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今回は、アーケシュフース城内にあるノルウェー抵抗運動博物館を紹介します。
ここには第二次世界大戦の抵抗運動の様子が展示されています。
小国の悲哀と独立への強い思いが錯綜する中で、希望へと導いた国王の行動が光ります。
< 2. 博物館と関連映画 >
上: ノルウェー抵抗運動博物館の外観。
地下に展示室が広がり、狭いながらも十分に当時の状況を感じることが出来ます。
観光客は少ないが、学生や夫婦の見学者が少なからずいた。
左下: 抵抗運動の象徴になったノルウェー王ホーコン7世の肖像画。
右下: この抵抗運動が始まった三日間を描いた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」のポスターです。
映画の主人公はホーコン7世です。
私は偶然、旅行に行く前にこの映画を見ることが出来ました。
これはノルウェー製でハリウッド製のような派手さはないが、当時の緊迫感と揺れる首脳陣の思いが伝わってくる良作でした。
< 3. 展示物 1 >
左上: この地図はドイツ軍がノルウェーに侵攻した状況を示しているようです。
右下のオスロ湾に一群のドイツ艦隊が侵入しているのが分かります。
当時の政府首脳と国王はオスロにいました。
抵抗のドラマはオスロから始まりました。
ドイツ軍は雪が残る1940年4月にノルウェー各地に同時に侵攻した。
ドイツは前年、ポーランドに侵攻を開始し大戦が始まっていた。
破竹の勢いで進軍したドイツ軍は1940年6月にパリを陥落させた。
この5月にはチャーチルが英国首相となり、英国は和平から臨戦体制に転換した。
左下: おそらく左がホーコン7世のようです。
右で威張っているのが悪名高いクヴィスリング首相でしょう。
ノルウェー軍人の彼はナチスを信奉しており、前年にヒトラーにノルウェー侵攻を要請していた。
実は、彼はナチス主体の「北海帝国」を妄想していた。
いつの世にもこのような人物は出るようです。
彼はドイツ軍侵攻の混乱に乗じ、全権掌握を宣言し、自ら傀儡政権を任じます。
しかし彼はノルウェー首脳と国民からは疎んじられ、ヒトラーを除いてドイツ側も信用していなかった。
彼は戦後、裁判によって銃殺刑に処せられた。
彼の名は今でも「売国奴」と同義語として使用されている。
右下: おそらくドイツ軍に占拠されたオスロ港でしょう。
< 4. 映画のシーン 1 >
上: 映画は冒頭、闇夜から始まった。
それはオスロ湾で最も狭いドレーバク水道にあるオスカシボルグ要塞の守備隊が舞台になります。
この要塞の島をフェリーか眺めることができました。
闇夜に乗じてドイツの戦艦が迫って来たので、守備隊長は王宮に判断を仰ごうとするのですが連絡が取れません。
ここで彼は砲撃の命令を独断で下し、戦艦を撃沈します。
(私には出来なかったでしょうが)
この彼の行動が国王に逃亡の時間を与え、後の抵抗運動に繋がった。
後に彼は勲章を授与されます。
下: 右はドイツ公使で左はドイツ将校です。
この映画で国王に次いで、心打たれた人物がノルウェー駐在ドイツ公使Curt Bräuerです。
映画の舞台は翌日のオスロに移ります。
彼はドイツ軍による支配を極力穏便に済まそうと調整に努めます。
ヒトラーとも直談判し、また侵攻して来たドイツ将校相手に孤軍奮闘します。
しかしホーコン7世はヒトラーから条件(傀儡政権を認める)を呑むことが出来ず、家族と政府首脳と共にオスロを去り列車で北部へ逃亡します。
大使の仲介の労は無に帰し、彼は任を解かれソ連への前線に送られ、9年間のソ連での捕虜生活に耐えることになる。
このような身の危険を顧みない他国を思う外交官がいたことに感動した。
< 5. 映画のシーン 2 >
上: ホーコン7世と王子、そして政府首脳がドイツ軍の追撃から逃れているシーンです。
下: 国王一行を守る兵士は少なく、少年兵も参加している。
ホーコン7世は逃亡しながらドイツの降伏要求を拒否し続け、2か月後に国外脱出を果たすることになる。
この時「独立を取り戻すための戦い」の声明を残し、王家、政府と軍の要人500名と共に船で英国に亡命します。
ロンドンで亡命政府を樹立し、連合軍と共に戦うことを宣言し、ノルウェー国内の抵抗運動への指示と支援を続けます。
そして国民は一丸となって統率の取れた抵抗をおこなった。
初めは非協力・非暴力で抵抗し、地下に潜伏し、ドイツ軍の劣勢が伝わると武力闘争に切り替えっていった。
戦後、国王は帰国を国民の大歓迎で迎えられ、再び独立を取り戻した。
そして現在、世界で一番豊かで幸福な国と言われる。
< 6. 展示物 2 >
ドイツ軍の侵略を模型で示したものです。
< 7. 展示物 3 >
抵抗運動の主役たちと様々な抵抗の様子が展示されていました。
< 8.展示物 4 >
これはどうやら抵抗運動側によるオスロでの破壊指令のようです。
指令書の地名は地図の黄色の破裂マークで、前回紹介したアーケシュフース城に至る道で、右側にオスロ中央駅があります。
指令書の目標名は、ドイツが創設したノルウェー内のナチス党組織です。
日時は終戦の前年の1944年です。
* 感想
この抵抗運動と映画も含めて感想を記します。
一番印象深いのは、劇中でのホーコン7世が語る言葉です。
彼は「私は国民から選ばれた王だから、もっとも尊重すべきは国民の声である」として、安易にドイツの言いなりなることは出来ないと悩みます。
ドイツに屈服して王家と国民の命を守るべきか、それとも半世紀前にやっと手に入れた独立を守るべきか。
実は、彼は1905年のノルウェー独立に伴い、国民投票でデンマークの王子からノルウェー王になっていたのです。
一方ドイツ侵攻で政府首脳はうろたえ、王は「君たちは国民から選ばれたのだから、国を率いる責務があるのだ」と諭します。
しかし彼らは答えを出しません。
王は象徴的な存在であって、政治に口出すべきでないとホーコン7世
は考えていた。
彼への国民の信頼は絶大で、ノルウェー政府も王の言葉を待ちで、ドイツも彼を条約調印の相手と見做していた。
彼は一人悩み「降伏拒否」を宣言することになる。
映画はここに至る3日間を描いている。
私が北欧に惹かれ、政治社会経済の良さを知りたいと願い、今回の旅にでました。
北欧三ヵ国に共通するのは立憲君主制ですが、大いに英国や日本と異なるものがある。
ここ数百年の歴史を見ると、北欧三ヵ国は王家の力が弱く、貴族と対抗させ、国民がまとまるため、国民が王家に国の統率を依頼するようなところがある。
これはヴァイキングが隆盛した社会背景と共通しているように思える。
ともかく議会制民主主義が国民と王家の信頼によってより強固になっている。
不思議な国です。
抵抗運動が分裂せず、スムーズに行われたのもこの国王への人気の賜物かもしれない。
実は、この館を退出する時、事務所の男性職員が目を合わせ「ありがとう」と言ってくれた。
次回に続く。
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