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今回はカールスタッド紹介の後半です。
パレードを見終わり、公園を散策し、次の列車に乗るために駅に戻りました。
私はここで大きなトラブルを経験することになりました。
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パレードを見終わって公園内を散策し始めたのは17:00頃でした。
掲載写真は撮影順に並んでいます。
次に乗る列車は18:30発なので、18:00までに駅に戻らなければならない。
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公園の至る所で卒業生と両親らが集い、記念写真を撮っていました。
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この公園は両側を川に挟まれた広い芝生で、所々に木々が植えられている。
人はまばらで、カップルがのんびりと日光浴を楽しむ姿が印象的でした。
下の写真: 若い女性グループが水着姿になり、川にせり出したウッドデッキで日光浴を楽しみ始めた。
スウェーデンでは飲酒が抑制されているらしく、パリで見たような多くの人がアルコール(シャンパン)片手に談笑する姿はほとんど見なかった。
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上の写真: 中央に見える橋は私が渡って来た橋です。
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先ほどの橋のたもとにある小さな公園。
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駅に向かって、大通りを戻る。
多くの市民が歩行者天国に出ていた。
この時刻は17:40です。
< 8. 駅に戻る >
駅に戻ったのは17:45分頃でした。
待合室のロッカー(クレジットカード払い)から荷物を出し、駅舎のコンビニでサンドイッチとドリンクを買い、夕食とした。
後は、列車が来るのを待つだけです。
18:00になると、駅舎の切符窓口は閉まり、駅員は帰った。
私は特に用事が無いのだが、少し不安になった。
< 9。 ホームに立つ >
この駅のホームは一つだが、番線は4ヶ所あり、長手方向で左右に分かれていた。
< 10. やがて不安が現実のものになった >
到着予定の時間になっても列車が来ない。
周囲の旅行客が落ち着きをなくし始めた。
放送はあるが、私にはまったく理解できないし、駅員も居ないので確認も出来ない。
上の写真: 上に電光掲示板が見えます。
やがて電光掲示板に乗るべき列車の到着予定時刻が表示されているのが分かった。
しかし、その時刻が時と共に遅れて行く。
予定通りに行ってもオスロ駅到着は21:23で、この調子では日付が変わるだろう。
下の写真: 21:22の撮影です。
この列車は別の列車でした。
< 11. 夜は更けていく >
上の写真: 9:26撮影。
空はまだ明るいが、夕陽が迫っている。
下の写真: 時計の針は既に私のオスロ到着時刻を過ぎていることを示していた。
昼はあれほど温かったのだが、夜は冷え込んで来た。
中央に乗客らが集まり情報交換をし始めたようです。
その内の一組の老夫婦のご主人が私に温かく声を掛けてくれたのだが、私は言葉が分からずその場を離れた。
言葉の通じないのが無性に悲しくなった。
オスロのホテルに、到着時間が大幅に遅れることを連絡しようとしたが、これまたなぜか電話を掛けることが出来なかった。
ホテルの電話番号の前に付ける国別などの番号に誤りがあったようだ。
私はなす術がなく、ただ時間の過ぎるのを待つばかりでした。
やっと4時間以上遅れて列車が到着した。
乗客は皆、急いで車両に駆け寄った。
一人の若い乗客がタラップで私に乗車と譲ってくれた。
非常にうれしかった。
この時、どこにも駅員や係員は一切居なかった。
省人化が進み、ボデイや荷物、チケットの確認が無く気楽なのだが、海外からの旅行客の私には少し不安だ。
< 12. 白夜。車窓から21:52撮影 >
この光景はご褒美かもしれない。
列車内は満席でした。
ほっと一息付いたのですが、今度は列車の速度が非常に遅く、時折、途中で停車する始末で焦るばかりでした。
皆、疲れた様子ですが、不平で騒ぎ立てる人もいなかった。
もっとも文句を言いたい車掌も巡回に来ないのですが。
けっこうなお年寄りが一人で乗車しているのが見られた。
日本と違って、北欧のお年寄りは自立が当然で、国際列車での移動も一人で行うようです。
これは福祉政策の発展とは別の、ヴァイキング精神の名残り、個人の尊厳を大事にすることの現れかもしれません。
数時間かけてオスロ中央駅に着いたのですが、夜中の2時を過ぎていた。
真夜中に放送が大きな駅舎に鳴り響き、乗客にタクシーの利用を薦めているようでした。
駅員をほとんど見かけることもなく、最終駅から乗客は蜘蛛の子を散らすように出て行った。
私は駅から少し歩き、途中、真っ暗な大通りでタクシーを拾い、ホテルに無事着いた。
ホテルが24時間フロント対応であることを事前に確認しておいたが、若干不安はあった。
フロントの対応は良く、手短に手続きを終え、朝食予約とオスロパス購入を済ませた。
後は寝るだけ・・・・
次回に続きます。