏切られれば死を意味するかなどです。
とりあえず、一国の外交戦略に即使えるものではありません。

しかし、この手の多くの実験や理論から動物や人間行動(利他行動、同胞愛)の進化などがある程度説明出来ることも事実です。

ここでは長谷川寿一著「進化と人間行動」(2000年刊)から、この「しっぺ返し戦略」の解説を一部引用します。

「しっぺ返し戦略」は、「上品さ」(何はともあれ初回は協力する)、「短気さ」(やられたらすかさずやりかえす)、「寛容さ」(古い過去にとらわれず、相手が協力に出たら、すぐに協力する)、「わかりやすさ」(単純である)という特徴を備えています。
人間社会でも、これらのキャラクターを兼ね備えていれば、つきあう相手として皆に好かれるでしょう。
「しっぺ返し戦略」に限らず、上位を占めたコンピュータープログラムの特徴は、基本的に「協力」的な(少なくとも初回は「協力」から入る)ものでした。

・・・
これらの研究から得られたメッセージは、互いに何度もつき合いを続けていくような関係においては、協力行動は遺伝的に進化し得るということです。
つまり、社会生活を送るのが常であるような動物には、「他個体によくする」という行動が進化し、それを引き起こすような心理メカニズムが存在するだろうということです。
                       』

素人の浜田先生と専門の長谷川先生の違いはどうでしょうか?
まったく正反対の解釈に思えます。
おそらく、浜田先生は右翼の心性をお持ちか、その手の解釈を教条的に受け入れているだけなのでしょう。
この手の人は、どうしても強い者や力で抑えること、未知の者を敵視する傾向が強い。
この人に悪意は無く、軽い気持ちで都合の良い引用しただけなのだろう。


多くの研究(注釈3)では、動物の進化と共にタカ派的な行動(裏切りや攻撃が主な行動)を緩和するハト派的な行動(思いやりや協力が主な行動)が発展して来たことが知られています。
単純に言えば、タカ派的な行動が社会を覆ってしまえば、その成員は生命の危機を招き、社会は利益を減らし、発展出来なくなります。

私が驚いたのは、本の最後に安部さんを讃えるために、このテーマを取り上げていることでした。
経済学は財の数量を扱うものであり、財を扱う人々の心理を扱うのは苦手だと思うが、これはお粗末な人間理解です。
実は、経済を動かし、バブルを生み出しているのは合理的でないアニマルスピリットなのです。
これを扱えてこそ、浜田先生は本当の経済の指南役になれるでしょう。
是非とも精進して欲しいものです。


 
*3


事実は奇なり
浜田先生の御説は危なっかしいが、本来、この手の研究(注釈3)は私達に社会や人間への正しい理解を与えてくれています。

数多くの中から二つ重要な知見を紹介します。

動物は弱肉強食の世界だと一般に強く信じられていますが、儀式的な闘争(儀闘)が進化し、無駄な争いを防いでいます。
よく知られているように、鮎やライオンなどは同種の相手が縄張りに侵入した時、徹底的に殺し合うことをしません。
基本的に威嚇で始まり、優劣が決まればそこで止めます。
それ以上に進むこともありますが。
詳しくは「心の起源 連載8」に説明があります。
残念ながら、チンパンジーや人類の方が弱肉強食(残酷)になる場合があります。

社会心理学にトラッキング・ゲームがあります。
これは競争(脅迫)と協力(譲歩)のどちらが社会全体に利益をもたらすかを教えてくれています。


 
< 4. トラッキング・ゲームの図 >

この社会実験は二人がA社とB社に別れ、自社のトラックで自社の出発点から目的地へ、多くの荷物を運ぶのが目的です。
曲線の道は時間がかかり過ぎるので、真ん中の直線道路を使うと早く運べるのですが、相手のトラックの通行をコントロールゲートで止めることが出来ます。
但し、相談は出来ません。

多くの実験をした結果、二つのゲートが無い場合は、直線道路の前で譲り合う人がいると、共に多くの荷物を運べました。
しかし、ゲートを設けた途端に二人の運べる荷物の総量は極端に減りました。

つまり、互いに相手の足を引っ張り合いを始め、激化し自滅したのです。
これは、如何に「競争関係」より「信頼関係」を築くことの方が得策かを示し、人は「脅迫(軍備)」の力を持つと簡単に自滅してしまうことを教えてくれています。


 
*5


浜田先生の歴史観のおもしろさ
彼はニクソン大統領とレーガン大統領の功績を讃えていました。
確かに、否定は出来ないが、単純で一方的過ぎます。
つまり、相手の存在と歴史の流れをあまりにも無視し、ここでも我田引水なのです。

冷戦終結は、レーガン大統領の功績だと喧伝されているのは事実です。
しかし、少し考えれば疑問が湧くはずです。

レーガンが大統領になったのは1981年でした。
一方、ゴルバチョフの書記長は就任こそ1985年でしたが、1978年頃から中央で改革を主導し頭角を現していた。
また彼は書記長就任の年、外相にシェワルナゼを抜擢していた。

そして1987年、大統領と書記長が「中距離核戦力全廃条約」に調印し、冷戦が終息に向かった。
大統領の圧力(スターウォーズ)と言うより、既にソ連内部に変革の兆しがあり、書記長と外相の融和的な方針が功を奏したように思える。注釈4.
また冷戦の軍拡競争によるソ連の経済疲弊や米ソの軍縮は以前から進んでいた。


1972年2月のニクソン大統領の電撃的な中国訪問は驚きでした。

これにはキッシンジャーの活躍もあるが、やはりここでも中国の周恩来の存在が重要です。
この年の9月には、彼は早くも田中角栄と日中共同声明を調印しているのです。
周恩来の融和的な姿勢が無ければ不可能だった。
また1971年、対米強硬派(タカ派)の林彪が死亡したことも幸いしている。

こうしてみると、ソ連と中国のハト派の貢献が浮かび上がり、浜田先生のタカ派絶賛は怪しくなりました。
要は、身びいきが過ぎると言うことでしょうか。

成功のポイントは、タカ派二人の大統領の交渉意思と、相手国のハト派二人のトップの存在があってこそなのです。
もしも、両国がタカ派同士、ハト派同士であればどうなっていたでしょうか?
一方だけを強調するのは、よくある右派と左派の言説で、注意が必要です。


最後に
せっかく愉しみに買ったクルーグマン共著の「世界経済の勝者と敗者」でしたが、先に結論辺りから読んだのが悪かった。
興覚めです。
諦めないで、また初めから読むつもりですが。




注釈1.
二人の間で、共に協力する方が多くの利益を得ることが分かっていても、相手の行動が予測できない時、協力しない方が確実に少しの利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマを指す。

注釈2.
1980年、米国の政治学者ロバート・アクセルロッドが、様々な研究者からゲーム戦略を募集し、コンピュータープログラムで総当たり対戦を行った。
そして様々な戦略の中から「しっぺ返し戦略」が最高得点を取って優勝した。

注釈3.
動物行動学、ゲーム理論、進化心理学、進化生物学、社会心理学など。
このジャンルの本を推奨します。
「生物の社会進化」ロバート・トリヴァース著、産業図書:難しいが驚くべき慧眼です。
「共感の時代へ」フランスア・ドゥ・ヴァール著、紀伊国屋書店: 動物の愛に涙します。目からうろこです。
「進化の人間行動」長谷川寿一著、東京大学出版会: 大学のテキスト。全体像がわかる。
「社会心理学キーワード」山岸俊男著、有斐閣: 要領よくまとまっている。

注釈4.
創元社刊「世界の歴史10」JM.ロバーツ著。
p186~188に、似たような記載があります。



20161030

Bring peace to the Middle East! 40: chain of retaliation 8 : Why the Middle East war began? 1

中東に平和を! 40: 報復の連鎖 8 : なぜ中東戦争は始まったのか? 1



<  1.  Jerusalem mayor which surrendered to the British Army in 1917  >
< 1.1917年、英国軍に降伏するエルサレム市長 >

I looked back on the Middle East war last time.
Why did the Arabic countries deprecate nation-building of Israel and open war with Jew?
Before investigating this reason, I take up a rumor about the Middle East war.

前回、中東戦争を振り返りましたが、なぜアラブ諸国はユダヤ人の建国に反対し戦端を開いたのでしょうか?
この理由を探る前に、中東戦争に関するある風説を取り上げます。


About the rumor
"Arab opened war with Jew, and was defeated, so the present tragic situation of Palestinian is a natural consequence."
This is an excuse that Israelis often use.

Is it really true?
I regard this rumor as malicious false rumor due to the following reasons.



ある風説について
「アラブがユダヤに戦争を仕掛け、負けたことが悲惨な現状を生んだのであり、パレスチナは自業自得である。」
これはイスラエル側でよく語られる風説です。

本当にそうだろうか?
私は以下の理由で、この風説は悪意あるデマと考えます。




<  2.  The Middle East of 1920s  >
<2.1920年代の中東 >


1.  The Arab was not able to defeat Jew.
Around that time, the West and the Soviet Union banished Jew from own country, and gave anything including supply weapons in order to let Jew settle down in other area.
In a twist of irony, it did not need to be Palestine.
The world, particularly Christianity countries gave approval of it with atonement and antipathy in their eyes.

In order to win the war, the Arabic countries might have to have opened the war during 1920s.
But it was impossible in those days because the Arab was under the rule of Britain and France.


2. The conflict continued even if the Arab won.
The Jew must have counterattacked by thorough resistance and terrorism, and I think Israel defeated the Arab in some time or other.
We know the Jew ever practiced radical terrorism in the Middle East.


3.Even if the Arab did not open the war, Palestine could not change the situation.
It is difficult for us to understand this.
This reason is because the Jew had financial power, intellect, and network which had overwhelmed Palestinian Arab.
They connected to the world through the Mediterranean Sea by basing on Israel even if it was small.
This is almost same as the Solomon empire in 3,000 years ago.
Thus, Israel overwhelmed Palestine by economic power, military capability, and political might.

This is a typical pattern of the offensive and defensive battle that have been repeated between advanced colonist and indigenous people.
If left untreated, the result is clear.

In other words, the Middle East war did not cause the present tragic situation of Palestine, and was only one derived phenomenon.


1. アラブはユダヤに勝つことが出来なかった。

当時、欧米やソ連はユダヤ人を自国から追い出し、別の地域に定住させるために、兵器供与など何でも行った。
それはパレスチナでなくても良かったのだが。
世界、特にキリスト教国は罪滅ぼしと同情、そして嫌悪が混じる眼差しで、これに賛同した。

アラブ諸国が勝つには、ユダヤ移民が始まった1920代に開戦すべきだったかもしれないが、当時、アラブは英仏の統治下にあったので不可能だった。


2. もしアラブが勝っていても、紛争は続いた。

今度は、ユダヤ人が徹底抗戦とテロで反撃し、早晩イスラエルはアラブを打ち負かしただろう。
中東におけるユダヤ人の徹底抗戦と過激なテロは実績がある。





<  3.  Jewish settlement in 1947  >
< 3. 1947年のユダヤ人入植地 >


3. アラブが開戦しなくても、パレスチナのアラブ人の状況を変えることは出来なかった。

ここが分かり難いところですが、ユダヤ人にはパレスチナのアラブ人を圧倒する資金力と知力、ネットワークがあった。
彼らは小さくてもイスラエルの地を拠点することにより、地中海を通じて世界と繋がった。
これは3000年前のソロモン帝国に通じるものがある。
こうして、イスラエルは経済力、軍事力、政治力によって、パレスチナを圧倒した。

これは繰り返されて来た、先住民と先進の入植者との攻防のパターンです。
これを放置すれば、その結果は明白です。

つまり、中東戦争の有無が今のパレスチナ問題を決定づけたのではなく、中東戦争は派生した一つの現象にすぎないのです。


What! Is there a problem?
My point is, a fact unfortunately has been repeated, that a superior group tried to take in and rule an inferior group, and banished and eliminated if the latter did not the follow.

On the other hand, the Jew has been oppressed even though the Jew was an excellent race.
And, now, they seem to get their revenge for 2500 years.
Ironically, the people that were discriminated have oppressed other people adversely.

Even if there is Jew who recognizes the pain of others from the experience, the group's reaction is different unfortunately.
It is a historical fact that most come to overwhelm an enemy from a sense of fear and a chain of the retaliation happens at last.

On the next time, I will consider the situation the Middle East war began.


何が問題なのか
アラブの人々は、私の指摘に怒るかもしれない。
アラブ人を先住民と一緒にするのは言語道断だと!

私が言いたいのは、優勢な集団が劣勢の集団を取り込み支配し、従わなければ追い出し抹殺することは、残念ながら繰り返されて来た事実だということです。

一方、ユダヤ人は優秀な民族であるにも関わらず、虐げられて来た。
そして、今、2500年間の怨念を晴らしているかのようです。
皮肉なことに、差別され虐げられた人々が、逆にそれを繰り返しているのです。

その経験によって他者の痛みを理解するユダヤ人もいるでしょうが、残念ながら集団となると違うのです。
多くは恐怖心から、身構え敵を圧倒するようになり、ついには報復の連鎖が起きてしまうのが歴史です。



次回、具体的に中東戦争が始まる状況を考察します。




20160806

Bring peace to the Middle East! 24: about terrorism 4 : the background 2



中東に平和を! 24: テロについて 4: その背景 2




< 1. al Qaeda >
< 1. アルカイダ >


We again look at the Middle East situation, and the background for intensification of the armed struggle in the Middle East.



前回に続いて、中東情勢と武装闘争激化の背景を見ていきます。






< 2. the Arab Spring in Egypt >
< 2. エジプト、アラブの春 >


A conflict between laicism and Islamic Renaissance
Nasser criminalized groups like the Moslem Brotherhood (belong to Sunni, since 1928) because conventional party politics caused confusion, and started a one-party dictatorship.
This will produce the serious conflict with Islamic groups in the future.

In 1958, Syria founded United Arab Republic (till 1961) together with Egypt to depend on Nasser’s reputation.
The Syrian Moslem Brotherhood also aiming at Islamic Renaissance had opposed Baath party (was active in Syria and Iraq) that advocated modernization, socialism, and pan-Arab-ism.
In 1970, the Moslem Brotherhood moreover resisted it after the military coup occurred by General Assad (father of current President).
The Assad was a secularist and represented Islam Alawites (Shiah) of the minority.
Because Assad repeated severe oppression for the Moslem Brotherhood, the resistance of it declined before long, but a part of it radicalized in Egypt and Syria, and this assassinated Sadat.

In 1979, Iran founded the Islamic Republic from a regal government by rejecting the longtime intervention by Europe and America.
This encouraged Arab of the same Muslim to aim at the Islam Renaissance.



世俗主義とイスラム復興運動の対立
ナセルは従来の政党政治が混乱を招いたとしてムスリム同胞団(スンニ派、1928年~)等の団体を非合法化し、一党独裁に舵を切った。
このことが後々、イスラム教団との深刻な対立を生むことになった。

1958年、シリアはナセルの名声を頼ってエジプトとアラブ連合共和国(~1961年)を作ったことがあった。
シリアのムスリム同胞団もイスラム復興運動を目指し、近代化と社会主義、汎アラブ主義を掲げるバ-ス党(シリアとイラクで活動)と対立していた。
ムスリム同胞団は1970年のアサド将軍(現大統領の父)による軍事クーデター以降、これに抵抗した。
アサドは世俗主義者でかつ少数派のイスラム教アラウィー派(シーア派)を代表していた。
アサドはこの同胞団に対して苛酷な弾圧を繰り返したので、やがて同胞団の抵抗は衰微したが、エジプトとシリアで一部が過激化し、これがサダトを暗殺した。

イランは1979年に、長年の欧米による介入を退けて、王政からイスラム共和国を建設した。
これは同じイスラム教徒のアラブ人に、イスラム復興運動を勇気づけることになった。






< 3.  principal roles (?) in the Middle East >
< 3. 中東の主役?たち >


From the top, Assad of Syria, Maliki of Iraq, Abdullah of Saudi Arabia.

上から、シリアのアサド、イラクのマリキ、サウジのアブドゥッラー。


In addition
Triggered by the Gulf War inf 1991 after Soviet Union withdrawal, Al-Qaeda (Osama bin Laden) that had fought for Muslim in Afghanistan turned for anti-Americanism.
After 2003, they made the terrorism radical as anti-Western and anti-laicism in Iraq that came to be confused and impoverishment by the previous economic blockade and the Iraqi War (2003-2011 years).

In the 2010s, the Iraqi autonomous government executed mass layoffs of Sunni (soldier etc.) that held a majority until then.
In addition, the Syrian Assad Administration (Shiah) oppressed Sunni of the majority when a demonstration occurred in the Arab Spring (2011).
Thus, the extremists of the Sunni were connected with Iraqi one and Syrian one.
Then, Islamic nation (ISIL) parted from al Qaeda (Sunni), and extended their influence as if to fill the niche between other extremists and government troop.

It was the United States to have enhanced the military strength of al Qaeda and  Iraq.
And it were the U.S. and the U.K. to have begun the Gulf War hastily and the Iraqi War by making up the reason.

It occurred in the Middle East that a fall of Egypt being representative of laicism, a hard battle of the Arabic countries and Palestine, on the other hand, the military intervention by the western, and the Israeli prosperity by the help of the western, too.
So, Arab came to aim at the Islamic Renaissance in the opposite direction from the past.
Then, one part of them radicalized like "a cornered mouse will bite the cat".



さらに加えて
アフガニスタンでムスリムの為に戦っていたアルカイダ(オサマ・ビンラーディン)はソ連軍撤退後、1991年の湾岸戦争を切っ掛けに反米に転じた。
2003年以降、彼らはそれまでの経済封鎖とイラク戦争(2003-2011年)で疲弊、混乱したイラクで反欧米、反世俗主義でテロを先鋭化させていった。

2010年代になると、イラク自治政府はそれまでの大勢であったスンニ派(軍人など)を大量解雇した。
またシリアのアサド政権(シーア派の一派)はアラブの春 (2011年)でデモが発生すると、多数派のスンニ派を弾圧した。
こうしてスンニ派の過激派はイラクとシリアで繋がることになった。
この中で、イスラム国(ISIL)がアルカイダ系(スンニ派)から分かれ、武装勢力や政府軍の抗争の間隙をぬって拡大していった。

このアルカイダやイラクを軍事強化したのは米国であり、湾岸戦争を性急に、またイラク戦争をでっち上げて始めたのも米国と英国でした。

こうして世俗主義の代表エジプトの凋落、アラブ諸国とパレスチナの苦戦、一方欧米の軍事介入と欧米援助によるイスラエルの隆盛は、アラブに真逆の選択、イスラム復興運動に向かわせた。
その中で「窮鼠猫を噛む」如く一部が過激化した。






< 4.   in a mosque >
< 4. モスクにて >


Further background
I answer following questions and will clear up the main point.

A: "Why is there a lot of military autocracy in Arab countries in the Middle East ?"

This area continues to suffer from heavy damages by the rule (colony) of different ethnic groups for over several centuries, such as late industrialization, low literacy rate, and landlord system.
In addition, many borders that ignored inhabitants were demarcated by some colonial powers in the early 20th century, and most of royal house given by them national territory were only puppets.
Under such circumstances, it was fate to lead to military autocracy from the royal house that lost the trust.

B: “ Why do Islamic groups fiercely conflict with secularist rulers? ”

There is some problems of the Islam as for it, but, in the Middle East, I think it is to due to the fact that the persons that ever contributed to the independence were leaders of Muslim than a simple martialist.

C: “Why can't the Arab countries work cooperatively for Palestinian independence ? ”

This answer is the same as question A, but an oil generation negatively affect more.

Most of oil-producing countries (Saudi Arabia, Persian Gulf countries) continue an outdated autocracy system by the royal house.
Furthermore, Europe and America supports it, so the Arabic democratization and solidarity in the Middle East fade away by supporting these non-democratic governments.
This situation leads to the oppression against the Arab Spring and to supporting extremists, and the news aren’t leaked outside, too.

Probably, the biggest factor of the intensified struggle is that people cannot trust the domestic government and the Western, and just have to strongly connect together in only local Islamic community.

This continues the next time.




さらなる背景
要点を次の疑問から読み解きます。

疑問A 「なぜ中東アラブには軍事独裁が多いのか」

中東アラブは数世紀も続いた異民族による支配(植民地)の後遺症で、遅れた産業化、低識字率、大地主制などにより、安定した民主的な基盤が育っていなかった。
それに加え、20世紀前半の宗主国による住民を無視した国境の線引きと、あてがわれた王家は傀儡に過ぎなかった。
これでは、信頼を無くした王家から軍事独裁に至るのは宿命でした。

疑問B 「なぜ世俗主義者の支配者とイスラム教団は熾烈な抗争をしてしまうのか」

イスラム世界の問題もあるでしょうが、中東アラブではかつて独立に貢献した人々は、単なる軍人よりもムスリマの指導者だったことが影響している。

疑問C 「なぜアラブ諸国は、パレスチナ独立の為にまとまって行動出来ないのか」

これは疑問Aと同じですが、さらに石油が災いしている。
産油国(サウジ、湾岸諸国)では王家による時代遅れの独裁体制が続いている。
さらに欧米がこれを支援し、非民主的な政体を擁護することで、中東アラブの民主化と団結は遠のいている。
これはアラブの春の弾圧や過激派支援に繋がり、またその事実は外部に漏れることがない。

おそらく闘争激化の最大要因は、人々が政府や欧米を信頼出来ず、地域のイスラム教団でのみ強く繋がるしかないからでしょう。


次回に続きます。




20160705

何か変ですよ! 47: 最大の脅威 1




*1


前回、地球温暖化と資源枯渇の脅威が迫っている事を見ました。
しかし最も恐ろしいのは人間社会の劣化です。
今日は、この事について考察します。


はじめに
不思議な事に、交通事故や銃犯罪、原発事故、戦争、地球温暖化、資源枯渇の災厄に共通するものがあります。
それはローマ帝国やイースター島の文明崩壊と同じように、人間社会が生み出し、かつ制御が問われる惨事なのです。

これは実に単純な事実です。
これらは自然の限界もあるのですが、冷静になって科学的な見地に立ってば解決出来るはずです。

しかし、このことが出来ずに多くの文明崩壊や大参事は起こっています。
しかも現在、私の見るところでは世界は勢いを増して悪化しています。




< 2. この世の天国、タックスヘイブン >


何が悪化しているのか
二つの悪化が目立ちます。

経済的な悪化: 1ファンドの投機買いに始まるアジア通貨危機よって東南アジアと東アジアは大参事に見舞われ、タイ一国だけで5万人の病死者が増加した。注釈1。

政治的な悪化: 米国の大統領候補トランプ氏の人気や英国のEU分離に見られる排外主義の横行です。


経済的な悪化の例

*パナマ文書に見られる租税回避。
これは富豪になればなるほど合法的に税逃れが出来ることを意味します。
おそらく世界の総資産の約10%(日本のGDPの約2倍)が隠され、税を逃れているでしょう。

*この30年間、米国を筆頭に欧州や日本でも進められている累進課税のなし崩し。
例えば、所得税の最高税率を低下させ富裕層を優遇して来たことなどです。

*グローバル化と自由競争の名のもとに巨大資本や大国の権威(正義、法、軍、情報など)を背景に、企業が後進国を食い物にし疲弊させている。
例えば、小麦や石油などの商品価格の操作などで、弱小国の産業や食料事情に打撃を与えている。

何が悪化をもたらしたのか
このことから直ぐ連想するのは、格差拡大とグローバル化でしょうか。
しかし、この理解は少し違います。

国内と国家間の格差は日を追って増し、格差拡大がさらなる拡大をもたらす社会要因(教育格差など)はありますが、結果に過ぎない。
その元凶は、既得権益層が巨大化し、世界や国家を方向付けるようになったことにあります。




< 3.1980年代から始まった所得税の最高税率の低下 >

しかも、その発端は最近のことなのです。
富裕層を優遇する施策は、高々ここ30年ほど前から欧米で始まったのです。
20世紀前半、労働者の権利擁護によって賃金上昇が進み、経済成長(ニューディール政策などで)が起こったのですが、インフレが高進し、社会は制御不能に陥りました。
これを貨幣供給量の管理で一挙に沈静化させ、新たな時代が始まりました(マネタリズム)。
この時に、それまでの反動として政治や経済で自由主義が謳われたのです(サッチャー首相)。

当時、欧米の多くの国民はこの方向転換に拍手喝采したのです(レーガン大統領、中曽根首相)。
つまり、最初は国民の合意の下で行われたのです。
しかし、それは経済格差(所得格差、資産格差)を徐々に引き起こしていたのです。


その後、国民はこれにどのように対処したのでしょうか?
あえて言えば、皆は追認か放置したと言えます。
なぜ、欧米と日本の国民は自分の首を絞めることになる施策を受け入れ続けたのでしょうか。
これも単純なのです。

はじめは徐々にかつ深く進行していきました。
しかし、富が一度集中し始めると、あらゆる投機手法で資産は20年間で5倍にもなります。
例えば、資産は年平均利回り8%の20年間運用で4.7倍になりますが、米国の大規模運用では利回り6~10%が実績でした。



< 4. 20年間の大富豪の資産増加率 >

そうすると、そのほんの一部の資金を政治や宣伝工作に使うだけで、政治家と世論を誘導出来ます。
金額に比例はしませんが、続ければ大きな影響を与えることが出来ます、日本の原発世論が反対から賛成に転換したように。
また2012年度の米国の大統領選挙と両院選挙の費用は総額約5000億円でしたが、これは数十人の大富豪が数%のポケットマネーを拠出するだけで事足りる金額です。

最近の米国の施策、富裕層への減税や一度成立した企業への公害規制法の破棄などをみれば一目瞭然です。
結局、豊富な政治資金(裏金、献金、広告費)を有する一握りの階層の誕生が元凶なのです。
これは企業の独占状態(カルテル)と同様の悪影響を及ぼすのです。

それでは国民はこの事に気がつかないのでしょうか?」

これは微妙ですが、むしろ次のスローガンに釣られてしまうようです。
「国を取り戻す」、「経済を復活させる」
これは最近の日本や英国のEU離脱派の専売特許ではなく、ヒトラー総統やレーガン大統領も使った心地良い、幾度も繰り替えされて来た謳い文句なのです。



< 5.格差拡大の状況 >
左図: 世界の経済格差(ジニ係数は1が最悪)は現在、高止まりしている。
右図: 主要国の国内の所得格差は猛烈に拡大中。


なぜこのようになってしまうのか?
一つには格差を告発し続けている経済学者ピケティやクルーグマンのように、既得権益の代表格である金融界から自立出来る学者は皆無に近いのです。
例えば、ホワイトハウスで金融政策を担うのは、ほとんどゴールドマン・サックスの人々です。
多くのエコノミストは政財界に繋がることで生きていけるのであり、同様なことが他でも見られます。
反権力を謳い文句に活躍できるのは少数で、貧弱な資金と情報、孤立に耐えなければならない。

その政財界側のエコノミストがピケティの世界的な累進課税や国内の所得税増税の提言について意見を聞かれたら、決まってこのように答えるでしょう。
「前者は現実に不可能だ。後者は、増税すれば富裕層が国外に逃げてしまい、結局は経済に逆効果だと!」
これを聞くと、多くの国民は、現行制度の延長でやらざるを得ないと諦めることになる。

また、わざわざ自国の格差問題を正直に公表する国はありません。
さらに感情に訴える御用新聞は偏向して伝えるでしょう。
一部のマスコミや研究者は真実を訴えるでしょうが、多くの人はそれに触れることはない。
これでは、国民はよほど悪化するまで気がつくことはない。

それにしても残念なのは、そのからくりを多くの人が知ろうとしないことです。
世界機関(国連、OECD)や海外の研究所などがインターネット上で分析結果を発表しているのですが。


次回に続きます。


注釈1
連載「ピケティの資本論 19: 今、世界で起きていること 2」



20160530

Bring peace to the Middle East! 15: Seeing the Middle East and Arab world in films 8: Refugee issue 1




中東に平和を! 15: 映画に見る中東とアラブ世界 8: 難民問題 1




    

I consider refugee issue in twice from now on.
We look at various migrations at first.

これから2回に分けて、難民問題を考察します。
はじめに様々な移住について見ます。


History of human migrations  (Note 1)
Our Homo sapiens spread throughout this earth along with migrating for hundred thousands years from the birth.
Most of great transmigration of race was caused by each climate change, it arose on several occasions, and the migration spread like playing billiard.  (Note 2)
In ancient times, an Assyrian and a Greek emigrated far and wide to enlarge their commercial domain.  (Note 3)
In the middle Ages, a German actively colonized Eastern Europe.
By these results, our ancestors had many parents of different ethnic groups all over the world, and these traces remain in our gene.
This is shown in figure 2.

European 60 million people left the mother country and emigrated between the 19th and the 20th century.
In Japan, 3,200,000 people except soldier returned home by this defeat from the emigration area.
About million people emigrated all over the world in 2005.


移住の歴史 注釈1.
新人類は誕生から十数万年かけて移住しながら地球全域に拡散しました。
多くは気候変動によって、幾たびも民族の大移動が起き、玉突きの如く移住は広がりました。注釈2.
古代、アッシリア人やギリシャ人は商圏を広げる為に遠くまで移住しました。注釈3.
中世、ドイツ人は盛んに東欧に植民しました。  
これらの結果、私達の祖先は世界中で混血し、その痕跡が私達の遺伝子に残っています。
それを図2に示します。

19世紀から20世紀にかけて、欧州から6000万人が母国を離れ移住した。
日本では敗戦によって軍人を除く320万人が移住先から帰国した。
2005年には2億近い人達が世界中で移民を行った。




< 2.  Human migrations and Japanese race
< 2. 人類の移動と日本民族 >
Upper map:  a history of human migrations supposed by genes.
The numerical values indicate how many years ago.

Lower map:  we are able to understand the roots of Japanese people by our genetic variation.
The blue line shows current Japanese people, and others show an African or a European.
During this 150 thousands years, Japanese ancestors had many parents of different ethnic groups all over the world, and came in the Japanese Archipelago on several occasions.
Because Japan of an island is so, people of the world are of more mixed parentage.

上の地図: 遺伝子から推測した人類移動史。
数値は何年前を示す。

下の地図: 遺伝子の変異からわかる日本人のルーツ。
青線が現在の日本人を、他はアフリカ人かヨーロッパ人を示す。
過去15万年の間に、日本人の祖先は世界各地で他の人種と幾度も枝分かれし、日本列島にやって来た。
島国の日本でこうですから、世界中の人々はもっと混血していることになります。




< 3.  emigrants reached New York 
< 3. ニューヨークに着いた移民 >




< 4.  how America’s source of immigrants has changed over time between 1850-2013 >
< 4. 各州で最大を占めるアメリカ移民の母国、1850~2013年の間の変遷 >
その構成は年々変化している。


What the migration brings
Immigrant was indispensable for the development of the United States, and approximately 70 million people entered this country in the past two centuries.
President Kennedy who was a grandchild of immigrant spoke it in this way.
“…. The society of immigrants who began the new life. … The country of people having courage to investigate new frontier. .... This is the secret of the United States’s success.”

Merchants of overseas Chinese, an Arab, an Indian, and a Jew jumped to the world and played an active part.
In ante-Christum, Propagation would have been late if a Jew hadn’t translated the Bible into Greek in Alexandria.  (Note 4)
In the middle ages, the Renaissance might not have blossomed in Europe if there weren't a Christian that escaped in Baghdad, and an Arab in Toledo.  (Note 5)
How would this society and culture of Japan have turned out if immigrants never have come to this island from beyond the sea?

In the 19th century, France having been hurt for labor shortage accepted quickly immigrants from the neighboring countries, and also did it from Algeria in early the 20th century.
The ratio of foreigners in the total population of France was 1% of 1851 and 6% of 2006.
Europe and America accepted many emigrant laborers positively to make up for the population decline due to the drop of the birth rate, and enabled economic growth.
Each country needed the immigrant who could receive dangerous, dirty, and difficult jobs at a low price.
EU that aimed for an ideal confederation of states wanted to cancel the economic disparity of each country, and person and capital could move freely within the region.

The motives of migrations are to escape from war, famine, or persecution, and for trade or working.
This doesn't disappear from the world in the least.
There would not be the present world if migrations were not possible at all.

This continues next time.


移住がもたらすもの
アメリカの発展に移民は不可欠で、過去2世紀で約7000万人が入国した。
移民の孫だったケネディ大統領は、こう述べている。
「・・新しい人生を始めた移民の社会。・・新たなフロンティアを探る勇気を持った人たちの国… それがアメリカの成功の秘密である」

華僑(中国人)やアラブ、インド、ユダヤの商人が世界に飛び出して活躍した。
もし紀元前にユダヤ人がアレクサンドリアで聖書をギリシャ語に翻訳していなければ、布教は遅れたことだろう。注釈4.
もし中世に逃れて来たキリスト教徒がバクダードで、またアラブ人がトレドにいなければヨーロッパでルネサンスは開花しなかったかもしれない。注釈5.
もし、海外からこの列島に移住者(渡来者)が来なければ、日本の社会や文化はどうなっていただろうか。

19世紀、労働者不足に窮したフランスはいち早く近隣諸国から、また20世紀初頭にはアルジェリアからの移民を受け入れた。
フランスの総人口における外国人の割合は1851年の1%から2006年の6%になった。
欧米は出生率の低下による人口減少を補う為に、労働移民を積極的に受け入れ、経済成長を可能にした。
各国は汚い、危険、過酷な労働を安く請けてくれる移民を必要とした。
理想の国家連合を目指したEUは人や資本が自由に移動出来ることで、各国の経済格差を解消しようとした。

移住の動機は飢饉や戦争、迫害から逃れる為、また貿易や就労の為などで、これが世界から無くなることはない。
もし移住がまったく出来なかったら、今の世界はなかったでしょう。

次回に続きます。


注釈1: 人々の移動を指す用語には移住、移民、難民、殖民、居留民などがあり、少しずつ意味が異なりますが、最も広い意味を持つ移住を使います。

注釈2: 有名なのはアーリア人やゲルマン人の民族移動などです。
また約6000年前、オーストロネシア人は東南アジアから太平洋諸島へカヌーによって移住しました。
これは中国南部の人々が北方から押し出される形で起きたと考えられます。

注釈3: 少し時代は下りますが、華僑(中国人)や倭寇(日本人)は主に商業や貿易が目的で移住しました。

注釈4: 当時、貿易都市アレクサンドリアには多くの外国商人がおり、ギリシャ語が普及していました。
ヨーロッパへの布教にはギリシャ語聖書が必要だったのです。

注釈5: ルネサンスが始まったのは古代ギリシャの文献が、中東アラブからスペインやイタリアを通じてヨーロッパに紹介されたのが切っ掛けでした。
古代ギリシャの文献はイラクのバクダードでギリシャ語からアラビア語に訳され保存されていた。
スペインのトレドではアラビア語からラテン語に翻訳されました。




20160516

Bring peace to the Middle East! 12: Seeing the Middle East and Arab world in films 5: The Wind and the Lion

中東に平和を! 12: 映画に見る中東とアラブ世界 5: 風とライオン



*

I introduce the film “ The Wind and the Lion” starring Sean Connery today.
The film is based on a kidnapping that happened in Morocco.
One Arabic patriarch defied Europe and America.

今日は、ショーン・コネリー主演の映画「風とライオン」を取り上げます。
これは、モロッコで起きた誘拐事件の映画化です。
一人のアラブの族長が欧米に挑んだ。



< 2. Setting of the film >
< 2. 映画の舞台 >

The black dot is the town Tangier where the kidnapping case happened.
Raisuli who caused the incident was a patriarch of Rif area (above red line).
In this area, many revolts happened against the rule of powerful countries in Europe.

黒丸が誘拐事件の起きた町タンジールです。
事件を起こしたのはリーフ地方(赤い線より上)の族長ライズリーでした。
この地方では、欧州列強の支配に対して幾度も反乱が起きている。

Summary of the film
Production ―
The U.S. made it in 1975.

Contents ―
The setting was the time that powerful countries in Europe competed with each other in order to rule the North Africa.
The Kingdom of Morocco that lasted for nearly 400 years had formed a friendship with Europe for a long time, but the independence began to be violated from the late 19th century.

In 1904, Raisuli that had Mohammed’s blood line kidnapped American Eden mother and children for aiming at elimination of foreign power.
As soon as the U.S. President Roosevelt scheduled to have re-election knew this, he dispatched the Marine Corps to Morocco for the rescue.

Raisuli released the mother and children subject to the withdrawal of the foreign soldiers, but he was arrested by the armed forces of Germany and France.
This was a betrayal by a Moroccan feudal lord of his relatives.
Mrs. Eden received protection of the United States Marine Corps to rescue Raisuli, subordinates of Raisuli increased more, and the rescue succeeded after a heroic fight.


映画の概要
―製作―
米国、1975年。

―内容―
舞台は欧州列強が北アフリカの支配を巡って凌ぎを削っていた時代です。
400年近く続くモロッコ王朝は、長らく欧州と友好政策を採っていたが、19世紀後半から独立が侵され始めていた。

1904年、モハメッドの血を引くライズリーは、外国勢力の排撃を目指し、米国のイーデン母子を誘拐し連れ去った。
再選を控えていた米国大統領ルーズベルトはこれを知ると、奪還のためにすぐさま海兵隊をモロッコに派遣した。

ライズリーは外国兵の撤退を条件に母子を釈放したが、ドイツとフランスの軍隊に捕らえられた。
これは身内のモロッコ太守の裏切りであった。
イーデン夫人は、ライズリーを救出する為に米国海兵隊の援護を受け、さらにライズリーの部下も加わり、壮烈な戦いの末に救出は成功した。


Story
ストーリ


< 3. Raisuli >
< 3.ライズリー >

He is a Berber and was able to speak English.
The Berber had been an indigenous people before Arab came over, and is Muslim.
They occupy the half of population of Morocco, and the royal family that has lasted until today is Berber.

彼はベルベル人で、英語が話せた。
ベルベル人はアラブ人がやって来る前の先住民で、イスラム教徒です。
彼らはモロッコの人口の半数を占め、現在に続く王家もベルベル人です。




< 4.  Mrs. Eden >
< 4.イーデン婦人 >

She was kidnapped, but she was attracted by his personality.
彼女は誘拐された。
しかし、彼女は彼の人柄に惹かれて行く。



< 5.  President Roosevelt >
< 5.ルーズベルト大統領 >

These are the president doing his election campaign, and a scene of the dispatch of Marine Corps.
遊説中の大統領と海兵隊の出動シーン。



< 6.  Dramatic rescue operation >
< 6. 救出劇 >

Mrs. Eden who was angry at betrayal led the Marine Corps to rescue him.
Berber goes toward the rescue.
The Marine Corps attacks a palace.

A letter from Raisuli arrived to Roosevelt who became the winner.
"I (Raisuli), like the lion, must remain in my place, while you, like the wind, will never know yours."

At the last, Raisuli leaves on the back of sun falling into the desert.

裏切りに怒ったイーデン夫人が救出を先導する。
救出に向かうベルベル人部族。
海兵隊が宮殿を攻める。

勝者となったルーズベルトの下にライズリーからの書簡が届く。
「あなたは風のごとく、私はライオンの如し。・・」

ラストで、ライズリーは砂漠に落ちる夕陽を背景に去って行く。

People who defied powerful countries
In the Rif area of Morocco, Berber fought against Spain (1893, 1909, 1920) three times.
In 1920, a patriarch Abd el-Krim beat off Spain for a period of time in the third fight, and he founded a republic.
However, he was beaten by French military, and the republic collapsed in 1925.
This became the pioneer of national liberation movement of Morocco.

列強に抗った人々
モロッコのリーフ地方では、ベルベル人が三度スペイン(1893、1909、1920年)と戦った。
1920年、族長アブド・アルカリームが蜂起した三度目の戦いでは、一時はスペインを追いやり、共和国を建国した。
しかし介入したフランス軍に敗れ、1925年に共和国は崩壊した。
これはモロッコの民族解放運動の先駆けとなった。




 7.  Abdelkader El Djezairi and his fight 
< 7. アブド・アルカーディールと戦い >
Two of lower pictures:  It is Battle of Smala in 1843, and a series of pictures.
下の二枚の絵: 1843年のBattle of Smala。続きの絵です。

Abdelkader El Djezairi is called the father of national liberation movement.
Novelist Victor Hugo described him as " A valiant military officer and dignified religious leader".

When France began to invade Algeria, he who was a leader of Islam declared jihad against it.
In 1831, their liberation army made an attack against a Foreign Legion first, and French military was made complete fools of by them.
At the peak, they had 12000 soldiers, and gained control of 2/3 of the territory.
However, the French military thoroughly burnt down villages being in favor of the liberation army and massacred these villagers.
Thus, the support of the people collapsed, and the whole family of about 60,000 was driven into the desert.
In 1842, they got away into Morocco and plotted a comeback.
However, in 1847, they suffered crushing damage and surrendered after the fight during sixteen years.

France released him though confined him at first, and he became a recipient of a decoration.
He got respect from an ally and enemy.

This continues next time.


民族解放運動の父と呼ばれている人物がアブド・アルカーディールです。
小説家ヴィクトル・ユーゴーは彼を「凛々しい軍人、威厳のある宗教指導者」と形容した。

フランスがアルジェリアを侵略し始めると、イスラム教の指導者であった彼はジハードを宣言した。
1831年、彼ら解放軍は外人部隊への襲撃を皮切りに、盛時には12000の兵を要し、フランス軍を翻弄し、領土の2/3を制圧した。
しかしフランス軍は、開放軍に味方する村々を徹底的に焼き払い、村人を殺戮していった。
こうして民衆の支持は崩れ、6万人ほどの一族郎党が砂漠に追い込まれ、1842年にはモロッコに逃れ、再起を図った。
しかし1847年、壊滅的な損害を受け、16年間の戦いの末に投降した。

彼は幽閉されるも釈放されフランスから受勲されるなど、敵味方から敬意を払われた人物だった。


次回に続きます。