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今日は、大聖堂の内部を紹介します。
様々なステンドグラスが私達を魅了します。
なぜランスが聖なる街になったかも見ます。
< 2.ファサードの内側 1 >
これらは正面中央の門を内側から見上げた写真。
上の写真: バラ窓。
下の写真: 扉の直ぐ上の円形のステンドグラス。
< 3.ファサードの内側 2 >
上左の写真: 身廊の正面側(拝廊)から主祭壇(内陣)を望む。
上右の写真: 身廊の中央からバラ窓を振り返る。
下左の写真: 身廊の正面側(拝廊)からバラ窓を見上げる。
下右の写真: 正面の北側の門の上のステンドグラス。
< 4.内部 >
< 5.側廊 >
上左の写真: 側廊。
上右の写真: 聖人ジャンヌ・ダルクの像。
下の写真: 側廊のステンドグラス。
< 6. 翼廊 >
北側翼廊の内外の写真。
上左の写真: 翼廊の三つの門の内、最も西側にある門を中央から見ている。
上右の写真: 上記の門を外から見たもの。
下の写真: 翼廊の三つの門の中央にあるバラ窓。
< 7.ステンドグラス 1 >
様々なステンドグラスを紹介します。
多くはフランス革命の動乱、第一次世界大戦で失われました。
中世からの残っていますが、私にはわかりませんでした。
上左の写真: 翼廊南側のバラ窓を見上げる。
上右の写真: 身廊中央から見た内陣の奥上部にあるステンドグラス。
下左と右の写真: 内陣を囲むようにして並ぶ礼拝堂のステンドグラス。
右はドイツ人芸術家による2011年制作のステンドグラス。
< 8.ステンドグラス 2 >
シャガールの1974年作の青色を基調としたステンドグラス。
< 9.ステンドグラス 3 >
フランスの起源とランスについて
< 10.フランク王国の誕生 >
5世紀、ゲルマン系諸集団がフン族に追われるようにして東方から西ローマ帝国に進入して来た。
451年、オランダ南部からベルギー辺りに住んでいたフランク族はローマ軍に徴用されフン族とカタラウヌムで戦った。
西ローマ帝国はフランク族や他の諸部族を傭兵とし戦わせ、彼らにロ―マ軍の装備や戦略を与えた。
これにより彼らは力を持ち王国を形成するようになった。
476年、西ローマ帝国はロ―マが蛮族に略奪されてことにより滅亡する。
482年、フランク族の王になったクロヴィス1世は領土拡大に向けて侵略を開始し、諸部族を併合していった。
511年、彼が死去した時には、現在のフランスとドイツの一部までを掌中にした。
< 11.クロヴィス1世のフランク王国 >
クロヴィス1世が掌中に収めたフランク王国の全領土は濃い緑色部と「Conquests of Clovis」の範囲です。
< 12.クロヴィス1世 >
左の絵: ランスでのクロヴィス1世の聖別戴冠式。
右の絵: クロヴィス1世。
< 13.ランスとクロヴィス1世 >
一方、ランス(Reims)はローマ時代に遡る古い町で、レミ族(Remis)の中心的城市で、この名が訛ったものです。
ランスは3世紀には司教区となっており、8世紀に大司教区となった。
481年当時のフランク王国の支配地は地図の青色部であった。
しかし、486年、クロヴィス1世は紫色部のローマ滅亡後も残っていたローマ帝国の軍司令官区に侵攻し、奪い取った。
こうして498年、クロヴィス1世は新たに手に入れたランスで、司教による聖別戴冠式を行った。
次いで508年、フランク王国(メロヴィング朝)はパリに遷都した。
ここにフランスのおおまかな形が出来た。
フランク族の語義は「自由な人」「勇敢な人」を意味し、英語で率直な性格を表す「フランク」の語源となった。
次回に続きます。
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