20161206
Bring peace to the Middle East! 48: religion and persecution 2: Prejudice against Islam
中東に平和を! 48: 宗教と迫害 2: イスラム教への偏見
*1
Previous time, we look at the antagonism and persecution that arise from Buddhism or Hinduism.
From now on, I look at the antagonism and persecution between religions (Judaism, Christianity, and Islam) that were born in the Middle East.
前回、仏教とヒンドゥー教がもたらした迫害や対立を見ました。
これから、中東で生まれた宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の迫害や対立を見ます。
What is understood from previous examples of the Buddhism and Hinduism
Religion retained laws and social system of that time, and also kept the discrimination.
In addition, it regards the heresy with hostility to secure the legitimacy, and the antagonism arises.
The religious community will promote these strongly.
前回の仏教とヒンドゥー教の例からわかること
宗教は当時の規範や制度を遺存し、差別を温存することになる。
また正当性を確保する為に異端を敵視し、対立を生むことになる。
教団がこれらを強力に推し進めることになる。
< 2. the Ottoman Empire was capturing Vienna >
< 2.オスマントルコのウイーン攻略 >
How did Europe cognize Islam?
“ It is fundamentally impossible that Muslim tolerably governs Christian countries.”
In the late 19th century, British prime minister Gladstone swore in this way.
He was a pious Christian and dominated during the colony expansion.
"The sword and Koran of Muhammad are the biggest enemy for civilization, freedom and truth since recorded history."
In the late 19th century, Scottish Islamic scholar William Muir said in this way.
He was a colonial administrator in India, too.
There are still persons believing "the Koran or a sword" as words indicating the aggressiveness of the Islam, but this is only a forgery.
“This notorious swindler Muhammad was the founder of the heresy doctrine.”
It was written in a famous encyclopedia of the end of 17th century.
西欧はイスラム教をどう見ていたのか?
「ムスリムが文明化されたキリスト教徒諸民族の上に善政を、またはなんとか我慢できる統治を敷くなどは根本的に不可能だ。」
19世紀後半、英国の首相グラッドストンはこう言い放った。
彼は敬虔なキリスト教徒であり、植民地拡大期に君臨した人物です。
「ムハンマドの剣とコーランとは文明・自由・真理に対する有史以来最大の敵である。」
19世紀後半、スコットランドのイスラム学者ウィリアム・ミューアはこう言った。
彼はインド植民地の管理者でもあった。
今でも「コーランか剣か」をイスラム教の攻撃性を示す言葉として信じる向きがあるが、これは捏造に過ぎない。
「これぞ名うてのペテン師ムハンマド。宗教の名を語るに至った異端教説の始祖にして創立者」
非常に影響力のあった17世紀末の百科事典「東洋全書」に書かれている。
< 3. Luther >
< 3. ルター >
In the beginning of 16th century, Luther criticized that the Roman Catholic Church had been made by devil in the Christendom as same as the heresy of Muhammad.
He was a theologian who became a pioneer of the Reformation, but he regarded heresy with hostility and also criticized Judaism severely.
The prejudice against the Islam does not seem to change from old days.
The prejudice of the westerner against the Muslim can be summarized into three words: sexual license, murder, and compulsory conversion.
This matches the image of "Thousand and One Nights (Arabian Nights)" introduced in Europe of 1704.
16世紀初め、ルターは、ローマ・カトリック教会のことを、ムハンマドの異端と同類であってキリスト教世界内部に悪魔がこしらえたものだと批判した。
彼は宗教改革の先駆けとなった神学者ですが、異端を敵視しユダヤ教も痛烈に批判している。
どうやら昔からイスラム教に対する偏見は変わらないようです。
ムスリムに対する西欧人の偏見は性的放縦や殺人、強制改宗に集約されます。
これは1704年、西欧に紹介された説話集「アラビアン・ナイト」のイメージに結び付きます。
< 4. Egyptian conquest by Napoleon >
< 4. ナポレオンのエジプト遠征 >
Why did such prejudice be born, and why did it remain strongly?
The Islam worships the one God as same as Christianity, and two doctrines are similar.
However, it is different to deal with Jesus and the Trinity, etc.
Christian will regard it as heresy.
The Islam was an invader and menace for Europe since the birth period.
Actually, Spain in the west side and Austria in the east side were exposed to their aggression.
Most of Europe lacked the opportunity to know this area and only knew through Byzantine Empire at most.
However, Europe came to have confidence in own civilization when it experienced the Industrial Revolution (since the mid-18th century).
On the contrary, in the end of 18th century, Napoleon conquered Egypt, and Europe ruled the Middle East since the mid-19th century.
Europe had already colonized most parts of the world, but people resisting most stubbornly was only Muslim.
Thus, both religions deepened opposition feelings while having a sacred place in same Jerusalem.
This continues the next time.
なぜこのような偏見が生まれ、強固に生き続けたのでしょうか?
イスラム教はキリスト教と同じ唯一神を崇め、教義が似ています。
しかしながらイエスや三位一体の扱いなどで違いがあります。
これはキリスト教徒にとって異端に映るのでしょう。
西欧にとってイスラムは誕生期から侵略者であり、脅威であった。
実際、西側のスペインと東側のオーストリアは彼らの侵略に晒された。
西欧の多くはこの地域を知る機会に乏しく、せいぜいビザンチン帝国を通じてであった。
しかし西欧は産業革命(18世紀半ば~)を経る頃には、自らの文明に自信を持つようになった。
逆に、18世紀末、ナポレオンはエジプトに遠征し、西欧は19世紀半ば以降から中東を支配した。
既に西欧は世界の大半を植民地にしていたが、最も頑強に抵抗したのはムスリムだった。
こうして両宗教は聖地を同じエルサレムに持ちながら対立感情を深めていた。
次回に続きます。
20161203
ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 12: ロシアの大型スーパー
*1
今日は、サンクトペテルブルグのホテル近くにある大型スーパーを紹介します。
またホテルからエカテリーナ宮殿到着までの景色も紹介します。
< 2.宿泊したホテルと大型スーパー >
上の写真: 宿泊したホテルは空港近くのCrowne Plaza St. Petersburg Airport です。
中央の写真: ホテルの部屋から大型スーパーLENTAが右側に見えます。
下の写真: LENTAの正面。
このスーパーは24時間営業です。
< 3. レジ >
私達はホテル到着後と翌日の早朝、2回買い物に行きました。
日本の大型スーパーと同じ規模です。
< 4. 衣類と家電製品 >
旅行時の為替は1ルーブルが約1.6円でした。
したがって、上の写真の衣類の値札は600~1900円で、日本と変わらない。
下の写真の家電製品の値札は1600~8000円で、日本よりも安いかもしれない。
私は中央の暖炉型ファンヒーターが気に入りましたが、後に各地のレストランで見ることになりました。
< 5. パンと菓子の売り場 >
ここで面白い経験をしました。
私達は旅行前から本場のピロシキを食べようと計画していました。
ところが、食べる機会がなく、今日(9/30)にはロシアを離れてしまいます。
またこのスーパーにも、それらしきものが見つかりません
それで、店員やお客さんをつかまえては、「ピロシキ」「ピロシキ」と連呼して聞きました。
4人以上に聞いたと思いますが、皆、「ピロシキ」に近い発音をして、それぞれ異なる菓子パンやケーキ類を指差します。
わけがわかりません。
結局、私達はお客さんがよく買うパンを買って諦めました。
この日の、昼食時、現地ガイドにこのエピソードを伝えました。
彼曰く、ピロシキは中に総菜が入ったパンのことで、各地で異なる。
私達は、「パルナスのピロシキ」のような揚げたパンを探していたが、それは無かった。
私達は異国の文化や風習をいとも簡単に見誤るようです。。
「ロシアではもうピロシキを食べていない」と!
< 6.果物や野菜の売り場 >
< 7.他の売り場 >
スーパーにて
私達がニュースで見た1990年代のロシアの経済状況は酷かった。
当時、人々は物が無く、少ない配給品を買うために行列を作って並んだ。
またルーブルの価値が下落し、経済は崩壊しているように映った。
しかし、今回の旅行でモスクワとサンクトペテルブルグの大都市を見て、豊富な商品に驚いた。
ロシアの一人当たりのGDPは日本の6割ぐらいですが、このスーパーの商品価格は高くないので、暮らしは悪くないように思えた。
この経済復興を見れば、ロシアでのプーチン大統領人気が高いのもうなづける。
スーパー内の商品の説明書きに、一切英語表記がありません。
おそらくすべてロシア語表記なのでしょう。
これには困りました。
お菓子の計り売り器などの使い方が分からず、店員に聞いても、まったく通じません。
ロシアの閉鎖性が気になりました。
これでは欧米との意識のギャップは深まるばかりです。
< 8.ホテルを出発 >
< 9.エカテリーナ宮殿に近づいた >
今日は、快晴で紅葉が映えていました。
< 10. エカテリーナ宮殿に到着 >
周囲はエカテリーナ宮殿の庭園です。
次回に続きます。
20161201
Bring peace to the Middle East! 47: religion and persecution 1: at the beginning
中東に平和を! 47: 宗教と迫害 1: はじめに
*1
I deal with antagonism and persecution that arise from religion as a theme from now on, and it was a flash point of the problems of the Middle East.
This is a pitiful reality that the human race is burdened with for many years.
Why will religion giving salvation to people produce antagonism and persecution?
これから中東問題の火種の一つ、宗教がもたらす対立や迫害を取り上げます。
これは人類が長年背負って来た痛ましい現実です。
なぜ人々に救いや安らぎを与えてくれる宗教が対立や迫害を生むのでしょうか?
Preface
I will clear up a misunderstanding first.
The antagonism and persecution start with distinguishing the relative (family or group) from other group.
We unconsciously perform this distinction routinely.
When uneasiness and dissatisfaction in a group increase, the distinction is shared by the group, and becomes discrimination.
The group uses a simple earmark for the discrimination.
The religion is only one of the mark like race, ethnic group, and sex.
But it can become more violent.
はじめに
最初に誤解を解いておきます。
対立や迫害は、人間が身内(家族や集団)とそれ以外の集団とに区別することで始まります。
私達は日常的に、この区別を無意識で行っています。
そして不安や不満が高まると、これが集団で共有され差別に発展にします。
集団はこの差別に単純明瞭な目印を利用します。
宗教も人種や民族、性別、貴賤などと同様の目印の一つに過ぎない。
ただ、より暴力的になることがある。
< 2. Buddhist scriptures >
< 2. 経典「阿含経」 >
Various antagonism and persecution that arise from religion
As for Buddhism
An early Buddhist scriptures said,
"Buddha said to an elder, there are nine bad habits to women, and they are dirtiness and jealous, and have a bad mouth ....."
There are many sentences that dirty some kind of persons in other scriptures.
For example, " One doing such evil deed must be an untouchable." and " You must not have friend doing unclean job."
Naturally these scriptures do not prompt such discrimination, and use it to keep away a believer from evildoing.
Unfortunately the common ideas in India of the time have remand in the scriptures.
However, when it was handed down to Japan, it led to the justification of despising women and dirty persons.
宗教が生む様々な対立や迫害
仏教では
初期の仏教経典「増一阿含経」に曰く。
「世尊は長老に言った。女人には九の悪い習性があり、不浄で、悪口多し、嫉妬し、・・・。」
他の教典にも貶める文言が見られる。
例えば、「そんな悪事を働くのは栴陀羅(せんだら、インドの不可触民)だけだ!」「穢れた仕事をする者を友にするな!」などがある。
当然、経典は差別を煽っているのではなく、信者を悪行から遠ざける為に用いている。
残念ながら、当時のインド社会の通念が経典に遺存してしまった。
しかし、これが日本に伝わると、女性や穢れた者を蔑視することの正当化につながった。
< 3. Armed monk >
< 3. 僧兵 >
In addition, in Japan, civil wars took place between denominations of the Buddhism.
In the 16th century during the Warring States period, the Nichiren-sect followers joined up with the military power of a daimyo and set fire to the Ikko sect temples in Kyoto.
And armed monks of Mt. Hiei were impatient of the Nichiren-sect followers gathering strength, and joined up with the military power of other daimyo, then set fire to the Nichiren-sect temples, and killed several thousand people in Kyoto.
Because each denomination competed for power, these happened.
また日本でも仏教の宗派間で内戦が起きている。
16世紀、戦国時代の京都で、日蓮宗徒が大名と組み、浄土真宗の寺院を焼き討ちした。
また、勢いを増す日蓮宗に業を煮やした比叡山(天台宗)は大名と組み、その僧兵が日蓮宗の寺院を焼き払い、数千人を殺害した。
これは各宗派が勢力を競った為に起こった。
< 4. a Indian bamboo work group >
< 4. インドの竹細工集団 >
As for Hinduism
The Indian caste system (four hierarchies) was already stipulated in Brahmanism scripture of the Rig-Veda.
The scripture was created in the process that Aryan had invaded the north India more than 3,000 years ago and had conquered aboriginal people.
The class system was also stipulated in Manu Smriti established around A.D.
The reason of the caste system's birth is not clear.
But I think that there were exclusive professional groups suitable for India, and it was strengthened by the logic of dirtiness that Brahman emphasized and the doctrine of the transmigration of souls.
Untouchable being under the four hierarchies has received miserable discrimination.
ヒンドゥー教では
インドのカースト制(4つの階層)は最古のバラモン教の聖典リグ=ヴェーダに既に規定されていた。
この聖典は3千年以上前にアーリア人が北インドに侵入し、先住民を支配する過程で生まれた。
紀元前後に成立したマヌ法典にも身分制が規定されている。
カースト制誕生の理由は明らかではないが、インドに適した排他的な職能集団があり、それをバラモンが強調する浄・不浄の論理と輪廻思想で強化し定着させたと考えられる。
4つの階層の更に下になる不可触民は悲惨な差別を受けている。
< 5. India-Pakistani wars and conflicts >
< 5. インド・パキスタン戦争 >
The colony dismantling of the U.K. in 1947 led to the India Pakistani wars that happened many times.
Hindus of the Indian majority and Muslims of the minority antagonized each other, and the latter insisted on separation.
The Muslims achieved independence as Pakistan, but more than ten million refugees flowed in mutually at this time, riots and slaughters occurred, and 1 million people died.
Until now, the antagonism continues due to this issue and possession of Kashmir.
This continues the next time.
幾度も起こったインド・パキスタン戦争の発端は、1947年の英国の植民地解体にあった。
インドの多数派のヒンドゥー教徒と少数派のイスラム教徒の対立が激化し、後者は分離を主張して譲らなかった。
イスラム教徒はパキスタンとして独立を果たしたが、この時に1千万人以上の難民が相互に流入し、暴動や虐殺が発生し100万人が死んだとされる。
この事とカシミール領有で、現在まで対立は続いている。
次回に続きます。
I deal with antagonism and persecution that arise from religion as a theme from now on, and it was a flash point of the problems of the Middle East.
This is a pitiful reality that the human race is burdened with for many years.
Why will religion giving salvation to people produce antagonism and persecution?
これから中東問題の火種の一つ、宗教がもたらす対立や迫害を取り上げます。
これは人類が長年背負って来た痛ましい現実です。
なぜ人々に救いや安らぎを与えてくれる宗教が対立や迫害を生むのでしょうか?
Preface
I will clear up a misunderstanding first.
The antagonism and persecution start with distinguishing the relative (family or group) from other group.
We unconsciously perform this distinction routinely.
When uneasiness and dissatisfaction in a group increase, the distinction is shared by the group, and becomes discrimination.
The group uses a simple earmark for the discrimination.
The religion is only one of the mark like race, ethnic group, and sex.
But it can become more violent.
はじめに
最初に誤解を解いておきます。
対立や迫害は、人間が身内(家族や集団)とそれ以外の集団とに区別することで始まります。
私達は日常的に、この区別を無意識で行っています。
そして不安や不満が高まると、これが集団で共有され差別に発展にします。
集団はこの差別に単純明瞭な目印を利用します。
宗教も人種や民族、性別、貴賤などと同様の目印の一つに過ぎない。
ただ、より暴力的になることがある。
< 2. Buddhist scriptures >
< 2. 経典「阿含経」 >
Various antagonism and persecution that arise from religion
As for Buddhism
An early Buddhist scriptures said,
"Buddha said to an elder, there are nine bad habits to women, and they are dirtiness and jealous, and have a bad mouth ....."
There are many sentences that dirty some kind of persons in other scriptures.
For example, " One doing such evil deed must be an untouchable." and " You must not have friend doing unclean job."
Naturally these scriptures do not prompt such discrimination, and use it to keep away a believer from evildoing.
Unfortunately the common ideas in India of the time have remand in the scriptures.
However, when it was handed down to Japan, it led to the justification of despising women and dirty persons.
宗教が生む様々な対立や迫害
仏教では
初期の仏教経典「増一阿含経」に曰く。
「世尊は長老に言った。女人には九の悪い習性があり、不浄で、悪口多し、嫉妬し、・・・。」
他の教典にも貶める文言が見られる。
例えば、「そんな悪事を働くのは栴陀羅(せんだら、インドの不可触民)だけだ!」「穢れた仕事をする者を友にするな!」などがある。
当然、経典は差別を煽っているのではなく、信者を悪行から遠ざける為に用いている。
残念ながら、当時のインド社会の通念が経典に遺存してしまった。
しかし、これが日本に伝わると、女性や穢れた者を蔑視することの正当化につながった。
< 3. Armed monk >
< 3. 僧兵 >
In addition, in Japan, civil wars took place between denominations of the Buddhism.
In the 16th century during the Warring States period, the Nichiren-sect followers joined up with the military power of a daimyo and set fire to the Ikko sect temples in Kyoto.
And armed monks of Mt. Hiei were impatient of the Nichiren-sect followers gathering strength, and joined up with the military power of other daimyo, then set fire to the Nichiren-sect temples, and killed several thousand people in Kyoto.
Because each denomination competed for power, these happened.
また日本でも仏教の宗派間で内戦が起きている。
16世紀、戦国時代の京都で、日蓮宗徒が大名と組み、浄土真宗の寺院を焼き討ちした。
また、勢いを増す日蓮宗に業を煮やした比叡山(天台宗)は大名と組み、その僧兵が日蓮宗の寺院を焼き払い、数千人を殺害した。
これは各宗派が勢力を競った為に起こった。
< 4. a Indian bamboo work group >
< 4. インドの竹細工集団 >
As for Hinduism
The Indian caste system (four hierarchies) was already stipulated in Brahmanism scripture of the Rig-Veda.
The scripture was created in the process that Aryan had invaded the north India more than 3,000 years ago and had conquered aboriginal people.
The class system was also stipulated in Manu Smriti established around A.D.
The reason of the caste system's birth is not clear.
But I think that there were exclusive professional groups suitable for India, and it was strengthened by the logic of dirtiness that Brahman emphasized and the doctrine of the transmigration of souls.
Untouchable being under the four hierarchies has received miserable discrimination.
ヒンドゥー教では
インドのカースト制(4つの階層)は最古のバラモン教の聖典リグ=ヴェーダに既に規定されていた。
この聖典は3千年以上前にアーリア人が北インドに侵入し、先住民を支配する過程で生まれた。
紀元前後に成立したマヌ法典にも身分制が規定されている。
カースト制誕生の理由は明らかではないが、インドに適した排他的な職能集団があり、それをバラモンが強調する浄・不浄の論理と輪廻思想で強化し定着させたと考えられる。
4つの階層の更に下になる不可触民は悲惨な差別を受けている。
< 5. India-Pakistani wars and conflicts >
< 5. インド・パキスタン戦争 >
The colony dismantling of the U.K. in 1947 led to the India Pakistani wars that happened many times.
Hindus of the Indian majority and Muslims of the minority antagonized each other, and the latter insisted on separation.
The Muslims achieved independence as Pakistan, but more than ten million refugees flowed in mutually at this time, riots and slaughters occurred, and 1 million people died.
Until now, the antagonism continues due to this issue and possession of Kashmir.
This continues the next time.
幾度も起こったインド・パキスタン戦争の発端は、1947年の英国の植民地解体にあった。
インドの多数派のヒンドゥー教徒と少数派のイスラム教徒の対立が激化し、後者は分離を主張して譲らなかった。
イスラム教徒はパキスタンとして独立を果たしたが、この時に1千万人以上の難民が相互に流入し、暴動や虐殺が発生し100万人が死んだとされる。
この事とカシミール領有で、現在まで対立は続いている。
次回に続きます。
20161129
蟹と紅葉を楽しみました 6: 秋の山野と海峡
*1
今日は、ドライブ途中で見た秋の山野と海峡を紹介します。
これで、今回の旅行記は終わります。
< 2.9号線 >
ここは村岡辺り。
< 3.9号線 >
ここはハチ北口の辺り、若い頃、ハチ北にスキーに来ました。
< 4.9号線 >
ここは関宮辺り。
< 5.道の駅あさご 1 >
ここには播但連絡有料道路に乗る前に、昼食の為に立ち寄りました。
道の駅のすぐ横で綺麗な紅葉が見られました。
昔、家族で神鍋に行った後の帰り道、ここによく立ち寄りました。
< 6.道の駅あさご 2 >
< 7.道の駅あさご 3 >
明石海峡と裏六甲の眺め
次の22日、淡路島から神戸にバスで出ました。
この日は但馬旅行の2日間とは打って変わって素晴らしい天気でした。
バスの車窓から見た快晴の海と山の写真を紹介します。
< 8.明石海峡大橋からの眺め >
淡路島から舞子に向かっているバスからの眺めです。
西側、瀬戸内海側を見ています。
淡路島はあまり紅葉しません。
< 9.高速道路からの眺め 1 >
上の写真: 神戸淡路鳴門自動車道を見下ろしている。
下の写真: 阪神高速7号北神戸線からの眺め。
こちらは山は紅葉していました。
但馬の山々はもっと紅葉していたのですが、天気が悪かったので残念でした。
< 10.高速道路からの眺め 2 >
阪神高速7号北神戸線からの眺め。
この連載は終了します。
ありがとうございました。
20161128
蟹と紅葉を楽しみました 5: 竹田城跡
*1
今日は、写真撮影で最も楽しみにしていた立雲峡と竹田城跡を紹介します。
立雲峡は雲海に浮かぶ竹田城跡の撮影で有名になった所です。
< 2.立雲峡の登山道 >
中腹の駐車場まで車で行き、そこから第三、第二、第一展望台へと登ります。
一番高い第一展望台までは徒歩25分だそうです。
私は疲れたので一番近い第三展望台から撮影しました。
第三展望台は標高354mの竹田城跡と同じ高さにある。
駐車場からも撮影出来ます。
< 3.第三展望台から竹田城跡 1 >
中央の古城山の山頂に石垣が微かに見えます。
北西方向を見ている。
今日は、今にも雨が降りそうな空模様で、霞んで見えます。
雲海は秋の明け方から午前8時頃までで、色々な気象条件が重なった時に見られるそうです。
そう簡単に雲海にお目にかかれないのでしょうか。
<4. 第三展望台から竹田城跡 2 >
古城山の麓右下にJR竹田駅と寺町通りが見えます。
< 5.第三展望台から寺町通り >
麓のJR竹田駅と寺町通りです。
< 6. 第三展望台から竹田城跡 3 >
< 7. 第三展望台から竹田城跡 4 >
竹田城について
15世紀、応仁の乱で西軍の総大将であった山名宗全が、この山頂に城を築かせた。
戦国時代は太田氏が城主となり、播磨(瀬戸内海側)と但馬(日本海側)の国境を守る拠点となった。
織田軍の播磨攻めの折、1577年、羽柴秀吉により落城した。
最後の城主赤松氏が石積みの城郭を整備し、今に至っている。
< 8.表米神社の下 >
ここは寺町通りの端になります。
山頂に石垣が見えます。
右下に表米神社への階段があり、そこから山頂まで登ることが出来ます。
< 9.JR竹田駅 >
ちょうど電車が入って来ました。
南側を見ています。
< 10. プラットホームから寺町通り >
寺町通りにはお寺が幾つも並んでおり、紅葉が美しかった。
次回に続きます。
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