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今回は、頤和園の後半を紹介します。
登りがあるので疲れますが、変化があり楽しめました。
撮影は2019年10月19日10:50~12:30です。
< 2.散策ルート、上が北 >
赤線が散策ルートで、Sから始め、駐車場Eで終わります。
駐車場からは、北京の観光周遊バスに乗って北京中心部まで戻ります。
< 3. 排云殿から登り始める >
標高差60mほどの急な階段を昇ります。
< 4. 仏香閣の前からの眺め >
上: 登って行く時に、右側に見える奇岩と建物。
手前から敷华(奇岩群と思われる)、转轮藏(一群の建物)です。
下: 昆明池が広がる。
ガスっていなければ絶景なのですが。
< 5. 仏香閣 >
上と左下: 仏香閣
右下: 1階に安置されている南无大悲观世音菩萨。
高さ5mで、明朝の1574年に銅で鋳造された。
ここは1860年の英仏連合軍によって焼かれたが、後に西太后が改修した。
後の文化大革命にも、この像は残った。
それは管理局がこの仏香閣の正面に毛沢東像を置いたからだそうです。
中国を旅行していて、本物の古い物が博物館以外で見られることは少ない。
ありがたいことです。
今回、頤和園を是非とも見たかったのは、ここが西太后との因縁が深かったからでした。
西太后はこの頤和園を愛でる為に、莫大な費用をかけて改装した。
本来、日清戦争の軍備に回すべき資金を使い果たした。
敗戦を招く愚かな行為の代償がここに残っている。
< 6. 仏香閣から >
上: 仏香閣を出て、敷华と转轮藏を見下ろす。
左下: 众香界(門のような建物)を見上げる。
右下: 仏香閣を見る。
< 7. 四大部洲 >
私は仏香閣を抜けるとすぐ万寿山の峰に出て、北側に下山し始めました。
すると異様な光景が目に入って来ました。
私は訪れたことは無いのですが、眼下にチベット仏教様式の建物群が広がっていました。
なぜチベット仏教なのか?
そう言えば映画「ラストインペラー」で、西太后が死去した時、宮殿内をチベット僧らしき人が行き来するシーンがあった。
帰国後、調べました。
「四大部洲」とは、仏教で須弥山(しゅみせん)の四方の海の中にあるという四つの大陸を指します。
どうやら須弥山を中心にして、4大陸を象徴する建物が配されているとのことです。
それにしてもチベット様式でなくても良いはずなのだが。
金や元の時代に、中国の仏像がチベット仏教の影響を受けたことはあったが、一時期だけのものと思っていた。
しかし後に清朝は苦戦を強いられながらもチベットを征服した。
この事で、ここに四大部洲を再現するためにチベット様式を取り入れたのか?
もう一つ釈然としない。
それにしても巨大だったこともあり、突如異国に来たような感覚に囚われた。
< 8.四大部洲の下側 >
< 9.苏州街(蘇州街)に入る >
上: 四大部洲を見上げた。
下: 四大部洲から真直ぐ北に下ると、石橋の欄干が見えて来た。
ここが蘇州街です。
< 10. 橋の上から両側を見下ろす >
今回、楽しみにしていた所です。
ここは江南の水鎮を模した売店が並んでいます。
乾隆帝の時代に造られ、様々な品物を扱う店が並び、宮廷の宦官や宮女が店員に扮して皇帝を迎えたそうです。
唯一の宮市の名残りだそうです。
ここも戦火に遭い、1986年に再建された。
< 11. 苏州街の西の端 >
上: 西の端から中央を望む。
中央の石橋が見える。
下: 同じ場所から反対方向を望む。
こちらを進むと昆明湖に出る。
< 12. 中央の石橋 >
< 13. 東の端付近 >
それぞれの店は小さく、ほとんど売店です。
川と売店の間の道幅は非常に狭い。
私は上の写真の奥辺りの店で昼食をとった。
手軽だったので入ったが料理は即席で興覚めでした。
< 14. 出口を抜ける >
頤和園は後半の方が、変化に富んで面白かった。
次回に続きます。
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