20170626

フランスを巡って 18: リヨンからボーヌまでの景色



*1



今日は、車窓からのブルゴーニュ、リヨンからボーヌまでの景色を紹介します。
この日も快晴でした。


写真について
紹介する写真は、旅行5日目、5月21日(日)、6:20~10:30に撮ってものです。
最初にリヨン郊外のホテル「ベスト・ウエスタン サフィール」付近を早朝散策した時のものです。
次いで私達のバスがホテルを8:30に出発してから、10:30頃にボーヌの中心部に入るまでのもので、すべて車窓からの撮影です。

この日、私のバスの席は、前から2列目左側なので、写真は進行方向前方か左側(西側)のみです。
実は、下の地図を見ればわかるのですが、進行方向右側(東側)の方が広い野が広がっています。
またソーヌ川も私達が走る高速道路の右側(東側)を流れています。



 

< 2. 地図、共に上が真北です >

左の写真: ボーヌはブルゴーニュの中心に近く、またフランス南北の中ほどに位置します。
ブルゴーニュから南北に流れる川を行くと、イギリス海峡と地中海に達します。
北へはヨンヌ川からセーヌ川に入り、パリを抜て行きます。
また南へはソーヌ川からローヌ川に入り、リヨン、アヴィニヨン、アルルを抜けて行きます。

右の写真: リヨンからボーヌまでのルートです。
ローヌ川沿いに比べて周囲の山々はかなり低くなってきました。

地図の赤丸は氷河期の「ソリュートレ遺跡」を示す。
最後に紹介します。


 
< 3. 朝の宿泊ホテル周辺 >

朝6時頃から、周辺を散策しました。
周囲は落ち着いた雰囲気の郊外でした。

上の写真: ホテル「ベスト・ウエスタン サフィール」の正面です。
暗くなった10:00頃、歩いたが治安が悪いように思わなかった。
地下鉄駅まで歩いて5分ほどで行けるので市街に行くのに便利だと思う。


 

< 4. さあ出発! >


 
< 5. のどかな景色が続きます 1 >


 
< 6. のどかな景色が続きます 2 >

 

< 7. のどかな景色が続きます 3 >

 
< 8. のどかな景色が続きます 4 >



 
< 9.いよいよ高速道路ともお別れ >

不思議なことに、ワインの産地で有名なのに、ブドウ栽培の光景をほとんど見ることがなかった。
どうやら栽培は平野部ではなく丘陵部の斜面なのだろう。


 

< 10. もうすぐ旧市街に入る >

フランスを走っていて、特に郊外に出てから、写真のようなラウンドアバウト(環状交差点)の機能と景観に惹かれた。

上の写真は、下の写真下部のラウンドアバウトを下から進入する様子を写したものです。

ラウンドアバウトの優れているのは、車は減速するが停止の必要が無いことです。
それ以上に素晴らしいのは、その中央島の景観です。
実に様々な美しい造園がなされており、目を楽しまさせてくれます。


 
< 11. 旧市街が見えて来た >


これで車窓からの写真は終わります。


 
< 12. ソリュートレ遺跡 >


ソリュートレ遺跡について
後から分かったのですが、途中の都市マコンから西側に10kmほど入った所に氷河期の遺跡があります。
この遺跡は2万年から1万7千年前のソリュートレ文化の標準遺跡で、ある意味画期的な遺跡なのです。
それは、この断崖の真下あたりに崖から追落されて捕獲された野生馬の骨が10万頭以上あったからです。
当時の人々が、図のように薄く切れ味の鋭い石器を使い狩りをしていたのです。


車窓からの写真撮影について
私の撮影方法が参考になればと思い記します。

先ず、私がバスの席を選ぶ基準です。
選択の基本は車窓からの撮影が逆光にならないようにすることです。
もしその日の午前中、バスが北に向かうなら、東側からの太陽光を避けて左に座り、西側を撮影します。

但し、1日中の走行とか、途中で走行の方向が変わるとか、曇りがちの場合は、何を重視するかで決めます。
例えば、ランドマークや重視する景観が走行ルートの左右どちらに来るかによって、決めることになる。
ただ、これは障害物やルートが不明なこともあり予想通りにならないことが多いです。

また左側の席には欠点があります。
右側走行の国では、特に高速道路で、左側に数車線の対向車線が視界を埋めてしまいます。

一番重要なのは、車窓からの撮影時に、以下のような遮光幕をカメラに着けることです。
これは自作ですが、かなり写真の無駄が減ります。

また私は百均で買った窓拭きを持って行きます。
これで窓は素早く十分に綺麗になりますが、結構、恥ずかしい。
私の行為を見て、運転者が笑顔で全部の窓を拭いてくれることもあり、これもまた恐縮するのですが。



 
< 13. 車窓からの撮影の道具 >

上三枚の写真が遮光幕です。

左上の写真: 取り付け前の状態で2個の部品からなります。
灰色の幕は百均で買った車用遮光ネットを改良したもので、折りたたむことが出来て、非常にコンパクトで軽い。

右上の写真: 遮光幕取り付け用の部品をカメラに嵌めた状態。
この部品はウレタンゴム板を買い、ナイフでリング状にカットし、マジックテープを縫い付けたものです。
遮光幕取り付けを瞬時に行えます。
これがなくても遮光幕は使えますが、使い難い。

中央の写真: すべてセットしたものです。
窓ガラスに対してカメラは垂直が最良ですが、遮光幕を手で押さえて窓に沿わせるなら、傾けても光が入らない。

下の写真: 百均で買った窓拭き。
組み立て式で、柄が伸びるので背の高い観光バスの撮影箇所を拭くことが出来ます。
大きいが軽いです。


これは運次第なのですが、今回のツアーは40名近い参加なので、走行中にバス内の左右の席移動が困難でした。
これまでのツアーは参加者20数名が続いたので、左右移動が自由で、妻と私が左右に別れて撮影することも出来た。


車窓からの撮影も行えば、それこそ四六時中、観光しているので休む暇はないのですが、その国の自然風土がよく理解出来るので止められません。


次回に続きます。



20170625

何か変ですよ! 59:  惜しい人

  *1


私は今の首相の豪胆さに感服しています。
端的にはアベノミクスと憲法改正です。
ここまでやれる人物は他にいないでしょう。
事の良し悪しは別ですが。


 
*2


まえがき
私はアベノミクスの意気込みを評価します。

成功すれば首相は日本史に燦然と輝いたことでしょう。
それまでの日本の金融トップ官僚、エコノミスト、日銀とは真逆の施策をぶち上げた。
彼は著名なクルーグマンが唱えた政策を即刻2013年から実施した。
狙い通りに行くと、苦労無く莫大な累積債務は消え失せ、経済は復活するのですから、私も成功を願ったものでした。

円安は確かに輸出大手企業を潤してはいるが、いまだに目標インフレ値は達成できず、好況の実感はない。
後5年じっと我慢すれば景気は好転すると信じたいが、当のクルーグマンが2015年秋に異次元緩和は失敗だったと言っている。

もともと、私はすんなりとは行かず、行ってもより大きなバブル崩壊を招くだけだと推測していた。
実際、アベノミクス(リフレ策など)の多くは欧米先進国が既に実施している施策で、その結果、欧米の状況は良くなったと言えるでしょうか。
アベノミクス前の日本の経済状況(失業率など)でも経済成長率を除いて欧米より良かったと言える。
今の状況を見ると、クルーグマンの後の指摘が正しいのでしょう。

それでも私は首相の豪胆さに感心する。
ひょっとすると自信過剰か無鉄砲なだけかもしれないが。
もに一つ気になるのは、せっかく恵まれた家系や政治基盤を持ちながら、従わない人に対して下品なところです。
惜しいような気がする



 
*3

彼の行動パターンに不安がある
国民が望んでもいない憲法改正に、自分の歴史観を前面に押し出し、突き進む姿勢には驚かされます。

これに関連し、憲法改正について御贔屓の読売新聞を読んでくれと国会で答弁する神経は凄い。
正に、お友達(加計学園)や右翼の同志(森友学園)への身びいきは強烈だ。
かつて品格ある首相はたとえ思っていても、ここまで贔屓を露骨に言い募ることは避けるでしょう。
明らかに、これは国のトップが自ら公明正大で無いことを吹聴しているのですから。

もっとも、彼にとっては自分に付き従うものこそが正義であり、反対するものは偏向している悪なのでしょう。
だが、世界の報道マンは読売新聞を、日本の新聞の中でどう評価しているのでしょうか?
決して上位には見られていません。

しかし、ここで一考が必要です。
なぜ現首相は、このようなことが出来るのでしょうか?
よく一強だと言われます。
それはそれで間違いはないのですが。
それは小選挙区制や与党が取り組んできた官邸支配の結果とも言えますが、やはり一番はポピュリズムでしょう。

先の民主党の失敗、長い経済低迷、ころころ変わるトップ、さらに加えて先進国の同様の状況があります。
端的な例は、現首相がポピュリズムの権化トランプ大統領と気が合い、さらに大統領はタカ派ルペン党首と気が合うことで、正に右翼ポピュリズムの大合唱です。

一番のポイントは、現首相が圧倒的な人気を保持していることに尽きる。
人気があれば、与党議員は当然付き従う。
また官僚も民主党のように敵と見なさいのであれば組みやすい。


 
*4

しかし、ここに問題があります
結論から言うと、国民は真実を知ることが出来ずに、国家が暴走することを防げなくなることです。
既にこのことを危惧している方もいるでしょうが、安心している方に何が問題かを示します。

視点は三つあります。
A: 国会審議での政府や官僚の答弁に難点あり。

つまらない森友学園や加計学園の問題です。
日本の国家予算は100兆円ほどあり、この両者による無駄な出費は自治体分を入れても200億円以下でしょう。
首相にすれば、たかだか1/5000のロスに過ぎない。

そんな小さなことでも政府はまともに答弁せず、また官僚も記録が無いとか、全面黒塗りの資料を出す始末です。
つまり、政府や官僚にとって都合の悪い情報は一切出さなくて良いと開き直っている。
特定秘密保護法がこれに加わるのですから鬼に金棒です。
要は、国民が真実を知る権利より、首相の面子が重要なのでしょう。

これがまかり通れば今後、為政者は国民を偽って思いがままに振る舞うことが出来る。


 
*5

B: さらに日本の組織文化が災いを生む。

日本人は村意識が強く、トップや集団の意向に盲従し易い。
俗に言う、忖度や気配りで人は動き、悪く言えば「赤信号、皆で渡れば怖くない」に陥る。
企業で働いた経験のある方は、このことに納得できるでしょう。

もっとも、これにも良い所があり、組織が一丸となって秩序を維持し、また事に当たることです。
しかし、これがまた問題を生む。
それは、社会正義に基づいた内部告発であっても、組織やトップへの裏切りと見なされることです。
この意識は日本では根深く、加計学園の前前川事務次官でも激しい。

つまり、この組織文化は良いこともあるが、トップや組織が悪い方向に向かっているのに是正する力が働かず、大きな災いを生むことになる。
原発や食品偽装の内部告発などにもその例があった。


C: この問題は幾度も不幸な歴史を生み続けて来た。

日本の組織は都合の悪い情報や記録を残さない、出さない傾向が強い。
大戦時、米英は日本より遥かに戦場の情報を国民に流すように努めた。
日本はドイツほどではないが、偽情報を意図的に流した。
また軍部は徹底して記録隠滅を図った。

米国政府は政策決定過程を記録し保存し、後に為政者の判断が正しいかを検証する歴史があるが、日本には乏しい。
日本には、お上のやることに口出ししない雰囲気が残っている。
隠蔽状況は、現政権により強化され、昔に逆戻りしている。



 

*6


今後、何が起きるのだろうか?
このような場合、歴史上、一番起きやすいのは戦争でしょう。

世界の戦史を見ると、本当に敵国が一方的に攻めてくることもある。
だが往々にして自ら口火を切った戦争や、小競合いから始まり、互いに戦火を拡大させた戦争もある。

後者の場合、国民が些細な戦闘などの事実でもスピーデイに入手出来れば、早期に為政者や軍隊の暴走を防ぐことができる。
当然、マスコミが御用新聞でないことも重要ですが。
しかし、これが政府により捻じ曲げられたり、伝わらなけらばどうなるのでしょうか?
今回の二つの問題や南スーダンの自衛隊日報のような政府答弁では・・・。

その先に来るものは80年前に歩んだ道であり、今まだ御存命の戦争経験者の悲願を無にすることになるかもしれない。
歴史は、大惨事に至る道が準備されていることを教えてくれています。


今、私達に求められているのは先の大惨事を予見することです。



20170624

フランスを巡って 17: 大都市リヨン 3



今回は、リヨンの今、新市街のベルクール広場とレストラン街を紹介し、街の人々の表情をお伝えします。
この日は、この旅行最初の個人予約したレストランで食事をした。


 
< 2. 地図、右が真北です >

Hは今回のホテル「ベスト・ウエスタン サフィール」です。
Pはツアー観光で訪れたベルクール広場です。
S旧市街をツアー観光した時の始まりと終わりの場所です。
黄色の線は、夕方に自由散策した通りです。
Rは予約したレストランです。
M1M2M3は地下鉄駅で、夕食後、ホテルまで帰るのに寄りました。

赤矢印はフルヴィエールの丘です。
こうして見ると、この丘がローマ時代から戦略上、交易上需要な拠点だと言うことが推察できる。
この丘は直ぐ下を流れるソーヌ川から標高差130mほどの高さにあり、川を掘りとした堅固な要塞と見なせる。
ソーヌ川は真っすぐ北に延びる河谷を抜け、フランス中部の平野へと至る。
この地はローマ軍がガリア支配の拠点にするには打って付けだったろう。
その下の川はローヌ川で、この地から東に進路を変え、スイスのアルプス山脈に至る。
この地は温暖で、南北と東への交易の交差点だった。


 
< 3. 旧市街からベルクール広場まで >

これらは地図のS地点からバスに乗り、ベルクール広場までの景観です。
この川はソーヌ川です。


 
< 4.ベルクール広場 1 >

上の写真: 広場の南西端から中央に向かう。

中央の写真: 広場中央のルイ14世像(太陽王)

下の写真: 広場の中央北端からフルヴィエールの丘の大聖堂を望む。

この日は土曜日で市民らの人出が多かった。




 
< 5. ベルクール広場 2 >

広場の南縁に延びる公園でくつろぎ、遊ぶ人々。

フランス各地を訪れて行くうちに、様々な人種や民族が違和感なく暮らしていることを知ることになった。
旅行に行く前、マスコミ報道や何冊かのフランス事情の本から得た知識により、移民や人種間に気まずい雰囲気があるように思っていたのですが、どうやら思い過ごしのようでした。




< 6. ベルクール広場からホテルへ >

上の写真: 広場南西端にあるサンテグジュペリの像。
小説「星の王子様」で有名な彼はリヨンで生まれた。

下の写真: ホテル近くのバス停。地図番号M3
この下に地下鉄駅がある。
夜、ここからホテルまで道を迷った。


自由散策を始める
自由散策は旅行4日目、5月20日(土)の夕方から夜までです。
この日の夕食はツアーにないので、オプションか自由になっていました。

ツアー観光が終わり、皆がホテルに入ったのは18:00を過ぎていました。
私達は一度部屋に入り、直ぐ出ました。
ホテルでタクシーを呼んでもらい、ホテルから予約したレストラン近くまで10分程で着き、時刻は19:00でした。
まだ外は十分明るく、少し暖かった。

予約時間まで時間があったので、大型スーパーの「Monoprix」(地図番号M1)まで歩きました。
たしか3階まである大きなスーパーでしたが、この時は何も買わずに出ました。
その後、レストランに向かいました。


 
< 7.証券取引所まで散策 >

下右の写真: 証券取引所の建物。地図番号M1
この前に大型スーパー「Monoprix」、タクシー乗り場、地下鉄駅がある。


 
< 8. 大型スーパー「Monoprix」からレストランへ >

上の写真: 左のガラス壁面が大型スーパー「Monoprix」。

下の写真: 予約レストランのある通り。
レストランは通りの右側中ほどにある。
この辺り、特に突き当りの左右に延びる通りは著名なレストラン街としてガイドブックに載っている。


 
< 9. レストラン「La Maison Marie」 >

上の写真: 予約していたレストラン。
下の写真: 向かいのレストラン。

La Maison Marie での食事について
このレストランはトリップアドバイザーで探しました。
ここはリヨンのレストラン2837軒中35位と人気がある店で、コースの値段が手頃で、新市街の便利な所にあったので決めました。
予約はトリップアドバイザーのオンライン予約で19:30を希望し、後に確認メールが届きました。

私達は室内よりテラス側を選んで座った。
ウエイターの対応は爽やかで丁寧でした。
料理は店に入ってから注文した。
初めからコース料理「Menu Printanier」を考えていました。


 
< 10. コースメニュー >

コースメニューはこれだけで他はすべて単品注文です。
金額は29ユーロです。
どうやらこの料理の組み合わせは数か月間同じようです。
このコースメニューは前菜2種類、メイン2種類、デザートかチーズから選ぶようになっています。
私達二人は、それぞれ前菜とメインで異なるものを注文し、シエアし、最後は同じデザートを注文しました。
上記メニュー内の「ou」は英語の「or」です。

今思えば、一人はチーズを注文すれば良かったと少し後悔しています。
フランス人は食事の最後に結構、チーズ「Fromages」を食べるようです。




< 11.コース料理 >

上から前菜、メニュー、デザートと並んでいます。

今回の旅行で最もおいしく味わいのある料理でした。
ただ一つ残念なことは、スープが冷製で体が冷えたことです。
テラスに座った頃はまだ外は温かったのだが、日が暮れるにしたがってどんどん涼しくなった行きました。
私達が食事を終える21:00頃には、他の客は皆、室内で食事をしていました。

サービスも問題なく、豊かな時間を過ごせました。


 
< 12.食事中の通りの様子 >

やはりテラスでの食事は楽しい。
通りを行きかう人や、向かいで飲食し談笑する人を眺めることは興味が尽きない。
ただ、あまり繁々と見ていると、誤解を招くので注意が必要です。
ここでも、またポルトガルのポルトでも少し嫌な思いをさせたようです。

一つ楽しい出会いがありました。
食事をしていると、通りの向こうから同じツアーの夫婦が歩いて来ました。
聞くとレストランを探しているとのことで、このレストランを薦め、隣の席で一緒に食事することになりました。
この広い、リヨンで出会えるとは驚きです。
他のツアー客のほとんどはオプションか、ホテル近辺で食事をとっていたのですから。

実は、後の観光地でも、夕方以降の自由散策でばったり出会うことになります、
この夫婦は好奇心が旺盛でチャレンジを厭わないようです。
  


< 13.いよいよホテルに帰る >


来るときは時間を無駄にしたくないことと夜の地下鉄利用が不安だったこともあり、タクシーを利用した。
もっとも、来るときは明るかったが。
タクシーの運転手のマナーに問題はなかった。

しかし、先ほどの夫婦は地下鉄で来ており、地下鉄は便利だと教えてくれた。
それで私達も地下鉄で帰ることにした。
レストランから証券取引所まで歩き、そこの自動販売機で切符を買い、地下鉄に乗った。
地下鉄はベルクール広場の駅で一度外に出て、乗り継ぎをしなければならない。
切符はそのまま使えます。

この時、地下鉄のホームで、どちらに進むべきかわからず、同じく乗車していた地元の家族に尋ねました。
すると若い男性は、ほんとうに親切に笑顔で答えてくれて、不安そうに私達が行く方向を見届けてくれていた。
これ以降、フランス人の親切と愛想の良さに幾度も出会うことになる。

下の写真は、この時、一度ベルクール広場まで出た時、撮ったものです。
この時、9:35でした。

この後、ホテル近くの地下鉄駅(地図番号3)で降りて、地上に出たのですが、土地勘がなく、暗かったので道がわからなくなった。
ここでも、近くにいた男性を呼んで、看板の地図で道を聞いた。
この時も、親切に教えてもらえた。

その後、幾分道を迷いながらもホテルに無事に辿りついて、やっと1日が終わった。


次回に続きます。