20161210

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 14: エカテリーナ宮殿 2






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今日は、エカテリーナ宮殿の外観と庭園を紹介します。
黄葉と湧き上がる白い雲が青空に映えて素晴らしい光景でした。


 
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番号1~6までの写真は、宮殿に沿って300mほど歩いた間に撮ったものです。
しかし、心躍る瞬間でした。
暖かい陽ざしに輝く黄葉、青空と緑の芝に映える青と白、金色に彩られた宮殿が実に素晴らしい。




 
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番号7と8の写真の黄葉の林はエカテリーナ宮殿に続く広大な庭園のほんの一部です。
バスに乗る前に、柵の外側から撮ったものや、バス走行中に撮ったものです。



 
< 9.昼食のレストラン >

昼食はエカテリーナ宮殿から車で約5分離れた所にあるレストランで、団地の一角にありました。
下の写真中央の1階の建物です。
さっと通り雨が来たので道路が光っています。

いよいよこれでロシアともお別れで、次の国、エストニアに向かいます。

次回は、国境の町ナルヴァを紹介します。







20161209

Bring peace to the Middle East! 49: religion and persecution 3: Persecution of Jewish people 1

中東に平和を! 49: 宗教と迫害 3: ユダヤ人の迫害 1




<  1. Merchant of Venice >
< 1. ベニスの商人 >

Previous time, we knew how Islam had been seen from Europe.
From now on, I will investigate why Jewish people were oppressed.
There is a sad nature of human repeated. 

前回、イスラムが西欧からどのように見られていたかを知りました。
これから、なぜユダヤ人は虐げられたかを探ります。
そこには繰り返して来た人類の悲しい性があります。




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Preface
At the start of taking up the problems of the Middle East, I had dissatisfaction toward the present conditions that Muslim in the Middle East was treated like a bad person unfairly, so I was going to investigate the truth.
However, the more I investigate, the more I feel a feeling of futility.

I can say that the most of failing to advancing the peace is due to the Middle East including the existence of radical extremists.
On the other hand, there are a lot of outside factors that embroiled the Middle East in armed conflicts.
The Middle East war began with the founding of Israel.
It seems a result of the counter action of Jewish people that had been persecuted in the Eurasian Continent.

I have handled various wars through my blog so far.
These also had many flash points in common with the Middle East.
One of them is a feeling of discrimination to produce antagonism or persecution.


はじめに
私は中東問題を取り上げるに当たり、中東のムスリムが不当に悪者扱いされる現状に不満を持ち、真実を探ろうとした。
しかし、調べれば調べるほど、空しくなってしまった。

確かに、和平が進まないのは暴虐な過激派の存在など中東の側に問題が多いと言える。
一方で、中東に紛争を呼び込んだ外部要因が数多く存在している。
中東戦争勃発はイスラエルの建国が切っ掛けでした。
それはユダヤ人がユーラシア大陸で受けた迫害の反動でした。

私は、今までブログで様々な戦争を扱って来ました。
それらにも、中東とほぼ共通する火種が存在しました。
その一つが、対立や迫害を生む差別感情です。




<  3.  anti-Semitic purges in Russia (pogrom)>
< 3.ロシアでのユダヤ人迫害(ポグロム) >

Jewish misfortunes
Looking around the world, I don't know a race such as Jew that had been so despised and achieved success.
After the extinction of Israel, the Jew was scattered all over the world and continued being persecuted for 2,000 years, and accomplished the founding of Israel in the same area.
Now, it could say that the Jew is one of the world's top race in knowledge, information, and
capital power.
The Israel is an advanced industrial country, and an eminent military nation having nuclear weapon.

Why was this excellent race despised and persecuted for 2,000 years?
It originated in Jerusalem and arose from a grudge bred in Europe.
The grudge seems to have been amplified by a fervent devotion.


ユダヤ人の悲運
世界中見渡して、ユダヤ人ほど侮蔑され、かつ成功した民族を知りません。
ユダヤ人はイスラエル滅亡後、世界に離散し、2000年間迫害され続けた後、同じ地に建国を成し遂げた。
今やユダヤ人は知識や情報、資本力で世界有数の民族と言えるでしょう。
イスラエルは先進工業国であり、核兵器を持つ有数の軍事国家と言える。

なぜこれだけの事を成した優秀な民族が、2000年もの間、侮蔑され迫害されたのだろう。
それはエルサレムに始まり、西欧で醸成された怨念が災いしている。
その怨念は篤い信仰心によって増幅されたように思える。




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A Jewish tragedy
The most known tragedy will be the Holocaust by Nazis Germany.
While World War II, the German military killed 6 million Jews in concentration camps and forced labor.

Why did Hitler do such a reckless act?
Hitler described the reason in "Mein Kampf".
“ It is our only purpose to achieve the existence and prosperity of our German race as Aryan that can create excellent culture.
....
The pacifism, democracy, and internationalism to antagonize Germany nationalism are means for world conquest by "Jewish race" as a destroyer of all culture. “

Why did Hitler hate Jew so much?
This happened in the process that Germany became a fascism from the bottom after World War I.
He professed the defeat and economic ruin of German were mainly due to Jew.
Jew was always despised as miser, betrayer and vulgar person than before.
Then, Hitler thought that necessary condition for the revival of Germany was to get Eastern Europe again by the fight with the Soviet Union.
On the other hand, anti-Semitic purges in Russia became harsh, and many Jews flowed into Eastern Europe from Russia.
Because Germans were afraid of the Soviet Union and communism, they worried about Jewish betrayal.
Thus, Germans obeyed racial discrimination of Hitler blindly.

This continues the next time.




ユダヤ人の悲劇
最も知られているのはナチス・ドイツによるホロコーストでしょう。
第二次世界大戦中、ドイツ軍は強制収容所と強制労働などで、600万人のユダヤ人を殺害した。

なぜヒトラーはこのような暴挙に出たのだろうか?
ヒトラーは「わが闘争」でその理由を述べている。
「文化を創造し得る『アーリア人種』たるドイツ民族の生存と繫栄こそが、唯一の目的であり、・・・
さらに、ドイツ民族主義に敵対する平和主義・民主主義・国際主義は、文化破壊者たる『ユダヤ人種』による世界制覇の手段である。」

なぜヒトラーはここまでユダヤ人を目の敵にしたのか。
これは第一次世界大戦後、どん底のドイツがファシズム化する過程で起こった。
彼はドイツの敗因と経済破綻の主因の一つをユダヤ人のせいにした。
かねてから、ユダヤ人は守銭奴で、裏切りが者で、低俗な民族と蔑視されていた。
またヒトラーはソ連と戦い、東欧を獲得することがドイツ再興の条件としていた。
一方、ユダヤ人迫害(ポグロム)が苛烈化し、ユダヤ人がロシアから東欧に流入していた。
ドイツ国民はソ連と共産主義を恐れていたので、ここでもユダヤ人の裏切りを懸念した。
こうして、ドイツ国民はヒトラーの人種差別に盲従することになった。


次に続きます。









20161207

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 13: エカテリーナ宮殿 1





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今日はサンクトペテルブルグ近郊にあるエカテリーナ宮殿を紹介します。
この日(9月30日)は快晴で、素晴らしい黄葉に囲まれた宮殿を存分に楽しみました。


 
< 2. エカテリーナ宮殿 >

上の写真: 入場開始時間を待つ観光客の眼差しの向こうに宮殿が朝陽を浴びて輝いている。

下の写真: 右が宮殿、左が学習院で、奥に紅葉の街路樹に囲まれた通りが続いている。
詩人プーシキンはこの学習院の第一期生でした。



 
< 3. エカテリーナ宮殿に入場 >

エカテリーナ宮殿について
ここはサンクトペテルブルグから南に約25km離れた所にあります。
ここ一帯にはかつての皇族の夏の宮殿と庭園が広がっています。
エカテリーナ宮殿は1724年、ピュートル大帝の妃、女帝エカテリーナ1世のために建設された。



 

< 4.2階に上がる階段 >

見学者は1階で大きなコートや荷物を預け、2階に上がり見学を始めます。


 
< 5. 大広間 1 >

度肝を抜かれた黄金に輝く大広間です。
秋の陽射しが部屋の隅々まで差し込み、金の装飾が燦然と輝き、眩しいくらいでした。
ここで小説「おろしや国酔夢譚」の大黒屋光太夫がエカテリーナ2世(大帝)に謁見して帰国を願い出た。



 
< 6. 大広間から続く部屋 >

この向こうに、食堂やサロンが続く。



 
< 7. 大広間 2 >

上の写真: 窓越しに庭の紅葉が見えている。
下の写真: 二つの陶器製のものは暖炉です。


 
< 8.絵画の間 >

上の写真: 食堂。
大きな宮殿にしては非常に小さく、家族用の感じです。

下の写真: 絵画の間。





 
< 9. 緑の間 >

古代ローマ風の浮彫がある食堂。



 
< 10. 見学最後の部屋 >

上の写真: 見学最後の部屋。
床の木組みが美しい。
この部屋を抜けると、1階に降りて庭園に出ます。

下の写真: 宮殿の復元作業の展示。
1階の長い通路の両側に展示されています。
上部中央の写真は写真4.の階段だと思います。

この破壊は、第二次世界大戦中、ドイツ軍がこの宮殿を占領し撤退する時に起こした。
有名な「琥珀の間」もそっくり分解されて持ち去らてしまった。
今回、私達が見た「琥珀の間」は2003年に乏しい資料を頼りに再現されたものです。
残念ながら、「琥珀の間」は写真撮影が出来ませんでした。



あとがき
宮殿の素晴らしさに感動したのですが、大きい宮殿の割に見学した部屋が少ないので不思議に思っていた。
だが、復元作業の写真を見ると納得した。
現在のところ、修復された部屋はわずか29室らしい。
復元を行った館長らの英断と苦労に頭が下がります。


次回に続きます。





20161206

Bring peace to the Middle East! 48: religion and persecution 2: Prejudice against Islam



中東に平和を! 48: 宗教と迫害 2: イスラム教への偏見





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Previous time, we look at the antagonism and persecution that arise from Buddhism or Hinduism.
From now on, I look at the antagonism and persecution between religions (Judaism, Christianity, and Islam) that were born in the Middle East.


前回、仏教とヒンドゥー教がもたらした迫害や対立を見ました。
これから、中東で生まれた宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の迫害や対立を見ます。


What is understood from previous examples of the Buddhism and Hinduism
Religion retained laws and social system of that time, and also kept the discrimination.
In addition, it regards the heresy with hostility to secure the legitimacy, and the antagonism arises.
The religious community will promote these strongly.

前回の仏教とヒンドゥー教の例からわかること
宗教は当時の規範や制度を遺存し、差別を温存することになる。
また正当性を確保する為に異端を敵視し、対立を生むことになる。
教団がこれらを強力に推し進めることになる。




<  2.  the Ottoman Empire was capturing Vienna  >
< 2.オスマントルコのウイーン攻略 >


How did Europe cognize Islam?
“ It is fundamentally impossible that Muslim tolerably governs Christian countries.”
In the late 19th century, British prime minister Gladstone swore in this way.
He was a pious Christian and dominated during the colony expansion.

"The sword and Koran of Muhammad are the biggest enemy for civilization, freedom and truth since recorded history."
In the late 19th century, Scottish Islamic scholar William Muir said in this way.
He was a colonial administrator in India, too.

There are still persons believing "the Koran or a sword" as words indicating the aggressiveness of the Islam, but this is only a forgery.

“This notorious swindler Muhammad was the founder of the heresy doctrine.”
It was written in a famous encyclopedia of the end of 17th century.


西欧はイスラム教をどう見ていたのか?

「ムスリムが文明化されたキリスト教徒諸民族の上に善政を、またはなんとか我慢できる統治を敷くなどは根本的に不可能だ。」
19世紀後半、英国の首相グラッドストンはこう言い放った。
彼は敬虔なキリスト教徒であり、植民地拡大期に君臨した人物です。

「ムハンマドの剣とコーランとは文明・自由・真理に対する有史以来最大の敵である。」
19世紀後半、スコットランドのイスラム学者ウィリアム・ミューアはこう言った。
彼はインド植民地の管理者でもあった。

今でも「コーランか剣か」をイスラム教の攻撃性を示す言葉として信じる向きがあるが、これは捏造に過ぎない。

「これぞ名うてのペテン師ムハンマド。宗教の名を語るに至った異端教説の始祖にして創立者」
非常に影響力のあった17世紀末の百科事典「東洋全書」に書かれている。





<  3.  Luther  >
< 3. ルター >

In the beginning of 16th century, Luther criticized that the Roman Catholic Church had been made by devil in the Christendom as same as the heresy of Muhammad.
He was a theologian who became a pioneer of the Reformation, but he regarded heresy with hostility and also criticized Judaism severely.

The prejudice against the Islam does not seem to change from old days.
The prejudice of the westerner against the Muslim can be summarized into three words: sexual license, murder, and compulsory conversion.
This matches the image of "Thousand and One Nights (Arabian Nights)" introduced in Europe of 1704.


16世紀初め、ルターは、ローマ・カトリック教会のことを、ムハンマドの異端と同類であってキリスト教世界内部に悪魔がこしらえたものだと批判した。
彼は宗教改革の先駆けとなった神学者ですが、異端を敵視しユダヤ教も痛烈に批判している。

どうやら昔からイスラム教に対する偏見は変わらないようです。
ムスリムに対する西欧人の偏見は性的放縦や殺人、強制改宗に集約されます。
これは1704年、西欧に紹介された説話集「アラビアン・ナイト」のイメージに結び付きます。




<  4.  Egyptian conquest by Napoleon  >
< 4. ナポレオンのエジプト遠征 >

Why did such prejudice be born, and why did it remain strongly?
The Islam worships the one God as same as Christianity, and two doctrines are similar.
However, it is different to deal with Jesus and the Trinity, etc.
Christian will regard it as heresy.

The Islam was an invader and menace for Europe since the birth period.
Actually, Spain in the west side and Austria in the east side were exposed to their aggression.
Most of Europe lacked the opportunity to know this area and only knew through Byzantine Empire at most.

However, Europe came to have confidence in own civilization when it experienced the Industrial Revolution (since the mid-18th century).
On the contrary, in the end of 18th century, Napoleon conquered Egypt, and Europe ruled the Middle East since the mid-19th century.
Europe had already colonized most parts of the world, but people resisting most stubbornly was only Muslim.

Thus, both religions deepened opposition feelings while having a sacred place in same Jerusalem.


This continues the next time.





なぜこのような偏見が生まれ、強固に生き続けたのでしょうか?
イスラム教はキリスト教と同じ唯一神を崇め、教義が似ています。
しかしながらイエスや三位一体の扱いなどで違いがあります。
これはキリスト教徒にとって異端に映るのでしょう。

西欧にとってイスラムは誕生期から侵略者であり、脅威であった。
実際、西側のスペインと東側のオーストリアは彼らの侵略に晒された。
西欧の多くはこの地域を知る機会に乏しく、せいぜいビザンチン帝国を通じてであった。

しかし西欧は産業革命(18世紀半ば~)を経る頃には、自らの文明に自信を持つようになった。
逆に、18世紀末、ナポレオンはエジプトに遠征し、西欧は19世紀半ば以降から中東を支配した。
既に西欧は世界の大半を植民地にしていたが、最も頑強に抵抗したのはムスリムだった。

こうして両宗教は聖地を同じエルサレムに持ちながら対立感情を深めていた。


次回に続きます。



20161203

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 12: ロシアの大型スーパー








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今日は、サンクトペテルブルグのホテル近くにある大型スーパーを紹介します。
またホテルからエカテリーナ宮殿到着までの景色も紹介します。





< 2.宿泊したホテルと大型スーパー >

上の写真: 宿泊したホテルは空港近くのCrowne Plaza St. Petersburg Airport です。
中央の写真: ホテルの部屋から大型スーパーLENTAが右側に見えます。
下の写真:  LENTAの正面。
このスーパーは24時間営業です。




< 3. レジ >

私達はホテル到着後と翌日の早朝、2回買い物に行きました。
日本の大型スーパーと同じ規模です。





< 4. 衣類と家電製品 >

旅行時の為替は1ルーブルが約1.6円でした。
したがって、上の写真の衣類の値札は600~1900円で、日本と変わらない。
下の写真の家電製品の値札は1600~8000円で、日本よりも安いかもしれない。
私は中央の暖炉型ファンヒーターが気に入りましたが、後に各地のレストランで見ることになりました。



 

< 5. パンと菓子の売り場 >


ここで面白い経験をしました。

私達は旅行前から本場のピロシキを食べようと計画していました。
ところが、食べる機会がなく、今日(9/30)にはロシアを離れてしまいます。
またこのスーパーにも、それらしきものが見つかりません
それで、店員やお客さんをつかまえては、「ピロシキ」「ピロシキ」と連呼して聞きました。
4人以上に聞いたと思いますが、皆、「ピロシキ」に近い発音をして、それぞれ異なる菓子パンやケーキ類を指差します。
わけがわかりません。
結局、私達はお客さんがよく買うパンを買って諦めました。

この日の、昼食時、現地ガイドにこのエピソードを伝えました。
彼曰く、ピロシキは中に総菜が入ったパンのことで、各地で異なる。
私達は、「パルナスのピロシキ」のような揚げたパンを探していたが、それは無かった。

私達は異国の文化や風習をいとも簡単に見誤るようです。。
「ロシアではもうピロシキを食べていない」と!





< 6.果物や野菜の売り場 >



< 7.他の売り場 >

スーパーにて
私達がニュースで見た1990年代のロシアの経済状況は酷かった。
当時、人々は物が無く、少ない配給品を買うために行列を作って並んだ。
またルーブルの価値が下落し、経済は崩壊しているように映った。
しかし、今回の旅行でモスクワとサンクトペテルブルグの大都市を見て、豊富な商品に驚いた。
ロシアの一人当たりのGDPは日本の6割ぐらいですが、このスーパーの商品価格は高くないので、暮らしは悪くないように思えた。
この経済復興を見れば、ロシアでのプーチン大統領人気が高いのもうなづける。

スーパー内の商品の説明書きに、一切英語表記がありません。
おそらくすべてロシア語表記なのでしょう。
これには困りました。
お菓子の計り売り器などの使い方が分からず、店員に聞いても、まったく通じません。
ロシアの閉鎖性が気になりました。
これでは欧米との意識のギャップは深まるばかりです。




< 8.ホテルを出発 >



< 9.エカテリーナ宮殿に近づいた >

今日は、快晴で紅葉が映えていました。



< 10. エカテリーナ宮殿に到着 >

周囲はエカテリーナ宮殿の庭園です。


次回に続きます。





20161201

Bring peace to the Middle East! 47: religion and persecution 1: at the beginning

中東に平和を! 47: 宗教と迫害 1: はじめに  





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I deal with antagonism and persecution that arise from religion as a theme from now on, and it was a flash point of the problems of the Middle East.
This is a pitiful reality that the human race is burdened with for many years.
Why will religion giving salvation to people produce antagonism and persecution?

これから中東問題の火種の一つ、宗教がもたらす対立や迫害を取り上げます。
これは人類が長年背負って来た痛ましい現実です。
なぜ人々に救いや安らぎを与えてくれる宗教が対立や迫害を生むのでしょうか?


Preface
I will clear up a misunderstanding first.

The antagonism and persecution start with distinguishing the relative (family or group)  from other group.
We unconsciously perform this distinction routinely.
When uneasiness and dissatisfaction in a group increase, the distinction is shared by the group, and becomes discrimination.
The group uses a simple earmark for the discrimination.
The religion is only one of the mark like race, ethnic group, and sex.
But it can become more violent.


はじめに
最初に誤解を解いておきます。

対立や迫害は、人間が身内(家族や集団)とそれ以外の集団とに区別することで始まります。
私達は日常的に、この区別を無意識で行っています。
そして不安や不満が高まると、これが集団で共有され差別に発展にします。
集団はこの差別に単純明瞭な目印を利用します。
宗教も人種や民族、性別、貴賤などと同様の目印の一つに過ぎない。
ただ、より暴力的になることがある。




< 2.   Buddhist scriptures >
< 2. 経典「阿含経」 >

Various antagonism and persecution that arise from religion 

As for Buddhism
An early Buddhist scriptures said,
"Buddha said to an elder, there are nine bad habits to women, and they are dirtiness and jealous, and have a bad mouth ....."

There are many sentences that dirty some kind of persons in other scriptures.
For example, " One doing such evil deed must be an untouchable." and " You must not  have friend doing unclean job."
Naturally these scriptures do not prompt such discrimination, and use it to keep away a believer from evildoing.
Unfortunately the common ideas in India of the time have remand in the scriptures.

However, when it was handed down to Japan, it led to the justification of despising women and dirty persons.



宗教が生む様々な対立や迫害


仏教では
初期の仏教経典「増一阿含経」に曰く。
「世尊は長老に言った。女人には九の悪い習性があり、不浄で、悪口多し、嫉妬し、・・・。」

他の教典にも貶める文言が見られる。
例えば、「そんな悪事を働くのは栴陀羅(せんだら、インドの不可触民)だけだ!」「穢れた仕事をする者を友にするな!」などがある。
当然、経典は差別を煽っているのではなく、信者を悪行から遠ざける為に用いている。
残念ながら、当時のインド社会の通念が経典に遺存してしまった。

しかし、これが日本に伝わると、女性や穢れた者を蔑視することの正当化につながった。






<  3.  Armed monk  >
< 3. 僧兵 >

In addition, in Japan, civil wars took place between denominations of the Buddhism.
In the 16th century during the Warring States period, the Nichiren-sect followers joined up with the military power of a daimyo and set fire to the Ikko sect temples in Kyoto.
And armed monks of Mt. Hiei were impatient of the Nichiren-sect followers gathering strength, and joined up with the military power of other daimyo, then set fire to the Nichiren-sect temples, and killed several thousand people in Kyoto.
Because each denomination competed for power, these happened.


また日本でも仏教の宗派間で内戦が起きている。
16世紀、戦国時代の京都で、日蓮宗徒が大名と組み、浄土真宗の寺院を焼き討ちした。
また、勢いを増す日蓮宗に業を煮やした比叡山(天台宗)は大名と組み、その僧兵が日蓮宗の寺院を焼き払い、数千人を殺害した。
これは各宗派が勢力を競った為に起こった。





< 4.  a Indian bamboo work group  >
< 4. インドの竹細工集団 >

As for Hinduism
The Indian caste system (four hierarchies) was already stipulated in Brahmanism scripture of the Rig-Veda.
The scripture was created in the process that Aryan had invaded the north India more than 3,000 years ago and had conquered aboriginal people.
The class system was also stipulated in Manu Smriti established around A.D.

The reason of the caste system's birth is not clear.
But I think that there were exclusive professional groups suitable for India, and it was strengthened by the logic of dirtiness that Brahman emphasized and the doctrine of the transmigration of souls.
Untouchable being under the four hierarchies has received miserable discrimination.


ヒンドゥー教では
インドのカースト制(4つの階層)は最古のバラモン教の聖典リグ=ヴェーダに既に規定されていた。
この聖典は3千年以上前にアーリア人が北インドに侵入し、先住民を支配する過程で生まれた。
紀元前後に成立したマヌ法典にも身分制が規定されている。

カースト制誕生の理由は明らかではないが、インドに適した排他的な職能集団があり、それをバラモンが強調する浄・不浄の論理と輪廻思想で強化し定着させたと考えられる。
4つの階層の更に下になる不可触民は悲惨な差別を受けている。





< 5.  India-Pakistani wars and conflicts >
< 5. インド・パキスタン戦争 >

The colony dismantling of the U.K. in 1947 led to the India Pakistani wars that happened many times.
Hindus of the Indian majority and Muslims of the minority antagonized each other, and the latter insisted on separation.
The Muslims achieved independence as Pakistan, but more than ten million refugees flowed in mutually at this time, riots and slaughters occurred, and 1 million people died.
Until now, the antagonism continues due to this issue and possession of Kashmir.

This continues the next time.



幾度も起こったインド・パキスタン戦争の発端は、1947年の英国の植民地解体にあった。
インドの多数派のヒンドゥー教徒と少数派のイスラム教徒の対立が激化し、後者は分離を主張して譲らなかった。
イスラム教徒はパキスタンとして独立を果たしたが、この時に1千万人以上の難民が相互に流入し、暴動や虐殺が発生し100万人が死んだとされる。
この事とカシミール領有で、現在まで対立は続いている。


次回に続きます。