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今回は、対馬独特の建築物を紹介します。
< 2. 椎根の位置、上が北 >
上: 対馬の下半分
紺色線の右が厳原、左が椎根で、この間は車で20分ほどです。
下: 小茂田浜と椎根の位置
黒線の右から来て、赤矢印の蒙古襲来の激戦地・小茂田浜に寄ってから、黒矢印の椎根に行きました。
< 3.対馬横断途中の車窓から1 >
< 4. 対馬横断途中の車窓から2 >
真っ赤な彼岸花が至る所で群生しており美しかった。
この辺りを走っている分には、特に対馬の山野と言う印象はなかった。
後に北部の上対馬や中央部の浅茅湾周辺を走ると、対馬独特の地形を目にすることになる。
< 5. 椎根に到着 >
上: 椎根の地図、上が北
赤線が観光バスを降りてからの散策ルートです。
Sから始め、Eで終わりました。
主に見た石屋根倉庫は赤矢印ですが、ここには合計5棟あるそうです。
下: バスを降りて、椎根川の橋を渡り、石屋根倉庫に向かう。
中央にこれから紹介する1棟が見える。
< 6. 1棟目の石屋根倉庫 1 >
上: 橋の上から上流、東側を望む
右岸にもう1棟が見える。
下: 1棟目の石屋根倉庫
確かに見たこともない造りです。
< 7. 1棟目の石屋根倉庫 2 >
まず初めに感じたのは、「なぜこんなに重い石を屋根に上げたのか?」でした。
次いで、小屋の柱にも違和感があり、何かが違う。
厳原が幾度も大火災に遭っていることと、この倉庫が西海岸に近いことから防火防風の為だとは察しがつきました。
江戸時代、瓦屋根が禁止されていたので、初めは裏山の石を載せていたそうです。
大正時代になると、発破技術が導入され浅茅湾に面した島山石で産出する見栄えの良いこのような泥板岩を使うようになった。
昔は対馬中にあったそうですが、今は南西部に合計40棟が残るのみだそうです。
左下: 私が違和感を持ったのは、写真中央の平柱のせいでした。
普通は角柱を使います。
屋根の重量を支えるのに適しているのでしょうか?
説明書きによると、平柱は山から切り出した丸太を半分に切って使うことから始まったそうで、対馬の伝統的な建物には良く使われているそうです。
この工法は、台湾や東南アジアにも見られるそうです。
それにしても大変な建築作業だったはずで、中で何を貯えたかは知らないが、ここまでする必要は無かったのではないかと思ってしまう。
村の中で見栄を張って競ったのだろう。
< 8. 二棟目の石屋根倉庫 >
上: 二棟目の石屋根倉庫
下: 瓦屋根の倉庫
< 9. 戻りの橋の上から >
< 10. 椎根川の対岸から >
次回に続きます。