20180825

北欧3ヵ国を訪ねて 22: エルブシェÄlvsjöに泊まって





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今回は、ストックホルム郊外、エルブシェの駅とホテルを紹介します。
私はここに3泊し、観光の拠点にしました。
思ったより便利で良かったです。



 
< 2. Älvsjöの駅とホテル、上が北 >

上の地図: Älvsjöとストックホルムシティ間の電車のルート。
この間の距離は約9kmほどあるのですが、停車駅は3ヵ所で9分で着きます。
またこの間の本数は多く、概ね4~6分間隔で発車しています。
この路線は交通の拠点ストックホルムシティに出る場合や南北を縦断移動するのに便利です。
またÄlvsjö駅から各方面へのバスが出ています。

さらにHotel Älvsjöは駅から200mの距離なので、ストックホルム中央駅周辺の高額なホテルよりもよほど便利で、しかも半値近くで泊まれます。


下の衛星写真: Älvsjöの駅とホテルを示す。
赤印はホテル、緑印は駅、オレンジ印は大型スーパーです。
スーパーは駅から600mです。




 
< 3. Hotel Älvsjö >

駅を北側に出るとすぐ広場があり、その向こうにホテルと表示された建物が見えました。
しかしここからが問題でした。

ホテルの看板の下、1階の扉の前に来たのですが、これが開かないのです。
するとちょうど中から一人の男が出てきて、私に入るように促して、彼は出て行きました。
そこからエレベーターでフロント階に行きました。
後はスムーズにチェックイン出来ました。

結局、このホテルでは、建物に入るのに暗唱番号を事前に知っているか、インターホンで扉のオープンを依頼することが必要だったのです。
私はまったくこのことを知りませんでした。
偶然に助けられました。


 
< 4. ホテルの室内 >

このホテルは低価格のビジネス用らしく、海外からの旅行客は少ないようです。
とは言っても、私には朝食、清潔さ、バス(シャワー)、部屋の広さ、フロントの対応、どれをとっても満足出来ました。
私は利用しなかったが手荷物預かりをしていました。
スマートさはないが、気さくな感じが良かった。


このホテルで中国系の母と娘の旅行客を見かけた。
今回の観光地で、アジア系の観光客では圧倒的に中国系を多く見た。
それも団体から数人までと楽しみ方に幅があり、意欲を感じた。
一方、日本人は少なく、また団体だけでした。


 
< 5. ホテル周辺 >

上の写真: 駅前から広場越しにホテル側を望む。

下の写真: ホテルの部屋の窓から外を見た。
撮影は2018年6月2日、20:46です。
まだ陽は沈んでいません。


 
< 6. 駅前広場 >

上の写真: ホテル側から駅前広場を望む。
毎朝、広場に一張りのテントで野菜と果物の露店売りが行われていた。

下の写真: 広場に面した駅の入り口。


 
< 7. 駅構内に入る >


上の写真: 広場に面した入り口を入り、エスカレーターを上がったところ。
この下にコンビニがあり、私は毎日のようにここで飲料や軽食を買った。

下の写真: エスカレーターの方を振り返っている。
ここはホームを横断する陸橋になっている。
右側は歩行者用の通路です。
左側は自転車用の通路で、この先が緩やかな自転車用のスロープになっており、自転車に乗ったまま駅を越えて反対側に行くことが出来ます。



 
< 8. 改札口 >

上の写真: 陸橋の南側を見る。
この陸橋を真直ぐ抜けると、駅の反対側に出て、大きな公共の建物やスーパーなどに行くことが出来る。
中央左に改札口があり、ここにもコンビニとコーヒーショップがある。


 
< 9. ホーム 1 >

Hissはエレベーターを示す。

 
< 10. ホーム 2 >

 
< 11. 電車からの眺め >

周囲の多くは乾燥した起伏のある大地と林なのですが、住宅街や工場が広がっています。



 
< 12. 大型スーパー >

上の写真: この道の先に駅があり、逆に行くとスーパーがある。

下の写真: 大型スーパーWillysはチェーン店で、かなり大きい。
中にサンドイッチのようなものを売る店舗はあるがレストランは無かったように思う。



 
< 13. 駅前広場のトイレ >

この写真のトイレは使用していないのですが。コインとカードの両方が使えるようです。

今回の北欧旅行に先立ち、私の大きな不安にロッカーとトイレがありました。
かなり事前に調べました。
結局、外出中、ほとんどのトイレは博物館などの見学する公共施設内(無料、きれい)を使用し、駅では使用しなかった。
一度だけ、オスロの公園墓地でこの写真のようなトイレを使いました。



次回に続きます。





20180822

連載中 何か変ですよ 201: 暴露本「炎と怒り」の紹介 2: 大統領選



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今回は、「炎と怒り」の「大統領選当日」p28-p43を紹介します。
この章ではトランプと陣営の不可解な行動、大統領選出馬の理由が暴露されています。
種明かしを聞いてしまえば、彼らの破れかぶれの言動が理解できます。


 
< 2. 醜聞の末路、フェイクニュースの虚実 >

上の写真: トランプ米大統領の元個人弁護士、マイケル・コーエン氏。
8月21日、トランプ氏の愛人だったとされる女性への口止め料を支払ったことに関連し、選挙資金法違反などの罪を認めた。

下の写真: 右端が米大統領選でトランプの選挙対策本部長を2カ月間務めたマナフォート被告。
彼も8月21日、脱税や銀行詐欺容疑で有罪判決を受けた。



* 大統領選当日のトランプ陣営の憂鬱

トランプは大方の予想を次々に覆し、選挙選を勝ち抜き、遂には勝利した。

なぜトランプは勝てたのだろうか?
右翼や保守のニュースサイトが全面的にトランプを支援したからか。
格差拡大で不満を募らせた中間層(白人労働者)が、右翼が煽る「分断された社会」(ヘイトスピーチ)に乗せられ、単純明快な排除論に解決を求めたからか。
はたまた保守を自認する人々が共和党の隆盛を願ってか。

かくも激しい熱情に支えられた選挙選だったが、当のトランプ陣営は激しく敵を罵るわりには冷めていた感があった。

トランプには数多くのセックススキャンダル―ロシアでの放尿プレイ、「スターなら女性に何でもできる」のビデオ公表、数多くの女性からのセクハラ訴え、がありながら結局は乗り越えて来た。

またトランプとクシュナーは親子代々の不動産業で数々の醜聞と悪行を重ねており、叩けば埃が出る素性で、とても大統領選を清廉潔白で逃げ切ることが出来なかったはずだが、これも切り抜けた。

しかも彼は選挙戦への自己資金注入を抑え、納付税の公表も逃げ切った。

正に、これは捨て身の戦法!
絶対に勝利するための立候補と言うよりも、僅差で負けたと言う名誉を得ることこそ選挙戦の価値があったのだろう。

したがって、どうせ負けるなら後々の被害(出費、情報開示)を抑えるべきだと。


 
< 3. 相関図 >

次回に続きます。




20180821

北欧3ヵ国を訪ねて 21: 歴史博物館へ






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今回は、ストックホルム中心部にある歴史博物館を紹介します。
その前後に歩いた街の様子も紹介します。
写真撮影は、2018年6月1日(金)14:15~17:30です。




 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上の衛星写真: ストックホルム中心部を示す。
下側中央に川に浮かぶ小さな島ガムラ・スタンが見える。
赤い矢印がストックホルム中央駅です。
黄色い矢印が前回紹介した地下鉄のUniversitetet駅です。

SがT14地下鉄のÖstermalmstorg駅で、Universitetet駅から直通でここまで来ました。
ここからSwedish History Museumへ歩いて行き、見学後、二つの公園を見ながらEまで行き、この日の観光を終えました。

下の衛星写真: 散策ルートの拡大。


 
< 3. 地下鉄Universitetet駅 >

ストックホルム全体が大きな岩盤で覆われている為、地下鉄は深い。
郊外に行っても大きな岩盤が至る所に見られる。
どこの地下鉄駅もけばけばしなく清潔で、それぞれが洗練されたアート空間になっている。



 
< 4.地下鉄Östermalmstorg駅へ >

上の写真: Universitetet駅。

ここでもやはり移民の多さが目についた。
しかし車内での非ヨーロッパ系人のマナーや服装から受ける印象では、多くは来たばかりの移民では無いようです。

北欧では母だけに育児を押し付けない社会(男女共の長期育児休暇など)になっており、スウェーデンの出生率は日本の1・43より高い1.94になっている。
これでも高齢化と人口減少はわずかに進むことになる。
これを入国移民でカバーし、人口増加率約1%を確保し、若年層が細らない人口ピラミッドの形を維持している。

移民の状況について。
現在、スウェーデンの入国移民の割合は全人口の20%で、2006年頃から毎年の入国者数は10~15万人(1~1.5%増)で、以前の5万人に比べ拡大傾向が続いている。
逆に毎年5万人の出国移民が続いている。
入国移民の理由は労働移民21%、次いで家族の再開20%、EU圏内から18%、学生14%、難民12%です(2010年)。
スウェーデンの入国移民は、ほとんどがストックホルムを含むスウェーデン南部の都市部に集中している。
入国移民の上位はフィンランド、イラク、ポーランド、イラン、旧ユーゴスラビア、シリアです。
(移民のカウントは本人と両親が外国生まれの場合です)

下の写真: Östermalmstorg駅を出たところ。


 
< 5. 歴史博物館に向かう >

上の写真: 最初、川の方に向かって南下した。
通りの向こうに川面が見え、突き当りまで行くと左手に立派な王立劇場が見える。
途中、立派な教会Hedvig Eleonora Churchと武器博物館の横を通って行きました。


下の写真: 歴史博物館に隣接するSwedish National Heritage Board
これは国家遺産を管理する事務所のようです。




 
< 6. 歴史博物館 >

上の写真: Swedish National Heritage Boardの正面玄関から南側の通りを望む。
突き当りまで行くと川向こうにユールゴーデン島が見えるはずです。

下の写真:  右側に歴史博物館の小さな玄関が見える。
あまりにも飾り気のない建物で、少しびっくりした。

Swedish History Museum http://historiska.se/home/
開館は6~8月で毎日10:00~17:00です。
無料です。

北欧の美術館や博物館は開館時間が遅く、終わるのが早い。
またシーズンオフではさらに時間が短く、休みも多くなる。
旅行計画には注意が必要です。

この後、多くの博物館に行きましたが、入館前、多くは手荷物をロッカーに預けなければなりません。
その方法は電子式が多く、使い方に慣れていないので慌てることになりました。
結局はトラブル無しに無事済ませましたが。


この博物館の展示をすべて見て回りましたが、ここでは特に興味を惹かれたものだけを紹介します。






 
< 7.歴史博物館の展示 >
全て歴史博物館HPの写真を借用。

上のフロア図は1階(ground floor)を示し、紫色部分がヴァイキングの展示スペースです。
赤い矢印が玄関です。

その下の写真がヴァイキング展示の入り口付近です。
ヴァイキング達が暖かそうな服を着、鎖帷子を身に着けていたことを知りました。

その下のフロア図は2階(1st floor)を示し、オレンジ色部分が「中世の虐殺」の展示です。
その下の写真がこの展示の一つです。

「中世の虐殺」は新たな歴史的興味を起こさせてくれた。
ここではバルト海に浮かぶゴットランド島(gotland)で起きた14世紀の戦争を紹介していました。

この島は古くからヴァイキングで栄え、後もバルト海交易の要衝となっていた。
デンマーク国王が帝国拡大を目指し、侵攻したのがこの島だった。
この戦いで中心地の城塞ヴィスビーは陥落し殺戮と略奪が行われた。
ここを重要な貿易拠点としていたハンザ同盟は各都市から艦隊を集めてデンマーク攻撃を敢行し勝利した。

この島には北ドイツ(リューベックが中心になって港湾都市の連合体ハンザ同盟を作った)と北欧がバルト海の交易を巡って覇権を争った歴史があった。


フロアの緑色部分が「11世紀からのスウェーデンの歴史」の展示です。

「11世紀からのスウェーデンの歴史」は少ない展示ではあるが、初期王朝から年代順に展示されており変化がわかりやすい。


 
< 8. 金の展示 >
上二つは歴史博物館HPの写真を借用。

上のフロア図は地下1階の「金の部屋」を示す。
その下は5世紀の金装飾品を示す。

三ヵ国の博物館を巡って驚いたのは、ヴァイキング時代には西アジアや西欧から金(硬貨など)を大量に集め、豪華な金製宝飾品を所有していたことです。
これらの入手は略奪、身代金、または交易によるものだろう。
また金の所有目的は通貨か、奢侈品か、はたまた贈与の為なのだろうか。

このような金製宝飾品がまばゆく輝く状況を想像できなかった。

下の写真: メラーレン湖の島にあったヴァイキング拠点ビルカのジオラマ。
ビルカは8~10世紀に栄え、スウェーデンではゴールデン島と並ぶ、最古層の拠点としで、人口は最大1000人ぐらいだった。







 
< 9. 歴史博物館の中庭 >

上の写真: ヴァイキング船の模型。
ヴァイキングが遠征活動を活発化させるのは写真のような帆柱を立てることが出来てからです。


全体の感想。
多くの展示室の照明が非常に暗く、写真撮影に困った。
あまり展示品が豊富ではないように思う。
展示の仕方に工夫があり、歴史を知るには良い博物館です。



 
< 10.Karlaplan公園 >

歴史博物館近くの円形の公園です。
17:00頃です。
ベンチはほぼ埋まっており、多くは中年以上のカップルが多かったように思う。


 
< 11. フムレ公園、Humlegården >

中心部の公園としては最大のようです。
ここは元々王家のフルーツガーデンで、名前の由来はビ―ルに使うホップから来ています。
ここには王立図書館と植物学者リンネの像があります。

たくさんの市民が木陰の芝生に座り、談笑し寛いでいる姿を見ました。
長辺400mmと敷地が巨大なので、ゆったりとしています。



 
< 12. 市場、 Östermalms Saluhall >

上の写真: 楽しみにしていた市場です。
中には魚介、肉などの食品店やレストランがたくさん並んでいます。

下の写真: 市場の前の通りは人で溢れつつありました。

この日は疲れたので、他の観光を断念し、同じ地下鉄駅から中央駅に出て、駅のロッカーで荷物を出し、次のホテルに向かいました。



* 街を歩いて感じたこと

首都の中心部なのに車が少なく、その分自転車が多いように思った。

お年寄り、特に高齢(70~80歳ほど)の女性がおしゃれをしてかくしゃくとして歩いている姿が目についた(数は少ないが)。
車椅子や杖を使う老人や、娘などの付き添いを伴う姿をほとんど見なかった。
何か日本と違う気がした。



次回に続きます。



20180819

連載中 何か変ですよ 200: 暴露本「炎と怒り」の紹介 1: はじめに

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これからトランプ政権の内幕、ドタバタを暴いたベストセラー(米国で140万部)を紹介します。
この本を読んでいると、まるでホワイトハウス内を自由に覗いているような錯覚に陥ります。
実に面白いのですが、一方で今世界が民主主義崩壊の危機に晒されている恐怖を味わうことになるでしょう。



 
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* はじめに

私はこれまで米国政治の内幕本としては、元財務長官ポール・オニール、ベトナム戦争に関わった元国防長官マクナマラや元国防総省局員エルズバーグ、元CIA局員スノーデンのものを読みました。
これらは米政府の腐敗、暴挙、衰退、意思決定のお粗末さを見事に描いていました。

しかし、「炎と怒り」はこれらと大きく異なるものです。

一つには、もの凄く臨場感があります。

ホワイトハウスの中枢とそれに関わるエスタブリッシュメントの群像劇を舞台の上で見ているような気持ちになります。
繰り返し名前が出てくる人物は50名を超えるでしょうか。
残念ながら、これが読みづらくしているのですが。


さらに臨場感を盛り上げているのは、200名を超えるインタビューを基に著者が主要人物の気持ちを代弁して直接間接に状況を語らせていることです。
これは、この本の信憑性を貶めているとも言えるのですが、一方でホワイトハウス内のパワーバランスや混乱を理解するのを助けてくれます。

二つには、絶望の書だと言うことです。

既述の本も、読めば怒りと失望感に苛まれるのですが、「炎と怒り」は別格です。
前者は一応、賢者たるホワイトハウスの中枢達(大統領と周辺)の集団による暴走か判断ミス、またはそれまでの惰性から抜け出せなかった悲劇とも解釈出来ました。
それは一時の混乱や徐々に進む悪化なのだから、次の機会には脱却が可能だと希望を持つことも微かに可能でした。

しかし、ドナルド・トランプを巡るドタバタ劇は深刻さが格段に違います。

一言で云えば、無知な一人の悪戯小僧が国家の中枢で好き勝手に振る舞い、さらに彼を利用し、操り続けたい人々が、彼の愚かさをひた隠しにし、祀り上げ続けていることです。
操ろうとする人々とは、過激思想家(極右)や政治素人の親族、エスタブリッシュメント(大富豪、メディア、共和党など)です。

不思議なことに、選挙ではエスタブリッシュメントの排除を望む声が強かったはずです。
極右の過激な言説(分断と敵視)が国民の不満を煽り、共感を呼ぶことにより予想外の大成果を得て誕生した政権は結局、政治の破綻を招くことになりそうです。
これと似た状況(ファシズム)はかつて世界、日本でもありました。

加えて恐ろしいことは、この惨事は米国に留まらないことです。
西欧のポピュリズム政党の台頭に始まり、ロシアや中国の独裁化、日本やトルコの右傾化は、今や世界の流れです。
トランプ大統領誕生の最大の功労者バノンはこれを時機到来と見なし、世界に極右の結束を促している。

これが私の感想です。



* この連載で紹介したいこと

この本は素晴らしいのですが、大きな欠点があります。
それは登場人物が多すぎることです。

それで私は、皆様がこの本を読むのに役立つよう、登場人物の人物相関図を作るつもりです。
章ごとに作ることを予定しています。


* 今回の紹介

「プロローグ--- エイルズとバノン」p15~p27の要約です。

二人の会話を通じて、トランプの大統領就任間際の内情が見えて来ます。
この会話からトランプに近い右翼の言論を牽引する二人がトランプや政策をどう見ているかがわかります。



 
< 3. 相関図 >


 
< 4. 図に使用している矢印 >


次回に続きます。