中東に平和を! 50: 宗教と迫害 4: ユダヤ人の迫害 2
< 1. アンネ >
We looked at the Persecution of Jews by the Nazis last time.
We pursue the history of the Persecution of Jews in Europe this time.
前回、ナチスによるユダヤ人の迫害を見ました。
今回、西欧でのユダヤ人迫害の歴史を追います。
< 2. An invasion of Palestine by the Crusade >
< 2. 十字軍のパレスチナ侵攻 >
The history of the Persecution of Jews in Europe
Persecuting Jews was not limited to just Germany during the Second World War.
From a long time ago, the storm of the persecution of Jews had raged from Europe to Russia.
When motion of the Crusade became lively in the eleventh century, people who considered Jews the enemy of Christian turned into a mob and killed one-third of Jews in Germany and north France.
In the thirteenth century, anti-Judea riot happened, and Jews who had served British royal families became deportation.
But, in the 18th century, the U.K. established a Jewish district in London to win intense world trade competition.
Jews of France had lived as merchants or craftsmen in some cities, but in the 14th century, the motion of anti-Judea happened, and the Jews were ousted.
But, after the French Revolution, the Jews were endowed with equal right once.
When the pest was epidemic in the 14th century, the false rumor that Jews threw poisons into wells spread, and the persecution and slaughter against them happened in each place.
From this time, the Jew was forcibly segregated into ghettos.
When Reconquista was completed in the Iberian Peninsula in the 15th century, not only Muslim but also Jew was ousted.
And, the Inquisition was carried out against Christian converts who still stayed, and most of the execution by burning were Jews.
The Jew that was ousted from Europe flowed into Poland and Russia of the east side.
Whenever countries the Jew immigrated to were confused, here again the Jew was persecuted as an outlet for complaint and betrayer.
西欧でのユダヤ人迫害の歴史
大戦中のドイツだけがユダヤ人迫害を行ったのではありません。
西欧からロシアにかけて、遥か以前からユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れていた。
11世紀、十字軍運動が盛り上がると、ユダヤ人をキリスト教徒の敵とみなした民衆が暴徒化し、ドイツや北フランスのユダヤ人を三分の一を殺した。
13世紀、反ユダヤ暴動が起こり、英国王家に仕えていたユダヤ人が国外追放となった。
但し、18世紀、英国は激しい貿易競争に勝つためにロンドンにユダヤ人地区を設けた。
フランスのユダヤ人は幾つかの都市で商人・職人として暮らしていたが、14世紀になるとユダヤ人の迫害が進み、追放された。
但し、フランス革命後、ユダヤ人に平等の権利が認められたことがあった。
14世紀、ぺストが大流行すると、ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだデマが広がり、各地で迫害や虐殺が起きた。
この頃から、ユダヤ人をゲットー(居住区)に強制隔離するようになった。
15世紀、イベリア半島でレコンキスタが完了すると、イスラム教徒だけでなくユダヤ教徒も追放された。
そして残ったキリスト教改宗者に対して異端審問が行われ、火刑の多くはユダヤ人であった。
これら西欧から追放されたユダヤ人は東方のポーランドやロシア側に流入した。
ここでもユダヤ人は、移住先の国が混乱する度に、不満のはけ口や裏切り者として迫害されることになった。
< 3. Jews were sacrificed when the pest was epidemic >
< 3. ペスト流行時、犠牲になったユダヤ人 >
Why was the Jew persecuted?
There are some common points about the background of above-mentioned persecutions.
When certain society fell into an difficult economic situation, the dissatisfaction of the people was turned to rich Jews, and their assets were often plundered.
The reason why moneylender is outstanding to Jew is Christian could not enter the moneylending business because the Old Testament (Deuteronomy) had prohibited the interest rate.
On the other hand, all restrictions were imposed on the Jew of Europe, they could not go into agriculture or guild (trade association), and had no choice but to go into a moneylending business or entertainment. Annotation 1.
The Jew was despised and was considered as a betrayer, then was often considered as a cause of epidemic or natural disaster.
Because the Jew had repeated Diaspora and emigration, when they were persecuted, they sometimes asked for help from other countries, and went over to the other side.
The same as many victims of discrimination , it came to develop the group's own identity to strengthen solidarity, and they became more remote from the neighboring society.
However, the largest cause is elsewhere.
It was closely related to the fact that the Jew had been able to coexist with Islam until one century ago.
In other words, it is the antagonism between Christianity and Judaism.
In an extreme instance, the Christianity was established by adding the New Testament to the Old Testament of the Judaism and was the religion like the brothers of it.
However, the establishment of Christianity made the Jew unfortunate.
This continues the next time.
なぜユダヤ人は迫害を受けたのか?
前述の迫害が起きた背景に幾つかの共通点がある。
社会が経済的苦境に陥ると民衆の不満が裕福なユダヤ人に向けられ、資産が略奪されることもあった。
ユダヤ人に金融家が目立つのは、旧約聖書(申命記)が金利を禁止していたのでキリスト教徒は金融業に参入出来なかったことによる。
一方、西欧のユダヤ人は、あらゆる制限を課せられ、農業やギルド(同業者組合)に参入出来ず、金融業や芸能などを生業にせざるを得なかった。注釈1.
ユダヤ人は蔑視され裏切り者と見なされており、疫病や天変地異の原因にされた。
ユダヤ人は離散と移住を繰り返していたので迫害されると、救いの手を他国に求めたり、また寝返ることもあった。
多くの被差別民と同様に、団結を強めることが集団の独自性を高めることになり、より周辺社会から疎遠になってしまった。
しかし最大の要因は別にある。
それは、一世紀前まで、ユダヤ教徒はイスラム世界で共存出来ていたことと関係があります。
つまり、キリスト教とユダヤ教の対立なのです。
キリスト教はユダヤ教の旧約聖書に新約聖書を加えて成立した兄弟のような宗教です。
しかし、キリスト教の誕生がユダヤ教徒に悲運を背負わせることになったのです。
次回に続きます。
注釈1.
申命記(旧約聖書)による金利の禁止はキリスト教徒よりもユダヤ人にとって重大なのですが、二つの逃げ道があった。
「同胞に利子を付けて貸してはならない。・・・外国人(異教徒)には利子を付けて貸してもよい・・」24章20-21より
ハムラビ法典でも、国内と国外で法律の適用を変えている。
「主はあなたを祝福されるから、多くの国民に貸すようになるが、借りることはないであろう。」15章06節より
またユダヤ人は中東において古代より高い文化を持ち王宮に仕え、離散によるネットワークを生かし貿易で活躍していた。
西欧において、キリスト教徒は金融業から締め出されたので、逆にユダヤ人は金融業で成功することになった。
ここで宗教に共通する現象がみられる。
それは金利や利益の扱いです。
ほぼ世界の経典宗教は、金利や商業を蔑視し禁止していた(実際には行われていた)。
これは当時の小さな同族社会では、利子や利益を貪る行為が融和を乱し、紛争を招くと考えられていたからです。
しかし、時は流れ、産業と貿易が発展すると偽装金利が横行するようになり、ついには金利を容認せざるを得なくなった。
それぞれの教団は聖典の解釈を変更せざるを得なくなった。
キリスト教では、13~14世紀にかけて、一部の利子を認めていくことになった。
16世紀の宗教改革以降、利子取得は容認されるようになった。
イスラムでもコーランは利子を禁止していた。
資金の貸与は利子以外の方法で利益が得られ行われていたが、商事会社の発達を阻害しいた。
19世紀後半、ファトワーが発せられ、ムスリムも利子や配当を受け取れる場合が認められた。
最近では利子取得を回避する手として、銀行と融資を受けた事業体が共同経営を行い、利益を配分する例がある。
ここで興味深いのは、聖典に遺存した古い規律が社会の変化に適合しなくなると、教団は何とか解釈の変更で問題解決を図っていることです。
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