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今回で、湖北・湖東の紅葉の紹介を終わります。
小雨と薄暮にあっても幻想的な紅葉を楽しむことが出来ました。
これも山里やお寺のお世話があっての事だと感謝しています。
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日が暮れると共にライトアップの光が目立つようになって来ました。
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薄暮の中の紅葉はけっして鮮やかではないが、深みを感じさせる。
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上: 本堂。
下: 鐘楼。
この写真は11月22日、16:40のものですが、周囲はかなり暗くなっていました。
ISO1600で、手持ちで撮影し編集で明度を上げてこの状態です。
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この2枚の写真は、前回紹介した禅堂前を撮ったものです。
同じ所でも20分ぐらい時間が経つと、ライトアップの効果が際立つようになりました。
まるで豪華な日本らしい舞台のセットを見ているようです。
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薄暮から夕闇にかけて、ライトアップやフラッシュで撮影した光景。
右下: 最初の石段沿いにある16羅漢(岩壁に石像が彫られている)。
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1時間後に戻って来た時は、真っ暗になっていた。
橋の近くの広場には数軒の屋台が並んでいた。
* 今回の紅葉巡りで感じたこと
これら紅葉は総合芸術、日本で洗練された文化だとつくづく実感した。
北欧やロシア、北米には雄大な一大紅葉地帯がある(一部しか見ていないが)。
それと比べると日本の場合、数百本程度の広葉樹が密集ではなく最適な位置に配されている。
また日本の紅葉の樹は高く伸びた大木と言うより、背が低く枝が横に広がる木が好まれているようだ。
境内の赤や黄色の広葉樹は苔むした岩や石灯篭、小さな池や建物の間に配される。
石畳や地面に積み上がり、池や小川、手水鉢に浮かぶ落ち葉すら重要な背景になる。
人々は境内の参道や回廊を巡る内に、様々に形を変え黄色や朱色の木々と様々な背景色の組み合わせの妙を楽しむことになる。
人類は原初来、赤色に神秘性を感じ、多くの宗教は聖なるものとして取り入れた。
そして特に東アジアは、今でも赤(朱色)を宮殿、神社仏閣に使用している。
中でも紅葉が広く見られる日本(韓国も)では、なぜか寺院の境内に紅葉が重視されるようになった
元来インド起源の仏教には朱色を愛でる習慣は無かったと思うのだが。
推測に過ぎないが、朱色に対する無意識の神聖感と、大乗仏教特有の死生観―末世に至る滅びと冬の到来を告げる紅葉が結びつけられ、広く受け入れられるようになったのだろう。
一方、キリスト教では、死後の世界は仏教と異なり希望溢れるものなので、落ち葉や冬を連想する紅葉は聖なる場所には不向きと見られたのだろう。
キリスト教圏では、宮殿に大規模な紅葉を取り入れるところはあっても、教会には無いように思う。
どちらかと言うと、春や誕生をイメージさせる花が多いように思う。
こんなことを感じながら、楽しい1日を過ごして来ました。
それでは終わります。
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