20140201

Winter Awaji island : Akashi Kaikyō Bridge at first light

before daybreak

< before daybreak
In the morning, I went to the north edge of Awaji island and photographed Akashi Kaikyō Bridge of first light.

When I arrived at the seashore, the area was a pitch-black.
The grass covered with frost has gleamed whitely by moonlight.
The far sea surface of Akashi Strait has shone white thinly.
The sound of the surf taught me that the seashore was near.



朝、淡路島の北端に行き、夜明けの明石大橋を撮影しました。

6時30分頃、海岸に到着した時、辺りは真っ暗でした。
月明かりが霜をかぶった草を白く照らしていました。
明石海峡の遠い海面は薄く白く光り、打ち寄せる波の音が、岸が近いことを教えてくれていた

sunrise

< sunrise >
In this day, a thin fog appeared, and the sunrise was not clear.
But, the crimson sun began to wrap the area warmly.

この日は、薄い霧がかかり、日の出は明瞭ではなかった。
だが、くれないの太陽が、辺り一面の冷気を溶かすように昇ってきた。


the change between 15 minutes from the sunrise

the change between 15 minutes from the sunrise

the change between 15 minutes from the sunrise

 the change between 15 minutes from the sunrise    
The sky began to be stained crimson soon from a pitch-black.
It had come to be stained pink color, and soon changed to light blue.

空は漆黒から碧へ、やがて赤みを帯び始め、ピンク色に染まったかと思うと、淡い青へと色を変えていった。


a mist raised from a breaker 

 a mist raised from a breaker 
I was able to feel a breath of nature.

始めカメラのレンズが曇ったのかと思いました。
思わぬ光景に巡り合いました。


many ships were coming and going at the straits 


 many ships were coming and going at the straits 
Maiko , Tarumi, and Suma of the opposite bank got a view.

対岸の舞子、垂水、須磨が見える。
対岸と行き交う舟、長い航海途上のタンカーなどが橋を通過する。

I overlooked the full view of Akashi Strait from a hill

I overlooked the full view of Akashi Strait from a hill

< I overlooked the full view of Akashi Strait from a hill
When Awaji island is winter, the island is occasionally covered with fog.
It was fine on this day, but some fog appeared, and the full view was veiled.
The left of the opposite bank is Akashi, and the right is Kobe.


淡路島は冬になると、島全体が時折、霧に覆われます。
この日は晴れていたのですが、少し霧がかかっており、遠景はかすんでいました。
対岸の左が明石で、右奥が神戸です。


 From roadside station "Awaji" at the daytime

< From roadside station "Awaji" at the daytime >
This photography excited me.
I was absorbed in cutting a beautiful scene to change every moment.
It was a good time.


今回の写真撮影は興奮しました。
刻々と変化する美しい情景を切り取ることに夢中になった。
楽しい一時でした。























20140131

社会と情報 14: 大統領府で何が起きていたのか? 2

 枯れ葉剤投下

< 枯れ葉剤投下 >

前日に続いて

空爆優先は、味方の消耗を減らし如何に敵を多く殺すと言う戦争の論理に叶っている。

だから、世界の批判を避ける為にトンキン湾事件を捏造してでも北爆をやることになった。
しかし北ベトナムとカンボジア、ラオスへの絨毯爆撃、ジャングルへの枯れ葉剤散布、無差別砲撃がインドシナに与えた損害は甚大だった。
これらは敵兵に打撃も与えたが、それ以上にベトナム国民と国際世論を敵に回すことになった。
これらが当時の難民150万以上、行方不明と死者800万、さらに40年後の今も枯れ葉剤による障害児70万がいる。
当時、米国はベトナム人の被害を調査することもなかったし公表することもなかった。
当時エルズバークは、米国の作戦による南ベトナム国民の被害や意識調査を進言したが無視された。


難民

難民

< 難民 >

軍部が主張する大兵力投入を最初から実施すれば良かったのだろうか。

軍部は、フランスに勝った北ベトナム軍を甘くは見ていなかった。
しかし終盤には、不可能な地上兵力百万を投じても勝てないと悟るようになっていた。
これは、予想よりも遙かに多くのベトナム兵を殺さないと、降参しないことを意味する。
当時の米国の将軍達はこの常識を越える独立への執念に、ついに思い至ることはなかった。
結局、軍部も誰も、ベトナムの歴史や民族を知らず、最後まで力で押さえることを信じて疑わなかった。
この他国への無理解については別に考察します。

キッシンジャーがベトナム戦争の打開策をエルズバーグ博士に諮問した時、彼の答えに勝利の方程式が無かった。
不謹慎だといぶかるキッシンジャーに、博士は「勝てるシナリオが見つかりません。原爆使用は論外なので・・・・」
博士には、吹っ切れるものがあった。

民間出身で、三代の大統領の下でベトナム戦争の采配を振ったマクナマラ国防長官は、ニクソン政権下の途中で辞めることになる。
それは、増派・増強、核爆弾の要求をエスカレートさせる軍部に懐疑的になり、一転して段階的縮小を大統領に提案したことによる。
結局、最後の大統領は、核爆弾以外の強硬策を採用し、一方で和平交渉を行った。


原爆投下 

< 原爆投下 >

問題は何か
暴走し逸脱していく戦争を、その時に如何に正せるかが重要です。
後になって、国のトップを戦争犯罪で告発しても、後の祭りです。

当時、大統領府は、都合の悪いことや下心を隠し、国民に対して希望を捏造し、良い印象を与え、時には戦意を鼓舞することもあった。
国民は大統領府の不穏な動き、戦地ベトナムの真実をかなり遅れて知ることになった。
64年のトンキン湾事件の捏造は、エルズバーグの機密文書暴露で、71年にやっと知ることが出来た。
当時、ホワイトハウス、国務省、国防総省、ランド研究所に総勢7万近いスタッフがおり、ベトナム戦争の真実を知る人は多くいたはずだが、その一部でも公開し、国民に訴える人は数人だった。

多大な影響を与える国の舵取りの情報が、防衛・外交機密を盾に、国民には届かなくなっているのです。

次回、当時の報道機関がどのような役割をしていたのかを見ます。
そこからは驚きと失望と、少し勇気がもらえるでしょう。












20140130

社会と情報 13: 大統領府で何が起きていたのか? 1

国家安全保障会議  

< 国家安全保障会議 >

大統領は、ベトナム戦争の政策をどのように決定したのだろうか?
ここでは歴代大統領と大統領府に共通する行動パターンを見ます。
ホワイトハウスとベトナムをよく知るエルズバーグ博士が書いた1972年刊「ベトナム戦争報告」を参考にします。

はじめに
最高指揮官の大統領は国家安全保障会議の助言を得て、戦略・作戦を決定する。
但し、その実施には議会の承認が必要になる。
安全保障会議には、大統領と外交(国務省)、情報(CIA)、軍事(国防総省)のトップ、主要補佐官が参加する。

ベトナム紛争は、世界の紛争に目を配り、百万の軍隊を動かす大統領にとって国内外の処理すべき1案件にすぎない。
例えば、ケネディ以降の3人の大統領は、米ソの緊張緩和、中近東問題、アポロ計画、人種差別、環境保全、中国承認、核兵器削減など、大きな仕事を成し遂げていた。


国防総省

< 国防総省 >

彼らの行動パターンは?
非常に乱暴な要約ですが、彼らに共通するものでしょう。

大統領
a.      自分の任期中には、共産主義者にベトナムを明けわたさない。
b.      国民や議会の不人気や反発を招く戦争拡大は避け、かつ弱腰と見られたくない。

軍部 
c.       米兵の死傷者を少なくするために、核の使用や空爆を優先し、地上軍派遣は抑えたい。
d.      しかし中途半端でなく、早めに大兵力で相手を徹底的に叩いてこそ勝利するとの信念がある。

全体(上級スタッフ、軍部、官僚)
e.       米国の為の戦いだから、ベトナム側の被害には関心がない。
f.        作戦の失敗には触れない、新たな作戦に活路を見出し、作戦や援助には希望があることを示す。


ベトナムでの夜間攻撃 

< ベトナムでの夜間攻撃 >

この行動パターンからベトナム戦争が見えてくる。

大統領達は軍部が要請する増派と爆撃に対して、かなり控え目に決断することが多い。
公表では、自国の派兵や損害を目立たなくし、将来の増派や戦線と被害の拡大が少ないように印象付ける。
したがって、ベトナムで戦火が広がり、南ベトナムの不利が明白になるまで手を打たず、概ね大統領就任時や最悪期、または選挙を睨んで手を打つことになる。
このことが、20年間で5人の大統領による戦争へのテコ入れが5回繰り返された理由だろう。
こうして戦火は拡大しながら継続することになった。
結果的に、大統領達は米国初の敗戦の将の不名誉を避け、次ぎに譲ったように見える。

南ベトナム政府が統治の呈を成していないことを彼らは充分承知の上で、これを伏せ、援助すれば、戦いに希望があると訴えた。
米国には反共産の強権的な傀儡政権が必要で、このことが弾圧と腐敗を深める政権を生み、南ベトナム国民は離反していった。
米国の助言を聞かないこの政府は豊富な物資と軍事援助を流用するだけだった。
米国のゲリラ対策失敗も重なり、始め非共産だった人々も、北ベトナムに呼応することになり、益々兵力投入が必要になった。
ケネディは一度、この政権を見限ろうとしたが出来なかった、後にこの政権は転覆させられる。

次回に続きます。









20140129

History of sickness and medical art 19: Ancient Israel 5

 One scene of Exodus of the Torah (commandment)

< One scene of Exodus of the Torah (commandment) >

This time, it becomes a conclusion of ancient Israel.

Although there was no explanation of systematic structure of human body in the Bible, there was a thinking of dividing into three of soul, life principle, and flesh.
The name of organs was borrowed from Egypt, and heart was thought important similarly.
The law of rest day is coincident with a custom of Assyria that severely restricted the activity of the 7th day of a week.
In the Mesopotamia or Egypt, the cause of sickness that is not cured easily was a punishment of Gods, or work of various devil.
On the other hand, in Israel, it hinges on only absolute God all.
The foulness was considered to be a punishment of God by having violated the prohibition that you must not touch, instead of work of the devil that was reason of it.
The taboo of Mesopotamia to tell not to approach a sick person was considered to be punishment and foulness in the Old Testament, and the sick person came to be isolated strictly.
In due course, rather than depending on a punishment necessarily, the sickness came to be realized to be a trial that God gave. (From Job to the New Testament)


今回、古代イスラエルのまとめになります。

聖書には体系的な人体構造の説明はないが、魂と生命原理と肉体の三つに分けて考えられていた。
諸器官の名称はエジプトから借用され、同様に心臓が重視されていた。
安息日の定めは、週の7日目の活動を厳しく制限したアッシリアの慣習と一致する。
メソポタミアやエジプトにおいて、容易に治らない病気の原因は、様々な神の懲罰か悪魔の仕業だった。
一方、イスラエルにおいて、その総べては唯一絶対の神によるものだった。
穢れは、悪魔のせいではなく、触れてはならない禁制を犯したことによる神の罰と考えられた。
病人に近づくなと言うメソポタミアのタブーは、旧約では罰や穢れと見なされ、病人は厳格に隔離されるようになった。
やがて病は必ずしも懲罰によるもではなく神の与えた試練と捉えられるようになった(ヨブ記から新約へ)。


a miracle of Jesus 

< a miracle of Jesus 

I look how the Bible has dealt in a skin disease.

“And the priest shall look on him, and behold, the scab hath spread in the skin; then the priest shall pronounce him unclean: it is leprosy.”  Lev.13:8

“And he put forth his hand, and touched him, saying, I will be thou clean. And immediately the leprosy departed from him.”  Luke 5:13

"The person who watched lepers says, the true judgment of god comes to be celebrated. " the Talmud

Between Judaism (the Old Testament, the Talmud) and Christianity (the New Testament), the recognition to skin disease (a punishment of God) has a large difference.



聖書が、皮膚病を如何に扱っているかを見ます。
「祭司が調べて、確かに発疹が皮膚に広がっているならば、その人に『あなたは汚れている』と言い渡す。それは思い皮膚病である。」レビ記、13.08

「イエスが手を差し伸べその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち黒い皮膚病は去った。」ルカ福音書、05.13

「ライ患者を見た者は『真の裁きが祝福されるように』と言う」タルムード。

ユダヤ教(旧約、タルムード)とキリスト教(新約)の間には、皮膚病(神の罰)への認識に大きな隔たりがある。



Gospel of Luke

< Gospel of Luke >
According to the Talmud, the cause of disease depends on the imbalance of four body fluids, and it is based on a theory of Greece.
This will depend on having been a Jewish medical school in Alexandria city in the 4th century B.C.


タルムードによると、病因は四つの体液のアンバランスとされ、ギリシャの説に依拠している。
これは紀元前4世紀、学問都市アレクサンドリアにユダヤ人の医学学派がいたことによるのだろう。


Jews hold the Torah

< Jews hold the Torah 
The rule of health had to be conformed with the commandments rather than medical reason.
It had extended to every action, including a time and a place of the burial, the isolation of the sick person, the cleansing before the meal, the slaughter of the animal, and the cooking of the food.
There were many regulations to putrilage, fungus, skin disease, and especially blood.
In this way, the regulation of foulness and contraindications permeated widely.


衛生の決まりは、医学的よりも、戒律的な理由から守らなければならなかった。
それは、病人の隔離、埋葬の時刻や場所、食事前の洗浄、動物の屠殺、食品の調理など、あらゆる行動に及んでいた。
腐敗物やカビ、皮膚病、特に血液に対しては多くの規定があった。
こうして浄・不浄、禁忌の規定が広く浸透した。










20140128

The society and the information 12: I would be grateful for your understanding in the United States.



社会と情報 12: 米国の皆さんに、ご理解をお願いします


Now, I am going to study the relation between the information and the society about the Vietnam War.
But, forgetting our own fault about the war of our country, I hate to criticize the war of foreign country. 

Firstly, I apologize about it to American readers and I ask for understanding.


現在、ベトナム戦争を題材にして、情報と社会の関係を見ようとしています。
しかし、私は自国の戦争を棚に上げて、他国の戦争をあげつらうことに、心苦しいものがあります。

始めに、米国の読者の皆さんに誤り、ご理解を願うものです。

I am not dealing with this problem in order that I may blame or dislike the U.S.
I am thankful to the U.S. that contributes to the security of the world with a self-appointed role of the police.
The good points of the U.S. are the posture to maintain the democracy firmly, including the strong mass communication, the protection of internal whistleblower, and the disclosure of the secret official document.
I think that the good points of the U.S. are insufficient in Japan.
In Japan, although there are also good points plentifully, Japan is delayed in comparison with the U.S. in respect of the above, though regrettable.
Although Japan has old history, people don't keep the record and then they lack in the posture of reflecting on the affair later.
In respect of that, there is record than the war of Japan, and the Vietnam War that the analysis is superior to it is good as a subject matter.
Particularly, the sign that I have worried in the politics of Japan just arose.
The bud is still small.

私は米国を責めたり嫌ったりして、この問題を扱っているのではありません。
世界の警察を任じ世界の安全保障に貢献しておられる米国に感謝しています。
強固なマスコミ、内部告発の保護、機密公文書の開示など、民主主義を堅持する姿勢は、日本に不足している米国の良さだと思っています。
日本は良い所も多々あるのですが、残念ながら、上記の点で遅れています。
日本は、古い歴史を持っているのですが、記録を残して後日、その事績を反省する姿勢に欠けています。
その点、日本の戦争よりも記録があり、分析の進んでいるベトナム戦争は題材として優れています。
特に、現在、日本の政治に危惧すべき動きが生じています。
その芽はまだ小さいのですが。

So, I picked up the example of America although being haughty.
I may write the analysis and the opinion that stepped from now on.
Please forgive it.
Please fill with a reproof and an opinion anything.

Next time, we look at what was taking place in the Executive Office of the President.

それゆえ、私はあえて不遜ながら米国の事例を取り上げました。
これからも、踏み込んだ分析や意見を述べるかもしれません。
よろしくご容赦のほどをお願いします。
何なりと叱責、ご意見をご記入下さい。

次回、大統領府で何が起きていたことを見ます。





20140127

Winter Awaji island : In a foot of mountain

 a flower blooms in the field 

< a flower blooms in the field  >

I introduce the scenery of the foot of mountain that I always walk around.

いつも、私が散歩する裏山の自然を紹介します。


a light of a bamboo grove and a shadow of it

a light of a bamboo grove and a shadow of it

< a light of a bamboo grove and a shadow of it

Many uncontrolled bamboo groves spread out in the mountain of this neighborhood.

この辺りの山には放置された竹林が広がっている。

a pond stagnates darkly

< a pond stagnates darkly    >

There are small fishes and birds in this pond.

この池にも小魚と鳥はいる。


three birds

three birds

< three birds

In winter, birds often come flying in the garden of my house and the foot of mountain.


冬になると山里や家の庭によく鳥が飛来するようになる。




20140126

社会と情報 11: 戦争拡大の道のり

ジャングル戦 

< 1.ジャングル戦 >

ベトナム戦争も複雑な経緯を辿って、戦線が拡大していきました。
先ず、戦争の主要な転換点を振り返ります。
後に、米国政府の意図と世論、それを結ぶ情報を見て行きます。

戦線拡大のポイント
簡単にするため北ベトナムの動きを省略し、米国大統領の動きを中心に見ます。

トルーマン: 1949年、インドシナ戦争でフランス支援を決定。
アイゼンハワー: 54年、ジュネーブ会議はベトナムの停戦と南北分割を決めるが、米国と南ベトナムは統一選挙実施で調印を拒否。
南ベトナム: 米国は、この政権に反共産を条件に軍事・経済援助、軍事顧問団派遣を行う。
この政権は、宗教対立や不満に弾圧で臨んだため、国民は離反し、武力蜂起が起きる。
北ベトナムは、この反体制派(解放戦線)に援助し内乱は深まる。
ケネディ: 61年、内乱を鎮める為に軍事顧問団を増強し、実際は数百名の戦闘部隊が攻撃を開始した。


弾圧に抗議し焼身自殺する仏教徒 

< 2.弾圧に抗議し焼身自殺する仏教徒 >

南ベトナム: 63年、政権がクーデターで交代するが、以降幾度も繰り返される。
ジョンソン: 64年、北ベトナムに攻撃された報復に大規模な軍事行動を開始(捏造事件)。
これにより中ソの北ベトナムへの軍事援助が本格化し、北ベトナムと南ベトナム解放戦線は米軍と直接地上戦に入る。


爆撃

< 3.爆撃 >

この報復に米軍は北爆、最大55万の派兵、ジャングルや農村部への無差別爆撃を行い、戦争拡大。
68年、戦争反対の世論に押され、北爆を停止する。
ニクソン: 69年、大統領選挙の公約通り米兵撤退を一部行い、北ベトナムと和平交渉を開始。
一方、北ベトナムの補給路を断つ為、隣国2ヵ国に侵攻を開始するが、失敗に終わる。
72年、和平条件を有利にする為、大規模な北爆と機雷封鎖を実施。
これにより、北ベトナムは軍事拠点と経済に壊滅的な打撃を受け、大量の死者を出し、戦闘続行が不能となった。
この北爆は国際世論の反発を招き、中止。
73年、北ベトナムと米国は和平条約を締結し、米軍が全面撤退。
南ベトナム: 75年、北ベトナムと南ベトナム解放戦線による攻撃で政権が崩壊し、1年後に統一選挙が行われた。

素朴な疑問
米国の膨大な人命損失と経済損出、それを遙かに上回るベトナムの国土破壊と人命損失をなぜ食い止められなかったのか?
本当に、「共産主義封じ込め」政策が必要だったのか?
現在、ベトナムは共産国家として成長を遂げている。
その後の世界や東南アジアの状況を見ると、その政策は誇大妄想に思えるのだが。


ジュンソン大統領とマクナマラ国防長官

< 4.ジュンソン大統領とマクナマラ国防長官 >

何が問題か
米国の歴代大統領は真剣に、自国と同盟国の安全保障の為に努力した。
しかし、その結果は、常識的に見て失敗だと思える。
その食い違いはなぜ起きたのか?

戦争を指揮する政府に過失や別の意図、又は不作為があったのかもしれない。
今、一つは、国民が政府と戦争の実情を知らされず看過したのか、情報操作で踊らされたのかもしれない。

次回から、この事を検証していきます。










20140125

社会と情報 10: 戦争を招いた情報の欠陥 1

 朝鮮戦争

< 1.朝鮮戦争 >


前回紹介したエルズバークは、ベトナム戦争の経緯を分析し、大統領府の犯罪性に憤り、告発の挙に出ました。
国家が戦争に深入りしていく過程で、情報がどのように関わっているか、要点を見ます。

はじめに
皆さんは、自国の戦争が無駄で、犯罪と指摘されることに憤るでしょう。
ましてや身近な人が負傷し死亡されておられればなおさらです。
また、戦争は好んでするものではなく、憎むべき極悪の敵国があればこそだと思っている方も多いはずです。
一方で、正義の戦争があるとしても、戦争は小さく短く終わって欲しいとも思われるはずです。


当時の共産圏首脳 

< 2.当時の共産圏首脳 >

ベトナム戦争の泥沼へ
この長大な戦争を、人々の感情と情報の観点から、要点を切り取り、見ていきます。
そこには思わぬ落とし穴と情報の欠陥が待ち受けていました。

1945年、第二次世界大戦は日本への原子爆弾投下で幕が閉じましたが、これを命じたのがトルーマン大統領でした。
敗戦後、トルーマンは米ソに共通の敵が無くなることから先手を打ち、ソ連に対して強硬路線を取り(トルーマン・ドクトリン)、冷戦時代へと突入することになります。
50年に朝鮮戦争が勃発し、急激に共産主義への脅威が高まり、赤狩り(マッカシー旋風)が米国に吹き荒れます。
大戦時のヒトラーや中国共産軍への初動の抑え込み不徹底が、戦火の拡大を招いたとの反省が起こります。
こうして、米国はこの後、「共産主義封じ込めの民族支援」で世論が一致し、長らくその呪縛から解けなくなります。

一方、ベトナムは2千年にわたる中国とフランスからの独立を戦い抜いて来ました。
そのゲリラ戦は筋金で入りでした。
大戦後、北部ベトナムに共産主義政権が興りますが、当時、多くの植民地も同様に独立を目指していました。
米国政府は、植民地化政策に反対だったのですが、フランスが負けると、ベトナムの自由主義を守る意図で、介入していきます。

こうしてトルーマンに始まり、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの5人の大統領が政策を継承し戦争を拡大していくことになります。


1945~74年の米国の大統領

< 3.1945~74年の米国の大統領 >


この初期の米国に、何か問題があったのでしょうか?
この段階で失策だとは断言出来ない、残念だとは思うが。

日本の明治維新から太平洋戦争への経緯もそうですが、最初は確かに脅威が存在しました。
そして戦いを継続していく内に、初期の脅威論とは別の意図や世論が拡大を促しました。
どこかで道を間違ったのは確かですが、そのターニングポイントの指摘では意見が分かれるところです。

しかし一つだけ、言えることがあります。
戦争を遂行する上層部には、正しく状況を把握している人々が少なからずいたはずです。
その真実が国民に伝われば、犠牲を強いられる人々は進路変更を早く望んだはずです。

次回、ベトナム戦争が拡大していく過程で情報がどうなるかを見ていきます。