20170126

Bring peace to the Middle East! 63: Why was it exhausted ? 1: Introduction


中東に平和を! 63:  なぜ疲弊したのか 1 :はじめに





*1


From now on, we are going to pursue the troublesome problems related not only to the Middle East but also to the world.
It is about many societies that had to be exhausted.

これから中東だけでなく世界に関わる厄介な問題を追います。
それは疲弊せざるを得なかった多くの社会のことです。





*2

Introduction
We have seen the conflict of the Middle East until now and if keeping track of its origin and background, you must notice the tremendous darkness.
Many people seem to know it, but actually don't know it.

About ten years ago, I have asked three men about some conflicts.

Question 1,  "Why are there many civil wars in Africa?"

The answer,  "I am sure the reason is because each tribe is blocked by jungle."

Question 2,  "Why are there less conflicts in Southeast Asia (Continent)?"

The answer,  "I think it is because each country is blocked by several mountain ranges."

Question 3,  "Do you think it was good that the Cold War ended?"

The answer,  " The world got worse. The world was peaceful because the United States and the Soviet Union were facing each other, but the civil wars began to occur in various places since then."

Those who answered were ordinary men, but I think their social consciousness was somewhat high.
What do you think of their answers?
It seems to be like certainly true.
At that time, in the process of looking for the answer, I felt a little query about the answers, but I could not deny it.

After all, it is necessary to know the truth to understand the problems of the Middle East.


はじめに
今まで中東の紛争を見て来ましたが、その起源や背景を追って行くと、途方もない闇に気付くことになります。
多くの方は、このことを知っているようで知らない。

十年ほど前、私は身近な三人に紛争について質問したことがあります。

質問1 「なぜアフリカに内戦が多いのでしょうか?」

答え 「それは各部族がジャングルで遮らているからに決まっている。」

質問2 「東南アジア(大陸部)はなぜ紛争が少ないのでしょうか?」

答え 「それは各国が幾つもの山脈によって遮られているからだと思う。」

質問3 「冷戦が終わって良かったと思いますか?」

答え 「悪くなった。米ソが睨み合っているからこそ世界は平和だったのに、タガが外れたから各地で内戦が起きたではないか。」

答えた方は一般の人ですが、社会意識は若干高いと思います。
皆さんはこの答えをどう思いますか。
一理あるようにも思えますね。
当時、私は答えを模索中で、この答えに疑問を持ったのですが否定出来なかった。

やはり中東問題を理解するには真実を知る必要があります。





*3


What does it mean to know this truth?
There are three stages.

A:  There are structural factors that certain society (nation) continues to be exhausted.

B:  Many of its origins occurred by external pressure.

C: Everyone else is indifferent to the external pressure.  

You can consider two examples.

Case 1
A large earthquake hit an island and half of the houses collapsed.
On the other hand, the fields and the fishing ground were safe.
All residents were able to help each other, receive assistance from nearby islands, and the island returned to normal living.

Case 2
A gold mine was discovered on an island, and eventually struggle began.
A continental merchant who knew it sold the islanders weapons and the battle became decisive.
This winner and the merchant gained wealth.
Later, when a massive earthquake struck the island, nobody helped each other, and it turned into a battlefield again.

This simple cases illustrates the mentioned three stages.
I think you roughly understand about the stage A and B.
I think it is difficult to understand the stage C.
The problem is to say that people of the continent do not know the acts of the merchant and are indifferent about it.
But actually, the people of the continent indirectly got the economic benefit, and the islanders were holding a grudge against it.



この真実を知るとは、どのような事なのか?
三つの段階があります。

A 社会(国家)が疲弊し続ける構造的要因がある。

B その起源の多くは外圧によって起こった。

C 他者はその外圧に無頓着である。

二つの例で考えてみます。

事例1
ある島を大地震が襲い、家屋の半分は倒壊した。
一方、田畑や漁場は無事だった。
住民は助け合い、近隣の島からも援助を受けて、やがて島は平常の暮らしに戻った。

事例2
ある島で金鉱が発見され、やがていがみ合いが始まった。
それを知った大陸の商人が武器を売り、勝敗は決した。
この勝者と商人は富を得た。
その後、大地震が島を襲った時、誰も助ける者はなく、また戦場と化した。

この単純な事例は前述の三つの段階を説明しています。
段階AとBについては雰囲気が分かっていただけると思います。
段階Cは分かり難いと思います。
問題は、その商人の行為を大陸の人は知ることもなく、無頓着だと言うことです。
実は、大陸の人は間接的に経済的に潤い、かつ島の人からは恨まれているのです。





*4

What I want to clear
From now on, we pursue the disasters brought by colonization (imperialism) for centuries and the Cold War for half a century.
Countries that didn't suffer this disaster doesn't seem to exceed 10 among 200 countries.
The important point is not the hugeness of the casualties and deprivation but what reason a lot of societies had to continue to be exhausted.

Unless we can understand this, human beings deepens the breakup, and there is a possibility of entering the century of war again.

My way of doing deals with some representative facts and will summarize its structure.

This continues the next time.


これから明らかにすること
これから私達は、数百年間の植民地化(帝国主義)と半世紀の冷戦がもたらした災いを追います。
この災いを受けなかったのは世界200国中、10カ国を越えないでしょう。
重視すべきは、死傷者や収奪の甚大さではなく、どのようして多くの社会が疲弊し続けることになったかと言うことです。

これを理解できない限り、人類は分裂を深める、再び戦争の世紀に突入する可能性があるからです。

進め方は、幾つかの代表的な事実を扱い、その構造を概括することになります。


次回に続きます。





20170124

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 27: ビルニュス 2








*1

今日からビルュニスの旧市街を紹介します。
2016年10月3日、月曜日の朝、町全体が霧に包まれていました。
新市街1カ所と旧市街の半分ほどを紹介します。



< 2. 地図 >

上の地図: リトアニアを示しています。上は北です。
首都ビルニュスは国の右下の方にあり、他の二カ国の首都が海に近いのとは異なります。
これは広大なリトアニア帝国の名残であり、また都市が交易で発展していなかったことに関係しています。

中央の地図: ビルニュスの拡大です。上は北です。
赤い線は前回紹介した夜の街歩きのルートで、ホテルからカテドゥロス広場の大聖堂までを示しています。

Aは杉原桜公園です。

黒枠は今回紹介する旧市街の半分です。

下の写真: 上記の黒枠部分です。上は東方向です。
赤線は前夜歩いたゲディミノ大通りです。

Sは朝、観光バスを降りて徒歩観光を始めたカテドゥロス広場です。
黄線は徒歩観光のルートです。
Eは今回紹介する最後の地点です。

以下の写真は撮影順に並んでいます。





< 3. 朝の光景 >






< 4. 杉原桜公園 >

上の写真: ネリス川の西側(下流)を見ている。
写真の右手に杉原桜公園が広がっている。

中央の写真: 杉原桜公園。
毎年春になると、この公園の200本の桜が咲きます。
桜は杉原千畝生誕100年を記念して2001年に植樹されたものです。
茶色の石碑が杉原千畝領事の記念碑です。

この右手を入ると私達のホテルがあります。

下の写真: 杉原千畝領事の記念碑。


杉原千畝について
彼は東洋のシンドラーと呼ばれる。
第二次世界大戦中、リトアニアの臨時首都であったカウナスに領事として赴任していた。
1940年、ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなどから逃れて来たユダヤ人に、外務省の訓令に反してビザを発行した。
彼らはロシア経由で避難し、命を救われた。





< 5. 町の光景 >

上の写真: ネリス川。






< 6. 徒歩観光の始まり >

上左の写真: カテドゥロス広場の大聖堂と鐘楼。
この大聖堂は18世紀の改築によってクラシック様式になった。
この塔の基礎は13世紀の城壁の塔が使われている。

上右の写真: この鐘楼の下部にある記念プレート。
これは以前紹介したバルトの道(人間の鎖)のリトアニア側の端を示す。

下の写真: カテドゥロス広場からゲディミノ大通りを望む。





< 7. 大聖堂の内部 >

上左の写真: バロック様式の聖カジミエルの礼拝所。
聖堂を入って右奥にある。




< 8. カテドゥロス広場から始める >

上の写真: 左に大聖堂、右に再建中の王宮がある。

中央の写真: カテドゥロス広場の木々。

下の写真: 旧市街のメイン通りのピリエス通り。
振り返ると、丘の上にゲディミナス城の塔が見える。



 

< 9. ピリエス通り >

上の写真: 聖ヨハネ教会が奥に見える。
14世紀にリトアニアがキリスト教を受け入れて建設が始められ、18世紀の火災の後、バロック様式で改築された。
現在は離接するビルニュス大学の教会になっている。

下の写真: 聖ヨハネ教会の鐘楼、旧市街で最も高い。




< 10. 二つの教会 >

上の写真: ピリエス通りの突き当りに小さな正教会が見える。

下の写真: 聖ミカエル教会。




< 11. 聖アンナ教会 >

上の写真: レンガで作られた聖アンナ教会。
今回紹介する徒歩観光の終点にある。
16世紀後半に建てられたゴシック様式の教会。
1812年、ナポレオンがロシアへ攻め上がる途上、この教会を見て「フランスに持ち帰りたい」と語ったほど美しい。

下の写真: 奥に見えるのはベルナルディン教会。



あとがき
このリトアニアは数奇な運命と言うか、過酷な歴史を負った国です。
そしてルニュの旧市街にもその痕跡がある。

他のバルト二ヵ国はドイツ人(騎士団)によって経済と文化が発展し、宗教はプロテスタントになったと言える。
その一方、独立まで長らくドイツ人が支配層に君臨した。
そのことが、タリンやリガのドイツらしい町並みを造った。

しかし、ルニュの旧市街の趣は異なる。
かつてリトアニアは13~18世紀、黒海に接する大帝国で、ロシアを圧することもあった。
やがてロシアへの対抗上、接していたヨーロッパの大国ポーランドと連合した。
しかし、ポーランドが政治と文化で支配的になっていった。
また、この国は農業国で都市の経済発展が進まなかったので、リトアニア人は農民として地方に住んでいた。
1931年当時、ルニュの住民はポーランド人66%、ユダヤ人28%、ロシア人4%で、リトアニア人は1%未満であった。
ソ連支配後のポーランド人追放により、現在はリトアニア人が58%です。
リトアニア全体ではリトアニア人83%、ポーランド人6%、ロシア人5%です。

こうしてルニュ街並みは他のバルトと異なるものとなり、宗教はポーランドの影響でカトリックが主流となった。


次回に続きます。




20170122

Bring peace to the Middle East! 62: Religion and Politics 2



中東に平和を! 62:  宗教と政治 2





*1



Last time, we thought about religion and politics.
We think about contemporary relationship between religion and law this time.

前回、宗教と政治について考えました。
今回は現代の宗教と法の関係について考えます。





*2


About Holy War (Jihad)
The problem that we are most concerned about the Islam of the Middle East seems to be jihad.

Extremism advocating jihad is abnormal beliefs from a standpoint of moderate beliefs being the overwhelming majority of Muslim.
However, the extremism (rigorism) continues to live historically, and then is in Saudi Arabia now.
Although, biased beliefs such as fundamentalism are also in other religions.

What is the problem?
First of all, currently, it is to admonish the jihad ( fatwa for starting an armed struggle) very easily.
Furthermore, there is no end to the number of men who participate in it with indignation and support it.
In the past, there were many cases that voluntary armies contributed in the world, but the current state of the Middle East is a lawlessness without controlling, and the some groups may be a group of thieves.



聖戦(ジハード)について
私達が中東のイスラム教で一番気になる問題はジハードでしょう。

ジハードを唱える過激思想は、穏健なムスリム全体から見れば異常なものです。
しかし、過激思想(厳格派)は歴史上も、現在のサウジアラビアにも生き続けています。
もっとも、他の宗教でも原理主義など偏向した思想は存在します。

何が問題なのでしょうか。
先ず、現在、ジハード(武力闘争開始のファトワー)がいとも簡単に発せられていることです。
さらに、それに義憤を感じて参加する人、また支援する組織が後を絶たないことです。
かつて世界には義勇軍が貢献した例は多々ありますが、中東の現状は統率なしの無法状態で、盗賊団になり下がている場合もある。




<3.  Father of liberation of Algeria >
< 3. アルジェリア解放の父 >

Jihad is one of the obligations for Muslim, and means "effort" and "struggle".
Once, it was declared at a defense of their community and an attack on enemy, and it is something they can't do without.
However, the current jihads only expand many conflicts and deepen cracks between people.

The problem is not interpretation of the jihad (holy war) or the extremism beliefs.
The essence is "Islamic law can not punish jihad involving violence as a crime".
Looking back on legal history of the world, most society has been advancing the concept of justice in time with the change, and unifying it in time with the unity of countries.
Then, people has been creating a social system for achieving the justice.
In conclusion, it is necessary to move away from the Islamic law to go to the national law.
In other words, the society has to be controlled by a legal system built by a democratic regime (separation of the three branches of government).



ジハードはムスリムにとって「努力」「奮闘」の意味で義務の一つです。
かつて、共同体の防衛や進攻に際し宣言され、共同体に無くてはならないものでした。
しかし、現状のジハードは紛争を拡大させ、亀裂を深めるだけです。

問題はジハード(聖戦)の解釈や過激思想にあるのではない。
本質は「イスラム法では暴力を伴うジハードを犯罪として処罰出来ない」ことにあると考えます。
世界の法制史を振り返ると、社会は発展と統合に合わせて正義の概念を変え、かつ統一し、それを実現する社会体制を造り挙げて来たのです。

結論を言うと、イスラム法から国法への脱皮、つまり民主的な政体(三権分立)で築かれた法制度に社会を委ねることです。




<  4. Radhabinod Pal >
< 4. パール判事 >

Indian Pearl Judge who advocated Japan's innocence in the Tokyo Tribunal of War Criminals said as below.

"The law is a dynamic human force that allows to survive our human society"

He said that the law must express "truth" (Hindu law), but to keep the social order, and it is essential that humans continue to improve the law.

There is a possibility that current Islamic legal system(the relationship between Sharia and national law)can not adapt successfully to real society.
Especially as for violence involving people in conflict, it is necessary to apply strict law, and it can't be said that it is merely the difference of interpretation.
For this purpose, people have got to consolidate the democratic administrative body that has a consistent legislation, judicature, and section getting tough on crime.

This is a secular politics.

However, it may not be necessary to accomplish this at a stroke.
Even in Iran of a Islamic Republic, the status of women is improving.
I think lots of Ulema widely cooperate and should begin from improving application of jihad.

I start another theme from next time.




東京裁判で日本無罪論を唱えたインドのパール判事はこう述べています。

「法は人間社会の存続を可能とする動的な人間力である」注釈1.

彼は、法は「真理」(ヒンドゥー法)を表現しなければならないが、社会秩序を保持する為に、人間が法を改善し続けることこそが必要不可欠と言っている。

現在のイスラム圏の法制度、シャリーアと国法の関係は、現実社会に対応出来なくなっている可能性があります。
特に社会を紛争に巻き込む暴力に対しては、厳格な法の適用が必要で、解釈の違いで済まされないのです。
この為には民主的で一貫性のある立法、裁く司法、犯罪を取り締まる行政が整備されなければならない。

これは政教分離と言えるでしょう。

但し、これを一気呵成に成し遂げるこ必要はないかもしれません。
イスラム共和制のイランでさえ、女性の地位は向上しつつある。
広くウラマーが協力し、ジハードの適用から改善していくべきだと思います。


次回からは別のテーマで始めます。



注釈1.
この文は1984年の東京裁判研究会からの引用です。
彼はヒンドゥー法を専攻し、インドの法学部教授や裁判所判事、国連国際法委員長を歴任した。
彼の日本無罪論は、日本に戦争や虐殺に対する責任はあるが、法的に侵略罪を問うことが出来ないと言うものです。


20170120

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 26: ビルニュス 1





< 1.リトアニア国立ドラマ劇場 >


今日から、バルト三国で最後の国、リトアニアの首都ルニュを紹介します。
今日は、夕暮れのビリュニスと、夜の街歩きを紹介します。
訪れたのは2016年10月2日、日曜日です。



*2

リガから南下し田園地帯を抜けて、やがて販売店やアパート群が見えて来ました。
ルニュの人口は56万人で、リガの70万人とタリン42万人の中間です。



*3





*4

思ったより大きく近代的な都市だと感じました。




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< 6.夕食のレストランへ >

バスを降りて、レストランに向かっている。
下の写真: このレストランでリトアニア料理を食べました。


夜の街歩き
私達は夕食後、新市街にあるホテル「Best Western Hotel」に到着した。
次いで、添乗員に案内してもらってショッピングモール「Vilniaus Centrinė Universalinė Parduotuvė」(open10:00-22:00)に行きました。

その後、皆と分かれて、私達夫婦は旧市街に向いました。
ネリス川を渡り、メインストリートのゲディミノ大通りを抜けて、片道2.5kmを歩きました。





< 7.カテドゥロス広場 1 >

上の写真: カテドゥロス広場から今歩いて来たゲディミノ大通りを振り返る。

中央と下の写真: カテドゥロス広場の大聖堂と鐘楼。





< 8.カテドゥロス広場 2 >

私達はまたこの広場を次の日に観光ツアーで歩くことになります。





< 9.カテドゥロス広場 3 >

途中、ほとんど観光客らしいグループを見かけることはなかった。
見たのは、おそらくは地元の人々で、多くは足早に帰宅する人のようでした。
広場のベンチには幾つもの恋人のシルエットがあった。

照明のある大通りや広場を歩いた感じでは、治安に不安を感じるような所はなかった。
実に、感じの良い都市だと思いました。





< 10.ホテルに戻る >

上の写真: 行政府広場から見たゲディミノ大通り。
中央の写真: 帰る途中。
私達のホテルの近くにある大天使ラファエル教会が見えます。

下の写真: ネリス川の向こうに大天使ラファエル教会が夜空に浮かび上がっている。


次回に続きます。




20170118

Bring peace to the Middle East! 61: Religion and Politics 1

中東に平和を! 61:  宗教と政治 1




*1


In the past articles, we are reviewing the relationship between the birth of religious  and the politics.
We think contemporary relationship between religion and politics in twice from now.

前回まで、宗教誕生と政治の関係を見て来ました。
これから2回に分けて、現代の宗教と政治の関係を考えます。




*2

Introduction
Most Japanese people who are familiar with Western civilization may worry that religion is closely related to politics.

In short, the worry is that a religious group will hold political power.
Our history shows that the group could not make democratic governance.
In other words, It's preferable that religious group doesn't participate in national administration.

Here, let's think about the cause of conflicts in the Middle East.

A  Colonization by Europe
It are an arbitrary border between countries, the founding of Israel, and after effects (an obscurantist policy, a dividing into state, and the non-independent economy and society, military dictatorship), etc.

B   Interference by larger countries after World War II
It are an interference due to securing interests of larger countries, a puppet government, and many proxy wars during the Cold War, etc.

C  Causes that derives from the Middle East
Antagonisms occur among ethnic groups, oil country and non oil country, three monotheistic religions, Islamic sects, and the secular power and the Muslim organizations.
Core that causes expansion of conflicts by a violence or a military force are kingdom, military dictatorships, oil countries, and extremists who advocate jihad.

In this series I have already introduced many causes of the conflicts, and also discussed the background about some of them.
Among these causes, what does the Middle East have to solve by themselves and what is in the hands of these people?
Several of them are related to Islam.


はじめに
私達日本人、西欧文明に馴染んだ仏教国の人間にとって、宗教が政治と密着していることに不安があります。

一言でいえば、その不安は宗教教団が政治権力を握ってしまうことです。
それは教団が民主的な意思決定を出来なくなるからで、歴史が示すところです。
つまり宗教教団が国政に関わらないことが望ましいと言える。

ここで中東の紛争の火種について考えてみましょう。

A 欧州による植民地化
恣意的な国境、イスラエル建国、後遺症(愚民化、分断政策、自立出来ない経済・社会、軍事独裁、・・・)。

B 大戦後の大国の干渉
大国の権益確保による干渉、傀儡政権、冷戦時の米ソよる代理戦争。

C 中東に起因するもの
対立の原因としては、民族、石油、三つの一神教、イスラム教の宗派、世俗権力とイスラム教団などがある。
紛争を暴力や軍事力で拡大させているのは、王国、軍事独裁国家、産油国、さらに聖戦(ジハード)を唱える過激派などです。

私はこの連載で、これら火種について既に多くは紹介し、いくつかはその背景についても考察しました。
これら火種の中で、中東が自ら解決しなければならず、かつ人々の手に委ねられているものとは何でしょうか。
その幾つかはイスラム教に関わることでした。





*3


What is issue?
Islam made a great success in the Muhammad era.
It seems that the conflict calmed in the whole peninsula, and the doctrine and the extensive norms brought stability to the community.
At first, the basis of equality and the tolerance to heathens also contributed to stability of the society.
I think it is a great achievement that other religions could not achieve in the peninsula of those days.

However, if you are looking at the current Middle East, it appears that there are  problems because of dragging its original forms.
Nonetheless, because conflict between heathen and religious sect happens in any religion, I exclude this issue.


何が問題か
イスラム教はムハンマドの時代に大きな成果を挙げました。
それは半島全体の紛争を鎮め、教義と広範囲な規範が共同体に安定をもたらしたことでしょう。
また当初の平等精神と異教徒への包容力も社会の安定に寄与した。
このことは当時の半島において、他の宗教では実現出来なかった快挙だと思います。

しかし、現在の中東を見ると、それは原初の形態を引きずっているからこそ問題があるように思える。
とは言っても、異教徒や宗派間の対立はどんな宗教でも起こるものなので、これは除外します。





*4

About conflicts between Muslim organizations and secular powers
This is largely due to military dictatorships (Syria etc.) of A described above, and puppet governments (Iran etc) of B.
However, in the two cases of the conflict between Nasser and the Muslim Brotherhood and "Arab Spring", it seems that there is a problem in Egypt.
For example, the "Arab Spring" was a reform calling for democratization, but the subsequent election results have returned to support for the Muslim organizations.
At this time, from the center of local Islamic community, they should proceed towards nationwide democracy.
For this purpose, people must improve the literacy rate and education, and by enhancing people's consciousness, people need to move toward emphasis on national political scene.

If there is the progress, it will be possible to head towards discussions in a national assembly from  individual antagonisms.
There are still other problems, but it is necessary to take this path by themselves.
This path is a long journey, but there will be no short cuts.
This is a secularization.

This continues the next time.




イスラム教団と世俗権力との対立について
これは前述のA項の軍事独裁(シリアなど)、B項の傀儡政権(イランなど)などが大きい。
しかし、ナセルとムスリム同胞団の対立や「アラブの春」の場合、エジプト自身に問題があるようにも思える。
例えば「アラブの春」は民主化を求めた改革であったが、その後の選挙結果はイスラム教団への支持に戻ってしまっている。
この時、地方のイスラム共同体中心から、全国的な民主主義に向かって進むべきでした。
この為には識字率と教育の向上を図り、人々の意識の高まりにより、国政重視に向かうようにならなければならない。

これが起これば、個々の対立から中央議会での話し合いへと向かうことが可能になる。
他の問題もあるが、これは自ら進むべき道でしょう。
気の遠い話だが、近道は無いでしょう。
これは世俗化と言えるでしょう。


次回に続きます。


20170115

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 25: ビリュニスまでの車窓の景色

 
*1

今日は、バスの車窓から見たリガからビリュニスまでの景色を紹介します。
この日のドライブは雨はなかったもののほぼ雲に覆われていました。







 

< 2. リガ旧市街 >

上の写真: 旧市街の北の端にあるリーガ城。
この城は14世紀初め、ドイツから来たリヴォニア騎士団との闘いに負けた市民が建てらされたもの。
その後、ポーランド、スウェーデン、帝政ロシアと支配者が替わり、18世紀以降、現在の宮殿のような姿になった。

下左の写真: リーガ城すぐ横の英国教会。

下右の写真: スターリン・クラシック様式の科学アカデミーが奥に見える。
ダウガヴァ川沿いから見た。


 

< 3. リガとの別れ >

上の写真: 中央市場。
中央の写真: ダウガヴァ川の対岸。
下の写真: ダウガヴァ川を渡り、南下してリトアニアの首都ビリュニスに向かう。

すべての写真は撮影順に並んでいます。


 
*4











 

< 5. 途中の町 >


 
*6



 

< 7. 国境を越えて >

上と中央の写真の間でラトヴィアからリトアニアの国境を越えています。

いつも思うのですが国境を越えても、自然の景色は変わらない。
ここでもそれは同じですし、家屋や人工的な風景も変化していない。

7年前にオーストリアからハンガリーへと国境を越えた時、自然は変わらないが、家屋が急にみすぼらしくなっていることに驚いた。
国家形態の違いによる経済の差が、このような形で明瞭に出ていることに驚いた。



 

< 8. 人間の鎖 >

途中、休憩に寄ったレストランの駐車場に「the Baltic Way」(人間の鎖)の表示が立っていました。

上の写真: その駐車場から見た道路で、the Baltic Way」の舞台になった。

中央右の地図: the Baltic Way」のルートを青い線で示しています。
赤丸はこのレストランの場所を示しています。

下の写真: 当時の様子。


人間の鎖について
1989年8月23日、バルト三国の国民200万人が参加し、三つの首都を結ぶ600km以上の鎖を造った。
これは人口の約半分が参加したことになり、世界で最初かつ最大の人間の鎖でした。
この行動は、タリンの「歌の原」で紹介した1988年の「歌の革命」に続いて起きた、バルト三国団結の象徴的な事件でした。
この後、リガで紹介した1991年の「バリケード」事件で、バルト三国は独立を達成することになりました。



 
*9


 
*10


 

< 11. 少しの変化 >

この三枚の写真に、バルト三国の南下に伴う変化が見て取れます。

上の写真: 南下するに従っていつしか原生林が道路から遠のいて行った。
耕作地が増え、作物栽培や放牧を多く見るようになった。

中央の写真: 道路沿いに写真のような十字架や小さな教会をいくつか見た。
道路周辺に民家が増えてきたからもしれない。

下の写真: 一番顕著な変化は、緩やかな起伏が増えて来たことです。


 
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< 13. もうすぐビリュニス >


次回に続きます。



20170114

Bring peace to the Middle East! 60: when religions were born 8: concluding section


中東に平和を! 60: 宗教が誕生する時 8: 最後に



*1

Until now, I reviewed the birth of five religions.
We saw how each religion was advancing the division of roles among the politics and law.
This time, it is a summary.


今まで、五つの宗教の誕生を概観しました。
各宗教はどのようにして政治や法との住み分けが進んだかを見ました。
今回は、まとめになります。




*2

Summary
What was common in the birth of Judaism, Christianity, Buddhism, Confucianism, Islam?

It can be said that all these religions brought about stability to the society by renewing old religions.
However, the circumstances of the doctrine and religious group were different depending on the religion, society, and politics at the time of the birth.


In a confused society, when existing religion and national system were strong, the religion had a tendency to break away from the precepts and laws like Christianity, Buddhism, and Confucianism.
Development of science (medicine) and thought was indispensable for breaking away from them, but I don't mention here.
Even though they tended to avoid law and politics at the birth, these religions were adopted by state religion because of their doctrines, and developed greatly.
Eventually they became incorporated into politics.


まとめ
ユダヤ教やキリスト教、仏教、儒教、イスラム教の誕生時に共通していたものは何か?

これら宗教はすべて、古い宗教を刷新して社会に安定をもたらしたと言える。
但し、誕生時の宗教や社会、政治の状況により、その教義や教団の有り様は異なった。



混乱している社会にあって、既存の宗教や国家体制が強固な場合、キリスト教や仏教、儒教のように戒律や法から脱皮する傾向にあった。
この脱皮には科学(医学)や思想の発展が不可欠だったが、ここでは触れません。
たとえ誕生時に法と政治を避ける傾向にあっても、これら宗教はその教義ゆえに国教に採用されて大きく発展し、結局は政治に組み込まれていった。


I see the difference of these religions about engagement with the politics and law.
Christianity that had the laws and religious precepts basing on the Old Testament had to coexist with Roman Law due to it was nearing completion already from the beginning.
Even powerful religious group had been withdrawing from politics due to a power struggle between pope and emperor in the 12th century at the beginning, next undergoing religious reform, and the separation of religion from politics in the French Revolution of the 18th century at last.

Since Buddhism and Confucianism originally denied the law ruling society and the rule of God, after having become state religion, they treated only religious precepts and rituals, and did not interfere with politics and law.

ここで宗教毎の政治と法との関わりの違いを見ておきます。
キリスト教は旧約聖書に基づく戒律や法を発展させていたが、既に完成域にあったローマ法と初期から共存していくことになった。
さすがの強力な教団も社会の発展に伴って、12世紀の教皇と皇帝の権力争い(叙任権闘争)に始まり、宗教改革を経て、18世紀のフランス革命での政教分離により、政治から撤退せざるを得なかった。

仏教と儒教は、元々、社会を治める法や神による支配を否定していたので、国教になった後、祭儀や戒律だけを扱い、政治と法整備に干渉しなかった。

On the other hand, even in the same confused society, when a solidarity and unity of the society became top priority due to existing religions or social systems were immature, the religious precepts and norms were emphasized like Judaism and Islam.
Therefore, both religions developed together with these newborn states from the birth.
That is to say, religion, politics and laws were united.
Hinduism was also close to it.

However, there was a difference in the subsequent development.
The Palestine that was rebuild at the same time as the birth of Judaism was ruined at the 1st century A.D.
The Jews that scattered around the world had lived in a small closed group, so they never participated in the politics and laws of the country themselves.
But, currently it has changed in the United States and Israel.

一方、同じ混乱している社会にあっても、既存宗教や社会体制が未成熟な場合、団結や社会の統一が最優先になった場合、ユダヤ教やイスラム教のように戒律や規範を重視することになった。
したがって両宗教は、その誕生時から新生国家と一体となって発展した。
つまり宗教と政治、法が一体でした。
ヒンドゥー教もこれに近い。

しかし、その後の展開には差があった。
ユダヤ教の誕生と共に再建されたパレスチナの国は紀元後滅亡した。
世界に散らばったユダヤ人は小さな閉鎖的な集団で暮らしたので、自ら国の政治や法と関わることはなかった。
現在、それは米国やイスラエルで様変わりした。


Meanwhile, the Islamic empire that continued to expand the area broke up in the 9th century, and several caliphs came to have comparable power to each other.
Furthermore, the real power of politics changed from caliph to monarch (sultan, emir), and Muslim lost original supreme leader (caliph).
However, the role of the religious law (Sharia) continues to live by the Koran and the Islamic community.


At the end
Something I wanted to indicate in this chapter "when religions were born" is that each religion is reviving the social circumstances of about 2000 years ago, as the religion had played a role in the birth.

Next time, I consider about the relationship between contemporary religion and politics.


一方、領域を拡大し続けたイスラム帝国も9世紀には分裂し、複数のカリフが鼎立するようになった。
さらにカリフから政治の実権は君主(スルタン、アミール)に移り、イスラム教は本来の最高指導者(カリフ)を失った。
しかし、コーランとイスラム共同体によって宗教法(シャーリア)の役割は生き続けている。


最後に
私がこの章「宗教が誕生する時」で示したかったことは、宗教は誕生時の役割を担ったことにより、逆に約2000年前の社会を蘇らせることです。


次回は、現代の宗教と政治の関係について考えます。