*1
今日で、ビルュニスともお別れです。
この日は、霧と紅葉に抱かれた街を堪能することが出来ました。
最後に、ロシアとバルト3国について感じたことを記します。
< 2. 地図、黄色の矢印が北側 >
上の地図: 赤い線が旧市街の徒歩観光ルートです。
Gは夜明けの門で、赤いアドバルーン状の印は展望台です。
Pは聖ぺテロ&パウロ教会です。
下の図: 展望台からの眺めを再現しています。
赤いアドバルーン状の印が展望台です。
赤い線が旧市街の徒歩観光ルートで、中央の高い塔は聖ヨハネ教会です。
< 3. 家並み >
民家や中庭などを撮影しました。
下の写真: 民芸店のある中庭。
壁に数体の聖人像などがはめ込まれ、木の右枝には木彫りのフクロウが見えます。
< 4. 印象に残ったもの >
左上の写真: 夜明けの門のイコン。
少し時間が経ってから戻ってみると、窓が開いていて、イコンを見ることが出来ました。
右上の写真: 夜明けの門の直ぐ近くにあるテレサ教会の屋根の黄金の王冠。
この手の王冠は聖カジミエル教会にもあった。
私は他の国であまり見かけたことがない。
左下の写真: No.3の写真の中庭に面した民芸店。
ここは夜明けの門の外にありました。
右下の写真: No.5の写真の展望台の柵。
この無数の鍵は、恋人達が一生別れることが無いようにと鍵を掛けていったものです。
< 5. 展望台Subačiaus apžvalgos aikštelė >
霧の為に、この写真ではうまく伝えられませんが、展望台の紅葉は素晴らしかった。
眼下に、紅葉する木々の向こうに数々の教会群が霧に霞んでいる景観は幻の中世を忍ばせます。
下の写真: 中央の一番高い鐘楼はビルニュス大学横の聖ヨハネ教会でしょう。
私達はあの前を右から左に通って行きました。
この目の前で、高々25年ほど前にソ連軍、75年ほど前にはドイツ、ポーランド、ソ連の軍隊が蹂躙していったのです。
< 6. 聖ぺテロ&パウロ教会 1 >
驚きの教会です。
外見は小さく、それほど古くもなく、一見何の変哲もない教会でした。
しかし、内部に入るとその素晴らしさに目を奪われます。
かつてドイツの小さな村で見たヴィース教会の驚きを思い出します。
この教会は1668年から7年間で造られたが、内装には30年を要している。
これは当時の一将軍が、自分の廟として造らせたものでした。
中は2000体以上の漆喰彫刻で飾られている。
極彩色や黄金色による派手さはないが、白地一色の空間と彫刻群は地元の人にとって清楚で親しみのあるものになっているのだろう。
きっと人々はリトアニアの歴史や聖書、神話の世界に引き込まれていくことだろう。
< 7. 聖ぺテロ&パウロ教会 2 >
< 8.聖ぺテロ&パウロ教会 3 >
< 9. 聖ぺテロ&パウロ教会 4 >
左の写真: 入退出扉側。
その扉の左側を拡大したものが下の写真です。
右の写真: 大鎌を持った骸骨の像。
ロシアとバルト三国の教会を訪れて、何カ所かで教会を出る時に、人間の死を連想させる絵や像を見かけた。
信者に生と死を意識させ、さらに復活を印象付ける場合もあった。
またロシアとバルト三国の教会を訪れて気が付いたのは、スペインの教会と違って、こちらにはイエスの痛ましい磔刑直後の生々しい像を見かけなかったことです。注釈1.
当然、十字架の像は別です。
< 10. 様々な旧市街の光景 >
上の写真: ある店先。
カラフルな貸し自転車でしょう。
中央の写真: バルト三国の名物、琥珀。
現在でも世界の琥珀の90%はバルト海沿岸で算出される。
バルト三国は未開の地でヨーロッパの果てのイメージがある。
しかし、この地域で採れる琥珀は紀元前2千年紀から中東の文明に知られていた。
そして地中海からユーロッパを抜け、バルト諸国を通りエストニアの北端に至る。この「琥珀の道」が最古の交易ルートの一つとして活躍していた。
ローマ帝国が誕生する遥か前のことです。
下の写真: 道路沿いの民家の壁。
若い芸術家に作品の発表の場を提供しているのだそうです。
ロシアとバルト3国の旅行を通じて感じたこと。
まだポ-ランド訪問が残っていますが、バルト3国への思いを記します。
私が今回の旅行で知りたかった事の一つはバルト三国の苦しみでした。
また今のロシアは脅威なのかを知りたかった。
この二つは、バルト三国にとっては切実な問題です。
切実な問題とは
リトアニアは2015年9月から徴兵制を復活させたが、これは2014年からのロシア介入によるウクライナ内戦の二の舞を恐れているからです。
ちなみに人口325万のこの国の兵員は2万人ほどで、対するロシアは77万人です。
ロシアの脅威に対してバルト三国は、2004年にNATOに加盟し、2016年から更なる派遣軍の増強を受けている。
だが旅行中に、この軍事的な緊迫を感じる場面に出会うことはなかった。
しかし、バルト三国がロシア(ソ連)から受けた仕打ちを知れば、人々の恐怖は理解出来る。
さらに、各国に暮らすロシア住民とウクライナ内戦の発端を考えれば現実味を帯びてくる。
だがそれだけではない。
私がロシア旅行で会った二人のロシア人の話から、その恐怖はさらに現実味を帯びてくる。
彼らの発言について、既に、この旅行記で書いていますが、この件に関してまとめると以下になります。
「かつてソ連邦に属していた国は我々のものである。」
この発言はウクライナとチェチェンについて語ったものですが、バルトについても同様と推察します。
「ロシア人はバルトのような小国に関心はない。」
この発言の真意を汲み取るのは困難ですが、すぐ国境を接しているところに暮らす教養ある若者の発言にしては違和感がある。
また彼らと話していて、ロシアに批判的な話をすると、いとも簡単に「それは欧米のプロバガンダです」と吐き捨てる。
この口調に、私はロシアのマスコミを含めた情報統制とプロパガンダを感じる。
ちなみにロシアの「世界報道自由ランキング」は148位/180ヵ国です。注釈2.
ソ連邦の時代、バルトを含め東欧諸国の人々はモスクワによる徹底した情報統制を経験している。注釈3.
従って、バルトの人々は、例えロシア人が大らかであっても、国のプロパガンダによって侵略に肯定的になることを知っている。
おそらくは、ゴルバチョフやエリツインが潰えた後は、この情報統制が復活したのだろう。
またロシアはプーチンが大統領になった頃(2000-2008)に急成長を遂げたが。
その後、成長は止まり、毎年10%ほどのインフレを起こしている。
観光していて、私は地方の経済は取り残されていると感じた。
このような時、強面が売りのトップは、他の大国も同様だが、不満から国民の目を逸らす為に、外部に対して暴挙に出やすい。
私は少ない情報での感想だが、このような恐れを感じているバルト三国に同情している。
今思うこと
命を賭けて独立を望む小国があり、これを無視し軍事力で抑圧する大国がある。
往々にして当事国の国民や、外国の人は無関心である。
いつか、これら小国の自由と権利が踏みにじられる時がやって来るかもしれない。
このことを私達はアジアや中東でつぶさに見て来た。
私は彼らの自由と権利を世界が守るべきだと思う、これが世界の正義となるべきです。
幸い今、NATOが抑止力となってくれている。
もし、西欧がこの保護を放棄するれば、いずれこの地域が紛争地となり、やがて災厄は蔓延していくことになるだろう。
その過程は、中東紛争で見た通りです。
最も重要な事
大国の振る舞い(外交、経済政策)は影響が大きいだけに非常に重要です。
したがって大国は自ら正義を実践すべきであって、身勝手は抑制しなけらばならない。
身勝手な大国に対して、多数の国が団結して、方向転換を促すべきです。
ましてや、その大国への盲従する愚は避けるべきです。
また、世界が協力して報道の自由度を確保する体制作りが必要です。
米国やロシアなど大国の報道の自由度低下は不安です。
日本も最近は低下傾向にあり、ついに72位に転落し、世界で中位になってしまった。
次回に続きます。
注釈1.
スペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダー・レアル県、Puerto Lápice 村にあるカソリック教会Nuestra Señora Del Buen Consejoで、私はロー人形のようなイエスの生々しい痛ましい像を見ました。
注釈2.
国境なき記者団が発表する2016年度のもの。
米国は41位でした。
注釈3.
参考図書は「操られる情報」1984年刊、パウル・レンドヴァイ著。