20210330

国境の島、対馬を訪ねて 8: 椎根の石屋根倉庫

  

*1

 

 

今回は、対馬独特の建築物を紹介します。

 

 

 

< 2. 椎根の位置、上が北 >

 

上: 対馬の下半分

紺色線の右が厳原、左が椎根で、この間は車で20分ほどです。

 

下: 小茂田浜と椎根の位置

黒線の右から来て、赤矢印の蒙古襲来の激戦地・小茂田浜に寄ってから、黒矢印の椎根に行きました。

 

 

 

< 3.対馬横断途中の車窓から1 >

 

 

< 4. 対馬横断途中の車窓から2 >

 

真っ赤な彼岸花が至る所で群生しており美しかった。

この辺りを走っている分には、特に対馬の山野と言う印象はなかった。

後に北部の上対馬や中央部の浅茅湾周辺を走ると、対馬独特の地形を目にすることになる。

 

 

 

< 5. 椎根に到着 >

 

上: 椎根の地図、上が北

赤線が観光バスを降りてからの散策ルートです。

Sから始め、Eで終わりました。

主に見た石屋根倉庫は赤矢印ですが、ここには合計5棟あるそうです。

 

下: バスを降りて、椎根川の橋を渡り、石屋根倉庫に向かう。

中央にこれから紹介する1棟が見える。

 

 

 

< 6. 1棟目の石屋根倉庫 1 >

 

上: 橋の上から上流、東側を望む

右岸にもう1棟が見える。

 

下: 1棟目の石屋根倉庫

確かに見たこともない造りです。

 

 

 

< 7. 1棟目の石屋根倉庫 2 >

 

まず初めに感じたのは、「なぜこんなに重い石を屋根に上げたのか?」でした。

次いで、小屋の柱にも違和感があり、何かが違う。

 

厳原が幾度も大火災に遭っていることと、この倉庫が西海岸に近いことから防火防風の為だとは察しがつきました。

江戸時代、瓦屋根が禁止されていたので、初めは裏山の石を載せていたそうです。

大正時代になると、発破技術が導入され浅茅湾に面した島山石で産出する見栄えの良いこのような泥板岩を使うようになった。

昔は対馬中にあったそうですが、今は南西部に合計40棟が残るのみだそうです。

 

左下: 私が違和感を持ったのは、写真中央の平柱のせいでした。

普通は角柱を使います。

屋根の重量を支えるのに適しているのでしょうか?

説明書きによると、平柱は山から切り出した丸太を半分に切って使うことから始まったそうで、対馬の伝統的な建物には良く使われているそうです。

この工法は、台湾や東南アジアにも見られるそうです。

 

それにしても大変な建築作業だったはずで、中で何を貯えたかは知らないが、ここまでする必要は無かったのではないかと思ってしまう。

村の中で見栄を張って競ったのだろう。

 

 

 

< 8. 二棟目の石屋根倉庫 >

 

上: 二棟目の石屋根倉庫

 

下: 瓦屋根の倉庫

 

 

< 9. 戻りの橋の上から >

 

 

< 10. 椎根川の対岸から >

 

次回に続きます。

20210329

没落を食い止める! 21: 日本が没落せざるを得ない要因とは 2

  




*1

 

これから、日本固有の悪化要因を幾つか見ます

 

 

 

 

< 2. 2018年の賃金上昇率ランキング >

http://www.all-nationz.com/archives/1072475175.html

 

 

* 主に賃金を低下させる要因

 

A. 非正規雇用の拡大

 

B. 低賃金の零細中小企業、個人経営多い

 

C. 低い最低賃金

 

 

< 3.2019年の最低賃金ランキング >

https://www.digima-japan.com/knowhow/world/8314.php

北欧が無いのは北欧が職業別最低賃金制の為。

 

D. 労働組合の弱体化

新自由主義の国では皆同じだが、賃金の高い国(北欧など)では組合組 織率は高い(図4と比較)。

 

 

 

< 4. 2008年の労働組合組織率 >

https://honkawa2.sakura.ne.jp/3817.html

 

E. 欧米の職業別・地域組合と異なる企業内組合

職業別の最低賃金がないので転職が困難で、労働市場が機能しない

 

F. 男女間の賃金格差

 

G. 介護やタクシー業界などの賃金規制

 

H. 低賃金の技能実習生制度(移民労働者)

現状のような野放図な拡大は、やがて欧米のように低賃金化と治安悪化を招く。

 

 

当然、これらの問題は日本の政治がもたらした結果です。

 

* 日本の政治がもたらす悪化要因

 

I. 長期政権(自民党)がもたらす弊害

 

根本は自民党が特定産業や既得権益と癒着し保護(腐敗)にすることです。

 

これは単純に、野党との政権交代がないことによるもので、歴史の必然です。

特に日本は政治文化が遅れたままなので、国民の多くは腐敗を当然視している。

 

一党のみが長期に君臨すると、経済的な癒着だけでなく、あらゆる社会的なものが腐敗し、国民から離れて行くことになる。

例えば、経済界だけでなく官僚(中央省庁だけでなく裁判所)、マスコミ、学校、学界すら強固癒着や忖度が蔓延しており、国民は政府の実態を知る事も訴えることも出来なくなり、社会は停滞して行くことになる。

 

特に官僚と自民党の癒着で深刻なのは特別会計(392兆円、一般会計100兆円だが)で、その規模の巨大さと不明瞭さが恐ろしい(民主党が切り込もうとしたが討ち死に)。

 

 

J. 活力を無くした地方自治体と公共企業体

 

地方を旅して気付かされることは、地方の衰退です。

この背景に、構造的な要因があり、戦後の税制が中央集権的であることが大きい。

一言で言えば自治体は中央からの許認可待ち、交付金待ちに慣れてしまって、自立出来なくなっているように見受けられる。

日本は先進国中、最悪ではないが、北欧に比べると活力がない。

 

 

K. 不甲斐ない野党

 

二大政党は欧米先進国では民主主義の根幹をなすと自認されているが、日本ではそうではない。

これが腐敗を招き、改革が進まない理由なのですが、出来ない。

国民は野党がだらしないから、自民党で仕方ないと思っている。

 

これが間違っているとは思わない。

だが、このまま一党長期政権が日本を支配し続けると、没落は必至です。

野党がなぜ脆弱なのか、その理由(初期の米国保護)を知り、政権交代可能な野党を育てない限り、未来はない。

 

 

L. 米国追従の弊害

 

米国追従は根を張っており、もはや軍事的にも経済的にも独立出来ず、運命を共にする可能性が高い

 

しかし1980年代以降の米国の傲慢に過ぎる圧力が如何に日本の経済を悪くしたかを知れば、目が覚めるでしょう。

日本は経済的に自立すべきなのです。

大戦後、いまだに占領国に隷属している国は、世界広しといえども日本だけでしょう。

しかもGDPで2位にまでなった国で。

 

これに関連して、重要なのが近隣諸国、特に中国との関わりです。

米国の軍事的な思惑で、日本は大陸、特に中国と分断されている。

(今まで中国と友好を図ろうとした日本の政治家はなぜか短命です)

 

しかし、中国は既に経済・技術・軍事的に大国であり、対応を誤ると、日本は孤立するだけで済まなくなり、安全保障で致命傷を負うことになるだろう。

 

 

M. 時代遅れの需要喚起策(財政出動など)

 

日本政府は、いつまで経っても古い経済政策から脱皮できない。

 

土木事業中心の公共投資や富裕層や法人税の減税などです。

既にこれらの効果が低いことは経済分析から判明している(土木事業は乗数効果がかなり低くなっている)。

それでもまだ懲りずに繰り返している。

後に、ふるさと納税を検証します。

 

日本の経済学ノーベル経済学者が出ていないことからもわかるように遅れており、国の政策に良いアドバイスが出せないようです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

20210328

没落を食い止める! 20: 日本だけが没落せざるを得ない要因 1

  


*1

 

これまで、先進国衰退する要因を見て来ました。

これから没落を早める日本固有の要因を見て行きます。

私達はこの二つの悪弊を取り除かなければならない。

道のりは厳しいが、家族や人々に豊かな日本を残したい。

 

 

* 日本固有の問題とは?

 

現在、多くの欧米先進国が一様に衰退しているのは、新自由主義による経済政策と金融偏重と(放任主義のグローバル化)、そして蘇り肥大化した富裕者による金権政治と言えます。

しかし日本だけがさらに没落を早めているのは、日本固有の要因があるからです。

 

ここで日本と他の先進国を簡単に比べます。

 

日本の格差は先進国でもっとも酷い米英に次いで悪く、近年猛追しています。

日本は失業率こそ低いが、経済成長率は長年最低、累積債務は最悪です。

国民の大半の所得減り続け、多い自殺者が不景気時にさらに増える。

良いのは治安と長寿命でしょうか。

かつて先進国の評価基準である多くの経済・社会指標ランキングで日本は20位以内もあったが、とうの昔に多くが30位を越え150以下もある(幸福度、ジェンダー、政治腐敗、報道の自由度など)

 

日本固有の悪化要因は、政治経済だけでなく文化まで多岐にわたります。

なぜこんな国になってしまったのか?

それは大陸に近い島国と最古層農耕文化(エマニュエル・トッドが指摘)、さらには敗戦後に米軍に占領されたことが大きい。

もっとも現在、悪化を押し進めているのは自民党と鉄のトライアングル(政官財)ですが。

 

口惜しいのは、敗戦後国民の努力が実った時代あったにも関わらず、国民自ら没落の道を選んでしまったことです。

 

 

* ここで日本の没落を実感してもらいます。

 

私が推測するに、日本固有の問題に起因する経済損失は年間10~20兆円だろう(直感)

大したことないじゃないか!

高々、GDP550兆円の1.8~3.6%に過ぎないと思われるかもしれない。

 

それでは下のグラフを見て頂きたい。

 

 

 

 

https://toyokeizai.net/articles/-/269822?page=3

 

このグラフは両国を1990年時点で100として重ねたものです。

もし日本が1990年以降もアメリカと同じだけ成長していれば、2018年で今よりGDPは1.55倍、550兆円が850兆円になっていたことになる。

この差は28年間、日本の成長率が米国より1.6%低いだけで生じていた。

 

つまり、年強(10兆円強)でも恒常的に経済を悪化せる要因があれば、致命傷のです。

 

 

* ここで質問です。

 

経済成長を左右する最も重要な要因は何だと思いますか?

 

国民や企業の意欲

政府の政策(国の経済システム)

世界の状況

 

答えは簡単ではありませんが、多くの文明や国が衰退する時、ある共通のパターンがありました。

それは経済システムが機能不全に陥っていたことです。

これは同じ文化を持民族でありながら分割された(米国アリゾナ州とメキシコに分割された都市ノガレス、朝鮮半島など)を比較することで明確になっている(「国家はなぜ衰退するのか上・下」参考)

 

要は、主に政治腐敗などにより、通常の製造や販売以外の違法な行為で暴利を貪ることが横行し、やがて人々は経済活動への意欲を無くしてしまったからです。

例を挙げれば、賄賂で国から専売権を得て、暴利を貪るようなことです(歴史上限りない)。

また企業団体が、自らの生産性向上を放棄し、議会を動かし他国の最新技術の国内流入を阻止するなどです(19世紀の英国)。

要は金・軍事・政治力を持つ者が、互いの利の為に権力者と結託して、社会経済を歪め、腐敗させていくのです。

当然、人々はまともな創意工夫などしなくなり、悪事と格差が蔓延し、遂には没落します。

 

つまり、今の日本の没落は腐敗した政府の政策が悪く、国民や企業が意欲を無くした状態と言えます。

敗戦後の一時期は互いに好影響を与えあったのでが。

さらに世界の状況も悪いと言えます。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

20210327

没落を食い止める! 19: 誰がこんな世界にしたのか 5: 国民が貧乏くじを引いた!

  








*1

 

 

没落は1980年代から始まった事、それを仕掛けた人々の動機も確認しました。

しかし没落を進めた政権を選んだのは国民でした。

残念ながら、このような事は幾度も繰り返され、今、さらなる危機が迫っている。

このことを見ておきます。

 

 

* 米英日のレーガン、サッチャー、中曽根政権誕生の背景

 

米英のレーガンとサッチャーには共通する点がある。

二人はスターウォーズ計画やフォークランド紛争で保守・右派として面目躍如を果たした。

この二人は、大戦の実戦経験がなく、野党からの政権交代を成し遂げていた。

 

一方、中曽根は大戦経験最後の首相でした。

(海軍経理として戦地で輸送に関わっていた)。

自民党は長期政権なので政権交代はなかったが、彼は一線を画した。

国土防衛では一歩踏み込んで米国との関係を良好にし、さらに原子力活用に舵を切った(よく言えば先進的、悪く言えば米国追従)。

 

(私は中曽根の視野狭窄に失望した。当時、日本の太陽電池産業は世界に先駆けて勃興し始めていた。ローマクラブの警鐘もありグリーンエネルギーへの以降は必至でした。しかし彼はこれを葬り去り、甚大な被害を生む原発に舵を切った)

 

この時代、国民の多くは戦争とは無縁になっていた。

戦前の激しい労働運動を知り、戦争の悲惨さを知った人々は、そろそろ現役を引退し始めていた。

戦後の人々は、努力が報われる時代に生きていた。

 

そんな中、国を没落に向かわせる政策とはつゆ知らず、国民は勇猛で甘い言葉につられて大転換を受け入れてしまった。

 

 

* なぜ人々は、無謀とも言える大転換を受け入れたのか?

 

これはスタグフレーション(不景気とインフレの同時進行)が労働者の賃上げにあると喧伝され、国民が信じたのが大きい(実際は原油高騰)。

 

確かにスト頻発、合理化反対、大労組組合員の怠慢などの問題があり、是正すべき点はあった。

しかし賃金上昇は景気後退の主因どころか、経済発展に欠かせないものでした。

 

国民が受け入れた背景には、保守(経済界)と革新(労働界)、タカ派とハト派の対立に煽られてしまったことが大きい。

 

米英は既に経済に陰りが見えていたので、日独に対して逆転を目指す必要があった。

それに加え強国再帰へのタカ派的な訴えは平和慣れしていたことで、甘美に捉えらた。

 

一方、日本は経済発展中だったので、転換の必要は無かったが、米国に追従せざるを得なかった(要求に逆らえず真似しかできない)。

 

 

ここで扇動に振り回されて来た米国を概観します。

 

 

 

*2

 

* 米国に見る、煽りと分断の歴史

 

最初に扇動した人物は共和党上院議員マッカーシーでした。

彼は1948年頃より、共産党シンパの排除を始め、一大センセーションを巻き起こした。

その魔の手は政府・軍部内から映画界にまで及び、多くの人が職場から一掃された。

彼の強硬な姿勢は国民(保守層・保守的キリスト教徒)から絶大な支持を得て、レーガンもこれに加担して人気を博した。

 

しかし、やがて手法が違法で民主主義を破壊するものとして批判され、数年で終焉を迎えた。

 

 

 

*3

 

1972年、ニクソン共和党大統領によるウォーターゲート事件が起きる。

これは政敵である民主党本部への盗聴をホワイトハウスが命じたものでした。

 

 

次いで、後に下院議長となる共和党のギングリッチが出現した。

彼は南部の下院議員で、レーガン政権後沈滞していた共和党の再建に取り組んだ。

1994年、彼の活躍で、共和党は中間選挙で大勝し、上院と下院で多数党となった。

彼は保守政界のキーパーソンになっていた。

 

彼の選挙戦略はそれまでとは一線を画したものだった。

彼は政治を戦争と訴え、絶大な人気を得て、共和党執行部も戦闘態勢に入っていた。

 

民主党のある議員は彼をこう評した。

「彼はアメリカ政治を『たとえ意見が一致しなくとも相手を尊重する』というものから、『反対者を不道徳な悪人として扱う』ものに変えた。」

 

この後、民主党も対決姿勢を強め、憲法違反裁判、最高裁人事、弾劾裁判、選挙区変更などで互いに自党を有利に導く争いに陥っていくことになる。

 

さらに折からの規制緩和が扇動を致命的にした。

政治献金の自由化(無制限)は選挙を富裕層に有利した(合憲との判決)。

また「報道の公正」の規制解除が、偏向し扇動するメディアを勢い付けた

FOXニュースなど)。

こうして政党への信頼が低下する一方、多くの人々が扇動されることになった。

 

 

 

< 4.トランプとギングリッチ >

 

こうした中、希代のアジテーター、フェイク男、トランプの誕生となった。

彼は2017年、大統領を去る事になったが、彼を待望する人は依然多い。

 

既に政治は正義や科学的な論理とは無縁になりつつある。

(正義は、法の理念であり人類社会が培って来たものです)

そこには、両者が話し合い、政策を調整し、協力し合う姿はない。

あるのは敵か味方の区別だけであり、一度どちらかに着くと、破局まで突き進む。

 

実は、これは第二次世界大戦前のドイツや日本で起きた事であり、現代の日本にも当てはまる。

私はキナ臭いものを感じてしまう。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

20210325

没落を食い止める! 18: 誰がこんな世界にしたのか 4: 誰が得をしたのか?

  


*1

 

前回、1980年以前は、

米英日の労働者にとって夢に近づいた時代でした

それでは大転換で誰が得をしたのか?

彼らこそが今も没落に拍車をかけている。

 

 

* 憤慨した勢力は立ち上がった

 

彼らとは、半世紀前までは順風満帆だった富裕層や企業家、投資家でした。

俗に不労所得を得ていた人々です。

 

かつて投機に対する規制は緩かったが、世界大恐慌以降、規制は強化され、投機家の旨味は減っていた。

さらに二度の大戦は富裕層への累進税や相続税を著しく高めていた。

また企業家は、労働者や農民の権利要求と賃金上昇に頭を痛めていた。

 

そこに高インフレが10年以上も続き、富裕層の莫大な資産が見る見るうちに目減りして行った。

例えば、インフレ率10%が20年続くと現金1000万円は120万円に目減りするので、資産家は背筋が寒くなったことでしょう。

 

そこで一大キャンペーンが張られた。

「労働者の賃上げが、インフレを招き、国民の暮らしを圧迫している」と。

 

一方、大多数の国民(労働者)はどうだったのだろうか?

当時、概ね賃金はインフレ率以上に上昇していた。

例えば、持ち家を建てる場合、インフレによる高金利で借金しても、持ち家の価値が上がり、返済額もインフレで目減りしていくので、遅れて買うより早く買う方が得策でした。

当時、労働者の給与は上がり続け預金金利も高かったが、現在は給与は下がり続け預金は零金利でまったく増えない、まったく上手く出来ている。もっともインフレで実質増加はそれほではなかったが、今よりは良かった。

 

こうして経済成長は続いていた。

最後にはスタグフレーション(不景気とインフレ)が起きたが、いまのデフレ時代を長く経験すると当時が懐かしい。

 

当時、政府と経済界はしきりにインフレが悪夢だと喧伝しており、私も不景気を意味するデフレの方が良いのではと思うことがあった。

ところがアベノミクスではインフレが待望され、リフレ派はかつての好況を夢見たが、賃金低下をまったく無視していたので完全に失敗した。

如何にも間が抜けていて、天才と馬鹿は紙一重の好例です。

 

とにかく、憤慨し立ち上がった人々の狙いは、不労所得の減少を食い止め、かつてのように資本が資本を生み出す時代に戻すことだった。

 

しかし、これだけではなかった。

その後、富裕層が富を集中させるに伴い政治は国民から乖離して行った。

そして格差拡大と成長の長期減退が始まった。

さらに金融危機が繰り返すようになった。

 

これらの結果を、当時のトップや勢力が望んだと思わないが、今は既得権益を手放したくないので、国民を洗脳し逃げ切りに必至です。

国民が気付くまでは・・・。

 

 

* データーで大転換の実態を見る

 

 

 

< 2.所得格差の推移 >

 

赤矢印は大転換政策の時期を示す。

各国の上位1%、10%の所得階層の所得が全体に占める割合を示す。

すべて同じ1980年代より、上位階層の所得が急激に増加し、今も続いている。

 

上図: 大転換政策を率先した米英日で格差が拡大している。

 

下図: 米英では上位1%の所得上昇がさらに激しく、格差は歴然だ。

それに比べると北欧やフランスは格差を抑えている。

 

 

 

< 3. 最高所得税率の推移 >

 

青線はF.ルーズベルト、赤線はサッチャー政権の時期です。

米国と英国の税率の上下と、図2の格差の上下が逆向きに対応しているのがよくわかる。

 

 

 

< 4. イギリスと世界の資本の役割 >

 

ピケティ著「21世紀の資本」より借用。

赤矢印の濃い赤がサッチャー政権。

サッチャー登場の半世紀前は、世界的に労働運動が盛んで、

労働所得は上昇し、資本所得(不労所得)は減り続けていた。

 

上図: イギリスでもその傾向は歴然としている。

 

下図: しかし、サッチャーらが大転換政策を実施すると、資本所得の収益率が増え、それまで上昇していた成長率が逆に下がった。

 

 

これこそが大転換の狙いであり結果だったのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

20210324

没落を食い止める! 17: 誰がこんな世界にしたのか 3: なぜ米英は大転換しなければならなかったのか?

  

 

*1

 

前回、1980年代、米英日何が起きたかを見ました。

しかし疑問が残る。

なぜこれらの国は大転換を行わなければならなかったのか?

この狙いから没落の本質が見えて来る。

 

 

* 大転換の前は国民には最良だったが

 

労働者にとって天国は経済界と富裕者にとっては地獄だった。

このことが大転換に向かわせるのですが、この背景の説明には、半世紀ほど時代を遡らなければならない。

 

20世紀初頭、米国とドイツは急速に経済を発展させていた。

さらに第一次世界大戦の軍需特需が米国経済を押し上げた。

産業構造の変化と大戦が、先進国の労働者(男女共)に権利意識を目覚めさせた。

そして労働者の権利向上と賃金上昇が進み、人類始まって以来の平等へと近づくことになる。

 

そして1929年、過度な投資ブームから米国発の大恐慌が発生した。

経済を立て直す為に、F.ルーズベルト大統領(民主党、1933/3-1945/4)がニューディール政策を行った。

この政策のポイントは大規模な公共投資と労働者の賃金上昇を図ったことでした。

経済は上向き始め、後半は第二次世界大戦の軍需特需で好況となった。

彼の人気は絶大で、大統領を13年も勤めた。

これが他の先進国にも広がり、労働者の権利と賃金が改善されていった。

 

彼は反対勢力に対しては大統領権限で強引に事を進めた。

反対勢力とは、企業家や富裕層を代弁する共和党と南部の上流階級です。

なぜなら、労働者や農民が日に日に力を付け、特権的な領域(不労所得)を浸食していたからでした。

そこで、彼らは金にあかして反ニューディールキャンペーンを徹底的に行った(研究所や学者を使い今も継続中)。

それでも功を奏せず、F.ルーズベルトの急死まで待つしかなかった。

 

第二次大戦後20年も経ずして世界に驚きが走った。

それは敗戦国の日本とドイツの急回復でした。

一方、米国はベトナムや中東の戦争に深入りし、経済は弱体化(空洞化)し、財政と貿易の双子の赤字に苦しみ、金兌換停止とドル安を求めることになる(このニクソンショックとプラザ合意は日本に痛手)。

既に英国は19世紀末には没落していた。

 

これらが大転換前の趨勢でしたが、さらに激震が襲います。

 

前述の労働者の賃上げ攻勢で定常的なインフレが起きていた。

そこに突如、石油価格の暴騰が加わり、世界は猛烈なインフレに晒された。

この巨大インフレは、戦争を拡大させる米国への抗議の為に中東産油国が一致団結した結果でした。

 

 

 

< 2. 歴史上初めて格差が大幅に減少していた >

 

大戦前、英米のトップ10%の所得シェアが全所得の45%を占める時代だったが、この時代30%へと落ちていた。

つまり格差が人類史上初めて大幅に減少したのです。

 

 

* まとめ

 

1960〜70年代は先進国の労働者にとって夢と希望が実現して行く時代でした。

特に、戦後復興を成し遂げた日本には最良でした。

一方、放漫経営が祟った米英は衰退を感じていた。

特に、英米の富裕層・保守層にとっては、旨味が減り続ける中での巨大インフレ到来が、絶対の窮地となった。

この事が彼らに牙をむかせることになった。

 

 

* データーで当時の状況を説明します

 

 

< 3. 世界各国のインフレ率の推移 >

https://chem.libretexts.org/Courses/Lumen_Learning/Book%3A_Principles_of_Macroeconomics_(Lumen)/07%3A_Module_5%3A_Measuring_the_Price_Level_and_Inflation/07.4%3A_Inflation

 

赤矢印が中曽根政権期。

第一次オイルショックが1973年に起き、凄いインフレが日本と英国を襲った(年率20%越え)

これは、米国らが中東戦争に介入した為に起きた。

中東産油国はイスラエルを支援する米国らへの経済制裁として、初めて団結し(OPEC、石油価格の上昇を図った(米国は巨額の兵器援助を行っていた)。

これが現在まで続き、当時、原油1バレル3ドルは、今や140~50ドルになった。

米国は産油国だったのでインフレの影響は軽微だった。

しかし以後、米国は世界の石油支配(メジャー)から手を引かざるをえなくなった。

1979年に第二次がまた起きた。

 

 

 

 

< 4. 日本の勤労世帯の実収入の推移 >

https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20190305-00116564/

 

赤矢印が中曽根政権、黒矢印がそれ以前を示す。

黒矢印の時代が、如何に国民、勤労世帯にとって給与が上昇し続ける夢の時代であったかは一目瞭然です。

つまり大転換は不要だった。

 

 

 

 

 

< 5.日本の失業率推移 >

https://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/12/dl/h1216-2d1.pdf

赤矢印が中曽根政権期。

彼の政権期でも失業率が漸次上昇し、その後バブルで急降下したが、バブル崩壊で、失業率はより激しく急増した。

元の木阿弥どころではない。

 

 

 

< 6. 日本の住宅建築数 >

 

中曽根政権の前まで、住宅建築数は増加傾向にあった。

しかし減速し始め、バブル崩壊と共に持ち家の夢は潰えた。

 

最悪のバブル崩壊はなぜ起きたのか?

この大きなバブルは日本だけに起き、かつ中曽根内閣(82-87年)に起因していた。

事の発端は、85年のプラザ合意(中曽根政権)が円高が不況をもたらし、その対策に政府・日本銀行の金融・財政政策による内需拡大と称した巨大な景気刺激策がバブルをもたらした。

(すべてレーガン政権による強い圧力による。レーガンと中曽根の親密さをロン・ヤス関係と日本は湧いたが、実態は従属に過ぎない)

 

これが後に30年以上、現在までのデフレの元を作った。

 

 

 

< 7. 「暮らし向き」について、日本の世帯主の世論調査 >

 

グラフの「中の中」が37から60%に拡大しており、国民の中流意識が向上している、つまり豊かさを実感していた。

インフレが定常化し、1973年に巨大インフレも起きているが、中曽根政権誕生前(1982年-)の日本は、如何に国民にとって希望のある社会だったかがわかる。

 

 

次回に続きます。