*1
今日は、高級リゾート地として知られるモナコを紹介します。
私達が訪れたのは断崖絶壁の上にあるモナコヴィルです。
ここは旧市街と宮殿などがあるところです。
モナコ
訪問したのは2日目、5月18日(木)でした。
エズ村の香水工場に立ち寄った後、観光バスから地中海を見下ろしながら進むと、近代的なビル群に囲まれた湾が見えて来ました。
そこが2k㎡にも満たないモナコ公国でした。
崖やビルに挟まれた曲がりくねった道を抜けてモナコヴィルの地下駐車場に入ったのは18:10頃で、観光を終えてモナコを離れたのは1時間後でした。
ここでも予約のトラブルがあり、無駄な時間を費やしました。
今回は、空港からのバス手配ミスと言い、最初につまづきが続いた。
添乗員は大勢を従え、苦労していました。
しかし、その後は順調な旅となりました。
< 2。 モナコの地図 >
上の写真: モナコ公国周辺。モナコ公国は黒線内。
上が真北です。
王宮のあるモナコヴィルを赤矢印、エズ村を黒矢印で示しています。
私達は左側のエズEzeから来ました。
中央の地図: モナコ公国の全景。
方角を変えています。
赤矢印がモナコヴィルです。
下の地図: モナコヴィルを拡大。
Sは徒歩観光のスタート位置で、一周してまたここに戻って来ました。
地下駐車場からエスカレーターとエレベーターを乗り継いで、この地上に出ました。
赤線は徒歩ルートです。
奥に大公宮殿があり、その右手が湾を見下ろす展望台です。
黄色の線は5月25日から始まるモナコF1グランプリのコースをバスから眺めたルートです。
< 3。 眼下にモナコ、バスから >
上の写真: 左手奥の断崖の上がモナコヴィルです。
下の写真: モナコの一角、住宅街でしょうか。
< 4。 モナコヴィルの下、バスから >
上の写真: モナコヴィルの下。
下の写真: 見上げると、モナコヴィルの大公宮殿の城壁が見えた。
< 5。 モナコヴィル観光の始まり >
上の写真: 海洋博物館と水族館。
地図のSの直ぐ近く。
下の写真: 王家親族の住居。
*6
上の写真: モナコヴィルからモナコの西側を見下ろす。
下の写真: モナコ大聖堂。
古い様式(ロマネスク・ビザンチン)だが1875年建築の教会で、グレース妃が結婚式を挙げ、また眠る所でもある。
*7
上の写真: 大聖堂の横の小さな通りを進みます。
左中央は裁判所。
下の写真: 大公宮殿前広場に面した建物。
< 8。 大公宮殿 >
上の写真: 大公宮殿。
陽が山際に迫っている。
下の写真: 大公宮殿前広場の北側展望台。
ここから湾が一望に見渡せる。
< 9。 展望台からの眺め >
上の写真: 湾手前の青色の観客席がモナコF1グランプリのもの。
湾の向こう右手にカジノや高級ホテルが並ぶ。
下の写真: 如何にこのモナコヴィルが急峻な断崖の上にあるかがわかります。
標高は60mぐらい。
< 10。 広場から戻る道 >
途中にもレストランや土産物屋はあったが、数はそれほど多くはない。
モナコヴィルの最大長さは700m、最大幅200mに過ぎない。
< 11。 バスでモナコF1グランプリコースを見た >
ほんとうに小さな国だが、繁栄しているようだ。
不思議の一言に尽きる。
モナコの不思議
モナコ名の由来はギリシャ人の入植地に由来する。
歴史が動き出すのは13世紀、イタリアのジェノヴァがこの地に要塞を建設した。
半世紀後、現在の王家の始祖(ジェノヴァ人)が修道士に変装し、この要塞を占拠したのが公国の始まりでした。
その後、スペインやイタリアなどの干渉を受けながらも、領土を切り売りしフランスの庇護の下で主権を維持した。
1860年代より、カジノや高級ホテルを作り、富裕階級向けの高級リゾート地へと転進した。
現在、タックス・ヘイヴンであることから住民は外国籍が多く、モナコ国籍は16%しか過ぎない。
モナコは国連加盟国で最小でありながら、領土防衛をフランスに委ね、特異な経済政策により、世襲による君主制であり続けている。
次回に続きます。