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今回は、室内の紹介、そしてクロンボ―城の眺めからコペンハーゲン港への入港までを紹介します。
< 2. 船内の紹介 >
中: フロント階の直ぐ下の階。
下: その階の窓側にこのモニターがあったと思います。
朝4時頃からデッキに出てクロンボ―城の撮影を狙っていたのすが、いつまで経っても見えません。
それで船の位置を示すものは無いかと探していると、モニターを発見した。
モニターを見ると、赤い船の印はまだ海峡に入っていませんでした。
この時刻は6:07で、クロンボ―城に最接近したのは7:57でした。
< 3. 船内の様子 >
上: フロント、案内所のある階。
中: 船内の紹介。
< 4. 両側に陸地が見えて来た >
上: 前方左舷のスカンジナビア半島。
中: 前方右舷のシェラン島。
下: 前方に微かに海峡らしきものが。
< 5. やっと海峡が見えた >
上: 左はスウェーデンのヘルシンボリ、右はデンマークのヘルシンオアです。
この海峡の幅は4kmで、スカンジナビア半島とシェラン島の距離が最も近い。
中: ヘルシンボリ側。
下: ヘルシンオア側の先に、クロンボ―城が見え始めた。
7:50です。
この海峡の狭さが、このクロンボ―城を歴史的に有名にした。
このことがハムレットの舞台になった理由かもしれない。
中世の時代、ドイツを除く西欧諸国は北方交易の為、船で北海からバルト海に行くには、この海峡を通過せざるをえなかった。
ドイツだけはリューベックから直接、バルト海に出ることが出来た。
このことがこの都市をハンザ同盟の中心都市にした。
この頃、バルト海からヴァイキングが去って久しく、ハンザ同盟も盛りを過ぎ、交易は各王国が主導権を担っていた。
中世初期の交易は地中海が注目されていた。
14世紀、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間連合が結ばれた。
この盟主となったデンマーク王は戦争による疲弊した財政を立て直す為に、この地にクロンボ―城を作り、通行税を徴収し始めた。
これが財政を豊かにさせた。
第二次世界大戦時、ドイツがノルウェーに侵攻した大きな理由は、英国海軍のバルト海進出とノルウェーの海運を封じる為でした。
この海域は西欧、北欧、東欧、ロシアにとって非常に重要だったのです。
< 6. クロンボ―城 >
下: 最も近くなったところ。
< 7. 離れて行く >
< 8. 私のキャビン >
二段ベッドの二人部屋を一人で使ったので、狭くはなかった。
シャワーも使った。
安価なので窓はないが、気にはならない。
静かでよく寝れた。
< 9. コペンハーゲン港が見えた >
上: コペンハーゲン港。
下: 中央に要塞島が見える。
これはかって英国との海戦でデンマーク側の守りの要になったことだろう。
次回に続きます。
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