20160831

Bring peace to the Middle East! 29: about terrorism 9 : Two combatants

中東、戦争と平和 2: テロについて 9: 二人の戦闘員

 
< 1. Kamikaze Special Attack Units >
< 1. 神風特別攻撃隊 >
Today, we approach the difference from the terrorism of the Middle East, through confessions of two combatants. 
今日は、二人の戦闘員の告白を通じて、中東のテロとの差異に迫ります。

<  2.  Kaiten Special Attack Units  >
< 2. 回天特別攻撃隊 >
Farewell note of a suicide attacker
"Mother, please forgive me .
I think about the sadness of my family.
However, it must be an importance for me, but I can't think seriously so.
Now, I am thinking of me as a child of this country more than as a child of mother, because I know that my small life even become a big key of the enemy destruction.
But surely I think to be able to die with having pride that I am a child of father and mother.
(annotation 1) 
This is a farewell note of a dead youth at Kaiten Special Attack Units in the end stage of the Pacific War.
They had to enter the navy while he was still in college.
One day, they were said from a senior officer suddenly.
"The person who wants to enter the special attack units should apply by tomorrow morning" 
In the result, 40 out of 400 people applied for it, and he was one of then.
Though, after all, the remaining youths also were assigned to the special attack units.
(annotation 2
This note indicates this young man's thought, “ As much as possible, I want to stop the crisis of our country destroyed by own life.”
I see a dignity (self-sacrifice) common to all humankind to the youth who applied for it.
This suicide attack was a brave act from Japanese side, but the U.S.A. (enemy country) viewed it as an insane action and seemed to be afraid of it.
This was a desperate measure that the Navy brass created on the occasion of an approaching defeat.
But there were many youths who responded it by own life.
This background had a factor of Japanese culture including Bushido, but the most important was the war situation being continuous for half a century such as creating many war heroes.
This is a thing to be connected with a Palestinian suicide bomber mentioned above, except at "killing private citizens" and " blessing".


ある自爆攻撃者の遺書
「母さんお許しください。
私は家の人々の嘆きを考える。
けれどもこれほど私に重大に思えるくせに、何でもないことはないのだ。
お母さんの子がひとたび戦争に出て、そしてそこに敵撃滅の大きな鍵を私の小さな命であがなえることを知った時、やっぱり、私だってお母さんの子としてよりも、祖国の子としての自分を顧みるようになるのです。
でも私は、きっと私がお父さんの子であり、お母さんの子供だったことを叫んで死んでゆけることと思います。」注釈1.
これは太平洋戦争末期、人間魚雷「回天」で死んだ若者の遺書です。
彼は大学在学中に学徒出陣で海軍に入ることになった。
彼らはある日、突然、上官から「特別攻撃隊に入隊したい者は明日朝までに志願すること」と言われた。
その結果、400人中40名が志願し、彼はその一人でした。
もっとも残りの若者も後日、強制的に特攻に配属された。
注釈2.
この遺書から若者の「亡国の危機を自らの命で少しでも食い止めたい」との思いが伝わってる。
私は、志願した若者に人類共通の尊厳、自己犠牲見る
この自爆攻撃は日本から見れば勇敢な行為だが、米国(敵国)から見れば狂気の沙汰と恐れられただろう。
これは軍上層部が迫る敗戦で生み出した苦肉の策でしたが、自らの命でそれに応える若者が多くいたのです。
これには日本文化(武士道など)の素因もあるが、数々の軍神を生んだようにやはり半世紀にわたる戦争の常態化が引き起こしたと言える。
これは前述したパレスチナの自爆テロ犯の遺書「民間人殺害」「神への祈りで異なるものの、通じるものがある。

 
<3.  Terrible sight of the capital of Chechnya in 2000>
< 3. ェチェンの首都の惨状、2000年 >
Explanation of a bomb terrorist
Chechen Islamic militant caused bomb terror in Russia, and the criminal was arrested.
He spoke like this to the authorities.
"I murdered tens of people, but, the Russia killed tens of thousands people of our citizens."
He thinks his act is nothing more than insufficient retaliation.

ある爆破テロ犯の弁明
チェチェンのイスラム武装勢力がロシアで爆破テロを起こし、犯人が逮捕された。
彼は当局に対してこう述べた。
「私は数十人を殺したが、ロシアは我々市民を数万殺したではないか。」
彼は、自分の行為を不十分な報復でしかないと捉えている。

Difference from the terrorism of Palestine
Thing being common to two examples mentioned above and the terrorism of Palestine is a response a small armaments does against huge armaments.
I pick up this example from the world.
Guerrilla is subtly different from the terrorism, but these are used in the similar situation.
パレスチナのテロとの相違
上記二つの例とパレスチナのテロで共通していることは、巨大な軍事力に対する弱小側の対応だと言うことです。
この例を世界から拾ってみます。
テロとゲリラは微妙に違うのですが、共によく似た状況で用いられています。

 
< 4. Spanish independence war by Goya >
< 4. ゴヤが描いたスペイン独立戦争 >
Guerrilla in wartime.
The Spanish guerrilla against Napoleon forces in Spanish independence war.
The Chinese guerrilla against Japanese military in the Japan-China War.
The Yugoslav Partisan against German military in the World War II.
The guerrilla of Viet Cong against the U. S. Armed Forces in the Vietnam War.
These were mainly fights local citizen performed against the invading army.
Terrorism during a conflict
The terrorism having aimed at abolition of Apartheid in South Africa.
The terrorism by the IRA having aimed at independence of Ireland in the U.K.
The terrorism aiming at independence of Palestine in Israel.
The terrorism by Islamic extremist advocating anti-western idea all over the world.
It is said that these aim at giving the authority fear mainly.
A difference of killing combatants is outstanding between these terrorism and these guerrillas, but it is only difference in situation.
In fact, there are many private citizens massacred by regular army in the war, such as Dresden bombing, Chongqing bombing, atom bomb on Hiroshima and Nagasaki, retaliation to guerrilla (Nanjing Incident and My Lai Massacre).

戦時下のゲリラ。
スペイン独立戦争でのナポレオン軍に対するスペインのゲリラ。
日中戦争での、日本軍に対する中国のゲリラ。
第二次世界大戦での独軍に対するユーゴスラビアのパルチザン。
ベトナム戦争での米軍に対するベトコンのゲリラ。
これらは主に現地の市民が侵略軍に対して行ったものです。

 
<5. Former IRA>
< 5. かつてのIRA >
紛争中のテロ。
南アフリカでのアパルトヘイト撤廃を目指したテロ。
英国でのアイルランド独立を目指したIRAのテロ。
イスラエルでのパレスチナ独立を目指すテロ。
世界中で反欧米を唱えるイスラム過激派によるテロ。
これらは主に権力側に恐怖を与えることを狙っていると言えます。
これらゲリラとテロでは戦闘員殺害の差が目立つが、状況の違いでしかない。
実は、戦争において正規軍が民間人を殺戮することは、ドレスデン爆撃、重慶爆撃、広島長崎の原爆投下、ゲリラへの報復(南京事件、ソンミ村事件)など数多くの大量殺戮があった。

Important thing
Terrorism is crime that we should hate.
However, there were lots of villainy before then, such as discrimination, destruction and slaughter. 
Originally, it should be brought to justice as war crimes together.
Unfortunately it is difficult to punish rulers, and it is usual that the information is deflected by these rulers.
The important thing is we don't look away from the background that the terrorism occurs on.
Mutual understanding was indispensable for the end of bloody conflict that happened in the world.
When there was not it, there only was submission or erasure.
On the next time, I approach a relation of religion and terrorism.

重要なこと
テロは憎むべき犯罪です。
しかし、多くはそれまでに数多くの非道(差別、破壊、虐殺)があったのです。
本来は共に戦争犯罪として裁かれるべきものです。
残念なことに支配者を罰することは困難で、さらにその情報は支配者によって偏向させられるのが常です。
重要な事は、私達がテロが生まれる背景から目をそらさないことです。
世界で起きた血みどろの紛争の終結には、必ず相互理解が不可欠でした。
それが無い時は、忍従か抹殺しかありませんでした。

次回は、テロと宗教の関係を追います。


注釈1
「特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと」p40より
注釈2
日本の特別攻撃の航空(神風)・海中(回天)・海上を合わせて約6000名が死んだ。
冥福をお祈りします。

20160826

地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 29: ローマ3、終わり





< 1.コンスタンティヌスの凱旋門、4世紀  >


今日は,この旅行記の最後になります。
ローマを紹介して、この旅行を簡単に振り返ります。



 

< 2.サンタンジェロ城、2世紀 >





 

< 3.テヴェレ川沿い >
上の写真: テヴェレ川の向かいにアヴェンティーノの丘が見える。
ここはローマの発祥の地となった七丘の一つで、5世紀に遡る教会がある。

中央の写真: このテヴェレ川の右岸がアヴェンティーノの丘。
下の写真: 「真実の口」の彫刻があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会。



 

< 4. パラティーノの丘 >
上の写真: 手前の広場は紀元前の戦車競技場跡、チルコ・マッシモ。
その後ろはパラティーノの丘で、最も歴史が古く、ローマ建国神話に繋がる紀元前8世紀に遡る。
この丘の奥に古代ローマの遺跡で有名なフォロ・ロマーノがある。

下2枚の写真: 上記の拡大。



 

< 5.コロッセオ >


あまりにも有名な円形競技場コロッセオです。
左にコンスタンティヌスの凱旋門がある。




 

< 6. コロッセオとフォロ・ロマーノ >

コロッセオの向こうにフォロ・ロマーノが見える。



 

< 7. チビタベッキアに向けて 1 >

いよいよ帰国の途に着きます。
チビタベッキア港からジェノバに戻り、ミラノから空路で帰国です。


 

< 8.チビタベッキアに向けて 2 >

この日は折しも曇天で、旅行の終わりがよりわびしくなりました。


ローマに思う
イタリアは私にとって古代ローマから中世に至るヨーロッパ史を知るには重要な所と考えていました。
しかし、今回ミラノ、ジェノバ、ローマを観光して、その思いは萎えてしまいました。
特に、ローマの中心部の街並みを見るにつけ、すべてが古いままのたたずまいであることに不安を感じた。

これでは観光地としては良いが、発展への妨げになるのではないかと思えた。


私は人類の未来を知る為に、以前は先史から古代史を理解することが大事だと考えたが、今は直接的に中世以降の世界の紛争や戦争に関心があります。
その意味で、私にはローマが遠い存在になってしまったようです。





 
*9

この旅行を終えて

この15日間の旅行、内12日間のクルーズは、私達夫婦にとって貴重な経験でした。
出発前、初めてのことで色々不安はあったが添乗員のおかげで無事、かつ充分な満足感を持って終えることが出来た。

数々の思いでが蘇ります。
イタリア3都市、スペイン2都市、モロッコ1都市、大西洋の2島を観光した。
冬の地中海と大西洋を経験し、大航海時代の始まりを告げる2島を見た。
この島では、大自然を感じることが出来た。
アフリカのイスラム圏であるカサブランカを体験した。
二度目のスペインで、ガウデイとピカソに触れることが出来た。
クルーズ船内の生活をエンジョイし、クルーズならでは街歩きを楽しんだ。
様々な遺跡、景色、洋上の朝日夕日を写真に撮った。
そして、海外の人々と船内や町歩きで触れ合うことが出来た。

すべて貴重で楽しい思い出になりました。






 
*10


長らくこの旅行記にお付き合い頂きありがとうございました。

10月には、ロシア、バルト三国、ポーランドを巡る旅に行きますので、報告することを楽しみしています。

20160825

Bring peace to the Middle East! 28: about terrorism 8 : terrorists and a conscientious objector


中東、戦争と平和 28: テロについて 8: テロ犯と兵役拒否者





<  1.  a suicide bombing in Israel >
< 1.イスラエルでの自爆テロ >

We get to the heart of 3 youths feeling desperate in Palestine and Israel.

今日は、パレスチナとイスラエルの3人の若者の必死の思いに迫ります。


Farewell note of a suicide bomber
A youth performed a suicide bombing in a route bus of Jerusalem and had written this note three days ago.

"
.......
I feel blessed in becoming a member of Hamas being a tolerant organization. (annotation 1)
......
First I am murdered in a bomb, and I feel blessed to be able to murder our enemy at the same time.
This is not because I want to murder but because I wish Palestinian live a life in common with other race.
.......
My father and mother, and all the relatives, I was not forced to go ahead this way.
.......
I pray to God for leading my family to heaven through me on the day of judgment.
.......
Please don't feel sorrow at my departure, and don't cry.
If God chooses it, we may meet soon in heaven. "
 (annotation 2)

He learned Islam in a graduate school and additionally aimed at lawyer.
However, he expected the Liberation of Palestine, and murdered 20 private citizens by this incident.

Why did he perform this cruel suicide bombing?


ある自爆犯の遺書
この遺書はエルサレムの路線バスで自爆テロを行った若者がその3日前に書いたものです。

「・・・・
ハマス(注釈1)という寛大な組織の一員にして下さり、・・・幸せに思います。
・・・・
まず私が爆弾に殺され、同時に敵を殺せることを幸せに思います。
私は殺人がしたいからではなく、パレスチナ人が他の民族と同じように生きることを望んでいるからです。
・・・
お母さま、お父さま、親戚のみなさん、私はこの道を進むことを強制されたわけではありません。
・・・
最後の審判の日、神が私を通じて家族を天国に導くことを、神に祈ります。
・・・
私の旅立ちを、悲しみ、泣かないで下さい。
神が望まれるならば、私達は近いうちに天国で会えるでしょう。」
(注釈2)

彼は大学院でイスラムを学び、さらに法律家を目指していた。
しかし、彼はパレスチナ解放を望み、この事件で民間人20人を殺した。

なぜ彼は残酷な自爆テロを行ったのだろうか?





<  2. Lebanese refugee camp in where battle continues. in July 2007 >
< 2. 戦闘が続くレバノンの難民キャンプ、2007年7月 >

Family of a terrorist
A Japanese photojournalist was making a book of photographs of a Palestinian girl.
He visited her family after four years.
Her house in a camp was destroyed by bombardment, and this family lived at a relative's house in Beirut.


Her mother protested against right wing militiamen who had ruled the camp, so she was hit with a gun, and underwent major surgery.
Her father received a cannonball of Israeli military and was operated on.
Her eldest brother had worked in a factory in the camp but he was arrested by Israeli military.
He was tortured and ousted, then he went to Africa, and has suffered heavy disease.
Her second brother died during a battle in the camp.
The husband of her eldest sister was hit by bomb fragments of Israeli military, and he has suffered total paralysis.
Her uncle received a bullet of radicals to eyes, but narrowly escaped death.
Her younger brother was killed in bombardment. “
 (annotation 3)

There was not her older sister (18 years old) here.
A small group of guerrillas that she led entered Israel, and she was caught by Israel after a battle.
She received torture in a prison, but seems to still live.

Many people may think so.
"I can understand her sorrow and hatred, but why does she fight?
Because, there is surely the retaliation of Israel that is much more severe and indiscriminate."
Maybe these youths merely be hell-bent on revenge?

These two terrorists of Palestine would maybe think as mentioned below.
" At a crisis of destroying our country, we don't care our own life."

あるテロ犯の家族
日本のフォトジャーナリストがパレスチナの少女の写真集を作っていた。
彼は4年ぶりに彼女の家族を訪れた。
この家族は、キャンプの住まいを砲撃で破壊され、ベイルートの親戚の家に居候していた。

「母親はキャンプを支配した右派民兵に抗議して、銃で殴られ大手術をした。
父親はイスラエル軍の砲弾を受け手術した。
長男はキャンプの工場で働いていたが、イスラエル軍に逮捕され、拷問され、追放されてアフリカに渡り重い病気になった。
次男はキャンプでの交戦中に死亡した。
長女の夫は、イスラエル軍の爆弾の破片が当たり全身不随になった。
叔父は過激派の銃弾を目に受けたが、命を取り留めた。
弟は爆撃で死んだ。」
(注釈3)

そこに彼女の姉(18歳)の姿はなかった。
この姉が率いるゲリラの小グループがイスラエルに進軍し、交戦の末、彼女は捕まった。
彼女は収容所で拷問を受けたが、まだ生存しているらしい。
この収容所は、国際赤十字もアムネスティも立ち入ることが出来ない。

多くの人は思うだろう。
「彼女の悲しみと憎しみは理解出来るが、なぜ戦うのか?
イスラエルのはるかに過酷で無差別な報復が返って来るのに。」
この若者達は単に復讐の鬼と化したのだろうか?

このパレスチナの二人のテロ犯の胸中にあるのは「亡国の危機にあっては、自分の命を厭わない」ではないだろうか?







<  3.  Israeli high school students refused to do military service in 2014 >
< 3.イスラエルの高校生が兵役拒否で投獄、2014年 >

a statement of a conscientious objector

“......
Our Israeli nation has extended a pure Jewish residential area by force since the founding of the country.
But I cannot understand how a security of the area becomes supported strongly.
I cannot understand how it is useful for our society to do attack being more cruel and large-scale than Palestinian terrorism, for suppressing the resistance of Palestine.
.....
The majority of Israeli people want to change such a situation.
.......
The Israeli military men and capitalists perform every thing to maintain their authority.
.........
Our true enemies are these people.
Jew and Arab should confront them together.”
(annotation 4)

This is a statement that third-year high school students in Israel sent to the prime minister when they refused to do military service.
This youth seems to have understood a sentiment of the above-mentioned terrorist.


ある兵役拒否者の声明文

「・・・・
イスラエル国家が建国以来、力づくで造ることに固執している純粋なユダヤ人居住地域が、どのように我々の安全を強化するのか私は理解出来ません。
パレスチナのテロによる抵抗を抑圧するために、テロよりもさらに残酷で大規模な攻撃がどのようにして私の社会のためになるのか、私は理解出来ない。
・・・・
大多数のイスラエル国民が、このような事態を変えたいと望んでいます。
・・・
イスラエル軍人と資本家は権力を維持するためにあらゆることを行います。
・・・・
これらの人々が真の敵であり、・・・。彼らにこそ、アラブ人とユダヤ人は共に立ち向かうべきです。
・・・」
(注釈4)

これはイスラエルの高校3年生達が兵役拒否運動を行い、首相宛に出した声明文です。
この若者には前述のテロ犯の思いが通じているようです。






<  4.  A boy throws a stone at an Israeli tank  >
< 4.イスラエルの戦車に投石する少年 >

Afterword
From the times of the Ottoman Empire to the beginning of the 20th century, Christian, Jew, and Muslim had coexisted peacefully in same town Jerusalem of Palestine.
But this area was transformed into a horrific battlefield due to a large influx of Jewish settlers.

During the initial stage, the Palestinian side did not almost act terrorism to aim at unrelated private citizens and foreigners.
In addition, it was said that the suicide bombing acts counter to Islam, but it gradually came to be allowable for jihad driving out the invader.

After all, as war escalates, growing inequality of military power differentiated how to fight between both groups.


This continues the next time.


あとがき
オスマン帝国の時代から20世紀の始めまで、パレスチナではキリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリマは同じ町エルサレムで平和に共存していた。
それが修羅場と化したのは、ユダヤ人の大量入植後のことです。

初期には、パレスチナ側は無関係な民間人や外国人を狙うテロをほぼ行わなかった。
また自爆テロはイスラム教に反するとされていたが、徐々に侵略者を追い出す聖戦の為なら可とされるようになった。

結局、戦争がエスカレートするにつれ、軍事力の差が両集団の戦いの違いになった。

次回に続きます。



注釈1
「ハマス」(HAMAS)は,1987年12月,パレスチナ・ガザ地区で発生したインティファーダを契機に反イスラエル運動がパレスチナ全域に拡大した際,同地区の「ムスリム同胞団」の最高指導者シャイク・アフマド・ヤシン(2004年にイスラエルによる掃討で死亡)が,武装闘争によるイスラム国家樹立を目的として設立したスンニ派武装組織。

注釈2
引用要約、「正直な気持ちを話そう」p141より。

注釈3
引用要約、「パレスチナ」p96より。

注釈4
引用要約、「正直な気持ちを話そう」p95より。


20160823

地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 28: ローマ 2







< 1. トレビの泉 >


今日はローマの2回目で、トレビの泉とバチカンを紹介します。





< 2. 多くの彫刻 >

一番上左の写真: トリトーネの噴水。ベルニーニ作、17世紀。
一番上右の写真: 十字路の建物の角にあった彫刻。
下から2枚の写真: テーヴェレ河にかかるポンテ ・ ヴィットーリオ ・ エマヌエーレ 2世橋、1886年。





< 3. 様々な建物 >
一番上の写真: ヴェネツィア広場のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、1911年。
上から2番目の写真: テーヴェレ河に建つサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・フィオレンティーニ教会。16世紀。
一番下の左: トラヤヌス市場の傍にある戦士の塔。初期建築は12世紀。




< 4. トレビの泉 >

古代ローマ時代の泉を改造して1762年完成。
中央に水を司るポセイドーンが立ち、左に豊饒の女神デーメーテール、右に健康の女神ヒュギエイアが配置されている。

多くの人だかりで、好位置で写真を撮るのは困難でした。





 

< 5. バチカン市国 >
上2枚の写真: カトリックの総本山サンピエトロ大聖堂。
下の写真: サンピエトロ大聖堂からサンピエトロ広場を見る。





 

< 6. いよいよ入場 >
上の写真: サンピエトロ広場のオベリスク。
下の写真: サンピエトロ大聖堂の正面から入場。





 

< 7. サンピエトロ大聖堂内1 >




< 8. 大聖堂内の美術品 >
上の写真: ミケランジェロのピエタ。1499年、高さ174cm、大理石。
下の写真: ラファエロの「キリストの変容」。1520年。



< 9. 大聖堂内部2 >



< 10. 大聖堂内部3 >

2本のビデオ映像、大聖堂内20秒、広場17秒です。



サン・ピエトロ大聖堂  
使徒ペテロの墓所上に建てられたギリシア十字プランを基本とし中央に壮大なドーム(直径42m)を架した盛期ルネサンス建築。

旧聖堂はローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって324年に創建された。
1452年教皇ニコラウス5世が改修に着手し,その没後工事は中断したが,教皇ユリウス2世が16世紀初めに工事を再開した。
その後、私達が良く知る芸術家が関わった。
ラファエロ1515年―1520ミケランジェロ1547年―1564年(大ドームを設計)、等と監督を務め,イタリア・ルネサンス最大の建築事業となり、1626年に完成した。

聖堂の前のサン・ピエトロ広場を囲む半円形の円柱回廊は1657年―1667年にベルニーニが建造。


ただただ巨大さ、壮麗さ、著名な作家による美術品の多さ、それと観光客の多さに圧倒されました。



次回に続きます。