20181023

北欧3ヵ国を訪ねて 33: ドロットニングホルム宮殿ツアー 3




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今回は、ドロットニングホルム宮殿の内部を紹介します。
この宮殿は以前紹介したガムラ・スタンの宮殿に替わって、現在王室の居城になっています。



< 2. 衛星写真、上が北 >

上の写真: 中央に、湖に面して宮殿と庭が広がっている。
上部右手から道路が延びており、ここを通じてバスなどでストックホルムと行き交うことが出来る。

下の写真: 宮殿を拡大した。
右上にツアー用ボートの桟橋が見える。

写真は2018年6月3日10:47~11:56に撮影したものです。




< 3. 宮殿の威容 >

下の写真: 桟橋から宮殿に向かっていくところ。



< 4. 宮殿に近づく >

上の写真: この湖の奥の方からボートでやって来た。

下の写真: 前方の建物の間の道を進むと広大な庭園に入る。




< 5. 宮殿内 1 >

上の写真: 宮殿に入る直前に、桟橋側を望む。

下の写真: Hedvig Eleonorasparadesängkammare 
ヘドヴィク・エレオノーラ王妃の謁見用寝室で、ハイライトの一つです。

この地に16世紀初めに王族の庭園と城があったが、この王妃が命じて1662年より宮殿の建設が始まり、1756年まで増改築が行われた。

18世紀末より、この宮殿は次第に使われなくなったが、1882年からガムラ・スタンより環境の良いこの地に王家の居城が移った。
現在、この宮殿と庭園が世界遺産となっている。

見学できるのは2階と3階の一部です。



< 6. 宮殿内 2 >



< 7. 宮殿内 3 >

私が一番気に入ったのは、この1階から2階に続く階段です。
17世紀中頃に造られたものです。


< 8. 宮殿の外を眺める >

上の写真: 東側、桟橋側を見る。

下の写真: 西側、庭園側を見る。
実に広大な庭です。
あまりにも大きいので見に行きませんでした。



< 9. 宮殿内 4 >

上の写真: カール11世のギャラリー。
ここにはデンマークとスウェーデンが戦ったスコーネ戦争1675-1679年の絵が掲げられている。
この戦争はデンマークが仕掛け、膠着状態になり和平が模索された。
その過程でスウェーデン王カール11世とデンマーク王妹エレオノーラの婚約が成った。
こうしてしばしの間、両国に平和が訪れた。



< 10. 帰路に着く >

結局、私は宮殿見学を30分で終わらせ、11:30のボートでストックホルムに向かった。

下の写真: 途中、メラーレン湖の船窓から見た光景です。
帰りのボートはがらすきでした。


次回に続きます。





20181016

北欧3ヵ国を訪ねて 32: ドロットニングホルム宮殿ツアー 2







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今回は、ドロットニングホルム宮殿に向かう観光ボートからの眺めを紹介します。
楽しみにしていたメラーレン湖のクルージングです。
ここはかってヴァイキングが行き交ったところです。




 
< 2.クルージングのコース、すべて上が北 >

上の地図: これまでの訪問地を示します。
Aは古都シグツーナ。
Bはストックホルム中心部で、私は最北部では自然歴史博物館、最東部ではスカンセン野外博物館、最南部では旧市街ガムラ・スタンを訪れました。
CはホテルのあるエルブシェÄlvsjöと墓地Sandsborgskyrkogårdです。

茶色の線は、今回に乗ったボートの航路です。
参考までに、三角印はヴァイキングの古都ビルカです。


下の地図: 青線がクルージングの航路です。
航路の長さは約12kmほどで、航行時間は50分間です。
左側の赤い四角枠がドロットニングホルム宮殿です。

写真は2018年6月3日(日)10:10~10:45に撮影したものです。
写真は撮影時間順に並んでいます。



 
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6月初旬ですが、温かく湖水浴日和です(現地の人にとっては)。
湖岸至の所、砂浜や岩盤では日光浴や泳ぐ人々で賑わっていました。
住宅と森がすぐ後ろに広がっています。
ここは都市部への通勤に便利で、自然があり、暮らすには良い所でしょう。

中央の写真: 地図に示めす南北に架かる最初の橋です。


 
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人々はカヌー、ボート、ヨットなどで湖を楽しんでいます。




 
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湖岸の家には自家用の小さな桟橋が多く見られます。

下の写真: 二番目の橋です。


 
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下の写真: 最初の桟橋に着岸するところ。
写真は着岸した桟橋ではなく、左側に見えた個人所有と思われる桟橋です。
ここは北岸で、島ではなく、すぐ後ろにバスや地下鉄がある。
それでも船を利用する人が居ます。
ハイシーズンであれば30分から1時間間隔でこのボートは寄港します。


 
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ここで大きく右に旋回しました。
地図で大きく北に向きを変えている場所です。

上の写真: 2階デッキの様子。
私は最後部の真ん中に座りました。
ここはほぼ180度の視界が開け、撮影に良い位置です。

 
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上の写真: ここは2番目に着岸した桟橋で、地元の人が乗船しました。
それを見送る人々が見えます。
この島は地図を見る限り何処とも橋が架かっておらず、移動手段は船しかないようです。

下の写真: 左手に、先ほどの桟橋が見えます。



 
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上の写真: 小さな島に桟橋と木立の中に家が見えます。
モーターボートならストックホルム中心部まで30分以内で行けるしょう。
自分の島! 優雅ですね!

下の写真: 左舷遠方にドロットニングホルム宮殿が見えて来ました。

次回に続きます。



20181008

北欧3ヵ国を訪ねて 31: ドロットニングホルム宮殿ツアー 1





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これから、ドロットニングホルム宮殿観光とボートツアーを数回に分けて紹介します。
快晴の下、碧い空と湖面を、そよ風に吹かれながらボートで宮殿に向かいます。
今回は、ボートに乗るまでを紹介します。


 
< 2.ボート乗り場までのルート、上が北 >

先ず、前回紹介した墓地北側の地下鉄駅SandsborgNo. 18 T-bana)からセントラルステーションに行きます(青い線)。
次いで地下鉄のホームからセントラルステーション地上の東側に出ます。
そこから徒歩で南西側にある 船着き場Stadshusbronまだ500mほど歩きます(赤い線)。
ここのブースでチケットを入手し、ボートに乗船します。
そこはちょうど市庁舎の前になります。



 
< 3. 地下鉄に乗る >

上の写真: 地下鉄駅Sandsborg

中央の写真: ホーム。

下の写真: ホームからの眺め。

写真は2018年6月3日(日)8:00~10:10の撮影したものです。





 
< 4.地下鉄からの眺め >


 
< 5. セントラルステーションに向かう >

地下鉄とは言え、ほとんど地上を走り、セントラルステーション間際になって地下に潜りました。

下の写真: 地下鉄ホームに降りてからセントラルステーションに向かう地下1階の通路。



 
< 6. セントラルステーション >

下の写真: セントラルステーションの東側玄関。


 
< 7. 船着き場に向かう >

中央の写真: メラーレン湖に出た。

下の写真: ここで右に折れ、西に進む。
高架の向こうに市庁舎が見えた。
この高架の下を進む。


 
< 8. 船着き場Stadshusbron >

上の写真: 右手の赤い日除けがあるブースがチケット発売所です。

下の写真: 多くの乗船客が既に待っています(違うボート)。
ここからはドロットニングホルム宮殿行き以外の観光ボートも出航しています
ここには9時少し前に到着していましたが、ドロットニングホルム宮殿行きの始発は10時です。


* 宮殿観光とボートツアーについての情報

ドロットニングホルム宮殿の入場券は130SEKで、往復ボート料金は220SEKです。
この宮殿へは陸上ルート、バスなどを乗り継いで行くことも出来ますが、私は気楽な片道1時間の船旅を選びました。
私はストックホルムパスを買っていたので、上記二つを追加料金不要で、利用できます。
ただストックホルムパスでの利用は予約が出来ず、必ず当日、乗船前にチケットの入手が必要です。
満員であれば乗れない。
この日は日曜日だったので、早めに行って、催行会社STROMMAの指定ブース(写真)でチケットを入手する必要がありました(パスの提示必要)。
上記宮殿の入場券には中国や宮廷劇場の入場は含まれていないはずです。



 
< 9. いよいよ乗船 >

確か、出発の30分前には乗船口に並ぶことが出来たので、数人目に並びました。
その後、どんどん乗客は増えました。

上の写真: 煙突から煙を吐いているのが乗船するボートです。

下の写真: 私は二階デッキの一番後ろ側に座りました。
どうやらボートの客室は一杯になり、デッキには立ち見の乗客が多数出ました。
撮影するには最適でした。
少し日差しが強かったが風があり、快適な船旅になりました。



 
< 10. いよいよ出航 >

上の写真: 対岸を往復する船(フェリー)だと思います。
フェリーにはパスが使えますが、今回、利用するチャンスがなかった。


 
< 11. 離れて行きます >

上の写真: 中央がセントラルステーションの方向です。

下の写真: ガムラ・スタンの方向ですが、手前のリッダーホルム島の教会の鐘楼が見えています。


 
< 12. 遠ざかる市庁舎 >


 
< 13. 船旅の始まり >

これからヴァイキング時代に栄えガムラ・スタンを生むことになるメーラレン湖を堪能します。


次回に続きます。




20181006

北欧3ヵ国を訪ねて 30: ストックホルムの墓地を訪ねて






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今回は、北欧の墓地を紹介します。
当初、私は世界遺産のSkogskyrkogårdenを訪れるつもりでしたが、間違ってSandsborgskyrkogårdに入りました。
おかげで北欧の死生観がわかりました。


 
< 2.二つの墓地の地図 >

上の写真: 二つの墓地を示す。左が北。
赤枠がSkogskyrkogårdenで、その左がSkogskyrkogårdenです。
私が歩いたルートは黄線、そしてスタート地点をSで示します。
世界遺産の墓地Skogskyrkogårdenと隣りの墓地Sandsborgskyrkogårdの大きさの違いがよくわかります。
黄色の矢印から撮影した写真が中央の写真(拝借)です。

下の写真: 墓地Skogskyrkogårdenの入り口にあった地図です。上が北。
歩行ルートを赤線で示し、SからEまでを歩きました。
バスを降りたのがS地点で、通り抜けて墓地を出た所がEです。


この日のハプニングの一つは、この墓地を間違えたことです。
間違ったのは、ここには世界遺産の墓地だけだと私が思い込んでおり、たまたま左手に入り口が見えたからでした。
看板の文字が異なることや、予め調べておいた方角とも異なっていたのですが。
間違っていると確信したのは、ほぼ真ん中まで行ってからでした。


 
< 3. 墓地内 1 >

この墓地を歩いたのは7:30から8:00です。
写真はほぼ撮影順に並んでいます。


 
< 4. 墓地内 2 >

 
< 5. 墓地内 3 >

多彩なデザインの墓石の中から幾つか紹介します。
右下の写真は大きな樹木と墓石の組み合わせが印象的でしたので、取り上げました。

全体を見て感じた第一印象は、他を圧倒するような大きな墓石や目立つ墓がほとんど無い事です。
どちらかと言えば、シンプルな一枚の墓石、シグツーナで見たルーン石碑の小型判が整然と並んでいます。
そうは言っても画一的ではなく、それぞれの墓石には個性や主張が感じられる。

私がこの墓地内を歩いている内に、北欧の心を感じ取ることが出来ました。

他のキリスト教圏との違いの一つは、十字架の扱いです。
先ず、石造の十字架が無く、希にあっても墓石に十字架が小さく彫られている程度です。
これは北欧がプロテスタントだからかもしれませんが。

墓石は墓地全体でみると同じ方向を向いていませんが、区画ごとに同じ向きに並び整然としています。
どうやら墓石はすべて通り道に沿って正面を向き、奥であってもそれに合わしているようです。

世界中の墓地では、隣り同士であっても墓の大きさや向きがバラバラな所があります。
また大きな集団墓地にせず、畑や山の中に家族だけの墓地を設けるところがあります。
この二つの形態は東アジアと東南アジアで見ました。
ヨーロッパや日本の墓地では墓は概ね整然と並び、特に日本では墓石のデザインがは画一化されることが多い。

私が一番感銘を受けたのは、墓が多くの大きな樹木に囲まれていることです。
スペースは広いが、日陰になるほど樹木が配されている。
これは死後、人々は自然、つまり北欧の森に帰ることをイメージさせます。
堅牢な石でもなく、美しい草花でもなく、正に深い森に包まれることこそが、安らぎなのです。

この墓地は、北欧人の社会性(規範遵守)と個人尊重(尊厳)のバランス感覚を良く示しており、さらに自然感を反映しているように思う。
これと比べると日本の墓地は社会性が目立つ。





 
< 6. 墓地内 4 >


 
< 7. 墓地内 5 >

墓地の中央に教会があります。



 
< 8. 墓地内 6 >

ここでもうすぐ墓地の端になります。
墓地の外側直ぐに地下鉄駅があり、ここから地下鉄に乗り次の観光に向かいました。
この墓地を見たことで旅行前の疑問が解けたので、世界遺産の墓地を訪問することを止めました。


* 世界遺産の「森の墓地、スコーグスシュルコゴーデン」について


 
< 9. Skogskyrkogården、左が北 >
SkogskyrkogårdenHPより借用。
赤丸がバスを降りた所です。

同国ではじめて火葬を前提とした葬祭場と墓地が計画され、設計コンペティションが行われた。
当時まだ無名であった若い二人の建築家が選ばれ、25年の歳月をかけ松の木が生い茂った古い砂利の採石場に火葬場が完成したのは1940年でした。
二人の建築家の死後も墓地の工事は現在まで断続的に続けられている。
1994年に、ユネスコの世界遺産に登録された。
20世紀以降の建築作品としては、世界で最も早い登録でした。
(この説明はWikipediaから引用要約)


 
< 10. Skogskyrkogårdenの写真 >

写真はすべて借用しました。

旅行前、私はこのような新しく造られた墓地が世界遺産になっていることが不思議でした。
その理由は、概ね建築家はデザインに新規性を追求するものなので、文化的価値が乏しいと予想していたからです。

しかし、墓地Sandsborgskyrkogårdを見ていると、世界遺産の墓地のコンセプトに共通するものがあるとわかりました(写真で判断)。
この墓地Sandsborgskyrkogårdは1895年に出来ていたので、このコンセプトはスウェーデン本来のものだったと言うことです。

このことは後にオスロの墓地も見て、北欧に共通するものだと確信するようになりました。


次回に続きます。